40.夜襲
俺の予想通り、日が沈んでから数刻たった頃に仕事は終わった。見直しをしたり、誤字脱字がないか探す必要はあるが、とにかく一旦は終わりだ。
明日にこの魔法陣で良いか確認をもらって、それから魔法陣を実際に書き換える作業に入る。きっと明日の昼頃には終わるだろう。
「……俺ってどこで寝ればいいんだろう。」
小さな窓から外を眺める。健常な人類ならば寝ているはずの時間帯だ。
今は戦時中であるから夜でも人の気配を強く感じるが、それでも昼間よりは人が少なくなる。ヴァダーやテルムも既に寝ているかもしれない。
少なくともここで寝るのは良くないはずだ。重要な施設だし。それなら外で野宿となるわけだが……できれば避けたい。
「もう作業は終わりましたか?」
警備のために施設内にいた兵士にそう声をかけられる。俺はそれに頷いた。
「俺が寝れる場所ってあるか?」
「寝れる場所、ですか。ヴァダーさんに聞いた方が早いかもしれません。恐らくまだ本部で作業をしていると思いますよ。」
そう言って兵士は扉から外に出て、少し遠くにある大きい建物を指差す。
「あそこが本部です。」
「わかった、ありがとう。」
「いえ、それが仕事ですので。」
そんな、半ば形式的な話をしてから俺は暗い街道を歩き始めた。夜でも明かりは灯っているが、昼間に来た時よりは行き交う兵士の数は少ない。
夜戦はこの世界でも避けられるものだ。魔力や闘気という摩訶不思議なものが溢れていても、人は視界から多くの情報を得る。圧倒的に有利なヴァルトニアが事故の要因になるような攻め方はしないだろう。
「……戦争か。どんどん規模が大きくなっていくな。」
名も無き組織が関与する事件は少しずつその規模感を増している。俺たちはまだあいつらの尻尾すら掴めていないのに、あいつらの勢力は徐々に勢いを増しているのだ。
負けていないはずなのに、幹部を2人倒したのに、それでも終わりが見えてこない。
戦いに終わりは来るのだろうか。この戦争を乗り切って、魔王を倒して、幹部を全員捕まえて、その首魁にまで辿り着く。本当にそれで、戦いは終わるのだろうか――?
「いや、俺が弱気じゃ駄目だな。いくらあいつらが狡猾だとしても、戦力には限りがある。この戦争だってオルゼイが乗り切ればあいつらも不都合なはずだ。」
その為に強くなったのだ。せめて目の前の誰かを助けられるように、俺は遠く見えていた冠位にまで手を届かせた。
いつか必ず、この地道な活動が実を結ぶ時が来る。そう信じるしかない。
流石に一日中閉鎖された空間にいると気が滅入る。いつもより気が沈んできるようだ。今日は早く寝た方がいいだろう。
俺はそう思って歩く足を早める。兵士達と幾度かすれ違うが誰にも呼び止められる事なく、俺は真っ直ぐと本部まで進んでいた。
本部はまだ明かりがついていた。俺はその事に少し安堵しつつ、中に入ろうとして、その手前に人がいる事に気がついた。
遠くでは暗くて顔がよく見えず、近付くにつれその顔はハッキリとしていく。数メートルの距離まで近付いてやっと、俺はその人物が門番をやっていたダンであることに気がついた。
「ダンじゃないか。どうしたんだ、こんな所で。」
今朝の話を聞く限り、本部周辺には来れないような下っ端のはずだ。だから俺はまず、ダンがここにいる事に違和感を抱いた。
何か特別な事でもあったのだろうかと、そう思いながら近付く。ダンは何も話さない。
「……そう言えば、約束をしてたな。丁度いいしヴァダーに紹介してやろうか?」
更に近付く。
「『巨神炎剣』」
最も使い慣れた魔法を、俺は手から生み出す。それが最も不意打ちに効果的だったからだ。
炎の刃はいとも簡単にそいつの首を落とす。それだけでなく、炎はまとわりついて頭と体を強く燃やした。例え水であっても燃やし尽くす程の業火だ。普通ならこれで死ぬ。
