46.声
目の前には槍に突き刺さった大樹があった。
それを見て、俺はまたここに来てしまったのだと理解する。この白い空間がどこなのかも俺にはわからない。
――槍を、抜け。
そして前と同じように、声が響き渡る。この声はどうしても俺にこの槍を抜いて欲しいらしい。
ただこの声の主が誰かを知る前に、その言うことを大人しく聞くというのは恐ろしい。この槍は本当に抜いても良いものなのか。
「俺が槍を抜かないでそのまま死んだら、あなたはどうなるんだ?」
――お前の体に封じられたまま、そのまま朽ち果てるだろう。時間がないのだ
前に会った時より『声』は焦っているように感じた。それもそうか。『声』の言うことが本当なら、俺と一緒に死んでしまうのだから。
「この槍を抜いたら、あなたは自由になれるのか?」
――私はお前の中でしか生きられない。お前がその体をくれるのなら、自由を得ることができる
なんとなくそんな気はしていたけれど、やっぱりこの『声』は俺の中に封印されているようだ。一体記憶を失う前の俺は何をしたんだろう。
可哀想には思うけれど、やはり槍を抜くとなると勇気が出ない。何故か不吉な予感がするのだ。
――体を貰うのはお前が死んだ後でも構わない。生命としては終わっても、器が残っているのなら私はそこで生きられる。どうせ死ぬのならその体を私にくれ
この『声』は俺を急かしてくる。それが逆に俺を慎重にさせた。
しかし『声』の言う通りで俺は死ぬというのも事実だ。どうせ死ぬのなら、体をあげたっていいような気もする。
少なくとも、理解を諦めてはいけない。俺は例え死ぬとしても、最後まで自分のありたいように生きるべきだ。
「それならさ、約束があるんだ。その約束を守ってくれるのなら、槍を抜いてあげるよ。」
――約束をしたとして、お前はそれを信じるのか?
「あなたは俺を騙したりするのか?」
――私は人と違って嘘をつかない。約束できることなら、私はそれを必ず守ると誓おう
まるで自分が人じゃないみたいな……いや、本当に人じゃないのかもしれない。普通の人は人間の体に封印されたりしないわけだし。
「それなら、俺と友達になってくれよ。」
――は?
冷たい返事が響き渡る。そんなにおかしな事を言ったつもりはなかったけど、この『声』にとっては相当意外なことだったらしい。
「記憶を取り戻すとか、正直どうでもいいんだ。元の俺と今の俺はきっと別人だから。今の俺がやりたいことは、死ぬその瞬間まで俺という存在を残すことだ。記憶でも、記録でも、何だっていい。」
どうせ死ぬのなら沢山の人と仲良くなりたい。沢山の人に惜しまれて死にたい。そんなどうしようもない自分勝手な感情が俺の中から湧き出ていた。
死刑が決まっていなければ、これを口にすることはなかっただろう。『声』と同じように、俺にも時間はない。
これはその最初にして、最後の一歩だ。死ぬ間際に一人じゃないなら、きっと寂しくはないだろう。俺のことを知ってくれた人が、俺の体を使って生きてくれるなら、それは嬉しいことだろう。
「だから君には、俺と友達になるために、俺を理解して欲しいんだ。俺も君を理解するために頑張る。」
――私を理解する必要はない
「どうして? 俺は君のことを知りたいよ。」
返事はない。拗ねたのか、返す言葉が思い当たらないのか。はたまた両方か。
こんなに対等に話せる人は、俺の短い人生では3人目だ。これを逃すのはあまりにも惜しい。例えこの『声』が危険な存在であったとしても。
「この約束が飲めないなら、槍は抜けないなあ。俺だって譲歩してるんだよ。記憶を戻さなくていい、っていう条件をつけてるんだから。」
――私が、この私が、人と友達だと?
「気に入らない?」
――それ以前にあり得ないことだ。私はそういう存在ではない
「じゃあ、君の初めての友達は俺ってことになる。」
再び『声』は沈黙した。
――本当に、元の記憶は必要ないのか?
「まあ、記憶をなくしちゃった元の俺が悪いよ。それに記憶を戻したら、ここにいるは違う俺になっちゃうだろうし。」
それは、なんだか少し怖い。自分でも自分がどうなるかわからないわけだから。それにエレフやノモスとの思い出まで元の俺に取られてしまうのは、何だか気に入らない。
「で、約束するの? しないの?」
悩んでいるのか直ぐに返事はこなかった。数秒経ってから再び声が響く。
――いいだろう、その約束を受ける。槍を抜いてもらう代わりに、私はお前の友となろう
「よし、決まりだ。」
俺は大樹に突き刺さった槍を両手で掴む。かなり深くまで刺さっているのか、簡単には抜けなさそうだ。
――魔力を流せ。それは元々お前の槍だ。抜く意思さえあれば容易く抜ける
魔力を流すと言われてもそんなことやった事がない。でも感覚的にやってみよう。きっと記憶を失う前の俺にはできたのだろうから、俺にもできない道理はない。
しっかりと足を地面につけて、血液に流れる魔力を感じる。そしてゆっくり、その槍を引っ張る。
教えてくれた通り、槍はスルスルと抜けていった。それに合わせて大樹は急速に朽ちてゆく。葉は地面へと落ち、枝は折れ、幹は水分を失って萎んでゆく。
木の中には人がいた。この世のあらゆる色を失ったような、真っ白な人が。
槍が完全に抜けると、木の幹とそれに包まれた白い人だけが残った。俺はその体を引っ張って木から引きずり出す。
引っ張り出したその人を俺は地面に横たわらせる。目は開いていて、眼球は動いている。しかし抵抗は一切しなかった。
「……まさか、本当に抜いてしまうとは。」
「君が、さっきの『声』?」
「ああそうだとも。長い封印のせいで、こうやって動くこともできないが。」
動けないのはそういう理由か。まさか木の中にいるなんて思わなかったから驚いたけど。
「俺はシロ。君の名前は?」
「元のお前は私をツクモと呼んでいた。お前もそう呼べ。」
呼んでいた、というと本当の名前じゃないのか。そもそも本当の名前なんてないのだろうか。
「それなら、俺が名前をつけてもいい?」
「……好きにしろ。名前などただの符号だ。」
そうだろうか。少なくとも俺はエレフに名前をつけてくれて嬉しかったけどな。
「君の名前はガラテアだ。何だかこれがしっくりくる。」
理由なんてない。なんとなく、だ。口の響きで決めたような気がするし、記憶の片隅をつついたような感覚もある。
しかし明確な理由はなく、これがいいと思ったのは事実だ。
「これからよろしく、ガラテア。俺の友達。」
「そうだな。お前が死ぬまでの間、そのおままごとに付き合ってやる。」
少し冷たい言い方だが、約束を違えるつもりはなさそうだ。それならいい。きっといつか仲良くなれる。
そのいつかが、俺が死ぬ前だと嬉しいってぐらいで。
「……気が済んだらさっさと目を覚ませ。外は大変そうだからな。」
そう言われると俺の意識が剥離して、体が浮かび上がるような感覚がやってくる。俺はその感覚に抵抗することができず、そのまま意識を失った。




