モルデニアス神皇国 3
モルデニアス神皇国中央部からやや南にある皇都セラスは、そびえる巨城を中心に放射状に街並みが広がるこの世界随一の都市だ。
荘厳さでは北の神都フラムに及ばないものの、日々革新されていく建築技術は様式を変えながらそこにひしめく人口を豊かに支え続ける。
石畳が広がる街並みには馬車が行き交い活気溢れる音が響く。
通りを行く人々の数も他国では見られない程の賑わいを見せ、無数の洒落た店が軒を連ねる。
セラスは都としてはおよそ有史以来最高、まさに繁栄の絶頂期を迎えていた。
普通人口に比して治安が悪くなったりもするが、この国ではそんな事は無い。
騎士、兵士、そして教会主導の神官騎士が警察力を発揮し平穏を守っている。
モルデニアス自体が領土が広く土壌にも恵まれているため、産出も恵まれていた。
地形も国内の流通を遮る険阻な地形の少ない、平地がほとんどを占めている。
人類最高峰の国家と言っていい。
そんなモルデニアスを象徴する皇都セラスから南東に、マリーとエファが滞在している町がある。そこから更に西に、皇都を右手に見ながらずっと直進した場所にある別の街。
シドレーという街がある。
モルデニアス西方の街だ。
ここもまた石畳と街灯に彩られた美しい街で、どちらかというと閑静な高級街、という趣を感じるが、皇都から一定距離離れた街はモルデニアスにおいては等しく田舎町と呼ばれる。
街の規模と人口こそデルスタットにやや及ばないものの、ガルテン王国でシドレーを田舎と評する人間などまず見つからないだろう。他国基準でいけば最先端の都市と言って差し支えない。
それ程立派だった。
街路に並ぶ建物はどれも二階建て以上のものばかりで、平屋はむしろ広い敷地を有した裕福さの表れとなる。通りにゴミなども落ちていないし、地べたで恵みを乞う者も見当たらない。
ただし教会が無い。
通常モルデニアスでは一定以上の人口を有する場所であればまず教会が存在する。
田舎だからとかは一切関係なく、シドレークラスの街に教会が無いなどという事はまず考えられないのだが、何故か教会は存在していなかった。警察力の一部欠如ともいえるが、だからといってシドレーは問題が起きるという事もなく平和に行政が運営されていた。
だから神都も強硬には言えないのだが。
そこだけが不自然にポッカリと抜け落ちたようにこの街に足りていなかった。
(ルゲイオ・セードリクスか)
リッツは全身を隠す旅人用のマントに身を包みながら通りを歩く。
取り立てておかしな点は見つからない。
至って普通の街と思える。
モルデニアス標準と言えるだろう。
通り沿いの水路を交差して掛かる石橋を渡りながら、リッツは何から始めるか考えていた。
(伯爵にいきなり合わせろと言っても通らないだろうな。第一ネロが手を焼く程だ。一人じゃ無謀か)
本当に何の問題も見当たらないのだ、シドレーという街は。教会の設立は強制ではない。
推奨でしかない。
だからこの街を治める領主セードリクス伯爵が教会勢力の再三の勧めにも関わらず教会を建立しようとしないのも、騎士と兵士を派遣する皇都から問題視されているという訳でもないのだ。
神都とてそうだ。
圧力を掛けたりなどという事はない。
自由は正義でもある。
そしてもう一つ、教会が存在しないにも関わらず住民が不満を言わないのにも理由がある。
十数年前火事によって焼失した教会は、そのまま跡地として残されている。
そこが礼拝の場となっているのだ。
わずかな瓦礫を残すばかりの痛ましい焼け跡だが、毎日美しい花が献花されている。
伯爵曰く、新たな教会を建立しないのはその悲劇を忘れないためでもあるそうだ。
同時に、信仰とはその形に拠らない魂の祈りである、と公言してはばからない。
一見納得できそうな理由が並んでいるため国内でシドレーが注目される事もないのだが、優秀な教会の神官騎士と神官達は、教会を建立しようとしない本当の理由を嗅ぎつけた。
何かある。
そういう事らしい。
しかしリッツにはそれが何かが分からない。
ネロが消えた理由。
連絡を取り合っていたアウヴィエラからここまでの説明は受けていたが、この先はリッツが自分で探す他無い。領主と関係しているという事が容易に想像できるだけだ。
(ネロ。お前は何を嗅ぎつけた?)
