密林の国 4
呼び出した精霊と会話する。
海の守護乙女という精霊である事、メルビオと名付けられている事。
クロムはそこからまず巻貝の笛が何であるのかという所から聞き込みを始めていた。
メルビオ曰く巻貝の笛は深海に棲む巨大なクジラの骨から作られた霊器という事だった。
<霊器>とは精霊の依り代。
クロムの所持する四精霊の腕輪も霊器という区分であり、本来自然界にたゆたう存在であるはずの精霊を呼び出す門に近いそうだ。
この辺りはメルビオの説明がやや難解だった事もあり、クロムは何となく理解するに留まっている。門であると言われたが同時にそこに宿っているなどと哲学を聞いた思いだ。
仮にディーとして精霊魔法を修めていたとしても学問をした訳ではないのでやはり理解には至らなかっただろう。
とにかく巻貝の笛に関しては分かった。
メルビオは特殊な精霊であり、海に住む生き物達の生存競争を司る戦乙女。
その海の守護乙女たる彼女を呼び出し助力を請う事ができる霊器であると。
そしてメルビオ自身についても。
何故特殊な精霊であるのかも聞いた。精霊というのはクロムにとって自然の力を司るものという認識だったが、やや違うらしい。
精霊というのは本来神より形を与えられた自然界の管理者であるそうだ。
例えば台風などの嵐が起こるのは決して風の精霊シルフの仕業なのではなく、あくまで自然に起こるもの。シルフの役目はただそれを見守る事、それだけ。
何で見守る事が役目なのか、何だそりゃとクロムは思うが突っ込んで精霊の講義を聞くつもりはない。そういうものかと流す。
精霊はどこにでも居るしどこにも居ない、こんな事を延々聞かされてすっかりうんざりしていた。
とにかくメルビオがどういう存在であるのか、何となくでも理解すればそれで充分だ。
海の守護乙女は言ってみれば後発の精霊。
第二世代とかそんな概念が当てはまる。
彼女に言わせれば真なる精霊とはあのウンディーネのようなものを言うらしい。
メルビオはあくまで形と権能を与えられた海の精霊力の権化であり、水の精霊の亜種。
己の意思で動く事がもう精霊の理からは外れている。そう自分で告げた。
「私は精霊力を戦う力に換えて召喚者に仕える存在。そういう意味で私は道具でもある」
「……はあ……」
「あの時から、私はある意味海の守護乙女ですらなくなったのだ」
あの時?
それは一体何なんだよ、とクロムは思う。
精霊の自分語りも中々無いだろうがとにかく要領を得ない事甚だしい。
「霊器に宿る存在となった時から精霊の理とは一部切り離されている。お前の呼び出した真なる精霊であるウンディーネとてその影響からは逃れられない。特に私は名を与えられ、転生したと言っても過言ではない」
「へえ……」
「だから私は精霊であって精霊でない」
正直クロムはゲームを極めた自負はあったが、それはあくまでゲーム進行に関してであり、ゲーム外の細かい設定や背景などの要素にさほど興味があった訳ではない。
もしかしたら攻略本以外のファンブックやイラスト集なんかにまで手を伸ばしていれば、こうした話もすんなり飲み込めたかもしれない。
今となってはだが。
だからピンとこない。
もしかしたら精霊魔法ではなく腕輪で呼び出してるから精霊が馬鹿になってるのかもな、なんて精霊達に聞かれたら怒り狂われそうな不届きな事を考えたりしてしまう。
「まあ、とにかくメルビオはこの笛で呼び出したものに力を貸す傭兵みたいなもんて事ね」
「その考えに近い」
まるでアラジンの魔法のランプだ。
大体、精霊が本来どのような存在であるかなど特に考えた事も無かったクロムにとって、今のメルビオの在り方にそもそも疑問を覚える余地が無い。腕輪を使って精霊を使役していたクロムにとってはむしろそっちの方が自然なくらいだ。
「ええと……あー、そうそう。メルビオはとにかくそういう存在になったって事は分かったよ。んで、サンドラが所持してたのに自分から出てきたみたいな事言ってたよね。それはどうして?」
「必要だったからだ」
「うん、もうちょい詳しく」
水棲生物という名を与えられた彼女は(どんなセンスだ、名付け親は)初めて「個」としての自我を持った。
何かを司る事から解放――隔離という方が正しいかもしれない――された彼女に与えられた役目は戦士。召喚者に仕える、海中では無双の戦士として誕生した。
メルビオという自我を持つ一個の存在でありながら、召喚された精霊としての特性も併せ持つ。
そういう存在になった。
クロムが第二世代と感じた精霊とは、真なる精霊から派生した精霊であるらしい。
