モルデニアス神皇国 11
空を裂き、一陣の白い風となり飛来したネロをエンハイムが迎撃する。
腰だめで抜き打ちに剣を抜き放ったエンハイムとネロの刃が交錯し、甲高い音を立てた。
エンハイムは獰猛な笑みを浮かべ、通り過ぎたネロを目だけで振り返る。剣の峰に左拳の甲を当て、ネロの剣圧を受け流していた。
片手では危うい。
咄嗟にその判断をする程鋭い一撃だった。
「やりやがる」
嬉しそうにエンハイムがそう吐き捨てた時には、既にマーロウも動き出していた。
ネロにまた逃げ出されては困るのだ。
巨体を軽やかに躍らせマーロウがエンハイムの傍に降り立つ。エンハイムと交錯したネロは二人の脅威を気にする風でもなく泰然とホールを眺め回し、クルリと剣を回している。
「ま……こういう事もあるさ」
小さくリッツが呟いた。
クロムはその横顔に諦めの笑いが浮かんだのを見る。ただ同時に鬱屈が抜け落ちたようにスッキリとして見えた。強い気配がリッツから漂い出し、静かに二刀が持ち上がる。戦闘モード。その気になったらしい。
どうするか。
ジョシュはじっとクロムの動きを窺っている。
ネロは吸血鬼化している可能性が高い。
今の動きはガーハッドの跳躍を超えるのではないかと思えるレベルだった。
勿論ガーハッドの全てを見た訳ではないし、見始めたのは消耗した後からだった。
だがクロムの感覚で行くとあの跳躍力は人間のそれではない。スキルを持つこの世界の人間を完全にクロムの知る人間基準に当てはめる訳にはいかないが、それにしたってあれ程の弾丸の如き動きを見せた奴には未だお目に掛かった事は無い。
局部的な神速と全身の機動力とではまるで次元が異なるのだ。レギのダッシュとも違う。
常人離れした脚力という点では同じだが、宙を翔る動きはディーのスキルに近い。
(いいものが見られそうだな。しかしひとまず)
スルリと階段の方へと動く。
ルセウス達後衛と合流するのがいいだろう。
ここでディーの力を晒したくはない。
ジョシュもピタリとクロムの背後に付き従い移動してきた。賢い男だ。動揺もしていない。
寄ってきたクロム達をルセウス達も受け入れてくれた。治癒が完了したルセウスが前衛として立ち、ローファスの結界の中にクロムとジョシュも入る事が出来た。
拒絶も許容も術者の選択式なのか、どういう魔法だとクロムは興味を覚える。
だが持続型魔法を展開しているローファスに今それを聞く事は出来ない。
サリサも何かを唱えている。
神官式の支援といった所か。
自分は何をすべきかもう一度考える。
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マーロウの剛剣がゴウッと唸りを上げ、凄まじい音を立ててネロの剣と噛み合う。
ネロは正面から受け止めた。
両手持ちのマーロウに対し片手で。
続くエンハイムの抜刀をもコマ送りしたかのような動きで地に伏せ、ネロはかわした。
マーロウとエンハイム、二者の達人相手に一人でやり合っている。
ふーっ、とリッツは細く息を吐く。
丁度三角形を描くように三人は位置している。
参戦するとすれば奇しくも背後から、というのが正しい位置取りになるだろう。
自分が知っていたネロの動きではない。
ここまで差が付いたか、と思ってしまう程なまくらな生活を自分が送っていたとは思わないが、ネロは神官騎士として一体どれ程の修練を積んでいたというのだろうか。
強くなったな、と思う。だがそんなはずはない、と思う気持ちもどこかにある。
まるで嫉妬しているようでそんな風に考えるのを意図的に封じ込めてはいるが、流石に説明が付かない程に強すぎる、というのが正直な感想だった。
マーロウとエンハイムも強い。
おそらく自分より上だ。
そんな二人を相手どりネロは渡り合っている。
個々を圧倒するというのとはまた違うが、何故そんな事が可能なのだとリッツが驚愕する程にネロは全てに対応し捌いていた。
膂力と反射。
特にその二つが人間離れしている。
(ネロ、お前に何があった?)
