精霊の形
チャプチャプと、揺れる水が波止場の壁にぶつかりどこか懐かしい音楽を奏でる。
潮の香りがするストレイ号の甲板は、クロムにとってもうすっかり落ち着ける場所だ。
「ほら、これ飲むとスッキリするから」
「ありがとうございます」
マーサが熱々の薬湯をクロムに差し出す。
ズズッとそれを啜り、二人はレオーネの元へ出向いているウリとダリを待つ。
やや遠くに見える造船街で働く屈強な男達の姿と、水路をひっきりなしに行き交う荷を積んだ小舟を眺めながら、クロムはどうしようか考えていた。
巻貝の笛を所持している事を誤魔化すという考えは消えている。
メルビオの口から必要な事を言わせ、その反応次第でどうするか決めるつもりでいた。
ただストレイ号をどこまで伴うか。
サンドラの反応が芳しくないものであれば、笛を渡すつもりはない。
例え敵対する事になっても。
どう考えても相手を納得させるだけの口上は思いつかないし、それで襲われたとしてもやむを得ず、とそう考えている。
しかしその場合クロムはいいがストレイ号が危険に晒される羽目になる。
事前に全ての状況説明をし備えておくよう言っておいた方がいいとは思うものの、メルビオに肩入れする個人的な理屈でクルーを危険に晒すかもしれないのだ。
メルビオの価値は高いとはいえ、龍神の秘宝に関わる部分ではどっちでもいいはずだ。
もしレバイド海賊達に会議をさせれば、そんなリスクを負うより悲願達成を考え安全策を選ぶ可能性だって高い。
人魚族の宝、依頼の品の横取りはどこからどう考えても筋は通っていないし、クロムの私的な采配は決して賢いとはいえないだろう。
そんな考えでいるのに備えておけ、と言うのはいささか理不尽な命令ではなかろうかと、そう思い悩みまだ迷っている。
多分ただ一言了解、と言うのだろうが。
それもまたクロムを悩ませる要素だ。
ジョシュがいれば反論も言ってくれるかもしれないのに、と思ってしまう。
「おや、眼帯どうしたんだい?」
メルビオに貰った酸の一撃で少し溶け、黒い眼帯の表面がかすかにザラついていた。
「ちょっと傷付けちゃっただけです」
「ウリに言えばまた用意するからね」
穏やかなマーサの言葉。
昨日の分も含めて出航してからのストレイ号の行動がどんなものだったかを、クロムは改めてマーサから聞く。
「じゃあしばらく休養も兼ねましょうかね」
「いいんだよ、こっちは船の生活は慣れてるんだから。何年だって構いやしないさ」
そうは言ってもジョシュ以外の三人は船を降りて久しいはずだ。
こうしてマーサと話さなければ気付かなかったかもな、とクロムは心に留める。
その内ウリとダリが戻ってきた。
「お前さん随分嫌われちまったみたいだのう」
「まあ、あの気性だからな……気にすんな」
ウリとダリが何を言われたかは分からないが、弁解するつもりはない。
エバーロッテを悪く言われた事も、それに対して何も言い返さなかった事も言いたくなかった。
知り合いのようだったし、所詮部外者のクロムが不和を生むのもどうかと思う。
流石にエバーロッテをああいう風に言われたと知れば二人も黙っていないだろうし。
第一レオーネはクロムの臆病さを嫌ったのだ。
それについてはそう思わせておけばいい。
「えっとですね。ストレイ号はここだったら預けて三人とも下船できますよね?」
「まあそりゃあな」
「ちょっと一人で人魚族のとこに行ってきますので、戻るまでここで待機という事で」
「何でじゃ?」
「色々と事情が。あ、どんなのでもいいんでボートとか借りられます?」
「それなら容易いが」
ストレイ号に積んである小型ボートは人魚族に襲われ失うかもしれないので使いたくない。
厚かましいがボートは借りていく事にする。
「一日かからないとは思うんですけどね」
「うむ……まあお前さんが特別な事は知っとるでの、あれこれ言うつもりは無いんじゃが。ワシらの事は気兼ねなく使ってくれて構わんからな」
「はい」
こうしてクロムは一人、ウンディーネに命じ岩礁地帯まで赴く事にした。
メルビオに命じた方が消耗も無いし海なら適任なのだが、話もしない内に我が物顔で使役して乗りつけるのは流石にためらわれた。
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波を切り、クロムを乗せたボートは全く揺れもせずにスムーズに進んでいく。
ウンディーネの力だ。