海の守護乙女は水の戦乙女から生まれたし、驚くべき事に不死鳥も始原の炎から生まれたそうだ。
これは別に紛い物であるとかそういう事ではなく、派生した精霊とは元々の精霊が請け負っていた役割が切り離された存在との事。
そんなメルビオは水の戦乙女から海中の戦いに特化して派生した存在。
記憶はないが海の守護乙女として海を見守ってきたはずだそうだ。
彼女が霊器に取り込まれたのがいつかは本人にも分からないらしい。
メルビオがメルビオとして生まれたのは名付けられたその瞬間からなのだ。
分かっているのは理屈だけ。
自分が海の守護乙女である事、精霊として精霊の理に従っている事。
多分、と彼女は断る。
「私は上位精霊たる水の戦乙女から作られた存在。格としては私も上位なのだ。故に霊器に縛られ名付けられて尚高い知能と自我を持つ存在となったのだと思う」
「メルビオを霊器に縛って名付けたのって誰?」
「分からない。私はあの笛に宿る存在として誕生した。そこから私は始まっている」
「で、どうしてサンドラから逃げたの?」
「逃げたという言い方になるのか分からないが」
戦士として誕生して以降、様々な所持者の手を渡り歩き戦いに明け暮れてきた。
最終的に人魚族の宝となった訳だが、人魚族は海中で楽園を築きすぎていた。
そのため戦いから長く離れすぎ、精霊としての存在が揺らぎ始めたというのだ。
水の無い世界に水の精霊力が存在しないのと同じで、霊器によって隔離されてしまった彼女は呼び出してもらえなければ海中の戦いという理に触れる事ができず、徐々に精霊力を失っていった。
矛盾を感じたそうだ。
精神的にではなく己に与えられた理によって。
精霊としての本能とでもいおうか?
あるべきはずのものを司らなければいけないと強く感じたらしい。
それは戦いなのだが。
外に出さえすればそこには生存競争がある。
これをクロムは人間の感情によって悲しいとか哀れだとか思ったが、きっとそういう事とは別の次元に違いない。
自らの意思で顕現する事はできないが、海中は己の庭である。
以前の所持者だった魚人族に呼びかけ人魚族の元から運び去って貰った。
これが今回の事件にまつわる真実らしい。
言うなればサンドラは扱いを間違えたがゆえに自ら宝を手放してしまったという事になる。
「じゃあ魚人族に頼んで運び出して貰ったのは、わざわざ誰かと戦うために?」
「そういう事になるだろう」
「そんな事していいのか?」
「私が戦いを生み出す訳ではない。戦いある場に手段として私がいるにすぎない」
だが魚人族はフロッグマンに巻貝の笛を譲渡した。ただフロッグマンは戦いに勝つ術を欲していたのでこれは問題ないと言える。
ひとつの誤算を除いて。
呼び出した精霊は既に弱っており、力を回復する事も出来なかった。
「私は海の精霊だ。水の精霊ではない」
「ああ、だから塩を……」
「そうだ。私が海でなければ力を発揮できないと知ったフロッグマンの知恵だ」
人魚族の依頼とは関係ないが、ナムヴィエとティエーの軋轢を生む問題の原因に辿り着いた。
まさかこんな関係ない所だったとは。
「だが無意味だったようだ。塩水であればそこが海という訳ではない」
そりゃそうだ、とつっこみたくなる。
塩水の精霊って何だ。
所詮カエルの浅知恵というべきか、ならば海水に近づけようと発想したのを褒めるべきか。
「あの塩はもういらないのか?」
「必要ないだろう」
「で、今後どうすんの? このままじゃまずいんだろ? 戦い以前に海に戻らないと」
「そうだ。フロッグマンが所持者だったゆえそれは叶わなかったが、所持権は譲渡された。シーバル、お前なら私を海に連れていってくれるのではないか」
なるほど。
更に真実がはっきりした。
人魚族の元から奪って貰う事で目論見は成功したが、まさかそのまま海から連れ出されるとは思っていなかった。
また違う問題に直面してしまったメルビオだが、新たな所持者に対する海に戻してくれという要求は受け入れられなかったという訳か。
ちょっと間抜けな感じはする。
物に縛られた存在の悲哀をそんな風に言ってしまうとひどく冷たいような気にはなるが。
こうなると、図らずもクロムはひっそり死に掛けていた精霊を救出しに来た事になってしまう。
遠からずメルビオは消滅してしまう所だった。
そうなれば人魚族にとってもメルビオにとっても何も良い事などない。
しかもメルビオ自身は海に帰りたいにも関わらず所持者であるフロッグマンに従わざるを得ない存在だったため、やはり一度屈服させてから新たにクロムが呼び出すという手順は大正解だったのだ。
