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モルデニアス神皇国 2


 ストレイ号のマストを見上げるクルーは、軽業師のようにそこを歩くジョシュが帆を外していくのを眺める。外洋で強い嵐が近いため、畳むよりいっそ外した方がいいとの判断だ。


 速い。


 ガッチリと繋ぎとめられたロープと巻きつけられた帆を瞬く間に外していく。

 ブラックベルトの補正により高められたステータスがジョシュに超人的な能力を与えている。


「便利じゃのお」

「これからは船長に色々やって貰いましょう」

「聞こえてんぞ、おい」


 ダリが素早く帆を甲板で纏めて行く。

 小型船のためそれ程高さは無いものの、ジョシュはマストから楽々と飛び降りてきた。


「信じらんねえよな。自分が自分じゃねえみてえだぜ、世界が違って見えらあ」

「その内慣れるよ」

「そういう事じゃなくてよ」


 ふーっとジョシュは溜息をつく。


 買い揃えたアイテムは膨大な量になったが、クロムがそれをどうするつもりなのか分からない。

 その額だけでも驚愕だったが、ジョシュが得た力は金どころの話では無かった。


「ルカにくれてやるなんてよ……俺は悪いとは思っちゃねえが、ありゃあ……」

「決めた事だから。それにエバーロッテさんが居ればきっと間違いないって」


 人魚族との交渉を終え戻ってきたクロムは、ジョシュを迎えるとすぐさま島への帰還を命じた。

 その途上で見せられたメルビオという精霊の存在は、もし異常な装備品を体感していなければきっと理解できなかったに違いない。


 ジョシュが混乱せずに済んだのは、クロムから渡されたブラックベルトにより異次元の感覚を既に味わっていたからだ。


 得られるステータス補正の値は低ステータスで生きていた者からすれば常人の域を簡単に超えさせてくれた。買い物というおつかいだったが、その途上でジョシュは己の変貌をまざまざと実感していたのだ。


 スキル補正による達人化も果たしているのだが、それは肉体感覚の違いに紛れている。

 ただ、本能的に自分が劇的に生まれ変わった事は理解していた。



 既にジョシュはクロムという男を理解しようとする事をやめている。

 一切の憧憬も嫉妬も無い。ただどこまでも特別なのだとそれだけ理解した。


 何故こんな男が現れたのかは分からない。

 冗談みたいな存在だ。


 だが、今やジョシュにとって疑問に思う事は少なくなっていた。何故なら目の前に居る。

 理解を超える事が多すぎて考えても無駄だと諦めるのも当然だが、それ以上に心が躍る。


 きっと伝説というのはこうして作られるのだ。


 そういう天啓に近い何かが既にジョシュの全身を満たしていた。理屈っぽいジョシュが宗教のような考え方をしてしまう程その衝撃は凄まじく、今まで見てきたものなどまだ片鱗にすぎないのだろうという確信を抱いている。


 多分あの表情のせいだと思う。

 メルビオという精霊を呼び出した時。

 ジョシュは何故自分がそんな風になってしまったか再び考え、結論を出していた。決してアイテムのせいではない。


 メルビオという――神。


 大げさだが船乗りとしては神と思う他無い。

 水面を割り波を鎮め、生命を誕生させるかの如く次々と海に姿を与え操ったあの存在。

 精霊と言われても神と思う他無かった。

 そんな存在を紹介する時のクロムの表情。


 誇らしさも無い。

 畏れも敬虔さも無い。

 怯えるでも感じ入るでも無く、かといって冷静であろうと装っていた訳でも無い。

 

