19.聖女の儀式(シンシア)キース殿下目線
「祈るんだな。自分の判断が正しかったことを。」
国王陛下である父上は、学園のダンスホールで行われている聖女の儀式を見つめながら、冷酷な声で言った。
公爵令嬢であるシンシアが聖なる水晶に手をかざす順番は一番最後だ。
一年前、マーガレットが聖女ではないと判明した時、僕は溢れる笑顔を抑えられなかった。
やはり、シンシアだったのだ。シンシアこそが、聖女だったのだ。
すぐに国王陛下と王妃である両親にマーガレットとの婚約の破棄と、シンシアとの婚約を迫った。
父上も母上もなかなか認めてはくださらなかった。
母上に至っては、
「聖女でなくても、マーガレットが王妃に相応しい」
などと言い出す始末だった。
「お前は本当に正しい判断をしていると自信を持って言えるのか?国王になったら、お前の判断一つで国が揺らぐことだってあるのだぞ。」
「僕は、自信を持って言えます。シンシアとなら、この国を、もっと豊かにすることが出来ます。」
「ルイス!どうしてマーガレットと婚約なんてしたんだい?」
僕との婚約を解消して2週間もしない間に側近のルイスとマーガレットが婚約をしたと聞かされた時には本当に驚いた。
「正式に受理されておりますが、何か問題がございますか?」
ルイスはいつもの真面目な顔で答えた。
「マーガレットは、シンシアを虐げていたのだよ?」
「殿下。僕はずっと申し上げていたつもりです。
もっとマーガレット様のお話を聞いた方が良い、2人できちんとお話をされた方が良い、と。」
「・・・マーガレットの話だって聞いていたさ。」
「僕は普段シンシア様と殿下がどのようなお話をされているかは知りませんが、昼食の際にシンシア様のお話を聞いていて、僕にはそれがとても真実だとは思えませんでした。」
「シンシアは聖女なんだ。そんな言い方は失礼だよ?」
「大変失礼致しました。」
ルイスは頭を下げて、それ以上は何も言わなかった。
「キース様ぁ。教育係がみんな私に冷たく当たりますの。」
去年の婚約直後から始まったシンシアの王妃教育は全く進んでいなかった。
最初の頃は母上に教育係を変えるように掛け合っていた僕も途中からシンシアをなだめるだけになった。
「教育係は私に挨拶も返してくれませんの。」
「教育係に睨み付けられてとても怖かったです。・・・でも、きっと私が何か悪いことをしてしまったんですよね・・・。」
シンシアの訴えを聞いて半年が経つ頃には、さすがに気づいていた。
「教育係」の後に続く言葉は、そのまま「お姉様」としてずっと訴えられていた内容と全く同じだということに。
だけど、どうしても僕には認めることは出来なかった。
13歳のお茶会で、紅茶を飲んでいた僕は、今まで感じたこともない痛みと苦しみを感じた。
周りからあがる悲鳴と、このまま死ぬのだという恐怖で絶望した時、突然温かい光に包まれて、一切の苦痛が消えた。
何が起こったか分からずにいた時にシンシアが僕にすがり付いて泣いていることに気付いた。
「キース様ぁ。良かったですぅー!」
顔をぐちゃぐちゃに涙で濡らして、僕が生きていることを心から安堵してくれたシンシアが、僕には聖女に見えた。
婚約者のマーガレットは、僕に駆け寄ることもせずどこか呆けた顔をしていた。
あの時から、僕は、僕には、もうシンシアという選択肢しかなかったんだと思う。
第二王子である弟のレオナルドの婚約者にキーファ公爵家の次女が選ばれ、王妃教育もされることが決まったのは、僕とシンシアが婚約して半年後だった。
シンシアを散々傷つけたカナンの妹だ。
「父上!どういうことでしょうか。」
「キース。お前は自分の判断を信じているんだろう?