それまでただ教会建立を勧めるため訪れていただけの神官達が、ネロを使って捜査していたという事は何らかの不審を見つけたからだろう。
どういう不審かまで聞ければ手掛かりもあったが、真面目なネロはアウヴィエラにそこまで内情を暴露はしなかったし、特に権限を持たないリッツも派遣した教会から事情を聞き出す事は出来なかった。
だから推理していくしかない。
ある程度、ここまで経緯が分かっている以上仮説はいくつか立つ。
シドレーの新たな教会の建立を拒んだ理由はいい。残骸と信仰心に委ねる、立派じゃないか。
リッツはそう思う。
だが神官騎士を動員した以上、そこには見過ごせない何らかの罪があったはずだ。
勝手な理屈で教会を建てないとはけしからん、というような信仰の問題とは一線を画する何かが。
一体何なのか。
ネロが動いた理由とは。
事情を深く知らないせいで断定は出来ないが、やはり伯爵に問題があると考えるのが妥当だ。
一見まともな理由で教会を建てようとしない事に実は裏があったと考えてみる。
本人以外の要因とも考えうるが、ここはストレートにありそうな線から考えるのがいい。
もしも伯爵に後ろ暗い事があったとして、そのため教会が邪魔だったとしたら。
それは取りも直さず神官がシドレーに滞在するようになってはまずいという事だろう。
他に理由が見当たらない。
ネロを動かした神官達は確実に罪と断ずるものを見つけていたはずだ。
それが神官に滞在されては困るという伯爵の事情だった、と推理してみる。
セードリクス伯爵にとってまずい何か。
もしくはシドレーにとって。
それは一体何だろう、とリッツは考える。
行き詰まり、色々と他にもありそうな理由を考えてみるが、やはり神官を排除したいから、というのが一番しっくり来る。
何しろ動員された神官共々、ネロまで連絡が取れなくなっているのだ。
邪魔だったから消された、そういう風にしかリッツには考えられなかった。
そんな目立つ事までして教会の建立を拒む理由。ただモルデニアスの国教に反旗を翻しているだけとも思えない。
新たな教会は不要。
シドレーがそう告げる理由は納得がいくものであり、決して誰にも後ろ指を指されるような事は無い。にも関わらず神官達はネロを動かした。
つまりそこに何かあったから。
そこまでは分かっている。だがそこから先、シドレーを訪れたネロ達の行方が不明になったという事態だけしか分かっていない。
領主セードリクス伯爵を内偵していたらしい、ので間違いなく伯爵が関係していると見ていいのだろうが伯爵相手では取っ掛かりが無い。
何か悪の組織のようなものが関係していて、伯爵は被害者だという可能性を考えてみても、やはり伯爵にコンタクトを取らなければ手掛かりが得られない。
考えても堂々巡りだ。
(ちっ。神官騎士の身分があれば確かにやれる事は増えるよ。そこは認めるぞ、ネロ)
所詮一介の冒険者にすぎないリッツにはここら辺りが限界だった。
伯爵の屋敷に突撃してみるくらいの知恵しか浮かんでこない。だが。
それをすれば反逆者は自分という事になる。
ネロ達を探すどころではない。
――参った。
ふう、とリッツは溜息をつく。
歩き回っても何も見つからない。
平和な街の姿を確認しただけだ。
だが気落ちするリッツの前にその男は不意に現れた。リッツの意識を覚醒させる程、見過ごせない達人の身ごなしで歩くその男は、若い連中が着るような黒ずくめの革の衣服に身を包んでいた。
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一軒の洒落たカフェ。
リッツはさり気なく後をつけた。
別にネロの一件と関係があると疑った訳ではない。ただ、若くしてそこまで、と思える男がネロ達が消えたこのタイミングでそこに居た事を無視できなかったにすぎない。
藁をも掴む、というのに近い。
単に優れた冒険者であったとしても別に不思議な事でも何でもないのだから。
それでもリッツは直感的に動いていた。
何かがそぐわないと感じた。
「それ美味いのか?」
「美味いよ。ジョシュも頼めば?」
ジョシュ、というのか。
先に座って待っていた男も如何にも怪しい。
