密林の国
ビシオリヴァ流域は力強い木々が密生する原生林となっている。クロムの知識で言うとアマゾンのイメージに近い。
大河を内陸部まで遡った先は瀑布となっており、お決まりのようにそこにはダンジョンが存在しているが、今回は目的地とは関係ない。更に瀑布を遡ると休火山があり、ビシオリヴァの水源は火山周辺に点在する湧き水が溜まった湖から流れ出るいくつもの川の流れとなっている。
地図で見るとエジール大陸はビシオリヴァとその北部に存在する川で陸地が切り離されたように分断されており、この火山周辺で僅かに繋がっているだけに見える。
ビシオリヴァと火山を挟んだ北の川は、川と呼ばれているが実際は細く長く陸地が割れた部分に海水が満たされたもので、湾と呼ぶのが正しい。
なのでエジール大陸を一本の線で分ける北の川とビシオリヴァはまとめて<龍の通り道>などと言われたりもするが、火山を挟んで北と南では流れの周辺地域の生態系がガラッと変わる。
大河を挟んで西がナムヴィエ王国、東がティエー首長国の領土であるが、クロムが降り立ったのは西のナムヴィエ。
目的地はティエー側にあるのだが、川を渡る船に乗ってみたかったのであえてナムヴィエ側に降ろして貰った。
うまい事近い上陸地点が見つからなかったため、クロムは忍者の水練の如く荷物を頭の上にひとくくりに乗せ、泳いで渡ってきている。
暑い。
ゲームのBGMであるケチャに似た音楽が聞こえてきそうな錯覚に捕われながら密林を歩く。
ビシオリヴァ下流域であるここら一帯はまだ緩い方だが、上流に向かうにつれ気温は上がる。
火山の熱源がこうした気候を生み出す。
海水が乾き、すぐにジットリと汗が浮かびおそろしくベタつき気持ち悪い。
上陸した時点では下着一枚だったが、こんな調子でひどい事になるとすぐに分かっていたので下に短パンを履いただけの裸族のままでいる。
上流に向かう程未開の地となっているので、この辺りは人が住んでいるはずだ。
密林地帯はビシオリヴァを行き来する船着場より下流域は人間の領域として制圧されている。
ここまで詳細な情報はクロムが知っていた訳ではない。賢明なジョシュが船出前に世界の情報を集めたレバイド海賊の資料を揃えていてくれたおかげだ。ウリも生きた知識をくれる。
「あー、うっとうしい!」
飛び交う小さな虫。
蝶に似た羽の何か。
事前に渡された虫よけを塗りつけているおかげで被害を免れているのだろうが、上陸してすぐは塗っていなかった。
余計気持ち悪くなる気がしたからだが、すぐにあきらめて全身に塗りつけている。
毒性の高い虫ならどうかは分からないが、普通に体にまとわりついてくる虫は敵とは見なされないらしく、ディー覚醒はアクティブにならなかった。
万が一病気でも貰ってしまえば事だ。
竜人化できる条件、つまり敵に出会わなければ危険な事態になりかねない。
黒ずんだ顔料のような塗り薬はクロムの全身、顔や耳にまで塗りつけられている。
虫対策にベタついた体で装備品で全身を覆うのはなんともためらわれたのでこうしている。
(ナムヴィエの住民はこの下流域のあちこちに集落を作っているはずだ)
出来ればすぐに体を洗ってしまいたい。
ビシオリヴァに出て体を洗っても良かったが、結局虫よけの世話になるだけだろう。
ナムヴィエ王国は密林地帯から離れるとそれなりに発展した文化的な街並みに変わるらしいが、元々の住みかである密林地帯にも住民は居る。原住民というイメージを抱いてしまいそうだが、別にそんな事はなく単純に密林にも仕事があるかららしい。
一応ビシオリヴァを挟んでティエー一族と争っていた名残はあるらしく、そのイメージに近いジャングル特有のスキルを備えた戦士達の住まう土地でもあるらしいが。
たくましい幹を伸ばす木々と地面から伸びる様々な植物。
足元は平坦で歩きにくくはないが、とにかく下生えの草が邪魔で仕方ない。
まあアクセサリと防御強化で保護しているので傷付く心配は無いだろう。如何に鋭い草があるとしても、歩いて擦れただけでダメージを貰うとは考えにくい。
(お、あった)
木々の隙間から開けた場所が見えた。
複数の丸い円筒状の家が建っている。
地面から高床方式で床は離され、階段が全ての家に西向きに設置されていた。
