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モルデニアス神皇国


 落ち着いた風合いの装飾で彩られた部屋。

 ほんのりと見える程度に薄暗い。

 火の落ちた暖炉を背に戦慄く男と、その部屋の文机を挟んで椅子に座る男。


 書斎だろう部屋の壁には本棚がいくつも並び、整頓された分厚い背表紙を見せている。

 椅子に座る男は両肘を机に突いたまま、顎の下で組んでいた手を解き背もたれに身を預けた。


「そう怯えて貰っては困るな」


 溜息と共に吐き出された言葉だったが、両手を握り締め震える男は何も答えない。

 背もたれに深く身を沈めた銀髪の男は再び溜息を付くと椅子を回転させ窓に向き直る。


 雨。


 暗雲が立ち込める夜闇の窓を、しとしとと雨粒が流れ落ちていく。

 几帳面に撫で付けられた銀髪が、闇を背負う窓にかすかに映りこむだけだ。

 精一杯暗闇に抵抗する街灯の光が、この部屋に淡く微かな明るさを届けてくれている。


「ドーネロッティ君だったかな」

「……」


 背もたれの向こうから聞こえる言葉にドーネロッティと呼ばれた男はゴクリと唾を飲み込む。

 肩の部分に硬質な素材を入れて角ばったフォルムを見せる外套が揺れる。


 いつもならその権威で他を圧する軍衣も、この場では何の役にも立たない。

 キュッと凛々しく締められた腰のベルト。

 意匠の施された背中の刺繍。

 肩で広がり、腰から細く膝下までストンと落とされた外套の見目麗しいフォルムも、いつもなら嘆息する者が居るがこの場には誰も居ない。


 背負った十字長剣も同じだ。


 まるで意味が無かった。


「用件は何だね? 私はこれから出掛けなくてはならないのでね。あまりゆっくりもしていられないのだよ、申し訳ないが」

「……こんな雨の中をか」

「無論、そうとも」


 パチリ、と背もたれからわずかに見えた手が指を鳴らす。ドーネロッティの背後の暖炉が音を立て炎を上げ始めた。


 炎に照らされ窓に顔が映る。

 オールバックに撫で付けた銀髪と、切れ長の瞳が暗闇に浮かぶように窓に映っている。

 漆黒のシャツのせいか、首だけが浮かんでいるようで気味悪さを醸し出す。


 この館の主、ルゲイオ・セードリクス伯爵。

 慇懃な物腰と端正な顔立ち。

 申し分の無い貴族の見目をしている。

 この国で指を差せる者など誰も居ない程、完璧な紳士の佇まいをしていると言っていい。


 が、窓に映る目を閉じたその姿は邪悪さと呼べる何かを確かに湛えていた。

 この国でそれは罪そのもの。

 国法に唾する存在だ。


 ドーネロッティは確信していた。

 紛れも無くこの男こそが忌むべき存在、捜し求める全ての元凶であると。

 そしてそれは証明された。


「雨は良い。静かで、それでいて美しく優雅に音楽を奏でる。時に激しく、全てをかき消してもくれる。そう思わないかね?」

「分からないな」

「そうか。時を重ねればその内気付く事もある」


 暖炉の炎のせいか、窓に自分の姿が映っている事にドーネロッティは気付いた。

 暗闇に浮かぶその姿は顔だけのルゲイオより小さく、頼りなく見える。


 しかし同時に誇らしくも思う。

 その右手は背負う長剣の柄に伸びていた。

 十字を描く神聖な柄。

 臆する事無く体が自分の意思を体現してくれている事を確認出来たドーネロッティはほんのわずか、口の端で微笑んだ。



 背後の壁に咲いた花。

 まるで荒れ狂った画家がデタラメに塗りたくったように、濃い真っ赤な血飛沫が広がっている。


 引き返す余地は与えられたような気もする。

 帰るならご自由にどうぞと。

 そんな風に感じただけかもしれないが、ルゲイオは確かな余裕を持って屋敷の門を開けた。


 案内される間も案内されてからも、ずっと引き返す事を促されていたような気もする。

 しかし今となってはもう遅い。

 こうなってしまったのだ。

 屋敷に流れる冷たい空気を警戒するこちらの気配にルゲイオも感づいている、と知っていたとしても、背を向ける事は出来なかった。


「用も聞かずに派手に客人を殺しておいて、俺には何故用件を聞く?」

「豚と会話など出来まい? せめて君には家畜を連れて我が屋敷を訪れた理由を尋ねておこうと思ったまでだよ。飼い主の責任という奴だ」


「その言葉、認めたも同然だな」

「誘導尋問は好かんね」


 ドーネロッティと共に訪れた神官三名は、書斎に案内され口を開く前に、ルゲイオの言葉一つで壁に叩きつけられ弾けていた。


 その瞬間を見た訳ではない。

 振り返ると神官達が折り重なるように壁の一所に磔にされ、頭部を残して無残な姿を晒していたのを目にしただけだ。