だらしなく伸びた黒髪に眼帯をしている。
いや、ますます冒険者の可能性が強まったとも言えるが、どう見ても二人とも若すぎる。
モルデニアスは平和だが猛者も多い。
国内にモンスターの闊歩など許していないため、他国へ行くと冒険者が惰弱だと勘違いする者も居るが、そうではない。
モルデニアスには領土内に多数未攻略のダンジョンがあるのだ。
平和なモルデニアスにおいて沢山の冒険者が活動しているのも、全てはダンジョンのせい。
本気で攻略しようと思っている者こそ少ないが、日々ダンジョンから湧き出続けるモンスターを狩る必要があるため、仕事は多い。
封鎖区域が点在しているのだ、実際は。
だからこそ効率的であるとも言える。
その数に対して冒険者の死者が少ないのも、この封鎖区域を騎士が守っているからだ。
中に入って増えたモンスターを討伐するのが主な冒険者の仕事だが、危険となれば区域外に離脱できたし区域内の他の冒険者とも連携が取れる。
――少しだけ、クロムのバトル空間と趣旨が似通っていると言えなくもない。
勿論ダンジョン攻略を目指すも自由。
こんな風に言うとダンジョンにたかっているように聞こえるかもしれないが、そのおかげで湧き続けるモンスターを押し込められているのだから意義は立派にあった。
リッツとてそうだ。
未だ攻略に至ってはいないが、いつか封鎖区域の一つも消してやりたいと思っている。
とにかく、そんな訳で安全と効率に優れたモルデニアスの冒険者事情は他国より優れている。
だから強者を輩出する数だって多い。
ジョシュという男の身ごなしは瞠目に値するが、その事自体に疑問は無い。
しかし多くの達人にも出会ったが、歩く姿だけでリッツに何かを感じさせるような達人は皆長く研鑽を積んで来た人間ばかりだった。
要するにそこまでの若者は居なかった。
ところがジョシュという男は二十代に見える。見た目が若いだけという事でも無いだろう、ファッションを見ても。
そんな若さでその域に達したという事実がリッツに不信感を抱かせる。
強さと技術は一致しない。
強いだけの若者なら大勢いる。
若さは強さでもある。
ただリッツが注目したのは技術だった。
(対面の男もそうなのか? もっと若い気もするが、戦いで片目を失うとなれば成人はしているか)
のんびりとお茶する二人を同じく離れた席で観察するリッツ。
眼帯の男はシーバル、という名前だと会話の中から分かった。
更に聞こえてくる会話から掬い取れた情報のおかげで、少しだけリッツは不審の念が消えた。
どうやら他国の人間らしい。
最初ジョシュという男を見かけた時に感じたそぐわなさ、動きに注目したからこそではあったが、それはモルデニアスの流派では見かける事の無い動きだと感じたからなのだろう。
別にリッツは体術に精通している訳ではないが、場数は踏んでいる。
そのせいで目がそんな判断を下したに違いない、と納得する事にした。
「んで? 何をするんだ」
「いや、まあ決めてないよね」
「はあ? お前やたらのんびりしてるけどよ、まさか目的もなく来たのか?」
「そういう訳じゃないよ。この国は見るべき人間も多くてさ。観察するだけでも意味はあるんだ」
「?」
会話を聞き、リッツは驚く。
なんと主導権を握っているのはシーバルという男の方だと思える。
まさかジョシュという達人を従者として従えたどこかの跡取り息子という訳でもあるまい。
そんな身なりには見えないし、互いの言葉づかいもそうとは思えない。だとするなら、やはり組んでいる冒険者なのだろう。
しかし……となればシーバルの方が実力者という事になるのか? とてもそうは見えない。
(知識はあるようだが)
一応、その見識で引っ張る立場という見方も出来る。だとすればジョシュは頭が弱いという事にもなりかねないが。
そんな二人の関係性など考えても意味が無い。
ハッとする。
二人が席を立ちどこかへ行ってしまいそうだ。
再び直感に任せ、思い切って声を掛けてみる。
暇を持て余している他国の人間であれば、雇うなり何らかの協力を頼めるかもしれないと考えた。
自国の人間なら教会と伯爵絡みなどという大それた案件にはまず乗ってこないだろう。
