モルデニアス神皇国 9
夜中にクロムは目が覚めた。
屋敷はローファスが魔法で結界のようなものを張ったという事で見張りは居ない。
その魔法には大いに興味を惹かれたが、それを教えて欲しいと言えるシチュエーションではないので諦める他無いだろう。
二階の西側にサリサの部屋を囲むようにマーロウとルセウスが寝ている部屋があり、ローファスとエンハイムがその向かいの一つの部屋に寝ている。
階段を挟んで東側がリッツとジョシュ、クロムの部屋割りとなっており、遺体が眠る書斎も東側にあった。
一階はあえて空にしてある。
万一襲われた際にも分散は避けた方がいいとの判断だが、この過剰な戦力が密集している屋敷ならば特に問題にするような事でもないだろう。ルセウスは真面目な顔で作戦を立てていたものの、他の人間には余裕が透けて見えた。
何故目が覚めたのかは分からないが、クロムには度々こういう事がある。
危険を察知するとか、そういう特別な能力を身に付けたのなら歓迎出来るが別にそういう事ではない。ただ単に寝付けない、それだけ。
この世界の寝具に慣れないとかこれだけ経ってそんな事を言うつもりはないが、何故かふと目が覚めてしまうという事がある。
(はあ、またか)
仕方が無い。
無音と暗闇の世界は最初の頃こそ少し楽しめもしたが、今ではひたすら退屈なだけだ。
横になり続けるという手も散々試してきたものの、効果は今一つで最近では素直に起き出すようになってしまった。
魔法の練習ついでとばかりに視界を補正する。
ケイマンから教わった視覚操作にも大分慣れ、あの時より間違いなく上達していると思える。
もしかしたら魔法熟練度と呼べる隠しパラメータに該当するのかもしれない。
あくまでゲームに当てはめれば。
魔法に関していえば時間をかけて上手くなるというのは普通の事であり、最初から詠唱さえ覚えれば完成品が手に入るクロム以外の人間は皆そうだった。こういった特殊魔法だけが例外なのかどうか分からないが、同じように上達を必要とする魔法は他にもあるのかもしれない。
ただ、それにしたって詠唱さえ覚えれば、練習だの何だのを必要とせず問題なく使用できるというスタートの優位性は持っている。上達というのは効果の上乗せ、レベルアップという意味だ。
しばらく窓からシドレーの閑静な佇まいを眺めていたクロムだったが、きちんと靴を履きなおし扉へ向かった。野宿ならまだしも、未だに靴を履いたまま寝るという行為をクロムは好んでいない。クロムの持つ常識が持ち込まれたせいか寝る際に靴を脱ぐ習慣は普通にあるが、同時に履いたまま寝る習慣も存在している。
きっとこの先も慣れる事はないだろう。
ドライヤーの無い生活を受け入れるのすらしばらく馴染まなかった程、元の生活習慣というのは染み付いてしまっている。
静かに廊下へ出たクロムはそのまま書斎へと向かった。
死者を床に放置したままというのは何ともあれだが、サリサとて仕方なくそうしているだけで決して良しとしている訳ではない。
一応の祈りの形を取る事は出来たので、きっとそれで許される範疇に収まっているのだろう。
聖水の効果が発動しなかった所を見ると吸血鬼の死体ではなさそうだが、伯爵の顔形をした死体が何故あるのか、どうせなら調べてみるか、とそういうつもりになっていた。
静まり返った書斎。
魔法で暗視カメラのようにくっきりと浮かび上がる部屋の様子。シーツは綺麗に何者かを覆い、形を崩してはいない。
(いじくったら怒られそうなんだよなあ)
めくって見てみたいが、完璧に元の形に戻す自信が無いのでためらわれる。
もしかしたら包み方にも儀式っぽい形式があり、知らないだけでそういう包み方をしている可能性だってある。
うーむ、と横に立ちクロムが腕組みして逡巡しているとわずかに背後で空気が揺れる気配がした。
振り向くと静かにそっと、亀の歩みの如き速度で扉が開いていくのが見えた。
ある程度開いた時点で、ドアノブに両手を添えたサリサの姿がそこから現れる。
部屋に体を入り込ませたサリサは再び両手で静かに扉を閉じてゆく。
もしかしたら自分がここに音も無く立っていたら驚かせて叫び声を上げさせてしまうかもしれない。
にわかにその事実に気付く。
書斎に入る前に廊下で気配は窺った。
