普通の通学路
作者 古宮公助
僕はゴトゴトと揺れていた。真っ暗で狭い場所で揺られていた。最初は怖くてしかたがなかったが、今ではもう慣れた。しかし、ときおり起きるドンッという衝撃には未だ慣れない。
平日の毎朝三十分程僕は揺られている。この習慣が付いたのは一年前からだ。
何故こうなったのかはわからない。理由を聞きたいが聞くこともできない。だが、嫌な訳ではない。彼とのお出かけは僕の様な存在にとって特別な経験だからだ。それに何より彼は僕を愛してくれている。愛してくれる人とのお出かけほど楽しいものはない。
キィィーンという音とともに揺れが止まった。どうやら自転車を降りたらしい。
彼はそのまま歩いて北柏駅に向かう。そこの二番線ホームの電車に乗る。しかしながら次の駅に到着すると降りてしまった。なのでここでは外を見せてもらう時間がなかった。
柏駅から常磐線快速上野行きの電車に乗る。この電車は朝の時間はほとんど満員でありいつも窮屈だ。それは今日も変わらない。
本当は嫌でしょうがないのだが、少しだけこの電車に乗るのを楽しみにしてしまう自分がいる。
電車に乗ってすぐ、彼は窓側に位置を取り前に抱えていたリュックを開ける。そうすると暗かった周りに一気に光が入ってくる。そして彼は愛おしそうに僕の頭を撫でてくる。それがたまらなく嬉しい。
彼は僕を撫でると、僕に景色が見えるようにするために僕の位置を少し上にずらす。そうすることで僕は車窓からの景色と僕とは全く違う存在の人間をたくさん見ること(こっちの方が楽しみ)ができる。
電車の中には正に十人十色という言葉が合うぐらいの人間がいる。
朝だからか、低血圧のせいで機嫌が悪そうな四十代のサラリーマン。目的地に着くまでに電車内で化粧をして身なりを整えている二十代の女性。単語帳を見だり、イヤホンを着けながらスマホで映像を見て勉強している学生達。
彼らの人生はどんな人生なのだろう。
毎日毎日満員電車に乗り、朝から晩まで家族の為に働き、にも関わらず家族との仲は冷えきってしまっているのか。
昨夜は飲み会があったのか。それとも昼間の仕事とは別で夜遅くまでの仕事(キャバクラ等)があり、そのせいで出かける時間ギリギリまで寝ていたのか。
学歴社会と言われている日本。そのせいで好きでもない勉強を学校の期末テストや大学の入試に備えてどんな僅かな時間でも無駄にしない為に通学しながら嫌々勉強しているのか。
僕は彼らがどんな人生を歩んでいるのかをよく想像している。
なぜなら、僕は彼らが歩む人生というものを歩むことはできないからだ。僕の人生(人生と呼んでいいのか?)というのはすでに中身が決まっている。たとえなにか夢を持ったとしても叶えられることはほとんどない。仮に叶えられる夢だとしても自分では叶えることはできない。
だからこそ、彼とのお出かけは楽しい。毎回全く違う人間を見ることが出来る。見れば見るほど僕の想像は豊かになっていく。
そういった点では「他」に比べて僕の人生は特別だ。夢というものがもしあったら叶えられているだろう。夢がないのが少し悔やまれる。
だが僕は幸せだ。幸せを感じている以上夢は必要だろうか。仮に夢を持ったとしてもそのときはそのときだ。少なくとも今は、夢はいらない。
ふと視線を感じた。
それは見た目からして二人組の女子高生だった。彼女達は僕を見た後、コソコソ話を始めた。二人はその後も僕をチラチラ見ながら話し、ときおり笑っていた。
周りを見てみると、何人かは僕を見ては目線を逸らし、それ以降僕を見ようとはしてこなかった。
パシャリという音とともに何かが光った。
どうやら誰かが僕と彼の写真を撮ったらしい。こんなのは日常茶飯事だ。だからだろう。彼は全くといっていいほど周りを気にしていなかった。
確かに彼は周りからすると変わっているのかもしれない。だが、これこそが彼と僕の幸せであり、それを否定される筋合いは全くない。
そう思っているうちに日暮里駅に着いた。
