第一章 花嫁候補(3)
ミリアリアが十六歳になって数日後のことだった。その日、ミリアリアは生まれて初めて父親から呼び出されたのだ。
不安な気持ちを心の隅に追いやったミリアリアは、とうとうこの時が来たのかと覚悟を決めた。
セイラに手を引かれながらも頭の中にある見取り図を辿り、目が見えなくなってから鋭くなっていった聴覚と触覚を研ぎ澄ませた。そして、謁見の間に着くと、セイラの手から離れて、たった一人で玉座の前に向かってゆっくりと歩き出したのだ。
見ているものがじれったいと感じるほどのゆっくりとした動作ではあったが、その動きは優雅なもので、見ている人の目をくぎ付けにした。
見惚れる人の視線に気が付くことのないミリアリアは、ただゆっくりと歩を進めた。
まるで目が見えているような足取りで、王座から程よい距離で立ち止まり膝を付いて頭を下げたミリアリアは、その姿勢のまま生まれて初めて父親の声を聴いた。
「単刀直入に言う。お前には、テンペランス帝国の皇帝の元に行ってもらうことになった。皇帝の花嫁候補として我が国のためにその身を捧げよ」
父がテンペランス帝国の皇帝という言葉を発した時、ミリアリアは一瞬身を震わせてしまっていた。
それは仕方のないことだと言えた。
部屋に籠りきりになっていてもその悪名は、ミリアリアにも聞こえて来るほどだったのだ。
皇帝ジークフリート・テンペランス。
周辺諸国を配下に置き、刃向う家臣にも容赦がない血濡れの皇帝。美しい銀色の髪をしていることから、銀狼と呼ばれ恐れられていた。
そんな、恐ろしい男の元に花嫁候補として向かわなければならないと知り、ミリアリアは身を震わせてしまったのだ。
もし、この身の欠陥を知られてしまったらどうなってしまうのか。
自身だけではなく、メローズ王国にも……。そう考えた時、この国に対して何の感情も湧いてこない自分に気が付いたのだ。
なんの思い入れもないこの国。
ただ生まれたのが、偶然王家だっただけなのだ。
そう思うと、逆にここを離れられるいいチャンスなのではないのかと思えてきたのだ。
花嫁候補と言うことは、他にもたくさんいる中のうちの一人なのだ。それなら、皇帝に目を向けられることもなく、王宮の片隅でのんびりと暮らせるかもしれないと。
そう前向きに考えることで、自分を納得させたミリアリアは、深く頭を垂れて父親に従うという意思を伝えた。
それを見た父親である国王は、鼻を鳴らした後に、ミリアリアに見向きもせずに玉座を後にしたのだった。
テンペランス帝国に行くことが決まったミリアリアは、最初は共は誰もつけずに行くつもりだった。
しかし、セイラはそんなミリアリアの意思に異を唱えたのだった。
「駄目です。私も姫様と共に帝国に行きます」
その言葉を聞いたミリアリアは、首を振った後に鈴を鳴らした。
(ダメ。セイラを連れていけない。帝国は恐ろしい所だと聞いたから)
「だからこそです。姫様をお一人にはできません」
(ダメだったら。それにセイラには、あの子がいるでしょ? あの子を連れて行くことはできないわ。あの子を置いて行くというの?)
一瞬息を呑んだセイラだったが、苦しそうな声ではあったが強い決意を持って言ったのだ。
「……! 息子のことはいいんです。信頼の…おける人の元に預けているので……。今は、息子の事よりも姫様の方が重要です」
(でも、帝国に行ったら次にいつ国に戻れるか分からないのに……)
「いいんです。いいんですよ」
その言葉を聞いたミリアリアは、嬉しいと思う気持ちを止められなかった。セイラの息子には悪いと思いつつも、他の誰でもなく、自分を選んでくれたことが嬉しくて仕方なかったのだ。
ミリアリアは、込み上げる涙を止めることが出来なかった。今まで家族に顧みられることのなかった自分が、初めて誰かに選んでもらえたことが嬉しくて、瞼か腫れあがるまで泣いてしまったのだった。
ただ、そんな自分を慰めるように抱きしめるセイラの悲しそうな、それでいて申し訳なさそうなそんな表情に気が付くこともなく、ただただ声もなく泣き明かしたのだった。