勿論一般人並のクロムの能力では何かを見破るとかそういったレベルにはならないが、いくらなんでもサリサが気配を殺してわざわざクロムの動向を探り、追ってきたとは考えられない。
たまたまタイミングが重なった。
そう考えられる。
つまり今暗闇の中で死体の横に佇む自分はサリサにとって不審者、いやもしかしたら変質者に出会った時のような驚愕を与えてしまうかもしれない。
なので――
インビジブルマントを咄嗟に装備した。
死体の横で女性の行動を隠れて窺うというのだからこれで変質者の謗りは免れない。
そっと後ずさる。
高級絨毯のおかげか足音は無い。同じように足音を立てずサリサも死体へと歩く。
シーツの傍に屈みこんだサリサは両手を組むと何やら黙祷を捧げ始めた。
(また? 熱心な事だ)
背後の壁際からじっと様子を窺う。
小さな背中。
俯き両手を組んでいるせいで狭い肩幅が余計縮こまって見える。か細い後姿だ。
夜着から覗く体のラインは全体的に細く、あの集団の中でこの少女がどのような心持ちで共に行動しているのかをついクロムは考えてしまう。
神官として訓練されてはいても、荒事に立ち向かって行くのはまた別だろう。
そんな女性は以前の世界では考えられなかった。戦士とかファンタジーな肩書きがあるならまだしも、修道女と同じにしか思えないのだからそういう風に感じてしまう。
じっと黙祷を捧げるサリサ。
何を祈っているのだろうか。
すると再び扉が音も無く開き、誰かが入って来るのが視界に映った。
エンハイムだ。
静かに扉を閉めたエンハイムはそのままその場でサリサを黙って眺めている。
彼女は気付いていない。
やがて顔を上げたサリサに向かってエンハイムが声をかける。
「死者への祈りかい?」
ビクリとサリサが体を震わせ、中腰のまま素早く入り口を振り仰いだ。
「……はい」
「おどかすつもりじゃなかったんだけどな。一応役目って奴だ。誰かがこんな時間に歩いてりゃ見に行かない訳にもいかなくてよ」
「そうでしたか。申し訳ありません、夜分に起こしてしまって」
という事は自分も気付かれていたか?
そうクロムは考える。
意識はしたが忍び足などと呼べる代物では無かっただろう、素人なのだから。
しかしエンハイムはクロムを探す素振りを見せていない。
クロム達の動向に関してはどうでもいいという事なのかもしれない。
それにしても、とそのやり取りを聞きながら思う。
どうにもサリサの反応は堅い。
あからさまにエンハイムを警戒している。
一体何故だ?
「こんな状況で一人歩きたあ感心しねえな。マーロウが追いきれなかった奴が居るんだ」
「でもローファスが結界を張っていると」
「アテにするなとは言わんがね。嬢ちゃん一人攫うぐらい俺だって出来るぜ」
そのエンハイムの台詞と小馬鹿にしたような表情にサリサがムッとする。
「気を付けます」
「そうしてくれや。要らんお守りはしたくないんでな。今度からはマーロウかローファスに声を掛けてからやってくれ」
軽く頭を下げたサリサは足早に扉へと向かい、エンハイムをすり抜け出て行った。
その唇は真一文字に引き結ばれていたようにクロムには見えた。
――やれやれ。
気まずい場面に出くわしちまった。
エンハイムという達者が居るので動けないが、明らかにエンハイムはサリサを足手まといに思っているようだし、サリサはそんなエンハイムに反感を抱いている。
理由が知れたのはいいが横で聞いていたい会話では無かった。まあサリサの堅い態度はそれが全てという訳では無いかもしれないが。
「ふん」
ボリボリと頭を掻いたエンハイムは一度チラリと室内に目をやるとすぐに扉を開け廊下へと戻っていった。
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翌日は早朝から再び捜索を行う手筈となっている。朝食は甲斐甲斐しくサリサが用意してくれたが、寝付いたのが遅かったクロムは胃袋があまり歓迎しなかったせいで少ししか手を付けていない。
「では昼に一旦集まろう」
屋敷の留守はルセウス、サリサ、ローファスとなり、クロムとルセウスが入れ替わる形となった。
世間知らずの自分には情報収集がいまいち上手く出来なかったと、本人が自ら申し出たためだ。
本当に誠実というか素直というか、出来ない事を出来ないと認めるその姿は立派というか呆れる程の優等生っぷりを感じてしまう。