 ただただ何も無かった。


 普通有り得ない事だ。

 あれ程の力を前にして、人は普通で居られるだろうか? それもその支配者となって。

 自分はベルトの力を手に入れて、興奮し恍惚となったというのにだ。


 あろう事かクロムが見せていた表情は時折見せるあのバツの悪いような、こちらをおずおずと窺っているようないつものものだった。


 それもこっそり、気付かれないように。

 いやバレバレなのだが、本人はそういう時、いつも表情を見破られまいと隠そうとしている。

 隠せているつもりでいる。


 だからまあ、こっそりだ。

 クルー全員気付いているとしても。



 とにかく、メルビオという力を目の前にしてもクロムの心には何の変化も無かったという事だ。

 いつも通り、普通の事。

 その事実がジョシュを貫いていた。

 ベルトにしたって、あんな押し付けるように他人に委ねられるものではない。紛れも無く秘宝だ。

 だというのに。


 クロムの特別さはその力から来るものだとばかり思っていたが、そうではなく、生きている次元が違うのだとそう思ってしまった。


 ジョシュの感覚をもっと正確に言うと「分かってしまった」というのが正しい。

 力とか金とか理解を超えるアイテムも何もかも、要はただ住んでいる世界が違ったからこそ。

 クロムにとっては当たり前なのだ。


 その衝撃はまさしく天啓だった。

 神の子である、と。


 更にはジョシュが神とすら思った精霊をルカの守り、レバイド海賊団の力として使えと与えている。

 ここまで来るともう笑うしかない。



 ただしジョシュはこの感動を誰と共有するでもなく、一人胸に秘めている。

 レバイド海賊団の中で、もしかしたらエバーロッテやルイ、ルカあたりは知っているのかもしれないが、自分がそんな境地でクロムと接するようになってしまったという事は誰にも言うまい、と決めている。


 無論クロムにも伝えない。

 誰にも知られてはいけないと思っている。


 自分のエバーロッテへの信仰心が揺らいでしまっているなどという事は。




==============================




「収獲は?」

「これを見てください」


 レバイド海賊の本拠地へ帰還したストレイ号だったが、今回の船旅の報告はジョシュに一任する、とクロムは言いルカの元へと赴いていた。


 一人エバーロッテの自室を訪れたジョシュは書き留めたノートを見せる。


「へえ。アンタが作ったのかい?」

「へい。親父さんの猿真似ですが」

「ふーん……大分違うもんだね、こうして見ると……エジール……人魚族?」


「シーバルの持ってた情報で、人魚族を探しに行ったんです。それがほとんどで」

「ハルティエにも行ったんだね」


 ピクリ、とエバーロッテの眉が動いた。

 ジョシュはわずかに目を逸らす。


「すいません、成り行きで」

「誰も責めちゃいないさ。あの船はシーバルの決めたとこに行く。で?」

「……嫌われちまったみたいでしたが」

「ならいい」


 ジョシュはほっと胸を撫で下ろす。

 

「どういう動きをしたかは良く分かった。だが肝心の目的とかどうなったかとかが書かれてないじゃないか」

「そいつは本人から聞いて貰いたいと思いまして。俺じゃ不十分なとこもあるんですよ」


 そうか、とあっさり認めベッドに移動し腰を下ろしたエバーロッテを見やり、ジョシュは再び安堵すると共にあの出来事を思い出し心に少し火が灯る。


 今なら並び立てるかもしれない。

 あの手を制する事も可能かもしれない。


 そう思ったが振り払う。

 これは偽りの力にすぎない。

 そもそもあれは施しのようなものだったかもしれず、いや、きっとそうだろう。


 手痛い間違いを犯す訳には行かない。

 それに――。


 クロムに傅きたいという気持ちを持ってしまった今、エバーロッテをそういう目で見続ければどんどんただの女としてしか見られなくなっていきそうで怖かった。


 それは避けたい。

 レバイド海賊では在り続けたい。


「今夜は歓迎の宴だよ。ほとんど出払っちまってるから些細なもんだけどね」

「伝えときます」

「それまではルカと一緒に居てやんなって言っといておくれ。頼んだよ」




==============================




 一般の海賊達の居住区とは少し違う。

 長のような特別さこそ無いが、ルカの部屋は幹部達と同じ扱いの場所に移っていた。

 すれ違う海賊達がカツラと眼帯を付けたクロムに目を丸くするのにいちいち言い訳をしながらクロムは歩いていく。


「ルカ」

「クロム……あっ、シーバル」

「いいよ、この部屋の中だけなら」


 苦笑いをしながらクロムはカツラを外すと放る。

 眼帯も外すと、目をパチパチと瞬かせた。


 ルカはあえて待っていた。

 ストレイ号帰還の報を受けたルカに、女達がそうするように言ったらしい。ニヤニヤする男達からそう聞かされていた。


 確かに効果的だな、とクロムは思う。


 キュッと口を引き結んだルカが飛び込んできた。出迎えていればここまで情熱的にはなれなかったに違いない。自分もルカも。


 抑圧からの解放などという高度な理論を女達はどこで学んだのか、女とはそういう機微を自然と覚えていくものなのか、とクロムはまたつまらない事を考えてしまう。


「はあ……」


 クロムの胸に顔を埋め背中に手を回したルカが息を吐く。撫でる髪はサラサラと柔らかく、これからはややバイオレンスな生き方をして行こうと決意したクロムの心を溶かしていってくれた。