「最早会話も必要無いだろう。セードリクス伯爵、今の所業もう言い逃れは出来んぞ」

「誰に対してかね? 君に言い訳するつもりならあんな事はしないはずだ。違うかな」


 ドーネロッティは手に力を込める。

 会話など必要無い、と言いながら話を続けようとしているのは自分だ。

 怯えがロクな結果を生み出さない事など嫌という程承知している。心を落ち着かせる。


「まあ、やめておきたまえと忠告はしておこう」

「どういう意味だ。どうせ俺をここから帰すつもりも無いくせに。ならば俺はやる事をやる他無い」


 やめろ。

 この期に及んでみっともなく逃亡の糸口を探ろうとするな。


 しばらく静寂が続く。


 ドーネロッティは自分に言い聞かせる。

 正体を見せた以上、ルゲイオにこちらを逃がすつもりが無い事など考えるまでも無い。

 だというのに自分は一縷の望みを託して言葉で誤魔化している。しかも虚栄を張りながらとは何事だろうか、と更に口の端を吊り上げる。


 自分を情けないとは思いたくなかった。

 この装備が泣く。

 これまでの気概も嘘になる。

 虚勢でいい。


 覚悟を決め、心を鎮める。これまでの危機、そしてそこを乗り切った際に友と交わした小さな笑いを思い出し、小さく息を吐いた。


 柄を握り締める手に更に力を込め、ドーネロッティは己の心に闘志の火がしっかりと宿り始めた事を意識する。左手で印を切ろうとする。


 そこでルゲイオが声を発した。

 見透かしたように。


「そろそろ出掛けるとしよう」


 暗い窓に赤い瞳が浮かぶ。

 ルゲイオが笑った。

 その口元から覗く鋭い牙。


 ――やはり、吸血鬼ヴァンパイアだったか。


 ニンマリと笑ったルゲイオ。

 小動物をいたぶるのももう飽きた、と言わんばかりの邪悪な波動がドーネロッティに叩きつけられる。それは単に恐怖がそんな風に感じさせただけかもしれないが。






 ルゲイオが文机の上の鈴を鳴らす。

 すぐにノックの音が聞こえ、ルゲイオの返事と共に部屋の扉が開き、使用人と思しき男が顔を覗かせる。


「片付けておけ。特に掃除は念入りにな。匂いを消すのも忘れるな、臭くてかなわん」

「かしこまりました」

「では出掛けてくる」


 細くサーッと降り注ぐ雨の音。

 止みそうな気配は無い。




==============================




 郊外にあるかつて宿だった建物に、二人の冒険者風の男女が居た。

 一人は椅子に腰掛け、もう一人は窓から見える景色を腕を組んでじっと眺めている。


「ネロが消えた。三日経つらしい」

「教会からは?」

「何も。むしろあっちから情報を催促される始末だ。こっちこそほとんど何も聞かされていないってのにな」


 明るい日射しが降り注ぐ玄関から続く小道。

 腕を組んでそこを眺めるともなしに眺めていた男は、そこに二頭の馬を駆る女達の姿を見つけ穏やかに微笑む。


 が、すぐに表情を引き締めた。


「エラ。二人は知ってるのか」

「言うはずが無いだろう」


 男の名はリッツ。

 ランダスターの剣術教師バルドーの元パーティーメンバーだった冒険者。

 引退せずに現役を続けている。


 女の名はアウヴィエラ。

 同じくバルドーと共に時を過ごした女剣士だが、こちらは引退し隠居生活を送っていた。


「ただいま戻りました――あっ、リッツ先生! お戻りになられたのですね」

「ああ。さっき来た所だ、エファ。マリートも元気そうだな」

「馬が繋いであったからもしかしたらと思ったんですけど」


 買い物の荷物を抱えたエファとマリーが華やかな笑みを部屋にもたらす。


「エラ先生、これはどちらに運んでおけばよろしいんですの?」

「台所にそのまま置いておいて頂戴」


 エファとマリーがリッツとの再会を急ぐべく、小走りに台所へと向かう。

 師の言いつけを守るのが先だ。

 リッツとアウヴィエラは互いに「分かってるな」と言わんばかりに目配せを交わし、ドーネロッティの件には触れないでおこうと無言で確認し合う。


 聞かせていい話では無い。

 聞けば二人の性格からして黙ってはおかないだろう。動くなと命じれば無茶はしまいが、ドーネロッティが消える程の事態からは二人は少しでも遠ざけておきたかった。


 可愛い愛弟子達だ。

 それも自分達には無かった輝きを持っている。

 特にアウヴィエラにとっては妹とも娘とも思える程、今では大切な存在となっている。



 ここに二人が来てからしばらく、悠々自適の冒険者生活を送っていたリッツはバルドーの寄越した生徒という興味もあり、アウヴィエラと共にエファとマリーに稽古を付けていた。


