モルデニアス神皇国 12
ネロがルゲイオから授かった力――授かったなどという言い方をするのはルゲイオに心酔していた者か力を渇望していた者だけで、ネロの奥底の自我が聞けば唾棄しそうな言葉ではあるが――は、寿命からの解放、いわゆる不老長寿や精神系無効の不死者特性の他に、単純に吸血鬼化した事によるステータスの上昇などがある。
人間からの転生という意味ではディーの竜人化にも近い。別の生き物になっている。
スキルの再生とは違うが、単純な肉体の損傷なら細胞組織の自己治癒力の大幅な強化により傷は塞がっていくし、人族の筋組織とは違った構成になる事で飛躍的に身体能力も向上している。
人間とはベースが異なるのだ。赤子の吸血鬼ですら人間の大人より高い身体能力を持つ。
当然ある程度高い能力を持ったネロが吸血鬼化すれば、エンハイムとマーロウをあしらうなど不思議でもなんでもない。
この世界のレベルダウンが行われたのはクロムが自己投影してしまった存在、つまり人族であるため、ルゲイオ側は労せずして一段上のステージに昇っていると言えよう。ネロも同様で、言うなれば一人だけ上位ジョブにクラスチェンジしたようなものだ。
クロムはまだそれらを測っている段階だが、薄々気付いてもいる。勝ち目は無いと。
そもそもゲームの構成を考えれば。
本編開始後からプレイヤーの手によってキャラクターは成長していくのだ。
元々種族間の能力差はあれど、成長によって比肩し得る程度の設定はあったのが失われてしまった。難易度が跳ね上がった。加えて今はまだ本編開始前。キャラクターは初期レベルのまま。
クロムが介入しなければ滅びる。
ゲームデザインというと冷淡かもしれないが、そういう構成をクロムは理解しつつあった。
非常に面倒である。
望んだお気楽な世界とは違う。
ある意味のんびりと無双出来る愉快な世界といえなくもないが、滅亡などという事態など考えもしなかったのでそこは想定外だ。
ルゲイオという雑魚ボスが使役するデミ・ヴァンパイア一体でこの始末。仰々しく登場した未知のキャラクター達を圧倒している。
更にクロムがそこに思い至っている訳ではないものの、ネロはまだ吸血鬼としてはレベル一にすぎない。
人間から吸血鬼化された半吸血鬼といえど長い年月を過ごす事で種族としてのレベルが上昇していき、更なる能力の成長に繋がっていく。老いた吸血鬼が手強いのはこの種族としての熟成が進んでいるからであり、使役される吸血鬼化された吸血鬼といえども同じ特性を持っている。
始祖吸血鬼であるルゲイオは既に設定的に長い年月を過ごしているので、ネロ以上に特殊能力を備えており、ステータスも人間からすれば絶望的だ。
しかし勿論弱点もある。
サリサやマーロウなどは対抗手段と呼べるか怪しいが、とにかく有効な神聖属性を備えており、勝機が全く無いとは言い難い。
ネロが不死者であると気付けば、クロムが教授すれば、打開策は生まれるかもしれない。
モンスターには人間ほどの知恵が無いし、そういった点でこの世界が詰んでいると結論付けるにはまだ早いと言える。
それに成長という部分は未だ未知である。
人間とて超人化する兆しは既に目にしている。
クロムはこのネロ戦で、ルセウス達にがっかりすると同時に希望を見出したり、上がったり下がったりと複雑な気持ちでいた。
やはり、何らかのアクションは必要。
自分のゲームだ。当然だ。
ただし最大限元のゲームとはかけ離れた手段、自らがプレイヤーとしての道を歩まない方向で。
何の意地かは分からないがそういう心持ちになっていた。最初に望んだ生き方を曲げるのは何だかあの神に負けたような気がして悔しいからかもしれない。別に一切勇者業などしたくないという程でもないし、そういう場面が全くないのも不本意ではあるが、王道RPGとは違うクリアを目指してみたかった。
SRPGみたいな形でもいい。
人間の数の力を総動員して魔王側をボコボコにする。仲間のレベリングは必要かもしれないが育成自体は大好物である。
主人公ではなく優秀な仲間の力を使ってクリアする。自分はそういったゲームにあるまじき力を有しているが、それをひけらかす事無くクリアに導くというのもそれはそれで面白そうだ。
細切れにクロムの思考は飛ぶ。
無理だと理解しているが故の逃避かもしれないが、そんな風に希望でも見出さなければやってられない程の惨状だった。
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長い膠着。
実際は激しい応酬が繰り広げられているものの、ルセウス側が疲弊していくだけで戦況は何も変わってはいない。