日暮里駅からは山手線の池袋行きに乗り、巣鴨駅で高島平行きの都営三田線に乗り換える。そこから一駅で目的地である西巣鴨駅に到着した。そこから徒歩数分。彼の通っている大学に着いた。
教室に入ると彼は僕を隣の席に座らせた。すると周りの生徒達は僕達を見てきて、すぐに視線を逸らした。何人かはクスクス笑いながら僕達のことを話し合っている。
これでも大分マシになった方だ。最初は面白半分で声を掛けてきたり、写真を撮ってきたりしたものだ。
それが今では誰も僕達のことを気にしようとはしていない。むしろ、いない存在として扱おうとしている。
それでいい。僕達の世界にあいつらは要らない。ただ僕が人生というものを想像する為に見えるだけでいい。僕達の幸せはそれによって成立するのだから。
今日も誰からも話し掛けられることはなかった。まぁそれは別に構わない。むしろあいつらに話し掛けられても面倒くさいだけだ。何より私の幸せに必要なのはあいつらじゃない。私に必要なのはこの子だけだ。この子さえいれば他はもういらない。この子が私の幸せそのものなのだ。
私には昔から友達というのは全くいなかったといっていい。そのため、学校での活動や休みの日などは基本一人でいることが多かった。親はそんな私に無理に友達を作れと迫ってきた。
子どもの私にとって親というのは絶対だった。
私はクラスの子達と仲良くなるために不慣れにもかかわらず積極的に話し掛けたり遊びに誘ったりした。すると、あいつらはにしどろもどろになっている私を面白がり、私をからかい始めた。私は本当に嫌だったが、仲良くなるためにわざとからかわれた。そうすることで、「一応」クラスに馴染み、ときおり一緒に遊んだりもした。
しかし、それは私にとって苦痛でしかなかった。好きでもない奴らにからかわれ、何かあるたびに無茶振りをし、私を笑い物にしてきた。
私は嫌だった。堪らなく嫌だった。できることならあいつらとは縁を切りたい。あいつらのいない世界に入りたい。そう思った。
それを周りは許さなかった。私があいつらに会いたくないというと、親は私を叱りつけた。「せっかくできた友達を無くすようなことをするな!そんなことをして不幸になるのはお前だぞ!」
親の言っていることは世間一般では普通なのだろう。しかし、私にとってはただ自分が不幸になる根源だった。
私は精神的に追い詰められていた。私を理解してくれる人など誰もいなかった。追い詰められた私は、自然と自殺を考えていた。
そんなとき、私の唯一の心の支えがあの子だった。
私が生まれた記念として買ってあったあの子。物言わぬあの子と一緒にいるときは何故か自然と心が温まった。私がどんなに苦しみ、死にたいと思ったときも、あの子がいたお陰で踏み止まることができた。
あの子がいたお陰でなんとか小・中・高と不幸の根源と付き合っていくことができた。私の幸せとはあの子そのものになった。
大学に進学した私は、大学というのは「自由」だという話しを入学式のときに聞かされた。「自由」。それが許されるのであれば、私はあんな奴らとは付き合わないというのも自由ではないのか。
ふと私はあの子のことを思った。あの子と常に一緒にいる。それも私の「自由ではないのか」。私の幸せが「自由」で手に入るのではないか。私はその日からそれを実行した
最初は親は猛反発してきた。それでも私は気にしなかった。私は「自由」なのだ。私が何をしようと文句を言われる筋合いはない。私に何を言っても無駄だと判断した親はそれ以降私にそのことを言ってくることはなくなった。私は「自由」を手に入れ、幸せになったのだ。
今日の大学の講義が全て終わった。私はあの子を丁寧にリュックにしまい、西巣鴨駅に向かった。電車が来るまでの間あの子と今日の講義について話した。私はあの子と何かするだけで嬉しかった。周りがどう思うかなど関係ない。私にはこの子さえ居ればいい。あの子さえ居れば全てが幸せになるのだ。
私は、本当に幸せものだ。