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モルデニアス神皇国 10


 辺りは暗くなり、所々に立つ街灯がレンガの街並みをひっそり浮かび上がらせている。

 肌寒い夜で、かすかに霧が掛かっていた。

 光の届くギリギリの範囲の先は白く霞み、どこか幻想的とも言える夜を作る。


 一度伯爵の屋敷に集合したもののマーロウ達に決定的な手掛かりはなく、クロムとジョシュも特に何も見つからなかったと報告していたので明日には伯爵の遺体発見の報告をする事になっている。


 ローファスはマーロウの権限で教会の手勢も一時的に指揮下に置けないか神都に伺いを立てる算段でいる。ルセウスとサリサの教育という任を請け負っている彼は、二人に初動から最後までを全うさせるべきと考えていた。


 伯爵殺害を目撃してから一日半経っているものの、ネロという神官騎士が伯爵を殺害したという現場を捉えたのは手柄でもある。

 逃がした事は失態だが。


 ただいずれにせよ事を公には出来ないだろう。

 神官騎士の凶行などとんでもないスキャンダルであり、だからこそ自分達の手だけで片を付けたかったというのもある。


 神都の判断にはなるが、いずれネロを指名手配するにせよすぐという訳にはいかない。

 だからまだチャンスはある。




「どこ行くんだ?」


 打ち切りとは決まったがリッツは一人街へと出て行っていた。多分明日になろうがいつになろうがそうやってネロを追い続けるつもりに違いない。


 クロムもジョシュを伴い出てきている。ジョシュは周囲の聞き込みでそれなりにクロムのアンテナに引っ掛かるような証言は得てきていた。


「後ろ暗い人間が出歩くなら夜だろ?」

「人の事ぁ言えねえよな」


 ジョシュはクロムから何も言うなと言われた事を不審がっている。

 当然といえば当然だ。

 クロムが常人とは違う世界に生きていると理解しているとはいえ、一緒に居れば気安い仲間でしかない。黙って着いていくと決めてはいるものの、生来の軽口を封印しようと翻意した訳でもない。


「ジョシュ、調子は?」

「ん」


 職業暗殺者ハイドアンドキルの特性。

 ナイトレザー装備の恩恵でジョシュには更なる特殊能力が備わっている。


 回避にまつわる知覚の上昇や気配遮断、バックスタブの効果上昇など、夜間になればなる程効果が高まっていくのを感じているはず。


 別に誰かを暗殺して貰いたい訳ではないが、いざとなればその特性は大いに役立つ。

 これから陰で暗躍して貰おうと思っているクロムにとって、ジョシュのその能力は己の身を守るのに活躍してくれるはずだ。


「どうなってんだかな。お前の見てる世界って奴はこんなんだったのか、って感じだぜ」

「俺には何も見えてないよ。はっきり言ってジョシュの方が俺より強い」

「ちっ、言ってな」

「嘘じゃないって」

「はいはい」

「ジョシュ、俺は龍神の力を使えば強くはなるけど、普段は見たまんまの補助魔術師にすぎないんだ。いつでもその状態でいられるって訳じゃない。だから嘘じゃない」


 ジョシュが変な顔をする。


「じゃあ襲われたらまずい時もあんのか?」

「いや、基本的には手助けは要らないよ。ただ」


「……普段はまあ普通って事」


 訳の分からない事を、とジョシュは更に突っ込んで何か聞こうかと思ったがやめた。

 クロムの横顔はちょっと見ない程真剣な顔をしていた。すっとぼけているが分かる。

 