屋根は藁のようなもので覆われている。
壁はどうやら丸太のようだ。
ガサガサと密林を掻き分け切り拓かれた空間にスポンと飛び出すと、左手に薄黒い肌の少年達が遊んでいるのを発見した。
その内の一人と目が合う。
「こんにちは」
「あ、こんちは! お客さん?」
「ああ、お客さんっていうか、まあ」
「母ちゃん呼んでくる!」
少年の一人が家に向かって駆け出すと、その後に他の少年達も続いた。
母ちゃーん、と叫びながらダッシュしていくのを眺めながらクロムはスタスタと歩いていく。
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「お湯加減は如何ですか」
「気持ち良いです」
ドラム缶風呂ならぬ桶風呂。
黒髪に黒い肌の女性が用意してくれた。
この集落は民族衣装なのか皆が似たような服を着ており、女性は文様のような化粧と装飾品を着けて着飾っている。
特別邪険にされるような事もなく、クロムはあっさり歓待を受けていた。
勿論あの少年の母親、この女性が親切なだけという可能性はあるが、他の住民もクロムを警戒しているようには見えない。
「すみませんね、急にお邪魔したのに」
「あら、これぐらい何でもありませんわ」
虫除け薬を拭いきれていなかったのだろう、表面に泡のように少し浮かんでいる。
地面に直接置かれた巨大な桶からそれを手で掬い、捨てる作業を繰り返す。
ぬるいが丁度いい。
何せ気温は高く夏のようだ。
クロムを発見して案内してくれた少年達は切り拓かれた集落の外周を走り回り遊んでいる。
もう一度頭から湯をかぶり、ガシガシとさっぱりした事を確認する。
「おかげ様でさっぱりしました。上がります」
「はい、どうぞ」
ニコッと笑ってくれた女性だったが、そのまま動こうとしない。少し戸惑う。
当然クロムは裸になっているので、このままだと女性に全裸を晒してしまうからだ。
別にクロムがそれをそこまで恥ずかしいと思う訳ではないのだが、まだ若く見える母親にそれを見せるのはどうだろうか。
「あー、上がりますよ?」
「ええ」
文化の違いは確かにある。
この世界に限らず元の世界でもだ。
きっとアマゾンの奥地に行けば男が女性に裸を見せるなど至って普通の事なのだろう。
だがクロムは知識としてあるだけで、この集落がそうであるなどと思っていなかったし、何より普通に言葉が通じてしまうからには別の文化圏なのだという意識も薄くなってしまう。
(マジか、なんかやばいなこれ)
もしかしたら女性もそうなのだろうか。
すぐにそんな事を考えてしまう。
いかん。
流石によからぬ妄想をしながら初対面の女性に全裸を見せるなど変態極まる。
余計な考えを振り払いザバッと立ち上がり、桶から出る。タオルを持って待っていてくれた女性からそれを受け取る。
が、クロムは急速に恥ずかしさを覚えていた。
立ち上がった瞬間、女性の顔が強張りサッと顔を背けてしまったからだ。
何でもないようにタオルを差し出してくれたが、あからさまに目線を逸らしている。
(ええ……)
うっかりという訳でもあるまい。
こうなる事は分かっていたはずだ。
考えても仕方ないので手早く体を拭い乱雑に頭を拭くと服を着る。ようやく人心地が付いた。
「お湯の始末はどうしましょう」
「あ、大丈夫です。このまま栓を抜くだけで」
キュポンと桶から栓を抜くと地面に勢い良く流れ出す。すぐに地面に吸収されてしまうのだろう。
「水は川から汲んでくるんですか?」
「いえ、すぐそこに湧き水があります」
「使った分は汲んできますよ」
「いいんですよ、男衆が戻ったらまとめてやる事になっていますのでお気遣いなく」
女性はやや顔を赤らめている。
何ともバツが悪い。
しかしたかが風呂とはいえ礼もせずにこのまま立ち去ってしまうのは気が引けた。
「何かお礼をしたいんですけど」
「このくらいで大げさです」
そう言われてもな、とクロムは頬を掻く。
見る限り便利な暮らしとは思えない。
施しを与えるような考え方だと思ってしまっては良くないが、何か役に立てないものか。
「あの、良かったらこの村について少し教えて貰えませんか」
「村とは言わないのですが……この集落に名はありません。もっと奥にいけば村はあります」
奥というのはどっちだ?