何となく、サリサだったなら強情に今日も自分が出る、と言っていたような気がしてしまう。
負けず嫌いの性格なのではとクロムにはそんな風に映っている。
「跡地は調べましたか」
「勿論だ。といっても野晒しのあの場所で大っぴらに探索して回るという事はしていないが」
クロムは既に知っている。
教会跡地から地下ダンジョン――ダンジョンという程の規模ではないが――に通じる隠し通路がある事を。消えたというなら潜伏先はそこの可能性が最も高いはずだ。
マーロウも当然調べたらしいが、住民の礼拝の場を目立つ自分が踏み荒らす訳にも行かず、おざなりな探索になってしまったせいで発見出来ていないと思われる。
「俺ならあんまり目立たない……眼帯外すかな」
「俺が行こうか?」
「ジョシュの格好だって目立つぞ」
「上から何か着りゃいいだろ」
マーロウにはその権力を使って入りにくい場所を堂々と調べて貰いたい、とローファスが伝えている。エンハイムはギルドを当たる。
リッツでもいいが権力という点ではエンハイムの方が融通が利くから、と。
部外者である三人を除外しても抑えるべきポイントを抑えられるようローファスが意図しているのは分かったが、おかげでクロム達三人は調べる場所のアテが無いとも言えた。
「ルセウスとサリサと私とで屋敷内の探索をもう一度徹底的に行うよ。手掛かりが何も無いとも思えないし。では頼むよ、皆」
リッツ、マーロウ、エンハイムはそれぞれに探索と情報収集を行うという事で早々に別れた。
残されたクロムとジョシュだったが、クロムの指示によりジョシュは住民への聞き込みに回って貰っている。
ジョシュは海賊だけあって言葉使いは決して上品とは言えないものの、穏便な人柄が滲み出ているせいか受けは悪くない。
どこかスルリと人の警戒心をほぐすような所さえクロムは感じる。
だからとにかく徹底的に一つの事柄に集中して聞いて回るように頼んでいた。
「隣人の変化を聞け」
これに尽きる。
クロムの推測による「住民の吸血鬼化と潜伏」が無いかどうかを探って貰おうと考えた訳だ。
これはマーロウ達には決して出来ない発想であり、クロムとしては知りたい情報でもある。
エンハイムは限りなくこれに近い不審を抱いていたが(恐るべき直感だ)、もしも既にそれが行われていたとするならクロム的な全ての疑問はほとんど解消される。吸血鬼だという決定的な証拠は無くても構わない。
考えをまとめている内に、大事なのはとにかくシドレーイベントが発生する前触れがあるのか無いのかだと思えてきたからだ。
ルゲイオというヴァンパイア役が違うキャラクターになっており、伯爵が人間だったとしてもイベントの流れがきちんと発生している事さえ確認出来ればそれでいいな、と考えている。
別にまるっと今回の事態を解決に導いてやる必要は無い。面倒になってきたといえばそれまでだが、大事なのはルゲイオよりルセウス達の能力を確かめる事である。
まあ全部やれればそれに越した事はないが。
「こんにちは」
「こんにちは」
教会跡地に来たクロムはちょうど花を手向けて出てきたのか、老婆とすれ違い挨拶を交わす。
ルゲイオの事はだんだんどうでも良くなってきはしたが、それと隠し通路が発露しているか調べるのは全く別の話だ。
ゲームでは住民の「そういえばこの前、夜中に跡地に入って行く――」とかそういう証言を集める必要があったが、それが必要無いのかどうか調べておかなくてはならない。
門から教会までのわずかなアプローチには特におかしな点は見当たらない。ごく短い石畳の飛び石が、土の上に並んでいる。
しかしその先にあったのは白く美しい尖塔を備えた神聖な場所ではなかった。
焼け焦げ、背の低い骨組みと瓦礫を晒す無残な建物の跡があるだけだ。
何やら痛ましい。
半分朽ちた十字架が奥の方に何とかその姿を留めているが、多分それはこの場で祈りを捧げる人々にとって象徴のようになっているのではないかと思われた。信仰心を持たないクロムでさえその姿には何かを感じてしまう。
モルデニアスの宗教というのはクロムが考えていたような、いわゆる神様とかそういった崇拝対象を持つものではない、という事だったが、それは国教としての考え方であり、信仰という部分ではしっかりと神を祀っているらしい。
いわば多神教に近い。
いくつもの宗派はあり、それぞれに願う神が居るという事をルセウスから聞いている。
