精霊の形 3
クロムとサム、プラチナが見守る中、ウンディーネとメルビオだった水の塊は一つになっていく。
蠢いていた水は徐々に球体へと近付いていき、やがて安定した。
直径二メートルと少しの水玉は宙に浮かんだまま静かに一切の動きを止めている。時折小さく、中心から細かな泡を発生させるだけだ。
その水玉の中心にうっすら人影が浮かぶ。泡が生まれる毎に、形を持った水の中の水がはっきりと人型を象っていく。
メルビオでもウンディーネでも無い少女が生まれようとしている、とクロムは思った。
膝を抱いた胎児は充分成長している。
その髪もなびき、手足も伸びきっている。
赤子ではない、十代の少女だ。
細かな気泡が周囲を立ち昇っていく。
「神秘的じゃの」
「ああ」
そのまま三人が見守る中、長かった気泡の発生間隔は徐々に短くなっていった。
泡と共に色付いていく少女の姿。
水玉が鼓動しているようにも見える。
生命の誕生とは大げさにすぎるだろうか。
発泡酒のように細かかった泡はどんどん大きくなっていき、今やダイバーのマスクから漏れる程の大きさの気泡になっている。
その発生間隔が不意に一気に短くなり、水玉全体に溢れ、少女の姿を覆い隠す。
バシャン。
沸騰したかの如く激しく気泡が立ち昇るようになった水玉が弾け、少女が姿を現した。
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その姿はメルビオに近い。
が、より生々しさが感じられる。
透き通ってはいるが、キリリとした眉も鼻梁も、睫毛すらも確かに見て取れる。
メルビオだった時より背は縮み、若返ったようにも思えるスラリとした少女はゆっくりと岩礁に降り立ち、真っ直ぐにクロムを見据えた。
「我が名を告げてほしい。我が創造主よ」
創造主だと、俺が、と一瞬戸惑ったクロムだったが答えなければいけないような気がした。
どの道他の誰も返事を返そうとする気配が感じられない。
「メルビオ」
「いいのか、それで」
「ああ」
「そうか。私は変わってはいないのだな」
クロムはサムを振り返る。
「大丈夫だよ。彼女はメルビオさ」
「人格が消えちまったのかと思った」
「私は変わっていない。いや、変わったのか」
「そうだね。不思議だよ、僕にも。海の守護乙女とも違う存在になったみたいだ」
「そうなのか?」
「うん……何だろうね? 分かんないけど」
生まれ変わったメルビオは不思議そうにその会話を聞いている。
自分の手足を眺め、何が変わったのだろうと自分自身でも確かめているように見える。
「それで、アンチ・リヴァイアサンの存続問題はこれで解決したって事でいいんだな」
「そうなるね、助かったよ」
「じゃ後は人魚族に何て言うかか」
「お主ドライじゃのう。生まれたばかりの娘をないがしろにして放っておく気か」
その言葉にクロムはメルビオに向き直る。
「メルビオ、何か問題は?」
「いや、何も無い」
「腕輪が霊器になったって事でいいんだよな?」
「私の、という意味ならその通りだ」
メルビオは全てを知っているのか、まるで元々最初からそうであったように淀みなく説明していく。
腕輪の中に住み、名を呼べば現れる。
巻貝の笛と何ら変わりは無いと。
「呼んでみて欲しい」
一条の水となりメルビオが腕輪に吸い込まれるように消えていった。
もう消える際に水を撒き散らしていく事もなくなったらしい。音も無く吸い込まれていった。
「メルビオ」
即座に腕輪から逆再生のように水が流れ出し、メルビオの姿を形作る。
出現する際の水の媒介も必要としていない。何故だか魔力の減少もなくなっている。
ゲームのイベントの一環で出てくる魔術師の台詞にテキストがあったな、とクロムは記憶を思い起こす。きっと魔力召喚と儀式召喚の違いが何たら、と言っていたそれだろう。
「へえ、ウンディーネに近いんだね」
「そうだ。私は水から呼び出される存在では無くなり、水と共に在る存在となった」
「にしては変な感じなんだよなあ」
「どういう事だよ、サム」
「うーん……何て言うんだろう。なんか、精霊っぽくないっていうのかなあ」
何だそりゃ。
こんな水の彫像が精霊っぽくないとは到底思えないぞ。どう見たって精霊って感じしかしない。
そう思ったクロムだったが、次のメルビオの言葉と変化にぶったまげた。
「それはこういう事か」
全てが水で出来ていたメルビオの体が、発光と共に変化する。景色を遮る、紛れもなく肉を持った体へと。
波打つ水色の髪に白い肌、青い瞳。
ほっそりとした、プラチナが成長したらこうなるのではと思うような肢体を持つ、年の頃十二、三歳程の人族の美少女がそこに居た。
素っ裸で。
「うわ……君、どうしちゃったの?」
「私は半霊半人となった」
「え、何それ」
「そうだとしか言えない。何故かは私にも分からないが、別にどうという事もない」
目に毒、という訳でもない。
メルビオは確かに美しい人間の少女そのものだが、まるで性を感じさせない。薄い胸の膨らみも腰も、全てが白磁のような透明感を持っている。
芸術品を眺める感覚に近いか。
「これは驚いたのう……」
「何か分かるか」
トコトコと近付きメルビオを見上げたプラチナにクロムは尋ねる。
「この娘、確かに人族になっておる。お主の今の姿に近い。何とも、これはビックリじゃ」
――人化。
そういう事なのか?