「何か変わった?」

「ん……分かんない」


 今野暮な問答をする時間ではない。

 ルカはそう言っているように思える。


 まだ子供、と思ってしまうのはクロムの世界の残滓にすぎないのだろうか。随分と艶めいた雰囲気を放つようになったルカに少し戸惑う。


 この調子ではプラチナにもからかわれるし、メルビオももしかしたら見ているかもしれない。

 そう思うとルカには申し訳ないが甘さより気恥ずかしさが先に立ってしまう。


 どう伝えるべきか。

 メルビオを拒む事は無いだろうと思っているが、人化の説明も上手くしなければいけない。

 それに、何より超上の力をルカの意思で振るう事になる。そこの伝え方をどうするか。


 案外あっさり受け入れるかもしれないとも思っている。しかしそれは戦いへの無知ゆえだ。

 メルビオは了承しているが、ルカがもし怖がれば別の方針を立てなければならない。


 エバーロッテへの説明も面倒だ。

 よもや自分の意思に反してルカから腕輪を取り上げようとするなどとは思わないが――フルクタスの一面を垣間見た今となっては色々と危惧しなければいけない部分も多い。


 柔らかなルカを抱きしめる。

 決意が溶けていってしまいそうだ。

 このままこの島から、この部屋から出て行きたくないと考える前にクロムはやるべき事を済ませてしまおうとそっとルカを引き剥がす。


 が、抵抗し目を閉じ顔を上に向けたルカの愛らしさにあっさり敗北し、唇を重ねてしまっていた。




==============================




 水路を挟む船着場の片側は、クロムが破壊してから使用不能のままとなっている。

 修復作業は始められているらしいが、あれだけ堅牢な岩盤を元に戻すのは難しい。


 そう思っていたクロムだったが、嫌味のようにエバーロッテはそれが可能だと教えてくれた。


 ハルティエの技術。

 レオーネ海賊団に手を借りるのは癪だが、と不機嫌になったエバーロッテからクロムは顔を背け見ないようにしていた。



「ルカは海子みことなった」


 エバーロッテが居並ぶ海賊達に告げる。

 クロム達ストレイ号のクルーだけが一方に並び、レバイド海賊達は逆側に並んでいる。

 あくまで客人扱いである、という意識付けにすぎないが、続けていけば自然とそうなるだろう。


 一人列から離れたエバーロッテの横にルカが立っている。

 そしてもう一人、輝きを放つ少女も。


 人化したメルビオだ。

 

「シーバルの持ち帰った龍神の秘儀によりルカは選ばれし存在となった。レバイドの未来を担う者として、伴侶として、ルカこそが相応しいとアタシが指名した。これよりルカは龍神の祝福を受けた者として生きていく事となる」


 スッ、とルカがメルビオに触れた。

 その瞬間肉を持つ少女だったメルビオが変貌し、更に神秘的な水の彫像へと変わる。


「おおっ!」


 海賊達がどよめく。

 更にルカは右手で何かを受け止めるように宙へと差し出した。そこにメルビオが勢い良く飛び込んでいき、消えた。


「海の女神をその身に宿した。皆、よーく覚えておきな。これからはルカがアタシらレバイドの守護女神だよ」


「海子姫だ……!」

「伝説の……」


 海子姫って何。

 知らんぞそんなの、とクロムは頭を掻く。


 ついでに「とうとうヤッたんだね」とでも言いたげな優しい眼差しでルカとクロムを満足そうに交互に見てくる女達に、違うぞ、と心の中で反論しておく。そこ、肘で突き合って目配せするんじゃない。


「親父の悲願にこんな短い時間でシーバルは一歩近付いてくれた。感謝の宴だ!」

「おお、シーバル! 我らが龍!」

「海子姫!」 


 俄かに熱狂が水路を支配した。

 どうにも海賊達は単純らしい。


 ルカがメルビオをあっさりと受け入れたのも、エバーロッテがクロムの言葉に全て頷いたのも、海賊達のこの反応も、こうまでとんとん拍子だとこれもイベントではあるまいな、と勘繰りたくなってしまう。



 宴が始まった。

 やや釈然としないものを感じるクロムの元にはエバーロッテとルカ、ストレイ号のクルーだけが居る。マーサは早々に引っ込んだ。


「エバーロッテさん、ルイさんには?」

「どうにもならないさ。反対したとも思えないけどね。今日の今でどうやって連絡取るってんだい」

「はあ、怒られないかな」

「大丈夫だよ、シーバル」


 胡坐をかくクロムに寄り添うルカが微笑む。


「つまんない事気にしてんじゃないよ。何なんだい、アンタの煮え切らなさは」

「性分ですかね」

「祀り上げたってルカはルカさ」

「そうだぜ、おめえ」

「酒の席でシケたツラすんじゃないわい」


 うーん、とクロムは唸る。

 海子みこって何、と聞きづらい。

 

