密林の国 3
巻貝の音がした直後。
地底湖の水面に波紋が立ち、ヌウッと熱された飴細工が膨らんだかのように水が持ち上がった。
クロムが映画で見た液体金属のキャラクターにこんなのが居た。
すぐにランタンでそちらを照らす。
女性の姿を取った半透明の水の彫像。
その長い髪の部分は水がうごめき、まるで実際に髪がなびいているかのように見える。
彫像の周囲には、少し離れた場所に物理法則を無視して球状の水がいくつも浮かんでいた。
先程のノームの腕輪の別種、ウンディーネの腕輪を以前使用した際に出てきた精霊に姿が酷似している。
ただしウンディーネのグラフィックはゲームと同じく水が一応人の形をしているかな、程度だったのに比べて、こちらは遥かに精巧で大きさもより人間に近い。ゴージャスだ。
嘆息するような美しい造形。何より不可思議な周囲に浮かぶ水玉を見る限り、存在するだけで物理法則に魔法的影響を及ぼす存在、多分上位精霊という奴なのだろう。
(宝とは精霊を呼び出す笛だったのか?)
フロッグマン達の放つかすかな目の光の群れを素早く見回すがそこに動きはない。暗闇の中からじっと成り行きを見守るかのように動く気配を見せない。どうやらすぐに逃げるつもりはないらしい。
この状況がここから一体どういう展開を見せるのか、こちらも黙って待つ事にする。
「何用だ、人間」
口火を切ったのは精霊だった。
ディー覚醒は白色。
決して友好的という訳では無さそうだ。
「人魚族から依頼があってね。巻貝の笛が奪われたので取り返してきて欲しいと。心当たりない?」
「サンドラがそう言ったか」
「……それって長老?」
「そうだ」
やはりこの精霊は巻貝の笛によって呼び出されたものらしい。ひとまず目的のものは手の届く所にある。だが精霊を呼び出すアイテムならそう言って欲しかった。
意思を持つというのは厄介だ。
ただ奪い返してくればいいというのとは少し話が変わってきてしまう。
有無を言わせず無理矢理事を運んでもいいが、どうやらかなりの知性もある。
上位精霊となればもしかしたら笛に依存せずとも己の意思で顕現できるかもしれず、無理矢理奪還しても厄介事を新たに招きかねない。
「こいつらがフロッグマンか? 長老は笛を奪われたと言ってたけどそうなのか?」
「そうなるかもしれない」
「で、あんたは戻る気ある?」
「それは出来ない」
ちっ、とクロムは舌打ちする。
簡単にクリアさせてくれるつもりは無いらしい。
「何で出来ないんだ?」
「私が頼んだ」
「? 何を?」
「魚人族に運び出してくれるよう頼んだのは私の意志だ。きっとサンドラは許可しまいと思った」
いまいち要領を得ない。おそらく奪われた経緯を説明してくれたのだろうが。
クロムが事情を何も聞かされていないせいというのは確かにあるが、ノームやウンディーネと同じく精霊は他人に理解させようという忖度が無いのかもしれない。
固有名詞を口に出す辺り、明らかにノーム達より知性が高いとはいえ精神構造は人間のそれではないのだろう。一応人間の思考に合わせて会話してくれているようだが出来れば会話の組み立てというものまで考えて欲しい。
「俺は事情は良く知らないんだ。取り返してくれって頼まれただけで」
「そうか」
「……もっと説明して欲しいんだけど」
「充分した。これ以上は必要ない」
「つまり戻る気はないから帰れって事?」
「そうして貰いたい」
これは参ったなとクロムはうんざりする。
これではアイテムを取り返すのではなく家出したものを連れ帰れという依頼になる。
しかも何やら複雑な事情がありそうなのに聞き出す事も難しそうな気配。
もしかしたら長老、サンドラはこういう面倒を見越してあえて詳しく言わなかったのかもしれない。
やけにあっさり目的の場所に辿り着き目的のものにも出会えたのは、こういう展開が予定されていたせいという可能性も出て来た。この地に用意されたイベントという訳だ。
勿論これまでの生活で何でもかんでもゲーム進行だと考えるのは良くないと分かってはいるが、エンカウントしなかったのもサンドラが何も言わなかったのも精霊がいまいちコミュニケーションを上手く取ってくれないのも、どうにもお膳立てされているという気がしてしまう。
「あんた目的がある訳? それが済んだら戻っても良いって事?」
「私のやりたい事は確かにある」