 その真顔が何を意味するのか。

 それが分からない事が更なる謎を呼んでクロムへの理解を遠ざけるのだが、ジョシュはそこに触れるにはきっとまだ早いのだろうと納得する事にしている。


 エバーロッテの下で学んだ事だ。

 急いても仕方が無い。

 相応しい男になるまで黙って着いていけばいいし、その資格をクロムはこうして目に見える形で補助してくれてもいるのだから。この力があれば必ず人並み以上の働きは出来る。



 一度シドレーの街中を流れる川に掛かる橋に寄り、何やら下の方を覗きこんでいたクロムだったが、行こう、とすぐにジョシュを促し教会跡地へと向かっていた。


「ジョシュ、これ持ってて」

「うん?」


 しかし一度足を止めた。街灯の下で受け取ったナイフをジョシュは光に翳して見る。

 まるで食事用の細いナイフはまさに銀食器といった趣で、柄には流線型の装飾が施されている。

 刀身の部分が片刃になっている事も合わせ、どう見てもディナーへの招待としか思えない。


「何だよこりゃ」

「割とえげつない武器だよ」

「はあ? マジかよ」

「めっちゃ切れるから、それ」


 実はナイフではなく医者のメスである。

 メスの能力を体現したナイフ。

 れっきとしたディーコレクションの一つで、神聖系属性を持つ戦闘寄り特殊僧侶職の火力最強武器の一つだったりもする。カテゴリとしてはナイフなので装備できるジョブ自体は幅広い。


「ちょっと合わないけど鞘ね、これ」


 無理矢理突っ込んでおくのに適当なものが見当たらなかったため、金剛竜の皮という素材を丸め、雑に紐でグルグル巻きにしたものが簡易の鞘だ。


 それにしたって切れないとは言いきれない。

 検証などクロムは軽くしかしていない。


「絶対に失くすなよ」

「そりゃ分かってるがよ」


 またクロムは妙な顔をしている。

 武器をくれるという事は危険な事が待ち受けているのか、とジョシュは少し不安になった。





 クロムは当初ここまでジョシュに装備品を渡そうと考えていた訳ではなかった。

 惜しいという事ではなく、これらのアイテムがジョシュに災いを呼びかねないという危惧を抱いていたからだ。


 護身用の一式を与えるにしろ、せいぜいこの世界基準の最高ランクのものを与えるつもりでいた。ディーコレクションは奪われれば自身に対する脅威や人為災害に早変わりしかねない。


 エファやマリーは別だ。

 彼女達は特別扱いでいい。 

 グルゥにしろあれは遊びのようなもので、そもそも人間に与えた訳ではない。


 それなのに何故与えたか。

 イベントへのカウンターキャラとして考えている訳でもないのにクロムが次々とジョシュにアイテムを与えてしまったのは、わずかな怯えが手伝っているからに他ならない。


 レギンスタ王国でソレドやボースの死を目の当たりにした事や、教会跡地に手向けられた花がクロムに影響している。

 要するにジョシュを失いたくない。




================================




(おい、誰か居るぜ)


 教会跡地近くまで来たが、入り口のある通りに出る前の角でジョシュが囁く。

 先客か、邪魔だなとクロムは舌打ちする。


 ヒョコッと顔だけ出して覗いてみるとリッツとエンハイムが居た。


(なんだよあいつら)

(なんで隠れんだよ?)


 二人は腕組みし、跡地の方を見ながら手前の門の所で会話している。


(ジョシュ、会話の内容聞こえるか)

(はっきりは聞こえねえよ)


 ナイトレザーのコンディションとしては最高のはずだが、上昇した五感でも聞こえないかとクロムは思わぬ検証が出来た事に唐突な満足感を覚えた。

 が、今はどうでもいい。


 二人が去るのを待っていてもいいが、別に見られて困る事もない。隠し通路の存在さえこちらが知っていると知られなければいいのだ。


 ならばむしろ出ていって、二人があそこで何をしているのか探る方が得とクロムは考えた。

 ジョシュを伴い適当に話を合わせてくれと伝え、のんびり通りへと歩いていく。


「お二人ともここに来たんですか」


 近付いた所でエンハイムとリッツはこちらに気付き手を上げてきていた。


「ああ、どうにも行き詰ってな」

「リッツと話してたんだがよ、冒険者の勘ってやつがここに何かあるって言ってるんだよな」

「なるほど」


 鵜呑みには出来ない。

 二人とも胡散臭い所はある。もしかしたら何かに気付いていてすっとぼけている可能性も大いに考えられるので安心は出来ない。


 しかしここは乗っかるのが正解だろう。


「ルセウスとサリサはいい顔しねえだろうし、まあマーロウはこだわらんかもしれんがよ、あいつも立場の自覚は持ってっからな。ここを軽々しく突っつきまわす訳にゃいかねえんだ」