会話もメルビオの攻撃も全てがお膳立てされた結果なのだろうかと疑ってしまう。
「なんか……出来すぎって気がするなあ」
「それはどういう意味だ」
「いや、何でもない」
しかしだ。
クロムがメルビオの奪還に成功したのはこれで間違いなくなったが、サンドラの手に戻せば同じような事態が繰り返されるだけ。
再びメルビオは巻貝の中で薄れていき、誰かに呼びかける羽目になるだろう。
かといってクロムが「適度に呼び出して誰かなり魚なりぶっ殺させてやれ」と人魚族に争いをけしかけるよう言うのもためらわれる。サンドラが使わなかったのにも理由があるはずだ。
より精霊に近い存在であるはずの原初の亜人が何故メルビオのそういう問題に気付かなかったのかという疑問もある。
人魚が海の精霊の理に無頓着だなどという事が果たしてあるのだろうか?
「メルビオ、お前どうしたい? 人魚族の元に戻したらまずいんだろ?」
「お前は私を使う気はないか」
「海……は需要あるな、そういや」
ずっと海に居るのはな、と考えた所でクロムは自分が今どういう環境にいるかを思い出す。
ペットを拾うようで申し訳ないが、ストレイ号の守り神。これは便利そうだ、とはたと思う。
「ああ、でもな……あれ?」
人魚族の助けを借りたいのは海底神殿に行くためだ。そもそもクロムは用が無いが。
しかしメルビオが何とかできるのではないだろうか。だとすれば人魚族は不要という事になる。
「メルビオ、例えば人間を海の中でも溺れないように海底まで連れていくとか出来る?」
「可能だ」
何だと。便利じゃねえか。
待て待て、とクロムは考える。
これは新たな二択が発生したようだ。
・人魚族を裏切ってメルビオを使役する。
・メルビオを見捨てて人魚族に引き渡す。
どちらもメリットデメリットは存在するが、一々報酬を要求してくるがめつい人魚族よりメルビオはよっぽど有能だし、常に付き従う戦力としても大いに役立つ。
多分人魚族より使い勝手は遥かにいい。
現時点で有力な選択肢となるのは前者だ。
デメリットとしてはメルビオというより上位の協力者を得る代わりに、人魚族を敵に回す事にもなりかねない事だろうか。
そこは大いに危惧すべきだろう。
勿論取り返せなかったと嘘を付いてもいい。人魚族に協力して貰う必要が無くなる訳だから。
いやしかしメルビオが海に居る以上いずれバレる可能性は高いと見るべきだ。
まあ人魚族を敵に回した所で――という考え方も浮かんでくるものの、それも気が滅入る。
屈服するなど自分はしないだろうし、説得は試みるだろうが。
きっとこじれてしまえば最終的には力で黙らせてしまう道を選んでしまうに違いない。
これは何ともゲームっぽい事になった。
あのゲームはこうして、
「実益ある報酬と心の報酬どちらを選択するか」
そんな選択を迫ってくる事が多い。
後者は選べない。
自分は既にメルビオに対してある種の感情移入をしてしまっている。無論そこには前述の有用さを見出している事もあるにはあるが。
人魚族に引き渡す際にメルビオの扱いに関して説得を試みたとしても、それを守る保証も無いしそもそも説得に失敗すればその場で争いになりかねない。
それはストレイ号を否応無く巻き込んでしまうため前者より悪い。
前者を選んで不和になったとしてもその時はまだストレイ号を帰還させる手段が取れる。
結局の所。
自分は既に彼女を保護しようという気になってしまっているのだ。信頼できる誰かの手元に置いておくのが一番だと結論を出してしまっている。
つまり二択は一択という事になる。
どちらも選ばない、もしくはもっと良い選択肢は他に無いだろうか。
「ううーむ」
「こうしている間にも私は薄れていく。出来れば早く海に戻して貰いたい」
とりあえず一旦笛を海で吹く。
これをしてから考えよう。
だが。
チラリとフロッグマン達を見る。
「フロッグマン達は何をして欲しいって?」
「この上の沼の縄張り争いだ。私はそこで呼び出されたがこの通りだった。だから地下に水を感知してここまで掘って貰った」
「ああ、じゃあ会話できるんだ」
「出来る」
しばし考える。
笛の代わりに何か武器くらいはくれてやってもいい。メルビオが会話できるならそれを使って今後人間に悪さしないと約束させれば問題ないだろう。善良そうに思える。
獰猛なモンスターよりも可愛らしく善良なフロッグマンが幅を利かせた方がティエーの人間にとっても有りがたいはず。
塩はどうするか。大分残っているが、これを返せばティエーの問題も片付くか?