「時間かかるの、それ」
「答える事はできない」
「フロッグマンとどういう関係?」
「悪いが無駄な時間は過ごせない。帰ってサンドラにいずれ戻ると伝えて貰いたい」
質疑応答が打ち切られる。
だがこのままでは会話もできるか分からないフロッグマンの群れが残るだけになってしまう。
そうなれば選択肢は二つ、あきらめて報告に戻るか笛を強奪するかだ。
ここまで来る手間と戻る手間を考えれば報告に戻ってまたここに来る羽目になるのは避けたい。長老の居丈高な態度を考えれば事情も掴めずにこの会話を報告しただけでは納得してくれそうにないと思える。
強奪もまずいだろう。
私が頼んだ、という台詞を聞く限りこの精霊は自分の意思でこの場にいるのだと思われる。
「待ってくれ、まだ聞きたい事がある」
そう言って湖に戻る気配を見せていた精霊を引き止めた所、視界の端にフロッグマンの姿が映った。そちらに目線を向ける。
クロムの腰ほどの背丈の彼らが三人(三匹?)がかりで、よいしょよいしょと彼らの背丈と比肩する程のガッシリした袋から何かを湖に注ぎ込んでいたのが見えたからだ。
袋の口から湖に注ぎ込まれる、砂のようにサラサラした粒状の何か。
ピンときて、習得したばかりのパージアイの魔法をコマンドから選択する。
やはり。
薄暗い空間に合わせ魔力で補正された視界が飛んだ先には、でかでかと「塩」と書かれている袋がはっきり映し出されていた。
更に奥に視界を動かしてみると、大量に同じ袋が乱雑に積み上げられているのが見える。
(こいつらが塩泥棒なのか? でも何で――)
そこまで考えた所で魔法が粉々に打ち砕かれる。激痛と衝撃がクロムを襲った。
(ぐっ!)
多分異常なまでに鍛え上げた人間でも、完全な不意打ちのダメージには対応し辛いだろう。
強くなればなるほどそういった機会は減るし、特殊な役目を負う人間でもなければ特別痛みに耐える訓練をしてはいまい。
咄嗟に防御姿勢を取ったり逃れようとしたりはするだろうが、意識は急な痛みに対する防衛本能に満たされるはずだ。
だから普通は体を動かすはず。
だがクロムは違う。
徹底してある種の拷問を受けてきている。
チュートリアルバトルで死という結果を何度でも経験する事のできるクロムは、ある時点からとにかくたった一つの事に集中して特訓を重ねてきたと言える。
それは防御や回避ではない。
ただの意識。ダメージに対するステータス画面のオープンとコマンド選択。
それだけを確実に出来るよう、数え切れない程擬似空間から弾き出されてはまた挑んできた。
既にこの世界にきてから何百というデスカウントを重ねてきただろう。
多分苦痛に対する耐性に関しては有数の、相当な熟練者であると自負している。
燃え盛る炎に包まれても余程で無ければ即死には至らない。そこにはコンマ何秒でもラグが存在する。心臓に刃を突き立てられたとしても体を二つに割る程の一撃を食らったとしてもそうだ。
凶悪なモンスターと散々対峙して来た自身がそれを保証する。
クロムは意識が途切れる前に、命が尽きる前にディーへと覚醒できるよう修練を積んだ。
かなりの地獄ではあったし恐怖もあったが、擬似生命なのだという安心感がクロムを支えた。
数度死を経験すれば余裕も生まれた。
そこからは冷静に、瞬間の即死とそうでない致死を見定めてきたつもりだ。
思い返してみても嫌な記憶が蘇るが、貧弱なクロムが鍛えたかったのはまず最終防衛手段である竜人への迅速な覚醒だった。
痛みに捕われてそれが出来ない事態、間に合わない事態を怖れた。
装備品や戦闘技術による中途半端な防御や回避よりそこを優先したのだ。
これはクロムにとって自信となっている。
勿論その半端な自信がゆえに即死を招きかねない危険がある事も重々承知はしているが、別にその自信に慢心して人化状態の安全を疎かにしようとも思っていない。
顔に感じたのは火炎のブレスを吹きかけられた時のような痛み。目と鼻を強烈に刺激する。
全身が吹き飛ばされる衝撃と、肌が焼け爛れていく独特の感覚。
だが瞬間的にクロムは竜人へと覚醒し、死を迎える前にその結末から逃れていた。
おそらくコンマ五秒と経ってはいないだろう。
痛みが消え意識が鮮明になると同時に壁に叩きつけられる。その衝撃によるダメージは無い。
凝視していたステータス画面で叩きつけられた事によるダメージが無い事は分かったが、もう一つ分かった事もある。
