22.シンシア
「はぁっ!?爵位を返還する!?」
お父様は何を言っているのかしら??
「シンシア。自分が何をやったか本当に理解していないのか?」
「だって、私は聖女なのに、光らなかったあの水晶が悪いのに!それに元に戻ったじゃない!」
「もし水晶があのままだったら、爵位の返還ですむはずがないだろう。」
いつもいつも私には優しいお父様が、お姉様を見るみたいな冷たい目で言った。
あの儀式の日以来一気に老け込んだお母様は、虚ろな顔をしてソファに座っていた。
「私は王妃になるから関係ないけど、それでも実家が公爵家でなくなるなんて嫌っ!」
「・・・王妃って・・・。シンシア、本気で言ってるのか?」
「当たり前よ!私はキース様と結婚するんだから。」
「・・・俺から言うことはもう何もない。」
お父様は疲れた顔をしてお母様の隣に崩れるように座り込んだ。
なんで?なんで?なんで?全部上手くいっていたのに!
「僕は、第一王子の名において宣言する。
シンシア・シルバー公爵令嬢こそが聖女であると!
そして彼女を新たな婚約者とすることを!」
キース様が私の隣で高らかに宣言した時、私は天にも上る気持ちだった。
なにこれ?まるで物語の主人公みたい!
キース様、素敵!素敵!大好き!
おかしくなったのは変な蜂が現れてからだ。
突然身体中を刺されて痛くて痛くてたまらなかった。
すぐに手当てはしてもらえたけど、なんだか周りの目が冷たい気がした。どいつもこいつも生意気。
しかも公爵家の自分の部屋に戻ったら、宝石やアクセサリーが何個も割れていた。
はぁっ!?どうして?
お母様に言い付けてメイドを首にしてやらなくちゃ!
割れている宝石がすべてお姉様から奪い取った物だけだったなんて、選別もせずお姉様の物なら片っ端から奪っていた私には気づくはずもなかった。
「マーガレットは、モーガン伯爵家の長男ルイス・モーガンに嫁がせる。」
しばらくしてお父様が言い出した時は最悪だった。
ルイス様なんてお姉様にはもったいない!
イケメンだし、頭も良いし、無口でクールだし!もしキース様がいなかったら私が付き合ってあげたっていいくらいなのに。きゃっ。
普段なら一緒に反対してくれるはずのお母様は、私がキース様の婚約者になった日からなぜかお姉様にビクビクして一緒に悪口も言わなくなったからつまらないし。
「ルイス様。お姉様との婚約を破棄してください!」
早速ルイス様に直談判に行った。
「シンシア様。何をおっしゃっているのですか?」
「ルイス様お可哀想。お姉様に騙されているんですわ。
お姉様は、毎日私に・・・。」
目をうるうるさせて見上げたら、きっとルイス様もキース様みたいに私のお願いを聞いてくれるに決まっている。
「僕はマーガレット様と何度も話をして、僕自身が一緒に生きていきたいと思ったのです。」
はぁっ!?なんでよ!思わず顔を歪ませたら、ルイス様はいつも通りクールに言った。
「そのお顔をもっと早くキース殿下に見せて頂きたかったです。」
なにこいつ?いつもキース様の側に金魚の糞みたいにくっついてるくせに、聖女の私にそんなこと言っていいと思ってるの?
「失礼します。」
ルイス様は頭を下げて去っていった。
絶対に潰す。早速キース様に言いつけなくっちゃ。
襲われそうになったくらい言っておけばいいわよね。
「シンシア様!成績が張り出されておりましてよ!215位だなんて、やはりシンシア様にはキース殿下の婚約者は務まりませんわ。」
げっ。来た。何なのこの人、毎回絡んできて本当に嫌なんだけど。
もう!とりあえずルイス様のことは置いといてカナンをなんとかしなくっちゃ。
どうせあんな無表情で無口な男と結婚したところでお姉様が幸せになんてなれないだろうし。
「キース様。お茶をご一緒したいです。」
王妃教育は大嫌い。私は聖女だからそんなの必要ないのに。
だからキース様が顔を覗かせたら私は必ずお茶に誘った。
「シンシア様っ!まだ本日の課題がまったく進んでおりません!」
教育係は意地悪しようとしたけど、キース様は毎回、
「シンシアも頑張っているから息抜きも必要だよ。」
と言って私を連れ出してくれた。
半年くらいしたら、教育係がお茶を止めることもなくなって快適。快適。
キース様とのお茶は、美味しいお菓子もいっぱい出てくるし、私の話を楽しそうに聞いてくれるし最高だった。
ただ、私は王宮にある一番豪華な部屋が好きだったけど、キース様は、お庭でお茶をしたがった。
「キース様は、一度ここで紅茶を飲んで倒れたのに嫌じゃないんですか?」
「ここはシンシアとの思い出の場所だからね。
それに何かあったらまたシンシアが僕を守ってくれるだろう?」
「はいっ!もちろん!」
「頼もしいな。でも今度は僕がシンシアを守るよ。
聖女を守れるくらいの国王になれるように頑張るよ。」
キース様、素敵すぎる!大好きっ!
お姉様の結婚式の日は今までの人生で最悪の日だった。
一目で分かる一流のウエディングドレスに身を包み、ルイス様を見つめるお姉様はとても幸せそうだった。
ルイス様は、私にはいつも無表情だったくせに、とても嬉しそうに頬を赤らめてお姉様に笑いかけていた。
こんなの聞いてない!
