プロローグ
ミリアリア・メローズは、自分の太腿に頭を預けて眠る男のさらさらと触り心地のいい髪を撫でながら、男が今どんな顔で眠っているのか気になって仕方なかった。
聞こえてくる寝息から、男がすっかり寝入っているように思えたミリアリアは、そっと指先を動かしていた。
恐る恐る伸ばした指先で男の顔の輪郭をなぞる。
意外と滑らかな肌に驚きつつも、頬を優しく撫でる。
いけないことをしているような、そんな気持ちになったミリアリアは、そっとその手を引こうとした。
しかし、それは叶わなかった。
眠っていたと思っていた男が、ミリアリアの手を掴んだのだ。
低く心地のいい声音で、男はいたずらっぽくミリアリアをからかうように言ったのだ。
「寝込みを襲うなんて、ミリーちゃんはいけない子だね」
そう言って、何も言えないミリアリアの反応を楽しむように掴んだミリアリアの手を強めに引いたのだ。
そして、起き上がった男は、その指先に口付けながら言ったのだ。
「お仕置きだ」
そう言った後、ミリアリアを自身の膝の上に座らせてから、気のすむまで頭を撫でたのだった。
男に背後から抱きしめられるような格好になって、大人しく頭を撫でられていると、心地いい風が吹き抜けた。優しい風は、ミリアリアの淡い金色の髪をさらさらと揺らしていった。
ミリアリアは、全然お仕置きになっていない優しい手つきに口元を綻ばせたが、それは一瞬だった。
それは、自分の立場を思い出したからだった。
今は、王宮の片隅で忘れ去られたかのようにひっそりと暮らしているが、いつ花嫁候補としての務めを果たす時が来るか分からなかったからだ。そう思うと、胸のうちに芽生えた気持ちに蓋をしなければならなかったのだ。
これ以上、思いを寄せてはいけないと。
胸の奥に芽生えた気持ちの意味を知ってはいけないと。
そう、自分に言い聞かせるようにきつく唇を噛みしめたのだ。
そして、嫌がるように身を捩ると、男は一度、きゅっと強く抱きしめた後に小さく言ってから残念そうにミリアリアを解放したのだ。
「放しがたい……が、仕方ないな」
本当に残念そうな男の言葉に胸が高鳴るのを感じたが、ぐっと気持ちを押し込めてから、ゆっくりとした動きで男の腕の中から抜けだすミリアリア。
そして、読めもしない本を取り出した後に、男から興味を失ったと見せかけるように本を読んでいるふりを始める。
数分後、男は諦めたようにその場を後にしたのだった。
それに遅れて気が付いたミリアリアは、ポケットに入れていた鈴を鳴らして、乳母のセイラを呼んだ。
音に気が付いたセイラは、急ぎ足でミリアリアの元に駆けつけたのだ。
ミリアリアは、鈴を不規則なようでいて、決まったリズムの繰り返しで鳴らした。
すると、セイラは複雑そうな表情のまま、声だけは穏やかさを保って言ったのだ。
「姫様……。分かりました。明日、王宮で皇帝の意向を探ってまいります」
その言葉を聞いたミリアリアは、小さく頷いた後に、もう一度鈴を揺らしたのだ。
セイラは一瞬息を呑んだ。そして、緩く首を振った後に、明るい声で言ったのだ。
「いいんですよ。さぁ、そろそろ夕食にしましょう。今日は、姫様の好きなシチューですよ」
セイラはそう言った後に、ミリアリアの小さな体を抱き上げて、二人で暮らす小さな小屋に入って行ったのだった。