分岐
ルゲイオ・セードリクス伯爵邸の二階へと続く階段の踊り場で発光していた結界が、フウッと消えていく。マーロウの肩が一度大きく沈み、ネロを断ち割った剣がゆっくりと引き上げられていった。
見られたものではない。
ネロの頭部は大きく二つに割れ、胴体と離され転がっている。その胴体の心臓部分もまた穴が空いたように抉り取られていた。
ネロが身に付けていた鎧も転がっている。エンハイムが接合部分を切り飛ばし、体を抉った。
辺り一面の床には血が飛び、マーロウの純白の鎧も返り血に染まっている。
「傷の手当を。体を見せてください」
階段から駆け下りてきたサリサがマーロウに身を屈めるよう促し、顔の血を布で拭う。
マーロウ自身、治癒の魔法は使えるのだがサリサにそれは関係ないらしい。
無残な死体となったネロの横に立ったルセウスは剣を捧げ瞑目していた。
その後ろからグッタリした様子のローファスがゆっくりと階段を下りて来て、エンハイムへと話しかける。
「何故あそこまで?」
「おっかねえだろ。体だけでも動きそうだぜ、ありゃ。マーロウもバケモンだと思ったから首を落としたんじゃねえのか」
静かに二刀を腰に戻したリッツの顔は冷静そのものに見える。そのリッツにジョシュが何かを話しかけていた。
階段を降り切る手前で足を止めたクロムはやや高い場所からそういった光景をじっと眺め、考えを巡らせていた。
(ネロの死体から何かが分かるか?)
決着にはさほど興味は無い。
気になるのはネロがヴァンパイアであるのかどうか、それが分かるとしたら死体の検分のような形で分かるのか、この世界のリアリティにまつわる部分だ。
ゲームのようにモンスターがアイテムをドロップしていくような便利な世界ではない以上、情報はそうした現実的な作業から得られるに違いない。
サリサの治癒の申し出を断ったマーロウがルセウスの傍へ行き、跪いている。同じく片膝をついたルセウスとやはり死体を調べるようだ。
サリサはちゃんとエンハイムにも治癒を申し出ていたが、笑って問題ないと断られていた。そのエンハイムも刀の傷み具合を眺めながら億劫そうにチンタラ死体へと歩き出す。ローファスがサリサの肩を一度叩き、気にするなとかそういった意味の言葉でフォローしている。
それでも次にリッツへと駆け寄ったサリサは、怪我が無いかどうかを確かめる。無言で首を振ったリッツに対して何か言葉を掛けようとしたみたいだったが、言葉が見つからなかったのかやや不自然な沈黙と共に俯いていた。
その甲斐甲斐しさには健気なサリサの使命感がよく現れている。クロムはそれを無骨な男達の中で可愛らしく思う。いつもならもしかしたらもっと目で追ってしまうかもしれないが、今はそんな事より死体の方が気になっていたのでうっすらそんな風に感じるだけに留まっていた。
ネロの死体の周りに男達が集まっている。
しかし黙って死体を見つめているだけで、即座に解剖だのなんだの手を付ける訳ではないようだ。まあそれも当然かもしれない。
激戦を繰り広げた直後で色々思う所があったりするのだろう。もしかしたら疲労ですぐにそんな気になれないとかそういった事もあるだろう。
(後から教会や兵士の手で調べられるとするならどうするか。こいつらにくっ付いておいて情報を貰えたりするかな?)