 最初は遊びのようなつもりだった。

 流石にバルドーが太鼓判を押しただけあり、アウヴィエラでさえ舌を巻く程の実力を既に身に付けていたが、リッツからすればそれなりといった感じ。


 攻撃的な編成だったバルドーとのパーティーでは三人共に前衛を務めていたものの、アウヴィエラとバルドーはリッツの弟子とも呼べる立場であり、双剣使いのリッツは一段上の高みに居た。


 そんなリッツからすればエファとマリーの才能でさえ壁の内側に居る人間のそれであり、鍛えればそれなりにはなるだろう、程度の感想でしか無かったのだが。


 稽古を付けていく内に何故バルドーが、アウヴィエラが、後進を育てるような真似に本気になるのか頷かざるを得なくなっていった。


 楽しかったのだ。

 それはもしかしたらリッツが歳を取ったせいという事なのかもしれないが、とにかくアウヴィエラだけでなくリッツも師としての自覚を持った。



 リッツにとってはいわば孫弟子とも言える。

 繰り返すが最初はそんなつもりではなかった。


 しかしアウヴィエラが二人に才能の輝きを見たように、リッツも同じものを感じた。

 彼にとっての輝きとは才能というよりは若さの輝きとでも言うべきものだったが、新たな生きる楽しさを教えてくれたエファとマリーに、今では恥ずかしながらも愛情を感じている。


「リッツ先生、今度はどれくらいこちらにいらっしゃるんですの?」

「うん? そうだなぁ、まあ――」


 リッツは目線をあえてアウヴィエラから外し考えるような素振りを見せる。

 ドーネロッティも元パーティーメンバーだ。到底無視は出来ない。


 アウヴィエラは優れた剣士だが、彼女以上の実力を持ち、現役の軍人だったドーネロッティが実力者の神官三人と共に消えたというのはこの治安の良い国では尋常ではない。


 リッツ自身で動くつもりでいる。

 ドーネロッティは四人目の前衛でもあり死線を共に潜った友人でもある。


「分からんな」

「そうですの」


 エファはよりリッツの薫陶を受けている。

 マリーは魔女と呼ばれたアウヴィエラの多彩な戦闘術、投擲術も含めたスタイルを学んでいるが、エファはリッツの双剣を早々に請うた。


 リッツ不在の期間もアウヴィエラ指導の下それを磨いているが、直接学びたいのだろう。

 身を寄せる直接の師であるアウヴィエラの手前はっきりそうとは言わないが、若さ故かその態度は言葉よりも雄弁にそんなエファの気持ちを表しており、二人の師は苦笑する。


 その素直さが可愛くもあるのだ。


「数日はゆっくりするさ。どれぐらい腕が上がったかはきちんと見てやる」

「リッツ先生、エファは大分腕を上げたんですよ。もしかしたら負けちゃったりして」

「はは――そいつは楽しみだな」


 冗談とはこの場の誰にも分かる。

 リッツには三人がかりでも敵わない。

 が、リッツは不意に本当にそうなったらいいな、と何故かそんな事を思ってしまった。

 それが年甲斐も無い事なのか年相応なのか、リッツには分からなかった。

 



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 モルデニアス神皇国。

 エジール大陸最大の国家であり、世界最大の領土と富を有する国でもある。


 <神都フラム>と呼ばれるイリアス教会が総本山を構える都市、<皇都セラス>と呼ばれる皇帝が居を構える都市、二つの首都を持っている。


 教皇と皇帝は厳格な掟に従いそれぞれの領分を守っており、そこに対立や諍いがあった歴史は無く、平穏と繁栄に彩られた国家運営を行ってきた。


 最も優れた法治国家と呼ばれる。

 

 その施政は強固な規律を守る為の軍事力と、国民の安全を約束する警察力を始め、様々に考え抜かれていた。綻びの無いその制度を他国もどうにか真似ようと試みてはきたものの、未だその境地に至った国は一つたりとて無い。


 国に根付いた信仰心が違う。

 それがモルデニアスを支える全ての根源だ。

 政治に腐敗が無い。


 かといって宗教色が強いかというとそういう訳でもなく、モルデニアス国民の信仰心とはイリアス教会の奉じる平等と自由と平和、そういった倫理観とでも呼べるものだと説明できよう。