ただどういう形で返却しても疑われるだろう。
無視してもいいが……。
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ビシオリヴァの渡し舟が運行を停止してから、乗客としてやって来ていた人間達の間には凄まじいフラストレーションが溜まっていた。
ティエーからナムヴィエに渡る人間にはティエー側の住人が多い。
運行を停止しているのはティエー側の意思によるものなのだが、同胞よりも怒りの矛先は当然ナムヴィエ側の人間に向く。
最早無関係の人間まで巻き込んで騒ぎは収まる気配を見せようとしていない。
「さっさと塩の代金を約束しろよ! 俺達がいつまでも渡れねえだろうが!」
「こっちが盗んだ証拠なんかないだろ! そっちこそさっさと犯人を見つけたらどうだ!」
「そうだ無能め!」
「何だと!」
争っているのは主に乗客達だ。
船着場で働く人間は互いに面識が有るため憎み合うまでは行っていない。
むしろここまで乱闘騒ぎに発展しかねない状況を何とか収めようとしている。
「リウイ、どうする」
「役人は時間かかるんだろ」
「まだまだかかるだろうな」
ティエー側で発生した盗難だ。
まさかナムヴィエに責任を取れなどと言い掛かりを付けてくるとは思わなかったし、ナムヴィエの役人に連絡はしたが到着はまだまだ先だろう。塩の代金を払えという要求など到底勝手に判断出来る事ではない。
一方向こうの役人は既に来ている。
何なら運行停止もティエーの役人の指示によるものだし、男達にとっては迷惑でしかない。
「悪いな、塩の代金なんて無茶苦茶言わせちまってよ。何考えてやがんだ」
「とりあえず船を動かす説得は無理そうか」
「俺らまで疑い始めやがったんだよ」
ティエーの男達もひとまず船を動かすよう役人に掛け合った。
だがあろう事か役人は、渡し舟で働く人間全体が共謀して密輸まがいの不当な利益を得ようとしているのではないかと疑ってくる始末だ。
ティエー側の人間は数を頼みに徐々に凶暴な雰囲気を増してきている。
荒っぽい民族性なのだ。
こちらに渡ったリウイ達も身の危険を感じない訳にいかなくなってきていた。
「責任者はいるか」
ティエーの役人が来た。
責任者などいない。
強いていえば都に居る。
「俺だ」
「おい、リウイ」
「お前か。事態の収拾を図りたいがこの中に居るかもしれない盗人を見逃す訳にもいかん。塩の弁済か犯人が見つかるまで協力して貰おう」
ナムヴィエの男達が反論しようとするのをリウイはいち早く制した。
「分かった」
「待て!」
「おい、連れていけ」
役人の言っている事は滅茶苦茶だ。
多分重要な交易品を扱う力ある商人にねじこまれたか何か、とにかく体裁を取り繕おうとしているのが見え見えだ。連れていかれたが最後、手ひどい扱いを受けるだろう。
それでもリウイは理不尽な要求に頷いた。
この場を収められるなら、仲間に累を及ぼすよりは自分一人でとそういう思いでいる。
「待てよおい、冗談じゃねえぞ」
「そっちの落ち度だろうが!」
ナムヴィエの男達も戦士の一族。
これではいそうですかと引き下がる程ヤワな男達ではない。リウイの決断は逆効果で、引き金を引いてしまう行為となった。
ティエー側とナムヴィエ側で揉み合う。
やめろ、こんなはずでは――。
リウイは必死に止めようとする。
争いの余波が乗客達にまで伝染し一触即発となった時、叫び声が上がった。
「おい、上流から何かきたぞ」
「何だありゃあ……何で上から」
