家族は大切だがそれはそれとして何でも愛せるわけではない
燦々と輝く太陽の下、広い庭で風を浴びながら椅子に座り紅茶を飲む。
魔界に行って悪魔王の試練を受けて、それからオルゼイの戦争に飛び入り参加して、お嬢様が病気で寝込んでいたという隠蔽工作に奔走して――とにかく最近は大変だった。
今日は久しぶりの休みである。ゆっくり過ごす権利が俺にはある、はずなのだが。
テーブルを囲むのは2人。リラーティナ家当主であるシェリル・フォン・リラーティナと俺だけだ。使用人すら近くにいない。
一区切りついたタイミングでお茶会に誘われたのである。お嬢様やヒカリは抜きでだ。
公爵家の当主と一対一で話すなんて、心臓がいくつあっても足りない。特にこの人は他の公爵と比べてもやけに怖い。
「まずはご苦労、と言っておこう。よくぞ娘を連れ帰ってきてくれた。」
これは褒められているのだろうか。表情がピクリとも動かないのでわからない。
「色々と聞きたい事もあるが、今はやめておこう。オルゼイから帰ってきたばかりだ。これから私が話すことは……そうだな。世間話だと思って聞いていてくれ。」
何はともかく、2人きりで話すのだから他の人には聞かれたくない話なのだろう。正直聞きたくはないが断れる立場でもない。
「実は君が不在の間、屋敷に泥棒が入った。」
「泥棒?」
「そう、泥棒だ。うちの家宝が盗まれた。騎士が対応したのだが、少し相手が悪かった。」
貴族の屋敷に泥棒なんて命知らずな奴だ。その場でも首を切られたっておかしくないのに。しかも成功させたのだから余計に驚きである。
「指名手配書と顔が同じだったらしい。『承認欲』のクリムゾンで間違いない。」
……どうしてクリムゾンが? まさか金目当てではあるまい。名も無き組織の幹部がどうしてわざわざ。
未だに天界での戦いは記憶に残っている。今の俺でも勝てるかどうかは怪しいところだ。あの組織の幹部は強さのベクトルが違う。単に強くなったから勝てるわけではない。
「盗まれただけなのか? 他に被害は?」
「ない。強いていうなら投げ飛ばされた騎士が軽い怪我をした程度だ。罠も攻撃も全てその体で受けて、傷だらけでうちの家宝を持って逃げていったそうだ。血痕を追って騎士が追跡したが見つからない上、どうやって関門を抜けたのかも謎のままとなる。」
それは、不気味だ。何せ理由がわからない。
公爵家の騎士は指折りの実力者が揃っている。それこそヴァダーと並ぶぐらいの騎士が何人もだ。そりゃあ簡単に物を盗めるはずがない。
そこまでして得られたものがリラーティナ家の家宝一つだ。どう考えても割に合わない。
「あの家宝は確かに大事なものだ。かつて『神匠』と謳われた鍛冶師クラウスターの最後の作品で、特別に寄贈してもらったと記録にある。」
「つまりは千魔人器ってことか。一体どんな効果が?」
「マスターピースという、他の人器が近くにあると知らせてくれるものだ。」
人器を探す人器。確かに有用ではあるが、人器は基本的に誰かに所有されているものだ。見つけたところで手に入るかは別の話である。
俺だって自分の人器である無題の魔法書は何億積まれたって人にはやれない。貴重なのもあるが、俺にとっては親の形見だからな。
「話はそれだけだ。こんな事があったと覚えてもらうだけでいい。それと言わなくてもわかると思うが、この話は外部には漏れないように。」
俺はそれに頷く。きっと隠したい理由があるのだろう。お嬢様の騎士である俺に断る道理はない。
「……君が娘の騎士でいて良かった。私も安心できる。」
息をついてシェリルはそう呟く。
「安心できるって、お嬢様は俺なんかいなくても大丈夫だと思うが。」
「人は一人では生きてはいけぬものだ。君は妙な所で自己評価が低くなるな。いや、フィルラーナと比べているからか?」
誰だってお嬢様と比べれば自己評価は低くなる。十歳の時点で精神が完成している子供なんて普通いない。
ティルーナは精神が落ち着いて昔ほどのお嬢様への執着はなくなり、フランは少しではあるが常識感が身についた。アースもガレウもそうだ。十年も経てば性格や考え方も変わるものだ。
お嬢様はずっと変わらない。それでいてミスなんかほとんどしない。どれだけ体が強くなっても心が強くなるかは別の話。だから俺は前世含めて60年近く生きていても、お嬢様に頭が上がらないのだ。
「理由はどうでもいい。思い悩まぬ人はいない、というのが肝要だ。君も、国王陛下も、娘も、無論私も苦境に立たされることがある。そして絶望する程に思い悩み、それを周りの助力により乗り越える。」