お姉様は、私にすべてを奪われて、惨めに婚約破棄されたのに、幸せそうだなんてありえない。
何より悔しかったのは、お姉様は私に、私たち家族に、キース様にさえ、たったの一度も目を向けなかった。
カナンと名前も知らない貧乏ったらしい女には嬉しそうに笑いかけていたのに。
私はキース様が隣にいるのに悔しさで顔が歪むのを止められなかった。
「廃嫡されることになったよ。」
お父様が爵位返還することを愚痴っていた私に、キース様はこの間のお父様と同じように疲れた顔をして告げた。
「はいちゃく?」
「弟のレオナルドが国王になる。」
「はぁっ!?」
何言ってんの?キース様まで頭おかしくなったんじゃないの?
「わっ、私はどうなるんですか!?」
「シルバー公爵から聞いてないかい?
シンシアが卒業したら僕たちは結婚して、君の母君の男爵家を継ぐことになったよ。」
「はぁっ!?お母様の実家なんてど田舎の潰れかけですよ!?」
あんなところに住むなんて、そんなのありえない。
「シンシア。君はどうして水晶を割ったんだい?」
「だから、あの水晶が偽物だからです!お父様もキース様もどうしたんですか?そんな当たり前のことを聞くなんておかしいです。」
「・・・君はどうしてそこまで自分が聖女だと信じられるんだい?
いくらなんでも人前で国宝を割るなんてするような分別のない人間ではなかっただろう。」
「なんでって、だってキース様が宣言したからですよ。」
「・・・僕が?」
「キース様が、国王さまの前で『シンシアが聖女だ』って宣言したじゃないですか。
それに、それからも毎日毎日何回も何回も『シンシアは聖女だよ』って言ったじゃないですか。」
「・・・そうか。・・・僕が言ったから・・・なんだね。」
キース様は絶望したように言って哀しそうに目を伏せた。
そうよ。お母様もキース様もいつもいつも私に言っていた。
「マーガレットのせいで私達は旦那様と引き離されたんだから、あんな悪魔はとことん虐めてあげないといけないのよ。」
これはお母様。
「シンシアは聖女だよ。」
これはキース様。
だから、私はその通りにしただけなのに。
それに、使用人達もお母様に命じられて同じことをしてた。
お姉様はいつも黙って耐えていた。
お父様は私に怒ったことなんて一度もない。
一回だけお姉様が「背中の痕がー」とか煩わしいことを言い出した時だって、すぐにお姉様を食堂から追い出していたし、お母様や使用人には怒っていたけど、私にはいつも通り優しかった。
キース様だって、「お姉様に・・・」と言って目を潤ませればいつもよりもっと優しくしてくれた。
お母様の言う通りにお姉様を虐めてたら、私は物語の主人公みたいになれた。
だから、これからは私を物語の主人公にしてくれたキース様の言う通りに聖女として生きていけば良いに決まってる。
「シンシア。本当にごめん。」
「なんで謝るんですか?」
「君は聖女ではない。僕は間違っていた。」
「はぁっ!?今さら何を言ってるんですか!」
「いつだって奇跡の側にはマーガレットがいた。
水晶が聖なる光に包まれて元に戻った時、マーガレットはお茶会の時と同じ呆けたような顔をしていた。
あの時初めて実感した。僕を助けたのは、マーガレットだった。
・・・聖女は、マーガレットだ。」
「・・・だとしたら私にだって聖女の血が半分流れてます。
そんな私が男爵位になるなんておかしいです。」
「聖女に血縁は関係ないよ。それに君はずっと聖女を虐げていたんだろう。」
「私は言われた通りにしただけです。」
「シンシア。これから一緒に考えていこう。自分達に何が足りなかったのか。どうしてこれほどまで間違えたのか。」
「キース様は、私を愛しているんですよね?
あんな使用人も碌にいないようなところで私は暮らしていけません。何とかしてください。」
「愛していたよ。マーガレットの結婚式で、歪んだあの顔を見るまでは。」
「はぁっ!?じゃあキース様は私を愛してないのに結婚するんですか?」
「それが僕の罪だから。」
「なんで私が、自分を愛してもいない人と、あんな田舎で、暮らさないといけないんですか?」
「君が、血の繋がった姉を虐げ続けて、聖なる水晶を割ったからだ。」
キース様は今まで私に向けたことなんてない冷めた目で言った。
じわじわと焦りを感じた。
「・・・キース様と結婚して王妃になれたら最高だったけど、キース様が私を愛してないなら結婚出来なくて良いです。」
「僕たちには選択肢なんてないんだよ。」
冷たい声で言われて、これは現実なんだとじわじわと実感した。
「どうして?こんなことになるくらいだったら、公爵家でお婿さんを貰って今と同じ生活をしていた方がよっぽど良かった!」
私は叫んだ。
なんで?なんで?なんでこんなことになったの?
あんなところで、こんな冷たい目をした、私を愛してないと平気で言い切る人間と生きていくなんて絶対に嫌。
「シンシア。それは君が当たり前に手に入れられた幸せだ。
君はとても恵まれていたのに。
何もしなくても、いや、何もしなければ、君は公爵家を継いで、シルバー公爵や母君と一緒に暮らしていけたのに。」
「・・・何もしなければ?」
「マーガレットを虐げなければ。
アクセサリーや、笑顔や、婚約者を奪おうとしなければ。
せめて国宝の聖なる水晶を割ろうとしなければ。
たったそれだけで良かったのに。」
キース様は、自嘲したように続けた。
「それは僕も同じだ。とても恵まれていたのに。
聖女と結婚をして国王になれたのに。
僕がマーガレットの話をたった1度でも真剣に聞いていたなら。」
キース様の目は、とても暗かった。
じわじわと絶望を感じていた。
私もこれからきっとお父様やキース様と同じ疲れた顔をして生きていくんだろう。