 高度な教育の賜物でもある。

 幼い頃から生活と教義がピッタリと無理なく重なっており、自然と信徒を育ててゆく。

 平和が更なる繁栄を呼び、培った信仰心がまたその螺旋を繰り返してゆく。



 神官、騎士にも困らない。

 平和の導き手と守り手。

 当たり前のように多くの者がそれを志し、他国とは一線を画する絶対数を誇るため、自然と優秀な者が生まれる確率も高いのだ。


 自由を標榜するだけあって冒険者の数も多い。

 まさに近代的な理想の国家といえる。

 全てが革新的な国であり、平等と自由と平和は商売をする者から罪を犯す者に至るまで、満遍なく降り注がれていた。




 そんな国にあるひとつの街、メイレイをリッツは歩いていた。

 腰の両側に提げた双剣、軽い革の胸当て、厚手のズボンにシャツと軽装で歩いている。

 やや角度を付けて携えられた鞘のおかげで歩きにくいという事もない。


 軽やかな足運びで歩いていくが、右手が右腰の剣の柄を時折押さえるのはひとえに本人の癖であり、決して何かを警戒しているとかそういった訳ではない。


 ――なかなか様になっている。

 本人はそう思っているのだが。

 かつての仲間からは時折窘められた。

 街中で剣に触るのは悪い癖だ。


「いらっしゃ――おう、戻ってたのか」

「帰ってきたばかりさ」


 一軒の武器屋に入ったリッツに店の主人が声を掛ける。カウンターに肘をついたリッツは手振りで何か持って来い、と催促した。


「お待ちかねか」

「当たり前だ。はっきりいって気が気じゃなかったね。ずっと素っ裸で歩いてた気分だ」

「そりゃあ罪深いな」


 武器屋の主人が声を上げて笑う。

 待ってろ、と言い残し奥へ消えていった。


 やがて一振りの剣を携えて戻ってくる。

 布に包まれたその剣は、柄だけが顔を覗かせていた。重厚な装飾の施された業物だと、見る者が見る者ならそれだけで分かる代物だ。


「洗礼には俺が直接行ったが、随分吹っかけられたって気がするな。まあそんな事は無いんだろうが、コイツはやっぱりとんでもなかったって訳だ」

「首尾は?」

「勿論お墨付きさ」


 リッツは愛剣を布から引き抜く。

 まばゆい光を反射した刀身にリッツの姿が映り、そのまま横へとスライドしていった。


 あやしの剣、と言われていた。

 魔剣である。


 持ち主を血を好む性質に仕立て上げるなどと曰くつきだったが、リッツは一度もそんな風に感じた事は無い。きっとこの剣の性能に溺れる者にとってそうなだけだ、と思っている。


 それでも魔剣としての価値を失うかもしれない賭けに出たのは、自分でも想像だにしなかった理由からだ。一生、誰にも言うつもりはない。


 多分賭けには勝ったと思う。

 試しは必要だが、確かに以前と同じ何か力のようなものを感じる事が出来る。

 切れ味もきっと落ちてはいないだろう。


「いくらだった」

「裸で帰る覚悟は出来てるか」

「うまい事言ったつもりなら残念だったな。稼ぎは上々だ。お前こそ店を失う覚悟しとけ」

「ふん、お前如きに買い上げられるか」



 神都フラムで行われる浄化の値は、それに掛かった時間と労力に比例する。

 武器などの洗礼で莫大な金額が掛かるというのはそう滅多にある事では無い。


 だが、都合が良かったなとリッツは思う。

 多分洗礼に出された魔剣の存在は教会上部にも伝わっている事だろう。


 当然リッツのものだと把握したはずだ。

 ネロの件で接触してくるに違いない。

 これまで拒んできた神官騎士への任官受諾のように向こうは見ている可能性がある。


 騎士に関しては未洗礼魔剣の所持は認められていない。

 何度も勧められてきたしつこさに負けたと思われるのは癪に障るが、どうでもいいな、とリッツは愛剣を軽く振った。


「柄はいいのか」

「お前もそんな風に思ってるのか?」

「悪い話じゃないだろう。むしろやるべきだ」


 やるべき、か。

 リッツは一度だけネロに同じ事を言われた事を思い出す。クソ真面目な男だった。


(俺はお前のようには考えられん。騎士も魔剣もそいつ次第だよ。洗礼を受けようと使い方を誤れば魔剣と同じだし、騎士であろうがなかろうがお前は何も変わらなかったじゃないか)


 リッツは連絡が途絶えたネロとすれ違った最後の会話を思い返す。

 病を患い療養するアウヴィエラが居なければ、もしかしたら隣に居た未来もあったかもしれない。




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