波を切ると言ったが実際は不思議なもので、クロムが感じている感覚を言葉にすれば、高速のベルトコンベアで運ばれていくという方がピッタリだろう。
海面がボートの影響を受けている気配が無い。
ウンディーネに命じてからは、確かに視覚では波を掻き分けているのにその感触が一切伝わってこない。海面から浮き上がるジェットフォイルでもここまで無振動のものなどないだろう。
海上リニアとでも言うべきか。
浮かんではいないのだが。
「ウンディーネ」
「なあに?」
「波飛沫も起きないのはわざと?」
「……? 押してるだけよ?」
主語を言え、と思うが無駄だろう。
メルビオのように難解な説明を色々としてくれるのも困るが、感覚で理解していくしかない。
精霊学を最初に修めた人間はきっと本当の天才だったか狂人だったかのどちらかだ。
「俺の事覚えてる?」
「どこかで会ったかしら?」
この辺が何とも気持ち悪い。
覚えているというか知っているような口ぶりをしたりもするのに、こうして健忘症を患ったかのようにとぼけたりもする。ええ、と答える事もあるのだ。質問の仕方が同じではないからかもしれない。
腕輪に住む精霊はメルビオとは違うのか。
彼女の説明ではもう一つ理解に至らない。
ファンタジー世界に飛び込んだのだからそうあるべき部分、むしろ歓迎すべき要素だとも思うが、ゲーマーとしては分かっていたつもりでいた精霊という奴がこんなにも理解できないものだったか、と無駄と知りつつも挑戦してみたくなってしまう。
望みは薄いが理解に至れば精霊魔法をクロムが習得できるのでは、という期待もある。
だが覚えればいいだけの詠唱と違い相互理解は困難極まる。皆こうして努力しているのか。
快速船はストレイ号に倍する速さがあったかもしれない。岩礁地帯が見えてくる。
「岩にぶつからないようあそこに着けてくれ。ボートも流されないように上に置いて」
岩場に近付くとググッ、と船体が持ち上がる。
切り取られたような不自然な波がサーフィンのようにボートを持ち上げ、ダプン、と岩礁地帯の真ん中辺りまでボートを運んだ。
岩と船底の間に、クッションがわりか粘度の高い水の塊を挟んだまま着地した。
「ありがとうウンディーネ」
「じゃあね」
正直低位精霊としか考えていなかったウンディーネがここまで万能の力を有するようになっていたのは驚きでしかない。
ゲームではショボい魔法を使う以外はイベントでしか出番が無かったのだが。
ボートを運んだ力も、最後持ち上げた力も魔力魔法では成し得ない力強さを感じた。
ランダスターは――というか大概の学校がそうでむしろ補助魔法クラスがあるだけでも選べるクラスは多いと言えるが――精霊魔法科や神官クラスなど、全ての職業を網羅している訳ではない。
ゲームでも精霊魔法を覚える事のできるジョブは初期職業の中には無い。
魔法系を育てていく中で選択肢として出てくる中位寄りのジョブだった。
この世界でも精霊魔術師になるのは極めて困難らしく、そもそも学校というよりはより専門的な場所、私塾や特別な施設でなければ習得は叶わないといつだったか聞いた。
神官もそうだ。
ゲームでは派生していく中で別れていきはするものの、それ程差別化されているかと言われると重なっている部分も多かったが。
ヒーラーとして薬学や医術を学び回復魔法を修めれば僧侶として認められるようになる。
が、神官魔法は教会に入信して何やら信仰とかそういったものに触れる必要があるらしい。
どちらが上、という上位ジョブ的な概念は無いようだが、系統としてははっきり別れている。
この辺は面白い。
クロムの認識に合わせてよりリアリティーを持たせた仕様になっている。
学ぶ教材も無かったのであれだが、機会があれば仕組みには触れてみたい。
さて。
覚悟を決めるか。
クロムは争いになる事も想定してサンドラから渡された人魚族を呼び出す笛に口を付けた。
甲高いホイッスルのような音が鳴り響く。
と思いきや、息を吸い込んだクロムが吐き出す前に、ズバッと海面から何かが飛び出した。
逞しい体に緑の髪。
サムだった。
高く飛び上がったサムは宙で見事な前方三回転を決めクロムの前に着地する。
「ういーす」
「ども」
「めっちゃ早かったねー」
「まあ、はい」
「堅いな~。敬語なんかやめよう」
「あ、じゃあ……」
「見せてよ」
サムの出現と同時に、背中に回した手にインベントリから巻貝を出現させていた。それを見せる。
「おー、これこれ」
「サムって何者? 人魚族じゃないんでしょ?」
こいつが魚人族、とかいうんじゃないだろうな。
