34.うるさい
アースと揉めたヒカリは、単身で馬車に乗ってリラーティナ領へと戻っていた。その頃には既に日が沈んでいて、街は静まり返っていた。
ここに来た理由は当然、フィルラーナに会うためである。ヒカリは王城で何が起きたかを伝えなくてはならなかったし、アルスが忘れ去られているこの状況についても相談しなくてはいけなかった。
できればアルスのことを覚えているオルグラーも頼りたいところだったが、今回の一件もあって国王の警護のためオルグラーは王城から離れられない。話したことがあまりないので頼みづらかったのもある。
ヒカリはリラーティナの屋敷について、直ぐにフィルラーナの私室に向かった。空腹や疲労感などは今起きていることに比べれば些細な問題であった。
「……そう。」
一通り話を聞き終えて、フィルラーナはそう呟いた。
「すみません、私もあまり整理できてなくて……わかりにくかったッスか?」
「いいえ、そこは問題じゃないわ。」
その返答を聞いて、ヒカリはホッとした表情を見せた。
「少なくとも、フィルラーナさんが先輩のことを覚えていて安心したッス。エルディナさんもアースさんも忘れてしまっていたので。」
フィルラーナは目を細めて、何かを考え込んでいた。ヒカリの話をちゃんと聞いている風ではなくて、どこか上の空だ。
これは話をし始めた途中からずっとそうだ。質問をすれば答えるが、自分から何かを話したりはしない。こんなフィルラーナの姿は珍しい。
「これからどうしましょうか。やっぱり、先輩を探した方がいいッスよね?」
ヒカリがそう尋ねても、今度は返事もない。
「あの、フィルラーナさん……?」
聞こえていなかったのかと、そう不安になりながらヒカリは名前を呼ぶ。
「――好きにしなさい。」
フィルラーナはそれだけ言って立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 好きにしろって、どういうことッスか!?」
「そのままの意味よ。私は何もできないから、あなたがしたいことをすると良いわ。」
「何も、できない?」
「こんな事ができるんだったら、私に勝ち目はない。敵の正体も動機もわからない。だから、戦う意味がない。」
ニレアのスキルとはわけが違う。明確な意識を持った人物が、自らの意思でパンドラに味方して協力するのだ。それが効果的になる程に、アルス・ウァクラートは大きな人間になってしまっていた。
「じゃあ、先輩を助けないんスか?」
「……そうなるわね。」
「あのパンドラとかいう人を野放しにしておくんスか?」
「それはこれから考えることよ。民のために最も良いように私は動くだけ。」
ヒカリは口から声が出ていかなかった。あんなにも強くて、頼りになるはずのフィルラーナがいとも簡単にアルスを諦めたからだ。それは暗にもう、アルスは助けられないと言われているようで――
「それで、フィルラーナさんはいいんスか。私は納得できないッスよ。」
「貴族は、何をしたいかではなく何ができるかを考える。今やそいつはグレゼリオン王国お抱えの魔法使いよ。グレゼリオン王国そのものと戦って、勝てるわけがない。例えオルグラーが味方したとしても、よ。」
王国騎士の数だけでも数十万はゆうに越える。それにオリュンポスの面々やエルディナ、アースだって力を貸すかもしれない。
そうなったときに、その全てを掻い潜ってパンドラを倒すことができるだろうか? できたとして、それはどれほどの犠牲が出るだろうか?
「名も無き組織の一員じゃないことはわかってる。だからもしかしたら、友好的な取引もできるかもしれない。決定的に敵対する行為が出るまでは、積極的には動けない。」
王国を守るための最善手はこれしかないと、フィルラーナはそう考えた。魔王の侵攻にも備えなくてはいけないのだから、余計な戦力は消費できない。
「でも、先輩はフィルラーナさんの騎士じゃないですか! 本当にそれで――」
「うるさい!」
フィルラーナは力強くテーブルを叩く。感情が荒れているせいか魔力が漏れ出て、テーブルの上を火の粉が散る。
「私だって納得いっていない。逆に考えたことがある? 自分の大切な騎士が、全ての人から忘れ去られて、生死もわからない私の気持ちが!」
こんなに鬼気迫る表情のフィルラーナを、ヒカリは見たことがなかった。少しして、自分がフィルラーナの逆鱗に触れたのだと気がついた。
訂正しようにももう遅い。一度口に出した言葉を取り消すことはできない。
「……相手は相当用意周到に計画を組んだ。それこそ誰も気付かず、一部の人を除いて世界中の人の記憶からアルスを別の存在へ塗り替えるほどに。そんな状況で一番不都合な存在はアルス本人よ。私なら真っ先に始末する。」
成り代わったオリジナルを完全に放置するなんてことは普通ない。計画を練って、確実にアルスを排除しようとするはずだ。もしかしたらもう死んでいる可能性だってある。
死んだとするのなら、どうやって助けるというのだ。復讐のために王国全土を巻き込んだ大騒動を引き起こして、誰が得をするというのか。
「例え生きていたとして、それを踏まえた上で相手は必ず対策を取る。少なくともアルスが孤立するようには仕向けるはずよ。下手にアルスを探せば、死ぬのは私かもしれないし、ヒカリかもしれない。」
相手は善人ではない。むしろ悪人と言うべきだろう。まともな道徳観など期待できないし、勝つためならどんな卑怯な手段だって取るだろう。
対してフィルラーナは貴族として手段を選ばなくてはならない。負けたら終わりのパンドラとは違って、負けても勝ってもフィルラーナの人生は続くのだ。勝ち方を選ばなくてはいけない。
極端な話だが、オルグラーを使って何千人もの犠牲の上にパンドラを倒せても意味がないのだ。
「逆に教えてくれないかしら、どうやったらこの状況を覆せるの?」
ヒカリはそれに対する答えを、持ってはいなかった。
「答えがないのなら、私ができることは何もないわ。何をしてもいいけど、私が手伝うだなんて思わないで。」
そう言ってフィルラーナはヒカリの腕を力強く掴み、そのまま引っ張って部屋の外に出した。ヒカリも強く抵抗はしなかった。
冷たく扉は閉められ、ヒカリは扉の前で呆然と立ち尽くすことになる。
「……できることがなくたって、そんな、先輩を放っておくなんてできないじゃないスか。」
か細い声で、そう言うのがせめてものヒカリの抗いだった。