消耗している点では膠着ではなく状況は悪化しているが、最初の形から変化は見られない。
「ローファス! 僕も――」
「それは悪手だと分かっているはずだ」
振り返り決意したような表情で訴えるルセウスを、厳しい顔でローファスが一蹴する。
ルセウスは何度か飛び出そうと試みたものの結界に阻まれ、動けないでいる。
「しかし敵は」
ギリッとルセウスの奥歯が鳴る。
未熟であっても分かる。
ネロは明らかにマーロウとエンハイムを凌ぐ。
「私が倒れたら行くといい」
「ローファス!」
「気力を分け与えます。先に倒れるのは私です」
サリサが詠唱を開始する。
呪文とは異なる祈りの言葉はスキルに近い、神官の固有能力と言っていい。
「君が倒れたら誰が傷を癒すんだい?」
「……」
サリサも未熟にすぎる。
戦いに必要な役割や現在の戦況、何をどうすれば最善なのかを考えて実践していく能力は皆無で、猪突猛進なだけの若い二人といえた。
それでもローファスの言葉を無視して祈りを捧げるサリサをあえてローファスも強く引き止めようとはしない。魔力の譲渡はまだマーロウ達の趨勢が決していない現在では有り難い。ジリ貧ではあっても時間稼ぎが長く出来るに越した事はないのだ。
ローファスは額に浮かんだ汗を悟られないように涼しい顔を取り繕いながらホールを見る。
ようやく何かが動きそうだ。
リッツ。
二刀を閃かせ、背後からネロを襲う。
早くしてくれないものかと願っていたが、どうやらやっと参戦してくれそうだ。
「おい、どうする」
来てからずっとジョシュは困惑している。
自分達が何をすべきか、クロムが一切動かないのでどうしたものかと戸惑っている。
腐っても海賊たるジョシュは別に戦いに参加する事を恐れたりはしていないし、そこそこにカトラスを振る事は出来た。
ましてクロムから渡された秘宝により自身が超人と化している現状、しかもそれより遥かに力を有しているであろうクロムが居るのだから参戦してやらないのかとそんな風に考えている。
「まだ待て」
「……」
一体何を目的としているのか。
リッツに遠慮している?
それも違う気がする。
第一当の依頼人であるリッツは臨戦態勢に入っている。戦闘に参加しなくていいと言ったリッツに対して強硬に同行を申し出たのはクロムなのに。
(本当に訳がわからねえや)
上昇した五感で捉える他人の戦闘は、今まで見てきたそれと一線を画していた。
漠然と速いだとか力強いだとか感じていたこれまでと違い、どの動きのどこにどの程度差があるのかが見える。
ブラックベルトによる強化と達人化。
加えてナイトレザーによる能力上昇。
技術の熟練度の問題でジョシュはそれらを十全に使いこなすにはまだ至らないものの、現時点で既に、実はステータス的な能力だけでいけば総合力でマーロウを上回っていた。
他人のステータスを見る事の出来ないクロムにも、ジョシュ本人にも分かっていないが。
事実ジョシュは剣を交わしている三人の事をそれ程脅威だとは感じていなかった。
避けられる、という感覚において。
ただ侮っている訳ではない。
その凄さを思い知っているエバーロッテより速さも強さも上だと理解しているからだ。
そこに死が横たわっているという事ははっきりと分かるし、自分などしゃしゃり出た所でうっかり斬られて無様に転がるだけだろうなとも思っている。
しかし。
クロムは違うはず。
秘宝を譲渡されただけの自分程度がそんな風に感じるのだから、クロムならばもっと――。
そう思う。
何かを見定めるようにただ戦いの様子を観察しているこの男の目的がなんであるのか、ジョシュは自分なりに考える。
何となくこうなのではないかと思ったりもするが、神の子の基準など知らないので推測には一切自信が持てない。
それに、謎もある。
本人から聞かされてはいるが、クロムをこうして見てみると本当に何の強さも感じないのだ。
サリサという神官とどっこいどっこいなのでは、とそう思えてしまう程に身体能力が低い。
基本は魔術師。
秘術により超人化する。
そう理解してみても、まさかそんなはずは無いとどうしても自分の感覚に自信が持てなくなってしまう。いくらなんでもそんなはずはないだろう、と。ジョシュもクロムと同じく現実的な理屈に囚われた男であるため、変身という奇奇怪怪な事態など人間には起こり得ない、と固定観念から脱却出来ないでいるのだ。
なので自分には測れない、もしくは力を隠しているのだとそう思う事にする。
(あー。船に戻りてえな)
遂には逃避してしまった。
渡されたメスを巻く竜の皮の感触を指でなぞりながら、エバーロッテの柔らかな肌を思い出す。
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過ごしてきた戦いの日々の感覚が、余裕を持って体を動かしてくれる。