「すまん、ちょっといいか」
「うん?」
どう切り出すべきか。
いやそれ以上にまず、そこまでどう話を持っていくのがいいか。
「ちょっと話を聞いてしまってな。盗み聞きしたみたいで申し訳ないが」
「まあ、別にいいけどよ」
「他所から来たみたいだな」
「まあな」
「俺はリッツと言って冒険者なんだが――二人もそうじゃないかと思ってな」
ジョシュがチラリとシーバルという若い方に顔を向ける。やはり主導権はシーバルという男が握っているようだ。リッツは留意する。
「違いますね」
えっ。
「違うのか?」
「ええ、違いますよ。ねえキャプテン」
「ん――まあ、な」
「キャプテン?」
「船乗りなんですよ、俺達」
ちょっと待て。
リッツは困惑する。
一体どういう事か、咄嗟に嘘をついているのか? 船乗りが何で――それもこんな若い。
「という事はどこかの港から来てるのか?」
「まあそうですね」
「休暇か何かで?」
先程二人が交わしていた会話はそういう事だったのか。寄港した先でシーバルがジョシュを誘ってモルデニアス国内観光にでも来た。
「この国に来たそもそもの目的が休暇とも言えますね。暇してるって意味では」
「ええと、そちらの君が船長?」
「悪いな、挨拶しとくぜ。俺はジョシュってんだ」
「シーバルです」
「二人はその――」
リッツはアテが外れた事に戸惑うが、それでもジョシュが他国の達人という事実に変わりは無い。
何とか糸口を探る。
「つまり君達はまさしくモルデニアス観光に訪れたという事なんだな」
驚きだ。
船舶を個人が所有し貿易業務を行う事自体は聞かない話でもないが、二十代の若さでそれを行うとは大した行動力だ。
ジョシュという男がどうやって達人の技を身に付けたのか分からないが、傑物という事だろう。
その力があればこそそんな航海も出来るという事なのかもしれないが、リッツの知らぬ他国の事情も侮れない。
「うめえな、これ」
「いやほんと、素晴らしい」
ジョシュとシーバルがナイフとフォークで上品に焼き上げられたステーキに舌鼓を打つ。
別にリッツがこの街のうまい店に精通している訳では無かったが、食事を奢ってくれるなら話を聞くという提案をしてくれたので有難く案内した。
高そうな店である。
メニューに値段が記載されていない。
リッツの財布からすれば心配するような事は無いだろうが、多分結構な金額になる。
こんな高いもの奢るんだから首尾良くいってくれよ、とリッツは願うばかりだ。
「それで声を掛けた理由なんだが。ジョシュの身ごなしが只者じゃないと思ったもので思わずね。私は冒険者なものだからつい」
「お目が高いですね。お察しの通りキャプテンは相当やりますよ。ねえ」
「まあな」
「てっきり君達が冒険者だと思って――仕事のパートナーを探していてね」
水を向けてみる。
「へえ。どんなです?」
「うーん、詳しい内容はここじゃなんだから食べ終わってからにしたいんだが……二人は冒険者稼業みたいなものには経験が? やはり単独で海を渡るのだからそうだとは思うけど」
「じゃなきゃキャプテンがやるなんて言いません」
「ああ、そうか、そうだな」
少なくとも二人に荒事への抵抗は無いという事だ。ただの商売人とは違う。
それが分かったのは収獲か。
リッツはここからどうするか考える。
「例えば報酬を貰って仕事をするといった経験、商売とは違うんだが――冒険者的なというか」
「モンスター討伐とか?」
「そうそう、そういったものだ」
「ありますよ」
傭兵というか用心棒みたいな事もやるというのだろうか。益々都合が良い。
「何か言い辛そうな事情があるみたいですけど、俺達は他所の人間です。話次第なんで引き受けるなんて約束は出来ませんけど、遠慮なく話してくれて構いませんよ。言いふらしたりもしませんから。あ、食べ終わった後でですね」
シーバルという若い方が言う。
キャプテンの参謀という立ち位置か。
こちらの意図を汲み取り一気に切り込んでくるという事は、それだけ汚れ仕事も引き受けているという事なのだろう。
リッツは腹を決めた。
ある程度話してしまおう。
その上でもし断られてリッツを売るような雰囲気があればその時だ、と。