顔を焼きクロムを吹き飛ばした攻撃は、自分がやばいと感じた程のダメージでは無かった事。痛みとダメージは別物だ。
(しょっぱい……塩水……)
戻った感覚と視覚で理解する。
全身が濡れていた。
てっきり火炎系のダメージを受けたと思ったが多分高温の水流でも浴びせられたのだろう。
目の前にいた精霊はどう見たって水の精霊だ、体が濡れている事ですぐに分かる。
第一、炎系ダメージ無効のクリムゾンベストで絶対的な炎系への魔法的抵抗を有しているのだから考えるまでもない。
だが――。
怒りが心を満たす。
今の一撃、おそらくクロムのままでも死ぬ事は無かっただろうとはいえ、確実に皮膚をただれさせていたはずだ。事実顔と首はジクジクと再生していった感触が残っている。
つまり冗談では済まない。
強力な防御力を持つクリムゾンベストでなければ体にまでその影響は及んでいただろう。
もしも体にまで水流の影響があれば致死のダメージだった可能性だってある。壁への衝突も運が悪ければ人間などあっさり死ぬ。
命を脅かされた怒り。
ギロリ、と眼帯の奥に隠された瞳が精霊を見据える。繰り返された死の経験で冷静さを保てているおかげだろう。精霊相手では無意味かもしれないがしっかり剥き出しの左目は閉じている。
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咄嗟にクロムを攻撃した<海の守護乙女>たる精霊はじっと対象を観察していた。
彼女は決して命を奪おうとした訳ではない。
あくまで警告だった。
精霊戦士たる彼女の過激すぎる警告は対象の行動阻害を伴う事実上の攻撃だったとしても、彼女的には警告にすぎず強い敵意をはらむものだった訳ではない。
仕方が無いとも言える。
クロムは確かに魔法を使ったのだ。
彼女は自らの依り代たる霊器所持者に対して対象が魔法を使用した事を感知したため、契約に従ったにすぎない。危険排除の意思と共に呼び出された以上、やるべき事をやったまでだ。
だがそれが何を招くかは理解もしていた。
これでも長い時を過ごしてきている。
対象が敵対意識に変わった事を感じる。
もし――。
ディーが魔力系ジョブのみの習得に走らず精霊魔法を高みまで習得していれば、彼女はその精霊力を感知して己の相対する存在がどのような存在であるかに気付けたかもしれない。
壁に叩き付けた対象が途端に危険な存在となった事を察知して、フロッグマン達を逃がす事に専心したかもしれない。
だがディーは一切精霊魔法を使用できない。
精霊力のカケラも持っていないため、彼女には野獣のような強い存在感しか感知できなかった。
海の守護乙女は作られた存在と言える。
純粋な精霊とは言い難い。
彼女の基となった上位精霊、水の戦乙女であれば多少は異常さに気付けたかもしれないが、それだってディーが上位存在であるという事に気付ける程度だったろう。
真なる精霊であっても精霊力のリンクが無い以上万能の知覚力を有している訳ではない。
だから紛い物である彼女がディーの異常さに気付けないのは仕方ないとも言えるが。
とにかく対象は酸性水流を受けても立ち上がってきた。行動不能にすら出来なかった。
存在の維持が難しくなってきている彼女にとってはかなりまずい事態だ。
(水の槍――いや、あれは脆弱な存在ではないようだ……海中でもないこの場では無理か)
メルビオと名付けられた彼女は冷静に分析する。幾多の海獣を屠ってきた戦士としての経験が、ディーの存在感に警告を鳴らす。
ズン、と地底湖全体が揺れた。
対象が壁を拳で叩いたのだ。
それ程全力で叩いたようには見えなかったが、それだけで岩盤は耐えかねたように軋み、ひび割れていた。霊器の所持者達が騒いでいる。
「どういうつもりだ」
「魔法の使用に対する警告をさせて貰った」
「警告だって? あれが?」
凄まじい拳の破壊力。
地の底から湧き上がるような対象の怒気。
だがメルビオは畏れを感じたりはしない。
高い知能と思考力を持ってはいるが彼女の精神そのものはある種機械と同じだ。
「そうだ。もしお前が我が召喚者に対して何らかの行動をするのであれば私は再び攻撃を仕掛ける。次は警告では済まない」
そう告げたメルビオの目には、対象が目を閉じたまま口を吊り上げ笑った姿が映る。
