第87話・望月月英
・望気眼
陰陽五行説で定義される「気」を観望できるギフト。
・占眼
未来や物事の成り行きが視ることができるギフト。
彼女は、よく「夢」を見る子どもだった。
しかし、当時の彼女にはそれが夢か現か分からない。
いや、彼女にとってはもう一つの現実だった。
◆◆◆
クロノス暦4080年9月17日、彼女は生まれた。
トイラプス帝国を実質的に支配する由緒正しい公爵家、望月家宗家の当主である明衡の次女として。
同時期、遠く離れた異世界・地球では彼女の運命の中心となる男が生まれていたが、それはまた別の話。
彼女の血には、二つの望月家の血が、遺伝子が、入っていた。
宗家と分家の震緯望月家の血。
しかし、彼女は後者の血がより強かった。
それを最も表しているのが、彼女の魔力的遺伝性過敏症だ。
琥珀色をした左眼は占眼という身体型(Ⅰ型)のギフト。
翡翠色をした右眼は望気眼という同じく身体型のギフト。
前者は未来や運命が不確定ながらも視ることができ、後者は陰陽五行説で定義される「気」を観望できる。
それは、明らかに陰陽術や占星術に秀でる震緯望月家が得意とするものから派生した能力だった。
当初、占眼は彼女が夢を見ている時だけ発動していた。
彼女が寝れば必ず夢を見ることになり、その夢は幼い彼女の好奇心を大いに刺激した。
初めて見る景色、初めて見る人間、初めての体験。
夢は現実と思える程鮮明で、彼女はもう一つの現実を恒常的に体験することになる。
その夢が、未来を見せていると分かったのはいつだったか。
それに気付き始めてからは彼女の楽しみが増えた。
なぜなら、夢が未来を見せたとしても、現実は必ずしもその通りにはならなかったから。
夢の通りになぞろうが、なぞらまいが、現実が思い通りになることはなかった。
もしも現実が夢と全く同じであれば、つまり彼女の未来を視る能力が完全なものであれば、現在の彼女は生まれなかっただろう。
夢と現実の不一致は、彼女に考える力を与えた。
幼い彼女は考えた。
どうして夢の通りにならないのだろう、と。
それから彼女はよく人を観察する様になった。
自分の行動がどのように他者に影響を与え、他者がどんな感情を持つのか。
夢と何が違うのか。
何が違えば、夢との乖離が起こるのか。
行動し、考え、仮説を立て、行動し、考え、仮説を立て。
そうやって繰り返していく内に、彼女は人の行動や心理に聡くなった。
単純に考えて人よりも二倍の人生を経験した彼女にとって、父や兄を手玉にとることは容易だった。
父や兄にとって彼女は目に入れても痛くない存在になり、父兄だけでなく、母や姉も彼女を可愛がる様になった。
しかし、徐々に彼女の眼の力は強くなっていく。
最初は明日の未来だけだった。
それが、明後日になり明々後日になり、一週間後、一ヶ月後、一年後と、より遠くの未来も視える様になる。
観測できる未来が遠くになるにつれ、彼女は体調をよく崩す様になった。
それは、魔眼使いの宿命とも言えた。
魔眼がもたらす情報は確かに有用ではあるが、意図しない魔力の使用過多は脳に負担をかけ、強いストレスを生み出した。
ストレスは免疫系に悪影響を及ぼし、病床に伏す。
魔眼が強力であればある程その傾向は強く、彼女もその例に漏れなかった。
さらに、彼女の場合は魔眼が二つ。
人生経験だけでなく、負荷も二倍以上となり、外を自由に走り回ることが困難になった。
フレア帝国の皇女アスタグレンス=リヴァインはギフトのせいで自身の世界と権利を狭められたエレメンターだった。同様に、彼女もギフトにそれらを奪われた一人だった。
だが、彼女が滅気ることはなかった。
普通の暮らしを奪った魔眼が、皮肉なことに彼女に希望を与えていたからだ。
いつからか、彼女の夢にある男が現れる様になった。
地球から召喚され、高名な玄羽=ヴァドリーに師事したエレメンター。
しかし、現在の流れと違い、当時の夢では彼と彼女が会うのはもっと後のことだった。
仙術の力に目を付けた望月家は兄を遣わし、神格武器「電影」を与えた。
時が経ち、兄を仲介する形で彼と彼女はお見合いをし、そのままゴールイン。
今でも彼女は、その夢を見て胸を高まらせたことを覚えている。
小さい彼女は現実で会ったことすらない、いや会えるはずもなかった彼に抱いた、初めての感情に戸惑った。
好奇心とは違う、胸が苦しくなる時があるのに、幸福感をもたらす感情。
その感情に敢えて名前を付けるのならば、恋。
身体が不自由だった彼女は、夢を見ることが、夢の中で恋をすることが生きがいだった。
だが、そこには、アスタグレンス=リヴァインの姿も江月華の姿も無かった。
しかしながら、彼が時々浮かべる後悔の表情から、その存在は薄々感じていた。
当時の彼女は強い不満を感じていた。
妻になったというのに、自分のことを一切話さない彼に。