上流を指すのか密林の外を指すのか。
「失礼しました。ええと、ここではどういった仕事をして暮らしているんですか?」
「男衆は川で漁をしたり、船の仕事をしたりしています。私達は編み物などを」
「船の仕事ですか」
ナムヴィエとティエーを繋ぐ連絡船は教えられた通り、安全な下流域にあるようだ。
そう遠くないという情報を確かめる事ができたのは有り難い。
「船着場はここから歩いてどれくらいの場所にあるんでしょうか」
「歩いて一時間もかかりません」
一時間か。
まあまああるような気がするが。
それに現地の人間の歩いて一時間はアテにならない場合が多い。
自分達の健脚と土地勘を基準に言っている場合が多いのは、元の世界でもこの世界でも思い知らされている。
「集落は他にも?」
「はい。大体九つ程でしょうか?」
「ここにはどれくらい人が居ますか」
「全部で百二十人くらいです」
意外と多いな、とクロムは驚く。
家の数はせいぜい十五棟くらいしかない。
「結構多いんですね」
「ここは他の集落より少し多いですね。向こう側のすぐ隣にももう一つありますので」
なるほど、見えていないだけで瓢箪のような作りだったのかと納得する。
しかしどういった礼がいいか。
ここに滞在するつもりは無い。
金を払うのも失礼だろう。
うーむ。
「船に乗られるのですか?」
「はい、そのつもりです」
「私の夫が船着場で働いていますので、困った事がありましたら言ってくださいね」
ナフラ、というのが女性の名らしい。
親切にもそう言ってくれた。
益々黙って立ち去りがたい。
「虫除けも塗られていたようですがあれでは大変でしょう。私達の使っているものをお分けしますわ。きっとお使いのものよりさっぱりしていると思いますので」
「あ、そんな」
ナフラはさっさと家に行ってしまった。
実に困ってしまう。
これではもう何かする他無い。固辞する事もできない優しさにはただ感謝で応えればいいとも思うが、他人に分け与えられるものをクロムは沢山持ちすぎている。
と、バタバタと子供達が駆け寄ってきた。
「兄ちゃんどっから来たの?」
「んとね、海の向こうからだよ」
「へえ~、すげえや」
「変な服着てらあ」
「ねえそれ何が入ってるの?」
特別何が入っている訳でもないが、とクロムはそう思いながらも背負い袋を渡す。
「見ていいよ」
「わー」
子供達がガチャガチャとランタンやら何やらを引っ張り出して広げ始めた。
特に失って困るものもないので、それで楽しませてやれるのなら構わない。
「わ、すっげえ兄ちゃん金持ち!」
「金貨だ!」
「ねえこれ何?」
そうやって子供達がワイワイ騒いでいるのを眺めていると、ナフラが戻ってきた。
両手に色々と抱えている。
まさかくれるのだとしたら多すぎる。
「お待たせしました……あら、ちょっと何してるの、駄目じゃないそんな事して」
「いいんですよ」
「そんな……ほら、元に戻しなさい」
子供達を窘めるナフラを押し留め、いいんだよと伝えてあげる。嬉しそうに少年達は再び荷物をいじくり始めた。
「申し訳ありません」
「別に構いませんよ、そんなに大事なものも入ってませんし」
「お金もありますのに」
「取る子なんか居ないでしょう?」
「それは勿論」
背負い袋とは別に置いてあった寝袋も広げ始める。それも好きにすればいい程度の事だ。
「何か沢山持ってこられましたけど……」