「いい加減にしろよお前」
「それはできない」
対象が僅かに動いたように見えた。
次にメルビオが知覚したのは空気を切り裂き飛来する何か。まるで空間を越えたようにすぐそこまで迫っていた。
気付いたのと回避行動は同時だったが、本来の生息領域である海中ではない。
更にメルビオは湖面から空気中に身を晒していた事で運動能力にペナルティを受け、足元で繋がっていた水と切り離されてしまう。
(しまった)
そして感じた膨大な魔力の圧力。
一瞬だった。
先程不意打ちを受けたクロム同様、その魔力は感じると同時にメルビオを束縛していた。
周囲を覆う球状の紫の光の檻。目の粗い籠のような球体は自分を空中でその中心に固定し、身動きを取る事を許してくれない。
「そこでじっとしてろ」
対象が動き出す。
防がなければいけない。
魔法に囚われてしまった事に焦る。
メルビオは召喚者に近付けさせまいとあらん限りの精霊力で湖の塩水に力を与え命令を下す。
が、光の檻に全て阻まれた。
(何だこれは――)
強固な魔力の鉄鎖が海の守護乙女たる自分の精霊力を全く受け付けない。
魔力は精霊力より下位の力であるはず――。
いやそもそも人間が操る魔力魔法や精霊魔法と純粋な精霊力であるはずのメルビオの力は異なるはずだ。
精霊魔法によって使役された精霊力ならその源は精霊以外がもたらすもの。まだ理解できる。
だが何の手応えも無く、世界が寸断されたかのように外界とコンタクトする感触すら感じさせないのは一体どういう訳か。
まずい、とメルビオは思考する。
今のでもう存在の維持が難しい。
水との接触が絶たれてしまっている以上力を吸い上げる事ができない。
地底湖に漂う水の精霊力とも隔離され、急速に自らが薄れていくのを感じた。
役目を果たさず霊器に還るのは定められた命令に反する。メルビオは己に残された力の残滓でもう一度抵抗を試みる。
だが届かなかった。
それを知覚しながら彼女はただ溶けていく。
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<無限牢獄>を使用したクロムはチュートリアルバトル以外での初使用に齟齬が無いかステータスを監視する。
これはディーの魔法職育成の一環で取得した魔法だが、クロムはこれを気に入っていなかった。
ゲーム中では対象を完全に行動不能にする強力な最上位魔法ではあったものの、当然ボスには通じない。オマケに制約付き。
一応<金と銀の詠唱者>という最上位ジョブのれっきとした攻撃魔法だ。
光の檻は存在はするが物理的魔法的な干渉を受けず、外からの攻撃を素通しするというもの。
どんなに強力な魔法耐性であってもそれを無視して動きを封じてしまうというものだが、この魔法は継続魔法。これを使用してしまうとその間一切の攻撃魔法が使用できなくなってしまう。
その後物理攻撃やスキル攻撃を仕掛ければいいだけの話なのでそれはまだ構わないが、そもそもこういった足止め系の魔法は一手消費してでも動きを止めたい相手が居なければ全く無意味だ。
しかしながら竜人種たるディーの一手を消費する程意味のある雑魚など居ようはずもない。
その上、無限牢獄は無限と銘打たれているが実際は拘束時間はMPに依存している。
発動自体でもMPを大きく消費するが、ターン経過毎に同量値減少していく。
だったら一手パスしてMPを捨てるような真似をするより攻撃した方がいい。
わざわざ無駄に消耗せずともすぐに片付けてしまえるのだから。
ジョブ成長で得られるパッシブスキルの関係で仕方なく取得したが、取得したのが仲間であれば使い道を見出せたかもな、程度。
特にこの世界では単体を束縛した所で、クロムならともかくただでさえ破壊以外の汎用性が薄いディーの魔法を封じてしまうというのはいただけない。
と、最初はそう思っていた。
だがゲームと違うこの世界のある変更点が大きくこの魔法の価値を変えた。
それはターンという概念が失われた事。
魔法発動で一手消費などと考えなくていい。
更にこの世界では、通常時でもバトル中でも時間経過によるMP回復が発生する。
それもこの魔法に大きな価値を与えている。
ターンではなく時間経過が組み込まれたこの世界では意思決定に関わらず一定量どんどんMPが減少していってしまうので、体感としてはより使い辛くなってしまっているはずなのだが、同時に時間経過によるMP回復が行われるためこのデメリットにしかならないはずの特性を大きく緩和してくれている。