元々ネロはオールラウンダーだった。
アタッカーでもありタンクでもある、そういうパーティーの中心を担う役目を引き受けていた男だ。
だから能力としては疑問でもない。
多対一はお手の物と言っていい。
が、それはあくまでモンスター相手であり、リッツのように剣術で戦う人間相手に華麗な捌きを見せるタイプという訳ではなかった。
それがマーロウとエンハイムという達人二人相手に一指も指させないのは一体どんなカラクリがあるのか、信仰の力などという馬鹿げた考えだけでは説明が付かない。
剣筋はよく知るそれ。あまり派手に動き回らず、足を止めて肉薄しやり合う戦闘スタイルも変わっているようには思えない。
しかし全てのスピードとパワーが尋常ではない程に高まっていると思える。そう分析しながらリッツは静かに横手に回りこんでいく。
最早引き返せないだろう。
相手は破邪の騎士マーロウであり、神官騎士でありながらそんな男相手に戦いを挑んだという事は、ネロはとことんやるつもりだ。
つまりもうどうにもならない。
この国に牙を剥いたと同義。ならばせめて引導は自分の手で渡してやりたい。
加勢するとか逃がすとか取り押さえるとか、戦いの激しさを目にしてリッツは完全にそういった考えを捨てていた。もう思考は切り替わり、どう終わらせてやるかのみに焦点が当たっている。
エンハイムの連撃が宙を裂く。
目にも止まらぬ速度で走った剣閃は四つか五つかに見えたが、そのいずれもネロを捉える事はなく、翻る白いマントが剣先で踊るだけだ。
更に地を割るようなマーロウの上段からの一太刀もネロは皮一枚で避けてみせた。
屋敷の床が大きく砕ける。
「主よ、加護を!」
サリサの声と共にマーロウが発光した。
何かは分からないが強化魔法だろう。
「俺にはねえのかよ」
二対一で押し込んでいるが、気を抜けば致死の一撃が叩き込まれる。それが分かっていながらも、マーロウがメインで対峙している為余裕のあるエンハイムは軽口を叩いた。
更に隙を窺いながらもエンハイムはネロという男に舌を巻く。今の発光で何かを警戒して隙が出来ないかと思ったが、ネロはまるで意に介していないように構えも視線も乱してはいない。
こりゃすげえや、と心の中で賞賛を贈る。
人間相手の経験も、剣を振るうタイプのモンスター相手の経験もエンハイムにはある。
多分自分程殺し合いの実戦経験が有る人間もそうはいまい、と思っている。
しかしそんな豊富な経験の中でも、これ程厄介な相手に出会うのは初めてだった。
何せモンスター級の筋力や反射、それに人間の技を同時に併せ持つハイブリッドタイプ。
はっきり言って過去最強の強敵と思える。
無論厄介さという点では大型モンスターや魔獣の方が上だ。いくら強いとはいえ無限に斬りつけようが倒れないのではと思えるモンスターとは違い人間には違いない為、一太刀浴びせればそれだけで勝機が近付いてくるのは間違いが無い。
ただその一太刀が遠い。
一撃食らえば致命傷となるのはこちらも同じであるのに、スペックで完全に上回られている。
よもやマーロウと自分の二人掛かりで仕留められないなどとは思いもしていなかったので、誤算が更なる動揺を誘い余計動きづらくなってしまっている。
(こいつはまいった)
エンハイムは自分が臆病で計算高い人間だと自覚していた。生き延びる毎にそれを痛感してきているが、こうした場面ではそれでいいと思っている。過信など何の役にも立たない。
生命力に関してはともかく、既に相手の力を人間のものだとは考えていない。何かは分からないが、これが人間の鍛錬の賜物だなどと認められるようなレベルはとっくに超えている。知りうるどんなスキルを使っているとも考えられないし、例え知らないスキルや魔法を使用しているのだとしても同じ事だ。
人間の姿をした何か。
そんな前提で警戒していた。
自信を持っていた居合いも通じない。
マーロウがいなければルセウス達の方へ引き込むべく撤退していたかもしれない。
(チッ。踏み込めねえ)
そのせいか間合いがやや遠い。
決めにかかる事が出来ないでいる。
肝心のマーロウも同じように、いやちょっかいを出すだけでいいエンハイム以上に困難を感じ取っているのだろう、圧力を掛け釘付けにするだけでそれ以上大胆な動きが出来ないようだ。
自分が斬りかかって隙を作る他無い。
それが堪らなく参った。
精神を鎮める。
昂ぶる剣気とは逆に、マーロウは祈りを捧げながら岩のようにどっしりと構えていた。
下手に動けば不覚を取る。
それが良く分かる。
ルセウス達の方に行かせるのもマーロウにとっては不覚に違いない。もしそう動かれたら追いつけるとは思わないが、その動きを見せるまで、もしくはエンハイムが隙を作るまでは防御に徹すると決めていた。
もしも膠着を嫌い、そうした時こそ勝機。
マーロウはそう考えその瞬間に備えて己の中で力を蓄えている。無自覚のスキル。
時折エンハイムの攻撃に合わせ攻撃を叩き込んでもみるが、ネロは対応するばかりで決してマーロウに勝機を見出させてくれない。
剣速ではなく、単純に動きのスピードという面でマーロウは手を焼いていた。