過去のことに囚われ、今の自分を見ない彼に。
父や兄に通じたスキルも効果はなかったし、なんなら逆に見透かされていた。
時が過ぎ、暗黒世界との戦争が始まると彼は彼女を家に残して任務に赴いた。
本当は付いて行きたかった。
だが、彼は徹底的に彼女を戦争から遠ざけさせ、魔族の国へ行った。
間もなくして、魔族の国でも戦争が勃発し、彼は行方不明になってしまった。
それだけではない。
なぜか彼に強い憎しみを抱いた波俊天魔が彼女を強襲し、殺した。
数分後に彼が駆けつけた時にはもう手遅れで、彼は彼女に謝りながら泣いていた。
初めて、彼女は彼に強く想われていたことを実感する。
それがひどく印象的で、彼女は彼を守りたい、そう願う様になった。
そして、その運命は幕を閉じた。
それが、一回目の夢。
それからというもの、同じ様な夢が何度も繰り返された。
もちろん、幸福な時間もあった。
しかし、最後に悲劇が訪れると分かっていれば、それは絶望へのスパイスでしかない。
彼女は段々と希望を失い、夢を見ることを怖がる様になった。
だが、寝台から出られない彼女には選択肢が無い。いや、夢であるのならば健常な身体だとしても選択肢は無かっただろう。
寝れば必ず悪夢を見る上に、寝なければ免疫が更に落ちて余計にベッドから出ることができなくなる。
そのジレンマは彼女に強いストレスを与え、結局、体調はもっと悪くなった。
事情を知る兄は、一計を案じた。
イングランドの劇作家シェイクスピアの言葉を頼りに、彼女に本を与えたのだ。
その本の名は、『悲劇の英雄』。
古代の英雄、キフの生涯を描いた作品で、著者不明、成立年代不明だが、名作として知られたものだった。
しかし、大半の人間は身に覚えがあると思うが、幼少期にはマイナスの感情が多い作品よりもプラスの感情が多いのを読む、または見たはずだ。
それは、情緒を育てる観点から考えても適切な行動だ。
だが、兄が取った行動は真逆のもの。
恋愛要素もあるが悲しみや憎しみなどの感情に主題を置いたこの作品は、およそ子どもには不向きなものだった。
しかしながら、絶望を何度も味わい、心を折られた彼女には、効果は覿面だった。
「悲劇の英雄」は、彼女に勇気を与えた。
運命を、意志の力で覆す。
主意主義が覚醒者の中で主流だった古代において、彼は、キフは、誰よりも強い意志を持っていた。
たった一人の女性を守る。
ただそれだけのためにキフは生き、そして死んだ。
その生涯を一人の女性に捧げ、例えどんな困難に遭っても諦めることなく運命に抗い続けた。
その姿に、彼女は夢の中の彼を重ねた。
そうです。彼は一度として諦めなかった。
なのに私は、まだ訪れてもいない現実を恐れて、何を竦んでいるのだろう。
この悪夢は私に絶望を与えるためではなく、運命を変えるためにある。
『諦めるのは、死んでからで良い』
『悲劇の英雄』の中の一節を思い出しながら、そう彼女は考えた。
その日から、悪夢はその気色を変えた。
確かに、悲劇は訪れた。幾度となく、容赦なく。
しかし、彼の隣には彼女が立つ様になり、一緒に戦う光景が多くなった。
彼と共有する時間が増え、同じ空間にいると彼が安心してくれる様になった。
見るものは変わっていないはずだった。
彼は過去に後悔を抱えていたし、彼女も最終的には殺された。
だが、結果は同じはずなのに、彼女はそれを悪夢と思わなくなり始めた。
そして、夢は良い方向に向かい始めた。
その経験から、彼女はある一つの結論を下した。
運命は、人の強い意志に左右されている。
夢は必ずしも現実とはならなかった。
だが、現実になった夢に彼女は共通点を見出した。
人の、強固な意志。
例えば、アスタグレンスが殺されたのは、テロリスト集団カーリーとその協力者の意志。
戦争が起きたのは、悪魔の欲望から生じた歪んだ意志。
彼女が殺されたのは、天魔の憎しみから生み出された意志。
夢と差異が生まれたのは、いつだって人の気まぐれからだった。
三年前で言えば、彼が発した「導師」という言葉。
あれが無ければ、彼は破沙羅がヨーガの使い手と見抜けず、《水煙》によって燃やされていた。
『悲劇の英雄』は、彼女に勇気と意志を与えた。
逃げない勇気は彼女に悲劇と向き合う覚悟を与え、強固な意志は運命を覆す可能性を与えた。
彼女は決心する。
必ず彼を守る、と。
必ず運命を覆す、と。
絶対に、彼を悲しませない、と。
◆◆◆
僕は今日、望月家の訓練場を借り、《雲蒸竜変》制御の特訓をしていた。
三年前のあの日、僕はアスタグレンスを助けるために《雲蒸竜変》を発動させた。
でも、あの時点での僕はあの強大な力を使いこなすには意志はあっても能力が足りていなかったと思う。
それは、認める。
しかし、三年経過し、師匠の過酷な訓練に耐えた今でも、あれを使いこなせていない。いや、発動することすらできていない。
だが、今日こそは!