やや離れてネロの死体を眺めるリッツの後ろのジョシュがこちらを見ている。その顔はどうするんだ、と何かを尋ねてきている。
サリサもルセウスの横に並び、祈りを捧げ始めている。丁度リッツとジョシュ、クロムの別部隊三人が浮いた形になっているので、クロムは足を運ぶ事にした。
「お怪我は」
「大丈夫だ」
「伯爵の事を調べるはずがまさかネロさんとこういった形になるとは。心中お察しします」
「いいさ。こちらこそ申し訳ないと思っている。補助魔法、助かったよ」
穏やかに目を閉じ、リッツは右手を腰の柄に乗せた。最初に会った時の物腰に戻っている。
「さて、報酬だが――実は今すぐという訳にもいかなくてね。手持ちが無いという事で拠点に取りに行かなくてはならないんだが」
「構いませんよ」
ここでリッツは見下ろす形になるクロムの顔を横目でチラリと見た。
「色を付けるのでそこまで取りに行って貰いたい、と言ったら怒るかな?」
「ん?」
「勿論騙そうだとかそんなつもりはないし、剣に誓ってもいい。何なら一本預けるから」
「ああ、そんな疑いはしません」
「……まだ帰る訳には行かないんだ」
リッツの気持ちは分かる。
ネロが何故あんな行動に出たのか、リッツにとって一番重要な部分は謎のままで、そのネロとはこうして決着をつけざるを得なかった。
まだ追い続けるつもりなのだろう。
「ここから結構東の方に行く事になるんだが、それも近いとは言い難いな……すまない、本当は便りを出して届けて貰うつもりでいたんだが悠長に構えていられないんだ」
「いいですよ。こっちも報酬はいらないなんて啖呵も切った手前強くは言えません」
「ははは、忘れようそれは」
「そうだぜ、貰うもんはキッチリしねーとな」
「商売人としては君が正しいね」
さて、とクロムはルセウス達の方を見やる。
報酬などジョシュに任せればいい。
リッツの能力は全てではないが見せて貰った事だし――ガーハッドとはタイプが違ったが満足いくものとしていいだろう。
判定は不合格。
三対一ではあったがネロと余力を残して立ち合っていた。達人レベルではある。
が、それだけでその程度。
ルゲイオとやれば手も無く瞬殺されるステータスだというのは充分見て取れた。
マーロウ達もそうだろう。
予測できる観察が出来たという点でクロムは満足いくデータは取れたと思っている。
唯一気になるのはエンハイムが見せたスキルの片鱗、もしかしたら所有アイテムの効果かもしれないが不可思議な跳躍を見せたあの転移。
あれは超人クラスの技だ。
居合いも謎が多かった。
マーロウはスキル構成的に神聖系よりなのは予想が付くし、そこに謎は隠されているかもしれないが今深く追求するようなものではない。
結局大事なのは直接戦闘のレベル。
悪魔だとかそういうものが闊歩するのであればマーロウこそが超人と呼べるキャラになる可能性はあるものの、ネロ戦を見る限りではステータスにリッツとそこまで差は無いように感じる。
ルセウスに至っては論外。
駆け出し勇者など一般人と同じだ。
サリサ、ローファス、エンハイム――神聖魔法、結界魔法、謎の転移を見せたこの三者が今の所クロムの調査対象になるだろう。
(まあ、全員がゲームでいえば初期レベルという可能性はある)
そうだとしたら超人の片鱗という意味では全員合格ではあるのだが、レベルアップという概念が無いこの世界では単純に同じだけの時間――マーロウであれば十数年、修行した所で老いがやってくる。
それにステータスが同じ成長曲線で伸びていく訳ではないのだ。人体の成長やトレーニングによる肉体の鍛錬とステータスは合致している、と答えは出た。
モルデニアスで最高位の神官騎士であるマーロウがそれを教えてくれた。
そう目されるマーロウでさえステータス的にはやはり大した事はないのだから。
つまり人間がその壁を越え、クロムの想定する超人に至る為にはやはりスキルや魔法、それにジョシュに与えたようにアイテムの恩恵を得る必要がありそうだ。
エンハイムの転移さえその意味では役立たずですらある。ネロ如き雑魚に対する攻撃力があれでは到底意味が無い。
(結局ディーの育成スタイルこそが摂理を捻じ曲げたのかもしれない)
とにかくステータス重視のディーを最強の存在として望んだクロムのせいで、こんな制限されたゲーム世界になった可能性はある。
もしもディーがステータス重視ではなく、アクティブスキルや魔法重視であったならまた違った世界、ステータスは超人だらけだがスキルや魔法への依存度が低い世界になっていたかもしれない。