ネロが自分に向かってくるだけならいいが、遮二無二向かってくるモンスターとはやはり違う。
そこが厄介だった。
その瞬間を逃せばマーロウはネロに追いつくのに相当手こずるだろう。
だからそこを逃さないように研ぎ澄ませ、後はひたすら耐えるのが最善と結論づけていた。
驚くべき相手だ。
よもや十字長剣で自分の十字大剣を、それも片手で受け止めるなど考えもしなかった。
しかも自分にはないスピードまで兼ね備えている。全身の筋力という点で考えれば二者が共存していても何ら不思議ではないものの、ネロのスピードは身軽さから来る機動力であり、爆発的な加速というに留まってはいない。自分とは異なるタイプであり、やや苦手でもある。
それが証拠にエンハイムの斬撃は悉くかわされている。剣で受けずに全てを体捌きでかわすというのは自分には無理だ。
人間相手に有効なスキルはあまり持っているとは言い難い。魔法も同様だ。
罪人を相手どるのにそれらが必要でないなどと自惚れていた訳ではないし、充分に磨いてきた。
必ずや調伏せしめると。
そのつもりだったが、こうしてみると未熟にすぎない自分というものが嫌でも見えてくる。
膂力でも劣り俊敏さでも翻弄されるとなれば勝利は覚束ないだろう。
圧倒的な人数差はあるものの、ルセウス達では一蹴されて終わりだというのは既に検証済みだし、エンハイムと自分が抜かれれば敗北というものがかなり現実味を帯びてくる。
(破壊のスキルはまず当たらない。サリサの支援も弱い。頼みの綱はエンハイムか、ローファス)
ただエンハイムは充分に理解した動きをしている。形勢を崩さないという意味ではこれ以上踏み込んで無理をしないのが最善だと、経験か本能か老獪な立ち回りに徹しており、マーロウと同じく我慢を強いられているのが現状であると思える。
意を決した彼の突破口を開くという決断があるとするならば、それは望ましくもあり望ましくもない。
リスキーに過ぎる。
まだ力を隠してはいるのだろうが、この状況で全てを出してくれるとも思えない。
だからもしも期待するとすればローファスの魔法になるのだが、ルセウス達の防御を解くのをネロが待っているとも考えられるし、ローファスもそれを警戒してまず無茶はしないはずだ。
神都から守護者として派遣された三人は既に最適解に近いと思える立ち回りを行っているのだ。
正面から引き受けている自分以外の二人が頼みの綱といっても、実際にはそこに期待するのはかなり厳しいだろうと分かっている。
それでもマーロウは焦ったりしない。
相手が疲労するか自分が倒れるか、いずれにせよ状況が動くまではひたすらこうして耐える以外は無いと心得ている。
その意味で二人に託せばいい。
壁に徹すると決意している。
同じくローファスも我慢していた。
ルセウスとて決して実力が低い訳ではないのに一蹴される程の実力を相手は持っている。
サリサとルセウスを守るべく立ち回るのが自分の役目であり、このネロという男は動きを見ても隙を見せていい相手ではない。
マーロウとエンハイムの二人を相手に翻弄するとは信じがたい光景だが、ローファスが焦って介入すれば防御結界は崩れてしまう。
見殺しにしている感覚を持ちながらもローファスは気を張り詰めて結界の維持に努めていた。
(リッツ、君が紛れを起こす事を期待するよ)
離れて見ているローファスには当然浮いた駒、リッツの動きが見えている。
二刀を構えのろのろと動くその様はまさか敵方に与するのではあるまいなという疑念を抱かないでもないが、その時はその時でマーロウ達なら対応するだろう。
ジョシュとシーバルは結界内に受け入れた。
そこそこの実力者であるとはいえ、下手にちょっかいを出されても均衡を崩しかねない。
大人しくしていて貰うのが最善であると思えた。結界から弾けばそれはそれでサリサとルセウスが黙っていないだろう。それもまた均衡を崩しかねない。
かなり前提は崩れている。
魔法により攻守の自在性の高い自分が全体をコントロールし、エンハイムが隙間を埋める形で補佐すると事前に決めてあったが、それもそもそもマーロウの突出した戦力あっての計算だった。
よもやマーロウを凌駕し兼ねない相手が一戦目から現れるなど、想定外もいい所だ。
エンハイムも遊撃どころの話ではない。
ルセウス達の後見などという立場から離れて考えてみても、それはつまり彼らの安全どうこうを優先せずに勝利だけを追及するという事だが、それでも大して妙案も浮かばない。
あの二人の剣を苦も無くかわす相手にどう魔法戦を展開するか、ローファスにはいい知恵が浮かばない。詠唱などと暢気に構えていれば即座にネロに首を飛ばされないとも限らないのだ。
一瞬で肉薄してくる機動力というものを既に目にしている。魔術師にとって最悪の相手。
最速で詠唱できる軽い魔法など、唱えたところで役に立ちもしないだろう。
本格的に追い詰められていた。
最も消耗が激しいのは自分だ。
マーロウ達からは信頼されているが、このままいけば真っ先に力尽きるのはローファスである。