「やっぱ気にしてんだ~」
やっぱって何。抱いて当然の疑問にやっぱりねとかしたり顔で言われると無性に腹が立つ。
「ていうか答えなかったのそっちでしょ」
「焦らしプレイ? ぷぷぷ」
「……」
「まあさあ。後で教えてあげるけど、こっちも聞きたい事とかあんだよねー」
よいせ、とあぐらをかいたサムが手招きしクロムも座るようにと誘う。
クロムは丁寧に巻貝の笛をそっと横に置くと、サムと正面から対峙した。
「笛、吹いてみた?」
「……ああ」
「じゃあメルビオと話したんだ」
「話した」
「どうだった?」
「どうって言われても。色々聞いたけど」
笛が奪われた経緯や、メルビオが置かれていた状態などを話していく。
クロムとしてはそこから自分がどうしようと考えているかを話す前に、それでサムがどんな反応を見せるのかが知りたかった。
だがサムは今一つはっきりした意志を見せず、へえ、と頷いてただ話を聞くだけだ。
ふんふん、としっかり相槌は打つものの、その態度はどこか「どうでもいいよ」と言っているように思えて仕方ない。
人魚族と敵対する事になってでもメルビオを味方に付けるつもりだと、そこだけを言わないままクロムが話し終えるとサムは腕を組み、あどけない笑顔でクロムを覗き込むように体を曲げ首を伸ばした。
「彼女美人だったでしょお!?」
「いや、それは……うん」
マイペースというには不自然な程に話をはぐらかしているように思える。
大体メルビオは隣に居るのだ。流石に「は? どこが?」などと言う気にはなれない。
多分美人なのだろうが、彫刻としての美しさは感じるものの、半透明で良く見えないとしか言いようが無い。
「でもあれだね。メルビオは自分から頼んで出て行ったって言ってたんだ」
「ああ」
「それで、シーバルはどうするの」
「どうって?」
「聞いたんだよね? このままだと色々困る事になるとかさあ。サンドラにそのまま渡すの?」
「……」
やはり違和感を感じる。
メルビオが置かれている状況などは確かに今クロムが話した。
それをなぞっているだけのようだが、いくら何でも「サンドラにそのまま渡すの?」という事を聞いてくるのはおかしい。
心を読まれているかのようだ。
サムはすっとぼけてはいるが頭が良い。
というより事態をコントロールするように現れたり発言したり、よくよく考えてみれば察しが良すぎる。
思えば最初の出会いからそうだった。
単に人魚族と出会うためのイベントキャラだったというだけでなく、コイツこそがメルビオを助けるのならどうにかしなければいけない相手なのだと、そんな気配をビンビン感じる。
台詞だっておかしな点だらけだ。
もうはっきりと認識しておいた方がいいだろう。
このイベントの攻略対象は人魚族ではない。
サムだと。
ここだけはゲームのように俯瞰から眺めて判断させて貰う。天然を装った計算高いキャラクターなど、騙されるには多すぎる程クロムの居た世界で見てきた。
素直に受け取ると思ったら大間違いだ。
「サム……知ってたのか?」
「まあね」
「……お前……」
カマをかけるつもりのクロムの言葉をあっさりサムは肯定する。意外だった。
含みを持たせただけのぼんやりした台詞だったはずだが、サムにはその言葉に含まれた様々な意味が分かったのだろう。
てっきりまたはぐらかすとばかり思っていたクロムは肩透かしを食らう。
事情も展開もクロムの選んだ選択も、ゲームキャラとして把握していたのかという意図で聞いてみたのだが、
「君の考えてる通りだよ。全てお見通しさ」
こう言われた気がした。
警戒心が急上昇する。
メルビオの状態も知っていたのか。
クロムはこの得体の知れない男に不信感は抱いていたが、ここではっきり異質さを認識する。
「何者だよお前。答えろ」
「黒幕ってやつ? かっこいいっしょ」
ニコニコしながらサムが答える。
いけ好かない。
「シーバルって察しが良いよね。どうして気付かれちゃったんだろ? なんか駄目だったかなあ」
「なあ、お前は敵なのか?」
ディー覚醒の文字は灰色のままだ。
「敵じゃないよ。だってシーバルはメルビオを助けるつもりなんでしょ?」
「……心が読めるのか?」
サムが軽く肩を竦める。
まずい、とクロムは焦る。
そんな敵は居なかった。
もしサムがそういう新たなアンノウンだとするなら、未経験の危機だ。
こちらのやる事が全て筒抜けになるとすれば、ディーになれないままどういう保険を掛けておくのが正解なのだろうか。