クロムには今一つ分からない部分もあったが、
「仏教もしくは神道という大枠の中で、仏陀や釈迦を崇める者もいれば七福神を崇める者も帝釈天を崇める者も居る」
こういう事だと理解している。
ジョシュの知識とはまた違った。
モルデニアスの宗教は宗教っぽくねえ、と説明を受けていたが外から見たのと中の人間とでは理解に差が有ったという事だろう。
サリサのあの熱心な姿を見ても、それはもう世界でも有数の宗教信徒なのではないかと思えた程に乖離があった。
宗教とはとかく狂信者と呼べるような厄介な人間を生み出すものだが、ご他聞に漏れず近代国家を謳うモルデニアスにもその傾向はきっちり存在する、という事だ。むしろ人間のそういう祈りとかいうものの必要性の証明かもしれない。
(またどうでもいい事考えちまった)
残骸のおそらく入り口であったであろう場所にいくつもの花束が手向けられていた。
どうやら中には入らずに、そこで皆祈りを捧げていくらしい。
クロムとしても否は無い。
中に用がある訳ではなく、調べたいのは裏にある地面と塀の境目である。
辺りの人目を気にしながら残骸を回り込むようにして敷地内の奥へと侵入する。
ただ吹きさらしの跡地は裏へ回った所でそこにいるクロムの姿を隠してくれる訳ではない。
手早く調べる必要がある。
ゲームマップの記憶を参考に当たりを付け、塀と地面の境をじっくりと眺めていく。
塀を形成する石のどこかに仕掛けとなるような何かが――有った。
確定ではないが形状、質感、色合いが周囲とはわずかに違うものがはめ込まれていた。
それなりに不揃いと言える塀の構造であるので、多分これを発見した所で多くの人間はやや目立つ石だな、くらいにしか思わないだろう。
チラリと通りの様子を窺う。
ゲームではこの石に血を塗りつける事で仕掛けが作動するという、実際に目にすると眉唾なギミック描写が描かれていたが。
(下手に仕掛けが動いても困るな。閉める時も同じかとか分からんし……)
確かめるのは夜行った方がいいだろう。
そうするか、とクロムが顔を入り口の方に戻すと、こちらを見る視線とぶつかった。
エンハイムが石畳の上を歩いてくる。
クロムも何食わぬ顔をしながら手を上げ、何も見つからないなという素振りで残骸を回り込みながら入り口へと戻っていく。
いきなり見つけました、ではいくらなんでも不審すぎるというものだ。
「エンハイムさんもここが怪しいと?」
「ん、まあ調べない奴はいないわな」
エンハイムは腕組みしたまま、じっと手向けられた花束のいくつかに目を落としている。
自然と隣まで戻ってきたクロムも同じように花束に目を向けた。
「火事が起こった時、亡くなった方とかいたんですかね。どれも日が経っていない綺麗な花です」
「さあな。毎日街の連中が来てるんだろうけどな、俺には良く分からん習慣だ」
冒険者だって信心深い奴はいる。
ランダスターにそういう生徒だって居た。
それは神官とか僧侶とかそういう職業柄という訳でもなく、ただそういう風に育ってきたというだけにすぎなかった。
生き死にの世界により近い職業に就いているのだから、エンハイムの方が冒険者としては普通の感覚なのだが、だからといって信仰心を持つ事が可笑しいという事はない。
珍しくはあるが。
しかしながらエンハイムはそういう風に育たなかったという事なのだろう。
当たり前のように宗教観を持たない冒険者として育った。ただそれだけの事にすぎない。
「こういうのって」
それでもクロムはこの獰猛な気配を持つ男に尋ねてしまっていた。
その目がどこかいつもと違ったように感じられてしまい、自分の感覚と違いがあるのか確かめずにはいられなかった。
「馬鹿馬鹿しいと思ったりします?」
クッ、とエンハイムが笑う。
いたずらな光を宿した瞳。
「若いうちってなそう思ったりもするよな。だが生憎俺はもうおっさんだ、若くはねえ」
ポン、と軽く背中を叩かれた。
「案外分かってきちまうもんなんだよ、こういう花を飾るとかそういうセンチな行為って奴をな」
「まあ……俺も別に馬鹿にしてるって訳じゃなくて。ただ、あんまりやらないもんですから」
はっはっは、照れるな照れるなとエンハイムが笑う。予想外に大人な返事を返されたクロムは少し恥ずかしくなりどもってしまった。
皮肉混じりにガキだなと言われた気がした。