ある意味ゲームや漫画に近い、強力な特殊能力や禁呪を駆使して優位に立つ世界。
そうだった可能性もある。
だがここでは逆で、ディーはその圧倒的な基本能力、ステータスにより乖離した存在となっている。勿論ディーはそもそもどちらであろうが遥か遠い存在であるはずなのでステータスにしろスキルにしろ魔法にしろかけ離れたものを持つ存在だったには違いないのだが。
事実この世界でもディーの所持する魔法は出てこないのではないかと思っている。
レベルダウンとはつまりステータスのみならず、ジョブやスキルツリーにも影響している。
そういう風に思える。
(マーロウという大仰な設定のキャラがこれだとすれば、もしも俺が必死こいて誰かのレベリングを行った所で全くの無駄になる可能性が高い――望む結果は得られそうに無い)
現時点でのクロムの結論。
人はあまり選ぶ必要が無い。
ディーコレクションを与えたジョシュが達人化したように、本編開始を見据えてゲームのように仲間を作るのであれば、従来の仲間候補だの何だのに拘る必要なくこれだと思った人間を魔改造していけばいい。
まあ、選ぶ必要が無いは言いすぎではある。
マーロウにディーコレクションを与えればより凄まじい戦力になるだろう、ジョシュと同じ装備を与えたとしても。その辺は確かだ。
だが、チュートリアルバトルで上位存在と戦って得た感触では、マーロウにディーコレクションを与えようが一般人に与えようがどちらにせよ無駄なのだろうな、と思える。
通用しないのだ、結局。
だから――そう、それこそエファやフラウのようにステータスをスキルで補っている未熟な存在こそが望ましい。
何故なら確実にマーロウも既に何らかのスキルの恩恵を得ているだろう。そして鍛錬を重ねた上であの程度にしか至っていない。
ならば可能性としてはフラウのように冗談みたいな腕力を見せるスキル持ちの方が、伸び代という点で遥かにディーコレクションを与えるに相応しいのではないかと思う。フラウの殴打は鍛錬の高みに辿り着いたものではなく、生まれ付いてのものだ。
見たくはないが、フラウがゴリゴリに鍛えてあの鋼鉄の杖でぶん殴れば、ネロなど吹き飛ぶ可能性だってあるのだ。マーロウの大剣のように受け止められずに。
(こうなってくると癒し女神の杖でフラウにぶん殴って貰った方が良かったな)
それがディーの所持するものであったなら言うまでもない。マーロウとてクロムが剣を与えれば現時点でも超人には届くだろうが。
何となく見えてきた。
設定的にモルデニアスという高レベルの国で、一流の人間達の戦闘を目の当たりに出来た事は大きい。
低いとはいえステータスも勿論重要。
だがそれ以上に、スキルや魔法で人間を超える一芸とでも言うべきものを所持したキャラクターこそが最適な仲間候補。
そんなチャートが見えてきた。
奇しくもクロムがゲーム中で忌避していた踊り子のように、一芸持ちこそが超人たる資格があるのではないか、そう思える。
エバーロッテやマーロウやリッツ、ガーハッドはつまる所兵士にしかなり得ない。
ディーコレクションを与えた所で、優秀な一般兵止まり。戦力にはなるがそこまで。
最終候補という点では、例えばローファスの結界魔法が杖で強化出来るなら広範囲で防衛を任せられる男に成り得る可能性があるし、サリサの神聖魔法ももしかしたらそうかもしれない。
特殊能力や禁呪で張り合うタイプ。
そうであれば上位存在とも渡り合える一面を獲得出来る可能性があるだろう。
(尤もこれは可能性の話で、そもそも強力な一芸がどこまで存在するのかあやしいもんだけど)
フラウの杖スキルにしたって検証した訳ではないのだ。この仮説を確かめるにはフラウに毎日腕立て伏せなり頑張って貰い、しこたま杖術の殴打に励んで貰い、ムキムキになった所で殴打能力の高い杖を渡し、強力なモンスターにスイングして貰うというかなり面倒くさく現実的ではない作業が必要になってくる。
そこまでしたくはないし出来ない。
フラウをマッチョにするくらいならその検証など未来永劫出来なくて構わない。もうディーで全て蹂躙した方がなんぼかマシである。
(探すべきは突出したスキル持ち、それに……魔法を使う人間、アクティブスキルもだな)
後者にはそこまで期待出来そうに無いと思えるが……それでも可能性でいけばそれくらいだ。
魔法に関してはクロム自身の習得というもう一つの目的とも合致するのでこれは自然とやらなければいけない作業だろう。