「プラチナ、ちょっと」
クロムはプラチナを呼ぶが反応せずにメルビオを観察していたので、ガッシと抱え上げサムとメルビオから離れた場所へ運んだ。
「持つでない」
「どういう事だよ」
「知らぬわ。わらわとて驚いておる」
「人化って竜人種の固有コマンドじゃないのか」
「だったはずじゃがの。お主、腕輪を通じてまぐわったのではないか」
「馬鹿言ってんじゃねえよ」
クロムはチラリとメルビオの方に視線をやる。
困惑した表情のサムと何やら堂々と話しているが、メルビオはメルビオと二人は言っていた。
ならば気にする必要は無いのかもしれないが、無視するには大きすぎる。
「精霊戦士だったのが精霊と融合したかどうか知らんけどそんな感じになって、そしたら人化まで出来るようになりましたって流石にワケ分からなさすぎて死ねるわ」
「じゃから知らぬと言うに」
「ゲームだったら特に何とも思わないかもだけどさ。目の前の現実として立ち会うと理解を超えすぎてるんだよなー。そもそもこんなイベント俺の知ってるゲームには無いし」
「最初から違ったであろうが。何を今さら」
それもそうだけど。
はあ、とクロムは溜息をつく。
別にメルビオがどういう存在になろうと関係は無い――まだそこまで深く関わった訳でもない。
ただ以前のメルビオの存在自体、元々寝耳に水だったのに。この世界に未知の存在が次々に現れるというのは、どうにも不安が募る。
こんな調子ではこの先何が出てくるか。
「ハードモードだな、ほんと」
「そう思えば気にもならぬじゃろ。お主にディーの力ある限り安泰には違いなかろうし」
いや、どうだろうか。
ハードモードというよりリメイクだ、これじゃ。
ニューゲームですらないんじゃないか。
一体人化したのはどういう訳か、考えた所で分からないしプラチナも役に立たない。ひとまずクロムは二人の元に戻る。
「メルビオ、とりあえず何か着ようか」
クロムはインベントリから適当な衣服系の装備を取り出して手渡そうとする。
が、断られた。
言葉ではなく、クロムの装備コマンドと同じような、空中から何かが集まるように体を装備品が覆うという行為によって。
特に何かした訳でもない。
メルビオの全身はクロムの呼びかけの後一瞬青い霧に包まれ、その体にピッタリとした細身の鎧を纏っていた。
体の線をなぞるようななだらかな胸甲と肩、露出した二の腕を挟んで肘から先の篭手。
白い縁に覆われたそれらは薄水色の滑らかな金属で出来ているように見える。
腹部は鱗状の銀の帷子だ。
同じく薄水色のミニスカート状の腰部分も同じ金属か。細く締まった太ももは二の腕と同じく露出しているが、膝から下は純白の鎧靴を履いている。
頭部は額に菱形の額冠が巻かれ、耳の上から羽根飾りが突き出していた。
その姿は凛々しさと神々しさを感じさせる。
クロムが見てきたどんな冒険者の姿からも想像し得ない、最上級の予想でも追いつかない程のオーラを纏っていた。
目を釘付けにされる存在感。
そこに光がたゆたっているようだ。
「これでいいか」
「そんな事も出来るのか」
「水から造る戦乙女の鎧だ。多分人間で言う所の精霊魔術に近い力だと思うが」
「すげ。ていうかそんな知識もあるのか」
頭も良くなっているのか元々そういう知識を持っていたのか。人間の精霊魔術にも通じているとは驚きだ。高次元の存在へと昇華したのかもしれないが、俄かには信じ難い。
「精霊魔術の事を言っているのだとしたら当然だ。我々が司る力の理を知らぬはずもあるまい」
「へえ」
今度から人化状態になる時はその格好で出て来いよ、と釘を刺しておく。
素っ裸の美少女姿で出てこられては色々と余計な問題を招きかねない。大きなお友達に目を付けられる危険性がある。
「詠唱も無いんだな」
「我々は詠唱を必要としていない」
「我々って事はメルビオは自分が精霊だと自覚してるんだな」
「当然だ。この姿は仮初にすぎない」
ううむ、とクロムは唸る。
全くのアンノウンの到来である。
メルビオがどの程度の力を有しているのか知りたい所だ。しかしながらそれを測るのは難しいだろう。雑魚モンスターを狩らせた所で大物のエンカウントが有るかどうか、それにそういう事態になればストレイ号を危険に晒す事になる。
戦闘力を試す為に実験的に危険海域に飛び込む訳にも行かない。
「海の中では無敵って言ってたよな。以前と比べて力は増したと思う?」
「ウンディーネと一体になった事で権能は増した。だが無敵というのは何だ?」
「え……誰にも負けないって事かな」
「難しい質問だ」
「シーバル、メルビオが無敵っていうのは不滅って意味だよ。言葉の綾さ。本来精霊は意思を持って戦ったりはしないからね、だからメルビオの……説明が難しいな」
サムも頭を掻く。
何となくは分かる。