クロムとディーの差。
それはスキルよりも隔絶したステータスの差に依存している部分が大きい。
MPに関しては特にそうだ。
時間経過による回復は一定値ではなく最大値に対する割合回復となっている。
ゲームで宿で一晩泊まればMP量に関わらず全回復するという理に則ったものと思われる。
この世界でクロム状態のMPは時間にして六時間程度で空っぽの状態から全回復までいく。
これは睡眠時間を基準にこの世界が算出した全ての人間の仕様なのだろう。
睡眠という手段によらず、この世界では体力と同じ扱いとして毎分MPが僅かずつ回復していく訳だが、この時間回復値の差がクロムとディーで大幅に異なるのだ。これが大きい。
六時間を分にすれば三百六十分。
仮にMP最大値が三百六十ならば、毎分一ずつ回復していくという事になる。
クロムのMPはこれより遥かに低いので大体三分毎に一回復する程度。
しかしディーはクロムの八十倍程度のMP量を有している。
クロムだから分単位で回復するだけであって、クロムの約八十倍の回復速度を持つディーは二秒から三秒に一ずつ回復していくのだ。
HPとMP両方高速回復するディーがメインのキャラクターだったなら正に永久機関だったろう。
尤もディーがその両方を消費し尽す事自体がほとんど無いのであれだが、コマンドによる魔法連打を考えればこのMP常時回復仕様は相当強力な変更点になっている要素だ。
無限牢獄のMP減少はディーのMP回復速度を上回るので実際は減少の一途を辿っていく訳だが、それでも優に数時間は拘束できる計算になる。
減ったら魔力回復薬で補給もできるので、まさしく無限の名に恥じない。
ただこのMP割合回復、こうした利点もあるが残念な部分もある。
クロムはHPが減ればディーに覚醒する事で無かったはずの高速回復の恩恵を受ける。
だがMPは割合回復な以上、ディーに覚醒してからクロムに戻った所で回復割合速度が変化している訳でもなく、時間経過による回復量が実質変化しないという点だ。
これならもしかしたら例えばパッシブスキルによる一定値の回復、レベルによりその量が増加するとかそんな仕様の方がよりMPに依存するクロムの都合を考えれば便利だったかもしれない。
無論魔法使用によるMP消費量は一定なため、クロム状態で使用するよりディー状態で使用した方が減少割合は低く、クロムがMP百使用して弾切れになってからディーに覚醒するよりも、同じ魔法を使用するならディーに覚醒してからMP百使用した方が遥かに得なのは言うまでもない。
人化時、覚醒時のHPMP割合はクロムとディーで共有している。
(チュートリアルバトルと同じだな。減少と増加を繰り返している)
MPを監視していたクロムは満足する。
問答無用に殺害すれば全て解決してしまうゲームとは違うこの世界では、こうした場面が他にも出てくるだろう。
そう思いフロッグマンの方に歩を進めていたが、唐突に魔法の効果が消失した。
紫の光を放っていた檻が消え、バシャリと水の塊が地底湖に落下し同時に竜人化も消える。
(消滅した……? 帰還という方が正しいのかもしれないけど)
ちょっと不安になる。
拘束以上の事をするつもりは無かったのだが、万一精霊を消滅させてしまったのだとしたら笛は単なるオブジェと化してしまう。
フロッグマン達はゲロゲロと慌てふためきながら闇の中を壁際で蠢いている気配がする。
ランタンは壁に叩きつけられた際に壊れて転がってしまっていた。
「危害を加えるつもりはない!」
視覚操作を再び使用し急いで辺りを確認する。どうやら入り口以外に通路はなく、逃がす心配はないようだ。
「笛を持ってこい!」
ゲロゲロと鳴いていた声が徐々に止む。
言葉は理解できるらしい。助かる。
しばらく待つと両手で捧げ持つように巻貝を持ったカエルが一匹、ビタビタと走って来た。
目の前で「どうぞ、旦那」とでも言わんばかりに恭しく差し出してくる。
白い表面に七色の光沢を放つ巻貝を受け取りほっとして眺めた。丁度クロムの手に収まる程度。一応形だけでも目的は果たせそうだ。
「言葉は理解できるのか?」
「ゲ……ゲロゲロ」
持ってきたカエルが一生懸命頷く。
喋れないのにヒアリング能力は高いというのもある種の生きる才能だろうか。