クロムはもう一度整理する。
現時点で戦闘や能力を目の当たりにした人間。ランダスターから始まりこれまで出会った人間達を列挙していく。
そして改めて優秀な兵士候補と仲間候補に振り分ける。現時点での強さだとかレベルだとかは考えなくて良い。そこまで考えてもどうせステータスウインドウを覗けはしないのだ、無駄である。
じっくり考える。
勿論ぱっと振り分けられるようなものではない、何しろ全てを見た人間などいないのだから。
単なる可能性の話。
それでも候補は絞れる。
戦士、魔術師、レンジャー、僧侶、神官、盗賊……様々に擬似ステータスを与え検証していく。
既にディーコレクションを与えた者達の現状も想像と共に参考にしながら。
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ネロの死体は人間のそれ。
そういう結論だった。
そんなはずはない、と思うクロムだったがマーロウにサリサという人体に詳しいヒーラー知識を持つ人間がそう言うのだから、反論してみた所で全くの無駄だ。
偽伯爵の死体と同じ。
クロムには謎でしかない。
吸血鬼じゃなかったのか、とそんな疑問が再び頭に浮かんで訳が分からなくなるだけだったので結局もう考えない事にした。
ジョシュにはリッツの拠点へとおつかいに行って貰った。そもそもジョシュを伴っているのはこういった役目をクロムの代わりに行って貰う為というのもあるので、文句を言わないジョシュは実に重宝する。
ルセウス達――特にローファスの魔法とエンハイムには興味があったものの、到底同行を許される雰囲気ではなかったので諦める他なかった。
ま、どうせ執着する程ではなかったしな、と脳内フォルダに振り分けた仲間候補優先度に照らし合わせながらクロムは食堂のスープを啜る。
教会の調査が入るからと伯爵の屋敷から閉めだされ、リッツとも別れたクロムはジョシュを送り出した後こうして夜まで時間を潰している。
一応教会跡地の地下は調べておく。
あの隠しダンジョンもどきが既に発露しているかはまだ調べていないのだ。
入り口の閉め方が分からなかったらそれまでで、その時はとんずらしてしまえと思っている。
もうどうでもいい。
スープは薄味だが、底の方には豆や野菜が沈んでいる。コンソメスープだっけ、こういうのなんて言うんだっけかと具をつっつきながらクロムは今後どうしようかと物思いに耽っていた。
ルセウスに関しては良く分からなかったというのが正直な感想だ。一度は自分の代わりの勇者候補ではないかと思いはしたが、能力が低すぎて何一つ分かっていない。
直感というだけではない。
あの面子の意思決定の中心は間違いなくルセウスだった。という事は何かがあるという事だ。
もしかしたら秘めた力とかそういうのゲームっぽくあるのかも、などと考えてみるが――親しく接触できる訳でなし、誰かがペラペラ情報をくれる訳でなし、こっそり付き纏うにもそれには多大な労力が必要な訳で――結局いつものごとくまあいいやで終わっている。
深夜、跡地で肉屋で購入した生肉をビタンと仕掛けに叩き付けてみた。ゴリゴリという音と共に地面がスライドし、ぽっかりと地下へ続く階段が現れた。
装備を整え侵入する。
薄暗い地下だったが、パージアイの魔法を使用し明るさの調整と物見を同時に行っていく。
十分くらいだろうか。
シンプルな造りの地下通路はわずかな分岐があるのみで、それもすぐに突き当たりになっていてほとんど一本道になっていたのだが、かなり開けた場所に出た。
いや、開けたと言っても部屋ではなく、より大きな通路に行き当たったという事。
丸く円柱が横になったようなその通路には水が流れている。
その手前に立ち、クロムは最大限視界を飛ばし先を探っていく。そして理解した。
ここはシドレーの地下水路、もしかしたら下水道かもしれないがそこと繋がっていたのだと。
あれ、と思う。
ゲームとは違っている。
しばらく佇んでいたクロムだったが、ポリポリと頭をかくと今来た道を引き返していった。
要するに、手掛かりは得られなかったという事でフィニッシュ。ダンジョンもどきが若干変化していたという事で手仕舞いにした。
ルゲイオがいればその時は本編前に倒しておこうと考えていたが、躍起になっていた訳でもないのであっさりしたものである。
これでシドレー前倒しイベントは終了した。
再び教会跡地にビタン、ゴリゴリという音がすると、後にはいつもの静かなシドレーの夜が佇むばかりだった。