「俺達なら勝手をやってもそこまで大事にはならんだろうって話しててな」

「というと?」

「そこなんだがな」


 エンハイムとリッツはこの場所を徹底的に捜索しようかと考えていたそうだ。

 教会というのはそもそも地下に隠し部屋を持っていたりする。にしても目立つこの場所で誰かが出入りしているとは思えないが、それでもどうしても調べずにはいられないと。

 

 教会が乗り出してくればいずれ調べられるかもしれないが、リッツもエンハイムも自分で片を付けたい意思は一致している。

 エンハイムとて後見の自覚はあるらしい。


 ただ問題が無い訳でもない。


「ご覧の通りの焼け跡だ。下手にひっくり返して回れば崩れかねん」

「流石に毎日この街の連中が通ってる場所だからよ。どっか崩れただけでも大騒ぎになるだろ。クソ真面目なルセウスは絶対うるさく言ってくるしよ」


「黙ってりゃばれないんじゃないですか」

「あの隣にいる嬢ちゃんてな死ぬ程鋭くてな。神託だかなんだかで偽りを見抜くって話だ」


 一瞬クロムの動きが止まる。


「俺も下手に入ったらまずいかなと思って中には入らなかったんですけどね」

「昼間裏に回ってたな。見落としでもあったか」


 クロムは首を振る。

 

「それにしても神託とは凄いですね」

「魔法みてえな事らしいけどよ」


 あれか。

 ちょっとまずいか?


 夜中に遺体の傍で祈っていたのも、聖水を渡した際に大仰に手を握って祈りを捧げてきたのも、何かを確かめていたという可能性がある。

 クロムは目を細めた。


 自分がどういう存在かその辺の人間に知られた所でどうという事もないが、あのアダムやサリサ達のような組織に影響を持つ者だと面倒な事になりかねない。平穏で自堕落な未来の妨げになりかねない。

 

「怖い怖い。うっかり悪い事は出来ませんね」

「ま、嘘を見抜くだけとは言ってるけどよ。心の中まで覗かれちゃ堪らんわな」


 エンハイムが大声で笑う。

 跡地とはいえ罰当たりな。


「なら勝手にここを調べるのはまずいですね。俺達は一旦戻る事にしますよ。な?」

「そうだな」

「お前らもここが怪しいと睨んだんだろ?」

「それはそうですね」


 エンハイムにリッツが追随する。


「ならばやはりここを調べるべきだ。俺とエンハイムの勘に加え外から来たお前達もそう思うのなら見過ごせない。一度戻り説得してみよう」


 振り切るつもりだったがこうなっては仕方ない。

 クロムは諦める。

 それにサリサがクロムの何かを見破っているというならそれを確かめるのが先決となった。


 こちらから墓穴を掘りかねないのでストレートに確かめる訳には行かないが、サリサはエンハイムへの対応を見る限り素振りや態度を自身が隠すのは苦手らしい。ならば分かる事もあるだろう。