ふむ。
ディー覚醒がアクティブになっていない以上、フロッグマンに敵意は無いのだろう。
MPが減るのも馬鹿らしいのでパージアイを中断し暗闇に目を慣らす事にする。
回復薬があるとはいえあまり飲みまくればポーション中毒という状態に陥る。
これもまたこの世界の厄介な仕様で、蘇生薬を封じた理屈からいけばいくらでも回復できるのを封じたのは納得行くものではあったが、クロムの利点を打ち消すためとしか思えなかった。
「火は使える?」
コクコクとフロッグマンが再び頷く。
敵意が無い事とその仕草などが可愛らしい事から、クロムは悪い事をしたなという気になっていた。笛さえ貰えればそれでいいのだ。
それに――。
どういう経緯でサンドラから奪ったのかきちんと聞いておきたい。
精霊と少し会話した限りでは彼らは簒奪者というよりは精霊に協力しただけのように思える。
暗い中フロッグマン達が松明に火を点けた。
松明を必要とする生活とは思えない彼らに何故用意があるのかは疑問だが、そこを突っ込んで考えてもしょうがない。
「ありがとう。ちょっと待ってて」
上手く行くかは分からないが巻貝に口を付け吹く。もう一度呼び出す事が出来れば会話が出来るかもしれない。
この辺はゲーマーのプレイ勘だ。
精霊を一度屈服させ新たに呼び出す。
如何にもありそうではないか?
ブオオー、と笛が鳴ると予想通り。
再び地底湖が盛り上がり、先程の精霊が姿を現した。ただその姿が先程より頼りない。
周囲に浮かぶ水玉も無く、体を形成する水が次々と表面を流れ落ちてしまっている。
「所持者となったか、人間よ」
「ああ。敵対するつもりは無いんだけど」
「私も無い。今やお前が私の召喚者だ」
「体調悪そうだけど大丈夫?」
「あまり時間が無い。残念ながら力をほとんど失ってしまっている。間もなく消えるだろう」
再び思いつきを実行してみる。
ウンディーネの腕輪を装備した。
「こんにちは。あら、こんばんは、かしら?」
「どうも」
「魔法をお望み?」
「いや、この精霊に力を分け与えるとか出来ないかなと思ってさ」
「珍しい精霊さんね。はじめまして」
ウンディーネを呼び出している間、少量ずつだがMPが減少していく。さっさとして欲しい。
「大分弱ってるわね。あなたの魔力を貰うけどいいかしら?」
「やってくれ」
湖の精霊よりも不定形に近い、ギリギリ人の形と判別できる程度の小さな水であるウンディーネがその手を合わせ口元に運ぶ。
両手に集めた綿帽子を吹き散らすように、ふーっと同族に向かって息を吹きかけた。
腕輪と接する肌に何かが吸い付くような感触がある。逆らわずリラックスし身を任せた。
予感が有りステータスを見ていたクロムは慌ててポーションを取り出し飲む。
やはりグイグイとMPが減っていく。
空になる手前でなんとか間に合った。しかしウンディーネは尚も容赦なく吸い取り続ける。
一応二本目を取り出すが、この調子で続けられてはジャンキーの誕生だ。
ここで飲むのは二本までと決めて、空になる前に強制的に腕輪を外そうと決め構える。
だが二本目を飲んだクロムが決めた限界線に来る手前でウンディーネはやめてくれた。
普通の体力を消耗するタイプの魔術師ならば死にかねない危険な行為である。
もしもクロムがポーションを持っておらず、この世界の仕様通りMPが体力と連動していたならばきっとぶっ倒れていたに違いない。ウンディーネは知能のせいか何なのか、人間の都合などお構い無しに必要量吸い取っていってしまった。
「助かった、人間よ」
「ウンディーネ、ありがとう、もういい」
溶けるようにウンディーネが腕輪へと還っていったのを確認し思わず息を吐く。どうやら精霊の危険性というか、素人があれこれやるのはその前によくよく考える必要がありそうだ。
「その腕輪、霊器か」
「れいき? 分からないけど」
「魔力を精霊力にするとは驚きだ」
「それより元気な内に色々教えてくれ」
巻貝の笛の所持者となってしまった。まさか自分が吹くとは考えていなかったが、無論一時的なものなので返却すれば大丈夫だろう。
(なんかこの世界で今までで一番ゲームしてる感覚だな……)
何やら予想を超えた複雑な展開を見せ始めてしまっているが、おつかいで終わるだけの世界を考えてみると、これはこれでアリなのかもしれない。