肉体の消滅という脆弱性を持たない精霊に戦士としての役割を持たせればそれは強いだろう。
存在の消滅は有るようだが、生半な物理的要因でそれが可能とも思えない。
何しろ海を構成する全ての水が支配下にある。無限に力を生み出すともいえる精霊がその意思を持って力を振るえば、海中のどんなモンスターも太刀打ち出来る道理が無い。
ネプチューンは摂理を捻じ曲げたとも言える。
自然が意思を持って襲ってくるようなものだ。
「まあいいや。メルビオ、とにかくこれからは腕輪の所持者に従って動くって事でいいんだな」
「無論だ」
「サムもそれでいいんだよな?」
「問題ないよ」
「じゃあ後は人魚族に何て言うかだな」
思わぬ強力な武器を手に入れた。
仲間、としてもいいが戦力的にも使い勝手でも間違いなくそれより上位の存在だ。
「ちなみに陸上ではどれくらい戦えそうだ?」
「水の精霊力に依存する」
ウンディーネの特性と同じか。
海だけでなく水にも適応したのだろう。
本人から話を聞いた感じ、そしてクロムの持つラストバトル近辺の知識を照らし合わせた上での感じでは最終レベルの敵に対する陸上の運用は難しそうだが、海上の戦力としてはこの上ない逸品と言っていい。
どころか海中への案内も船の操船も任せられるとんでもキャラとして存在している。
正直海底神殿の宝などより遥かに価値が有る。この世界がどういう世界か、クロムは何となく予感を覚える。
――より無慈悲な世界。
リヴァイアサンの目覚め。
ネプチューンの造った対抗兵器。
今までの数々のイベントからも分かる。
人間はゲームで定められた規律によって守られていたが、それはもう無い。
死という観点からは生き返る術を失い弱体化した人類。危惧通り勇者が討伐するだけの存在だった超級のモンスターや悪魔が暴れ回る世界になれば地獄だろう。
事実デルスタットは二度もその危機に晒されているのだ。
クロムが居たからとも言えるが、当のクロムが本気で勇者業をしようと思っていない以上、いずれ悲劇は起こる。
未知の存在であるメルビオがその象徴。
ストーリーも登場人物もアイテムすらももしかしたら変化しているかもしれない。
仲間キャラだった者ではエバーロッテにしか出会っていないが、レベルアップを失った彼女にどこまで戦えるだろうか?
(考えなきゃいけないな)
根幹からしてディーの物語ではない。
クロムの物語だ。
あくまでディーという能力を持った人物、それもショボい能力の勇者の道から外れた人物のストーリーでしかない。
ゲームとはそこがもう違う。
数年後に予定されているはずの魔王イベント攻略を今の内から考えておかなければ、悠々自適なシナリオどころではないかもしれない。攻略知識が役に立たない可能性を突きつけられてしまった。
何故ならメルビオはどう考えても超越者だ。
この世界で出会った誰とも一線を画している。
はっきり言ってディーに近い。
そんな存在が目の前にいる。
クロムの望んだリアリティーの弊害として、超自然的存在と人間の力がひどく乖離してしまっている。一人超越した力を持ってしまっているせいで、それが良く見える。
メルビオという異質な存在に出会ってクロムは自分がどういう生き方をしていくのが良いか、再び疑問を覚えた。
のんびりしていくのもいい。だがその先に荒野の世界が待っているのは望まない。
仮にそういうハードな戦いがクロムの居る場所にしか発生しないのだとしても、それに追われるのもごめんだ。
人類には滅びて欲しくない。
脅威はきっちり跳ね返して欲しい。
それが可能かどうか、行く末がどうなるのか、この世界の現状をもっと知る必要がある。
(バルドーにもっと色々聞いておくべきだったな。ガーハッドがこの世界の頂上クラスだというなら絶望的な世界に来た事になる)
そんな世界は望んでいなかったはずだが――いや、自分は自分の事だけを考え、ゲームとして他者の命まで考えた訳ではなかった。
モブなどどうでもいいのだろう?
意地の悪いあの神ならそう言いかねない。
「シーバル、それでどうするんだい?」
サムの声に我に返る。
「ああ、どうすっかね」
「サンドラを説得するのは協力できないよ?」
「分かってる」
それが偶然でも予定されたシナリオでも、メルビオという力は十全に使わせて貰うべきだろう。
ディーの力を自在に使える訳では無いクロムにとって、自由に召喚できる超強力な従者はこの上なく頼もしい。
軋轢どうこういうのであれば、ねじ伏せてしまう事も厭わない方向で考える方がいいか。
クロムは逡巡する。
メルビオに関しての迷いはもう無い。
後始末をどうするか、だ。
「良い顔をしておるのう」
「うるせえ」
「シーバル、さっきも言ったけど」
「それも分かってる。殺したりはしない」
さてさて。
納得行く交換条件でもあればいいな、とクロムは一度メルビオを腕輪に戻した。