 何しろしたり顔でエバーロッテにあれこれとメルビオの事を説明したのは自分だ。

 龍神伝説についても海賊達以上に知識を持っていると吹いてしまっている手前、ここは知ったかぶりをするしかない。


「ルカ、メルビオと仲良くね」

「うん」

「お前さあ……はあ、いいや」


 ジョシュは「曲りなりにも女神とか設定凄いのに何だその安っぽさは」と言いたいのだろう。

 それも分かるがしかしクロムにとってはそんな風に言うくらいしか無い。


 精霊の知識すら持ち合わせないクロムにとって、やれる事など特に無く、メルビオをルカに貸与する以外無いのだから。


 これからは共に生き――みたいな、いかめしい高説を垂れる術を持たない。


 そして所有権に関してもクロムにはちょっと、いやかなり疑問な部分がある。

 メルビオによると、


「創造主となったお前以外への所有権の譲渡など無い。破棄すれば私は海へと還る。その者の元で命に従えというなら私はお前のその命に従ってそうするだけだ」


 という事らしい。

 つまりルカが腕輪を奪われる事でメルビオを失うという心配は無いそうだ。所有権は常にクロムにあり、メルビオはクロムの命に従って顕現し続けているだけという事になる。


 腕輪への出入りは自由だが、所有者の呼び出しがずっと続いている状態になるという事で、ルカが呼び出さずともオートで反撃してくれる。


 寝込みを襲われても安心だ。

 何じゃそりゃ、という便利さ。


 クロムが持っていてもそう命令すればそうしていたとの事。

 尤もこれはディーへの覚醒機会を潰すので有り難さは大分薄れてしまうが。


 それでも一応腕輪は奪われてはいけない。

 霊器に縛られている以上、メルビオは腕輪の有る場所から大きく離れられないらしい。


(どうにも都合が良すぎる。精霊の話は良く分かってなかったけどメルビオはそんな風に言ってたっけ……?)

 

 巻貝は手にするだけで所有権を移せた。

 なのに腕輪は超高性能。

 クロムの望むように設定が目まぐるしく書き換えられていっているような違和感さえ覚える。


 ブラックベルトの補正が受けられなかったりはあるのでそうでは無いのだろうが、何か過剰なサービスを受けているようで釈然としない。


「飲め、ほら」


 ジョシュが差し出した酒を上の空で受けた。

 まいいか。


 これがいつものクロムの結論だ。




==============================

 



 モルデニアス神皇国行きは海底神殿探索の趣旨からは外れた行動となる。

 それでもクロムは真っ先にそこから始める以外無いと考えていた。


 何故ならラストマップと言っても過言ではない国である。最も多くの仲間候補が集まり、レベルの高い敵やキャラクターがひしめき合っていた魔境だ。核心から探るのが手っ取り早い。


 龍神伝説の次なる探索行は一部エバーロッテとルカに預けた。

 ルカ、というよりメルビオの戦力を遊ばせておくという考えはエバーロッテには無かった。


 クロムも反対はしていない。

 ルカが選んだ道でもある。


「大将、酔ったんじゃねえだろうな」


 嵐に対して舵を切り続けるジョシュがクロムを見もせずに言って来る。


「いや、ボーッとしてた」

「ルカの事に気を取られるんなら連れてくりゃあ良かったのによ」

「そっちこそエバーロッテさんのとこに残ったって良かったんだぞ」


 ギョッとしたジョシュが一瞬体を強張らせる。


「何、言ってやがる」

「バレバレだっての」

「……」

「なあ、あの日何かあったんだろ? 最初に出航する前にさ。もしかして寝――」

「おい、滅多な事言うんじゃねえぞ」


 ジョシュは全身を黒い革の装備で覆っている。クロムが追加で与えた装備だ。

 見た目はまるっきりパンクな音楽を好むヤンチャなキッズだが、そういう概念の無いこの世界では「目茶イカす」装備となるらしい。


 モルデニアスにはジョシュのみを伴う。

 見事にブラックベルトを自分のものとしたジョシュは試験に合格だ。

 それに、言っちゃ悪いが多少危険な目に合わせた所でジョシュなら心も痛まない。


 まあ死なないように追加で装備を与えているのだから最低限の礼は尽くしていると言えるはず。


「俺は駄目だよ。ルカを連れてたらそれこそ気が散って何もできなくなるから」

「……何だよ、おめえ」


 ふっ。

 虚勢を張る事に対してこうもあっさり相手が白旗を揚げると逆に負けた気分になるだろう?


 クロムはジョシュを相手にこうしてからかって遊んだりもしている。

 少し、ランダスターを思い出しながら。



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