なら何も心配することはない。」
その冷酷な声に冷や汗が出た。
「第二王子の婚約者に王妃教育をするのは当然のことです。」
母上が平然と言った。
ルイスとマーガレットの結婚式の日は、雲一つない晴れ渡った青空だった。
僕は、初めてマーガレットの心からの笑顔を見た。
もし婚約をしていた時に1度でもこの顔を僕に向けてくれていたのなら、そう思ってしまった自分に驚いた。
そしてふと横を向いた時に、シンシアが、今まで見たこともないような醜い顔を、悔しそうに歪ませた顔をしていることに気づいて、衝撃を受けた。
「お姉様。幸せそうだわ。」
僕の目線に気付いたシンシアが、すぐにいつもの笑顔で言ったことには更に驚いた。
式の後には、青空に見たこともないような大きな虹がかかって、空からはマーガレットの花びらが降り注いだ。
招待客たちはその奇跡のような光景に驚き、歓声があがった。
花びらが舞い降りた時、マーガレットはあの呆けた顔をしていて、ルイスはそんなマーガレットを見て、とても愛おしそうに笑っていた。
その後、なぜか突然ルイスの眼鏡がずれて、それを直すルイスを今度はマーガレットがとても愛おしそうに笑って見ていた。
まるで奇跡のように幸福な式だった。
子供の頃からずっと僕の護衛をしているハンクスが1度だけシルバー公爵家で思わずというように呟いたことがある。
「可哀想に。」
その頃にはもうシンシアからマーガレットの話を聞いていた時期だったので、僕は当然のようにそれは虐げられているシンシアに対する言葉だと思っていた。
だけど・・・。僕はハンクスに初めて聞いた。
「もう3年も前になるけれど、シルバー公爵家で、可哀想に、と呟いたことを覚えているかい?」
「・・・大変申し訳ありませんでした。」
「全く構わないから、何が「可哀想」だったのか、教えてもらえないだろうか?」
「・・・しかし・・・。」
「頼む。」
「殿下・・・。自分は恐れ多くもマーガレット様のことを「可哀想に」と思ったのです。」
「それは、なぜだい?」
「・・・シンシア様は、いつも違うドレスを着ていて髪も綺麗に結われていました。対してマーガレット様は公爵家ではいつも同じドレスを着て髪も正式なお茶会以外で結われていたことはありませんでした。
そしてあの日は・・・。」
ハンクスは言いにくそうに口ごもった。
「あの日は?」
「以前マーガレット様が着けていたネックレスを、シンシア様がされていました。」
「・・・マーガレットがいらなくなったアクセサリーを押し付けていただけでは?」
「・・・マーガレット様が以前着けていたアクセサリーをシンシア様が着けていたことは、一度や二度ではありません。
そして、自分が見ていた限りで、マーガレット様のアクセサリーが増えることはありませんでした。
あの日は、ついにマーガレット様が何もネックレスをされていらっしゃらなかったので、遂に身につけるアクセサリーがすべて・・・無くなってしまったのだと気づき、思わず言葉が出てしまったのです。」
「・・・そう・・・か。」
「殿下は気づいておられると思っていたので、その、申し訳ございません。」
ハンクスが頭を下げた光景が、ルイスに重なった。
ルイスはよく言っていた。そして母上もよく言っていた。
マーガレットと話をした方が良い、と。
「生徒会があるから」「王妃教育が忙しいだろう?」そう言って、マーガレットと向き合って来なかったのは僕自身だ。
あの日、13歳のお茶会で、僕はシンシアに恋をした。
だけど、僕は第一王子で次期国王だ。
婚約者のマーガレットと話をするのは当然だ。
それを放棄したのは僕だ。
マーガレットの結婚式で初めて見たシンシアの顔を思い出して、絶望した。
「シンシアを王妃にすることは出来ない。」
1年間王妃教育をして、国が判断した結論だった。
シンシアの王妃教育は全く進まなかった。
もし、聖女の儀式でシンシアが聖女でないことが判明したら、それは確定する。
シンシアは王妃にはとてもなれない、けれど、僕はシンシア以外の令嬢を妻にして国王となることは出来ない。
なぜなら、婚約破棄の場でマーガレットと約束したからだ。
「シンシアが聖女でなくても、二度目の婚約破棄はしない」と。
マーガレットとの約束は破棄できない。
彼女を聖女だと思っている人間は、特に国の中枢には多くいるからだ。
シンシアは王妃にはとてもなれない。僕はシンシア以外を妻にはできない。つまり僕は国王にはなれない。
1年前の婚約破棄のあの場で、何の躊躇もなく約束をし、「シンシアこそが聖女だ」と言い張った自分を嘲笑った。
「シンシアの番だ。」
僕は顔をあげた。
シンシアは堂々と聖なる水晶に手をかざしたが、やはり水晶が光ることはなかった。
マーガレットの時とは違い、会場は騒然としなかった。
シンシアだけが、何度も何度も水晶に手をかざしていた。
「なんで?なんで?なんで?私は聖女なのに!」
叫びながら、マーガレットの結婚式と同じように悔しそうに醜く顔を歪ませていた。