「塩だ! 塩積んでやがるぞ!」
雑に切り取った丸太を束ねただけの粗悪なイカダ。ただしデカい。
眼帯の男がだらしなくあぐらを掻き、その後ろには大量の見覚えのある袋が積まれている。
争いをやめ、船着場の人間達が一斉にガレー船から桟橋から、その様子を見に詰め掛けた。
丸太のイカダはかなりの速度で滑ってくる。
一切漕いでいないというのに、不自然としか言いようの無い動きで桟橋に着けた。
「なんだアンタ……」
「よっ」
「おい、貴様! その荷はどうした!」
シーバル、とリウイは仰天する。
桟橋に飛び移ったシーバルはすぐに役人と配下に囲まれていた。
人混みを掻き分けリウイは前に出る。
「塩が盗まれたって聞いたんでね。運よく犯人を見つけたから取り返してきてあげたんですよ」
「はあ!? 白々しい嘘をつくな」
「本当ですって。全部とはいかなかったけど」
「それで済むと思ってるのか! ちょろまかされて良かった良かった、などと言うとでも思ったか。安い芝居をしおって。大方上流方向に逃げたもののモンスターに襲われ逃げてきたのだろうが」
「待て、待ってくれ。その人は無関係だ」
「盗人に関係無関係だと? では貴様犯人を知っていたという訳だな」
「そうじゃない!」
「では犯人はどうした、答えてみろ」
「逃げましたよ」
「ふざけるな、馬鹿にしおって……連れていけ! 塩も運び出せ!」
シーバルに手が掛かる。
リウイもシーバルが何故塩を取り返してこれたのかなど、分からない事は多い。
だが悪人ではない。
わずかに話しただけだがそう信じていた。
シーバルから聞いたナフラの対応でもそれが分かった。妻もそう思ったという事だ。
「おい、俺も連れて――」
その瞬間。
派手な水飛沫を上げてビシオリヴァが弾けた。
いや、持ち上がった水がそのまま形を保持してこちらを窺うように蠢いている。
「うおおおおっ!?」
「化け物だぁーっ!」
人混みが一目散に退いていく。
最前列に居たシーバルと役人達は逃げ遅れている。いやシーバルと役人だけが残った。
シーバルが役人の襟首を後ろからガッシと掴まえていた。
本人は逃げる素振りすら見せていない。その場から動こうとも後ろを振り返ろうともせずに静かに佇んでいるだけだ。
と、巨大なナメクジのような水の化け物がゆるゆると川面に沈んでいき、何事も無かったかのように消えた。徐々に静寂が戻る。
――これは勿論クロムが事前に頼んでおいた、イカダを運んだウンディーネの仕業。
「な、何をして、逃げ、放せ……っ」
「落ち着きましょう。もういませんよ」
もがく役人。
遠巻きに見つめる群衆。
リウイも動くのを忘れていた。
「おい! 何を逃げているお前達!」
役人の叫びに一度逃げた配下達が慌てて駆けつける。シーバルはその段になってからようやく手を放していた。
「急げ、この男を連れていけ!」
「俺が誰かも知らずにいいんですかね」
「何を、貴様」
「フルクタスが一員、シーバルだ。塩を取り返してやったのにその対応、覚悟出来てんだろうな」
ギョッとしたようにシーバルを囲んでいた男達の動きが止まる。
手を掛けていた者は熱い何かにうっかり触ってしまったかのように素早く手を引っ込めた。
「な、うっ、出任せを……」
「嘘だと思うならハルティエまで一緒に行こうか? 首が飛ぶのはアンタだ」
フルクタスだと。
当然リウイも知っている。 海から集落にやってきたと言っていたが、ようやく合点がいった。
という事は眼帯も伊達では無いのだろう。