 しかしあの後好意的だったように思うが――。

 クロムは様々に考えを巡らせながら全員で伯爵邸へととんぼ返りする。

 しかし。


「なんか聞こえるぜ」


 近くまで来た所でジョシュがそう告げた。

 屋敷の姿はもうすぐそこだが、ジョシュ以外の全員が怪訝そうな顔をする。


「何かとは?」

「ガチャガチャいってら」

「屋敷の中か?」

「だな」


 エンハイムとリッツが顔を見合わせた。

 そしてすぐに走り出す。




=================================




 屋敷に飛び込んだクロム達は二階に駆け上がるまでもなく異変を発見した。


 二階へと続く階段。

 そこでネロとマーロウが剣を抜き対峙していた。

 マーロウが背にしている二階へ続く階段の踊り場には肩を押さえたルセウスが膝を付き、サリサが今まさに治癒魔法を掛けている所だった。


 その二人を包む淡い光。

 ローファスが更に後ろで杖を構えている。

 おそらく結界型の防御魔法。

 クロム達の視界の一番最初に飛び込んでくるのは神官騎士の紋章、ネロの背中だった。


「ネロ!」


 リッツが二刀を引き抜く。

 エンハイムが音もなく右手へと滑るように動き、腰だめに長剣の柄に手を添える。


「リッツか」

「剣を納めろ。お前、相手はお前の」

「リッツ」


 背中越しに名を呼んだその一言は囁くように静かな声だったが、不思議とホールに響き渡った。

 その目は対峙するマーロウを見据えたままで、わずかに外套の裾だけが揺れた。


「いつだったかこんな話をしたな。まさにこういう状況で、後ろから斬り捨てるべきか否か」

「ああ。お前は自分が正しいと思ったならやるべきで、そうじゃなかったらしなければいいとそんな風に言っていた」


「お前は真面目に考えてはいなかったな」

「後ろだろうが正面だろうがどっちだって同じだろう、斬れるようならそうすればいい」


 マーロウは巨大な剣を正眼に構えたままピクリとも揺らがずに立っている。

 リッツに対する遠慮か会話により何かが引き出されるのを待っているのか。

 ネロと向き合うマーロウは戻ってきたエンハイム達がネロを囲んだ事で絶対的な勝機を見出しているはずだが未だ動こうとはしていない。



 最初に立ち合ったルセウスが一蹴されるのは分かっていた事だ。才能を秘めていようが所詮駆け出しの若者にすぎない。


 命を散らさなかっただけマシだろう。

 勿論ローファスもマーロウもルセウスを庇う事は出来たがしなかった。実戦は必要な経験だ。


 それにしても――。

 

 背後のリッツと会話しているというのにこの神官騎士、隙が無い。

 よもやここまでの実力者が無名のままでいようとは。聞けば篤実な正義の男であったという。


 それは喜ばしい事だが、それ故にマーロウには疑念が残る。


 元冒険者と純粋な神官騎士。

 そこに道徳的な歩み方の違いはあっただろうが、高みへ昇る過程に差は無いとマーロウは考えている。


 生半可な覚悟では到達できない。

 動きも気配も常人の域は超えている。

 リッツよりも数段上と見ていた。


 エンハイムの野性すら上回ると思える。

 しかし剣筋は見事なまでにこれぞ神官騎士というような愚直な正道。相反する二つを身に付けたその生き様には感服する。


 それ程の男が理由も無く伯爵殺害などするだろうか? 冒険者として戦いの中で力を身に付けたであろうその動きがエンハイムに近いのは納得出来る。


 だが神官騎士として目を見張る程の理に適った活人剣をも使う。生来のものかはたまた。


 どちらにせよそこには信念が無ければ無理だ。エンハイムですらそれが人から賞賛されるかどうかは別として、マーロウも唸る程の信念を持っているのが見てとれる。


 まして聞く限り、このネロという瞠目に値する男の生き様を考えればもっとだろう。そんな男がただ利己的に剣を振るったとは考えにくい。


(知りたいな。一体どういう経緯で伯爵を斬るまでに至ったのか)


 

「神官騎士としての人生をお前にも勧めたのはこういう事だったと理解させてやろう」

「ネロ……」


 ネロの気配が変わる。


「背中から斬りつける隙があればそうしろ。まあ既にこの男に一太刀浴びたので偉そうな事は言えんがな」


 紋章が翻った。

 階段の半ばから矢のように飛翔したネロが向かった先は、エンハイムだった。




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