辺りが騒がしくなってくる。こんな夜に、街中で大きな火の魔法が使われたのだ。人が集まらないはずがない。目の前に前線の本部があるならば尚更だ。
集まった兵の内の一人が、俺へと剣を向けながら近付いてくる。
「お前、何をしている。どうやって中に入った?」
燃えているオルゼイの紋章をつけた兵士、そして炎の剣を持つ俺。疑わしいのは当然ながら俺だった。
「……一応、許可は得てる。俺は味方だ。」
「ならば何故、その味方を斬った?」
酷い勘違いだ。間違っても味方なんて斬るものか。
「お前には、あれが味方に見えるのか?」
俺は地面に倒れ、未だに燃え続けるそれを指差す。
「千度を超える炎の中にあって、灰にもならず、炭にもならないそれが同じ人類の同胞だって?」
燃え続ける。逆に言えば決して燃え尽きない。同じ形を常に保ち続ける、異様な程の再生能力をそれは持っている。
回復魔法でこの不死性は実現できない。ここまでの高速再生は必ず魂の形を歪め、その内に自壊して死んでしまう。何より魔力がもたないだろう。
「――ふざけるな。こいつはただの化け物だ。」
火を掻き消すように、そいつから翼が生え影が伸びる。地面に落ちる頭はひとりでに動き出し、何事もなかったように繋がる。火はかき消され、歪んだ皮を体につける化け物が立っていた。
「死んだふりをすれば隙を見せると思ったが……想像より用心深い。」
俺に剣を向けていた兵士は直ぐに、剣をその化け物に向ける。集まる兵士も各々の武器をそいつに向けた。
「その顔、どこで手に入れた?」
俺から距離を取ったそいつに向かって一歩進む。
殺す気で攻撃した。姿形は一緒でも、人と魔物の魔力を俺が見誤るはずがない。普通の魔法使いは騙せても賢神を欺けるものか。
しかし死ななかった。それだけでこいつが並の魔物ではない事がよくわかる。
「顔? 何の事だ?」
「とぼけるなよ。その顔はお前のものじゃねえだろうが。」
俺にそう言われてやっと思い当たったらしく、納得したような表情を浮かべる。
「ああ、門の前にいた人間のことか。私が街に入る為に皮を剥ぎ取ったんだ。おかげでここまで誰にも気付かれていない。彼には感謝している。」
あまりにも悪びれずに言った。きっと本心で、嘘偽りなど一つもないのだろう。ああ、だからこそ、わかり合えない。
顔につく皮を己で剥ぎ、その端正な顔立ちがあらわとなる。かなりの人に囲まれているのにその表情には余裕が見えている。この状況で生還する自信があるらしい。
「『神話体現』。建速須佐之男命。」
神の衣を身にまとい、炎の剣を十束剣に持ち替えて前に出る。それに合わせて足元の影から、真っ黒な影の両手剣を抜き出して俺の剣を防ぐ。
「生きて帰れると思うなよ。」
「知らないらしいな。夜の吸血鬼に勝てる存在はいない。この世の常識だ。」
俺の剣から氷が零れる。それは瞬く間にこいつの体を覆い、全身を氷漬けにする。そのまま再び剣を振り下ろそうとするが、氷はそれより先に割れ、剣は掴んで止められる。
刃を掴んでいてるのだから手のひらから多量の血が流れる。それでも平然としているのは吸血鬼が故か。
「しかし残念だ。既に私が戦う必要はない。お前も、ここで私と戦う余裕はない。」
「どういう――」
「ここに来るまでに、私が何もしていないと思うなら随分と能天気な頭をしている。」
頭の中を様々な可能性が駆け巡る。確かにあまりにも無防備にここに立っていたが、もしもそれすらも計画の内なら――
「ぐ、グールだ! 街の中にグールがいるぞ!」
誰かの叫び声で状況を理解する。吸血鬼は血を吸い殺すことによって、それを眷属として従えることができるという。人の眷属をグールと呼び、知性こそないが強い不死性と怪力をもって人を襲う魔物となる。
「お前……!」
「どうする、人間。」
俺たちは既に負けていた。こいつを街の中に入れてしまった、その瞬間から。