お嬢様は例外な気がするけどなあ。お嬢様が絶望する姿なんて俺には想像つかない。
「必ず君が、娘を助けてやってくれ。それが騎士としての君の仕事であり、父親としてのお願いだ。」
紅茶を飲み干してシェリルは立ち上がる。
「少し早いが私は失礼しよう。急用を思い出した。」
そう言って足早にシェリルは去っていく。
俺は去っていく後姿を見ながら言われたことを咀嚼していた。お嬢様と同じで言っていることは抽象的で、理解するのは少し難しい。それでも考える価値はきっとあるだろう。そう思いながら紅茶を口の中へ運ぶ。
「……なんだ、もうお父様はいないのか。」
考えている内にノストラの声が聞こえてくる。その顔には似合わないバスケットを腕にぶら下げながらこっちに歩いてくる。その後ろから遅れてお嬢様がついてきていた。
「すれ違わなかったのか?」
「いいや、しかし問題はない。お前がいるのだからな。」
テーブルの上にバスケットを置いてノストラは椅子に座る。俺は直ぐに立ち上がってお嬢様に席を譲った。
「それ、本当に食べるつもりなのお兄様。」
そう言ってお嬢様はバスケットの方を見る。どうやら食べ物が入っているらしい。同時にあまり良い食べ物でないことも想像がつく。
「まず事の経緯を説明しよう。事件は今朝起こった――」
屋敷の厨房に人影が二つ。本来なら貴族が料理など一般教養の範囲でしかしないのだが、その日はフィルラーナも厨房にいた。
「へえ、ヒカリは料理もできるのね。」
「これでも高校生の頃は自分で弁当を作ってたッスから!」
そう言ってヒカリは胸を張る。ヒカリの目の前には10個のおにぎりが並んでいて、様々な具を入れているのをフィルラーナは横で見ていた。
「こうこうせい……こうこうせいって何かしら?」
「ああ、えっと、私のいた所には高等学校っていうのがあるんスよ。それに通っている人を高校生って言うんス。」
「なるほど、学校にも色々な区分があるのね。」
この世界において、どの学校も等しく学校だ。義務教育の働きは教会が担っているため、それを終えて更に学びたい者が好きな学校に行くのが普通である。
学校には様々な種類があるが、それらをまとめる区分はない。あっても産業系、商業系、魔法系というような違いだ。
「それよりもフィルラーナさん、料理はしないんスか?」
「私は料理なんかしないわ。やらないように言われているし。」
「これぐらいなら簡単ッスよ。やってみましょうよ。」
ヒカリがあまりにも目を輝かせてフィルラーナを見るので、フィルラーナもそれを簡単に断ることができない。
「……それならサンドイッチでも作ってみましょうか。ちょうどお父様とアルスが庭で紅茶を飲んでいるはずだし。」
「――そして、今ヒカリは医務室にいる。少し体調を崩してな。」
俺は視線をバスケットに移す。上にかけられている布を取ると、そこには酷く形が歪な、言われてみればサンドイッチに見えるような何かがあった。
「そうですか、では俺もここは失礼します。」
「待て、アルス。お前はフィルラーナの騎士だろう。」
逃げようとする俺の腕をノストラが掴む。
どう見てもあの色、匂いはサンドイッチではない。何故一緒にヒカリがいるのにこうなってしまったのだろうか。あれを食うのは良くない。俺の体でも無事では済まないだろう。
「いやだから、食べてなくてもいいわよ。勿体ないけど量はないし廃棄でも問題ないでしょう。」
「ダメだ。民からの血税で食材を購入している以上、貴族としてそれを残すわけにはいかない。」
もっともらしい理屈を並べてそう言った後に、俺の肩を掴んで顔を寄せる。そしてお嬢様に聞こえないぐらいの声で話し始める。
「フィルラーナが可哀そうだと思わないのか。頼まれて作った料理で一人が医務室に送られて。これを無事に食べきれば心の傷は浅く済む。」
「いや、そうはならないだろ。むしろ申し訳なさを増させるだけだと思うが。」
「いいから食え。お前も男ならを腹を括るんだな。お父様がいないのは想定外だが、半分ぐらいなら食えるだろう。」
俺は恐る恐るサンドイッチに手を伸ばす。手で持って近くに寄せると挟まれている具材がわかる。キャベツがあるのはわかった。しかしこの黒いやつは何だろう。
一体どうしてこうなったのか。今日は休日だったはずなのに――
感想だけ言うなら、そのサンドイッチからは鉛筆の味がした。