本来のネロの意識は深く沈み眠りについているが、同時に記憶は生きている。
ドーネロッティであり、別人でもある。
そんな感覚を抱いている。
しかし矛盾を感じるという訳でも無かった。生まれ変わったドーネロッティである、と自分の中できっちり整理は付いていた。
刃風。
自分がまだ冒険者だった頃、神官騎士であった頃、きっとこの斬撃は避けられなかっただろうな、とそんな事を考える。
長刀が数瞬閃き、遠くへ帰っていく。
次の瞬間には目の前の男から強い気配をぶつけられ、隙を探られているのが分かる。
今回は圧力を掛けるだけで大剣を振ってくる事はしないようだ。我慢強いなと思う。
反撃はいくらでも出来た。
斬り捨てられるかというとそれはまた違うが、こうして防戦一方でいる必要など少なくとも無い。
無視して戦力の劣る、結界を展開している集団の方に向かう事も可能だ。
だが意味は無い。
主から命じられているのは死である。
別に気に食わない人間を数人道連れにしたって構わないが、それこそ意味が無いだろう。
やるべきは伯爵殺害の犯人として目撃され、討伐される事。それ以外には何も無い。
ただそれでもこうして無為に戦いを続けているのは、ネロの残滓とも呼べる願望が少し残っているからなのだろう。
リッツという友。
ネロにとって憧れでもあり、目標でもあり、気の置けない信頼出来る男でもあった。
常々意識させられる、そんな華やかな戦いをする男だった。本人に言えば鼻で笑われるだろう。
二刀というのは特殊だ。
剣が二本という利点などどんな馬鹿にでも分かる。単純に二本振り回せば、素人同士ならその強さを実感出来るかもしれない。だから曲芸だとかそういう意味で特殊だという訳ではない。
だが実戦でモンスター相手に二刀などで挑めば、必ずや後悔する羽目になる。
両手持ちというのはほぼ全ての剣を握る人間が無意識で、それも頻繁に行う動作だからだ。
一つは握力の問題。
利き腕を補助するもう一方の腕の存在が無ければ、体力の多いモンスター相手では疲弊の極みに達するだろう。更には強力な一撃を叩き込む好機に両手持ちが出来ないばかりではなく、疲れ切った利き腕のみで斬撃を放たなければいけない。
片腕だけでは戦えないという事ではないが、盾を持つ人間とは異なるのは言わずとも分かるだろう。盾持ちはそもそも持久型であり、戦い方が異なる。いざとなれば腕に嵌めて両手持ちを行う事だって多い。そういうタイプの盾がほとんどだ。
そして、二刀を本当の意味で生かす、二本同時に扱うなど天賦の才に恵まれた人間でなければそもそも不可能だという事実。
利き腕と異なる腕の剣を盾代わりに使用する、そういう考え方も出来なくはないが、やはりモンスター相手にそんな戦い方をするくらいなら素直に盾を持った方が随分マシである、と思い知る事になる。
ネロも無理だった。
扱えない訳ではない。
別にそれで戦う事は出来る。
ただ、リッツを知ると二刀流という戦い方の意味を知る事になる。本物に触れるという所か。
また、モンスターにはそれなりに知恵のあるタイプだっているというのもある。
二刀で挑んでいざとなったら片方放り出す、大体はそういう形に落ち着くがその剣を相手に利用される危険だってあるのだ。
そこを見越して最初からなまくらを持っていくなど本末転倒もいい所だし――まあ色々とあるがとにかく二刀というのは限られた人間にしか修められない技能だと言える。
ようやくその気になったか。
腰の重い友人に言葉を贈る。
斬り捨ててしまえ、などと言っていたが。
ネロは意識をリッツに割く。
不死者としての特性は抑えてある。
主の命。所詮弱い力しかないデミヴァンパイアであるネロであれば、こうして吸血鬼化を抑える事も可能だ。
もっともそれは主のコントロールだが。
剣を交わしていた二人の気配も変化した。
リッツがネロの背後に回りこんだ事でこれまでと違った展開に持ち込もうというのだろう。
邪魔をするな。
ネロはそう思う。
討ち取られるのはリッツにだ。
殺意を解放する。
脅しにすぎないが邪魔をすれば本当に殺してやろうと思ってしまうだろう。それを教えた。
これも以前のドーネロッティという人間の残滓なのか。感傷めいた思い、死に行くのならば縁の深いリッツの手で、何故自分がそんな風にこだわるのかは分からない。
別に最後に手合わせを、とかそういう事を思っている訳でもない。
不思議なものだな、とネロは吸血鬼化し、精神構造まで変化してしまった自分に気付けないまま最期を迎えるべく背後を意識する。生まれたての吸血鬼が己を理解するにはまだ時間が足りない。