そして、僕は《雲蒸竜変》を発動させるために身体に意識を集中させた。
月英の話では、五行説において木の気の属性を持つ肝臓に、この力の根幹が眠っているらしい。
痛い。
まあ、肝臓と言っても、解剖したら出て来るという訳ではないだろう。
《雲蒸竜変》の力の根幹、便宜上「竜」とするが、この竜は肉体上の肝臓ではなく、霊的肉体上に存在するからだ。
痛い。
イメージとして、アナログとデジタルを持ち出せば分かりやすいと思う。
アナログである物質の肉体を、デジタル変換みたいに魔力的情報に変換したもの。
それが、霊的肉体。
ただ、生物だけでなく無機物にも遍く対応する様に存在しているのだが。
痛い。
と言っても、アナログとデジタルのイメージでは間違っている部分もある。
それは、情報量の違いだ。
デジタルはアナログから部分的に情報を切り取り、変換し、それを積み重ねていく。
その性質上、アナログよりも情報量は少ない。
物質的な肉体と魔力の霊的肉体の関係は、これと逆だ。
物質的な肉体よりも霊的肉体の方が情報量が多い。
いや、正確に言うと、対応していない情報が霊的肉体から出て来ることが分かったのだ。
そう。それこそが、魔力的遺伝性過敏症や固有領域、竜の情報だと考えられる。
痛い。熱い。
普段現れないのは、物質的な肉体として顕現していないから。
魔力的な操作をすることで、霊的肉体の情報を形而下のものに変換し、発動させる。
一般的な認識は、そうなっている。
痛い! 熱い!
「もうダメだ!!」
そして僕は、《雲蒸竜変》の発動を諦めた。
発動できない理由。
それは、簡単に言うと痛くて熱いから。
人が聞けば、我慢しろ、と言うかもしれない。
だけど、やれば分かる。
神経を無理矢理押し広げる様な鋭い痛さと、業火に焼かれる様な熱さを、発動しようとする限り永遠に味わい続けるのだ。
他のことを考えて痛さを意識しない様にしても、無駄だった。
とてもじゃないが、冷静な状態じゃできない。
あの時はおそらくアドレナリンが大量に分泌され、興奮していたから、痛さと熱さを認識していなかったのだろう。
それに、確かに僕は実感が無かったが、あの戦いの後、尋常じゃない熱さに襲われ、意識が朦朧としていたのをかすかに覚えている。
だって、意識が朦朧としていたせいで、せっかくの初めてを存分に味わえなかったのだから。
まあ、目覚めた後でやり直せたから一先ずはよしとしたが。
待てよ。あれも本当はやり直したい。
場所が場所だったからな。
結局は過ぎたことなのだが。
おっと、話が逸れた。
はっきり言って、《雲蒸竜変》はぶっつけ本番の切り札になるだろう。
それも数分間限定の。
痛さはともかく、熱さに関しては決して幻覚などではなく、身体がヒートアップすることで生じるものなのだから。
使った後すぐに冷やさないと、最悪僕の息子が死ぬ。
ま、発動しなくて良い様に動くしかない。
そういうことだ。
「滉穎様。
もうよろしいですか?」
そう言って近付いて来たのは、月英。
その両手にはスポーツドリンクやらタオルやらが乗ったお盆があった。
僕は一言礼を言いつつ、ドリンクに手を伸ばし、水分補給を行う。
月英は「失礼します」と言い、タオルで汗を拭き取り、熱くなって来た部分を氷で冷やしてくれた。
彼女は何も言わずとも、僕のやって欲しいことを察してくれる。
眼の力もあるのだろうけど、彼女はどうやら心理学に強いらしい。それに、コールドリーディングも得意なのだと思う。
人の視線や脈拍、とっさの反応、それらから人の機微を読み取る。
しかも、自分の行動がどう人に思われるのかも熟知しているから、あっさり人の懐に入ったり、逆に意識させたりすることもできる。
でも、グレンスはそれが苦手らしい。
グレンスは長いこと人に本心を隠して生きて来た。
本心を読まれることに耐性が無い、とも言える。
そんなグレンスがいきなり心を見透かされるという体験をするのは、不快さを感じることを禁じ得ないだろう。
僕は全然不快に感じないが、それは異性か同性かの違いもあるかもしれない。
それとも、月英の不思議な雰囲気によるものなのか。
いづれにせよ、そうした理由で彼女に苦手意識を持つグレンスは、今日はここに来ていない。
「ところで滉穎様」
彼女は会った時から、敬称を付けて呼んでくれるが、その理由は未だに聞けずじまいだ。
「私も、魔族の国に行けることになりました!」
喜色が混じった声でそう言った。
「そうか。それは良かった・・・・・・えっ!?」
◆◆◆
魔族の国で起きる悲劇。
それを防ぐためのキーは、望月月英。彼女だ。
望月家についての設定です。
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