「船着場まで行かれるのでしたらお持ちになった方が良いかと思いまして」
水のような虫除け薬。
葉に包まれた粉。
どちらも虫対策らしく、粉は病気の予防薬であるらしく飲んでおいた方がいいとの事だ。
更には食料と傷を負った時のための塗り薬まで用意されていた。至れり尽くせりがすぎる。
「そこまでしていただく訳には」
「いいのです、ここでは簡単に作れるものばかりですので貴重でもありませんから」
では貴重なものがあるという事か。
「という事は手に入りにくいものもあるのですか」
「いえ、そんな事はありません」
互いに牽制のような会話になる。
クロムが礼をしたいのとナフラが礼を受け取りたくないのと、どちらも意図は理解している。
にしてもナフラは良い人すぎるな。ここまで来るとお人好しだ。
悪人が訪れた際に厄介な事になりはしないかと心配になってしまうレベルだ。
「ナフラさん、この子達と少し遊んでいっても構いませんか?」
「え? ええ、それは構いませんが」
「やった! 兄ちゃん何して遊ぶ?」
「川行こうよ!」
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ビシオリヴァは広すぎる川幅のためか、流れは無いも同然の穏やかな川だ。
子供達はこの川で遊び、泳ぎ、自然と将来働くために必要な事を学んでいくらしい。
密林で生きる知恵もそうだ。
この近辺の住民は密林で取れるある果実を日頃から毎日のように食べているらしく、それがハーブのように体に染みこみ天然の防虫薬を汗から分泌しているとの事。
クロムが貰ったサラサラした虫除け薬はこの果実と水を混ぜ合わせたもので、体調を崩したりしない限り住民は必要としていない。
「やっほう!」
「ていっ」
少し切り立った場所から川に向かって少年達が飛び込んでは戻ってくる。
近くには小さなボートが置いており、それで後で遊ぼうと誘われていた。
風呂に入る際にカツラは外して銀髪を晒している。こんな小さな場所でシーバルを無理に我慢して演じ続ける必要も無いだろう。
正直せっかくサッパリしたのに川に飛び込むのは気後れして見ていたが、海水のようにベタつく事はないし、水もわずかに濁っているだけで水質そのものは綺麗だ。泳ごうかな、という気になってくる。
「君は泳がないの?」
一人クロムの横で眺めていた一際小さな少年に話しかける。
「あたしまだおよげないの」
女の子だったか。
「今いくつ?」
「ごさい」
「そっか。じゃあお兄ちゃんと一緒に泳ぐ?」
「うん!」
一緒に服を脱ぐ。
タムという小さな女の子を抱いて川に入る。
飛び込む訳にもいかないのでゆっくりと足から入り、一旦頭上に抱え上げてから水に入った。
「タム、いいな!」
「兄ちゃん泳げるんだ」
「タム、足で蹴ってみな。手はいいからさ」
すぐに少年達が寄ってきた。
泳ぎを教えるのは子供達の役目のようだ。
それと何故ナフラが油断していたかが分かった。少年達は股間に皮張りの下着とでもいうか褌の一巻き目とでもいうか、ピッタリした小さなファールカップを付けていたのだ。
ナフラはやや天然らしい。
クロムが外から来たと知っているにも関わらず、うっかりそれを失念していたのだろう。
タムは一応やり方は知っているのか、両脇にクロムから手を差し込まれ支えられたまま、カエル足で一生懸命水を蹴っている。
「上手上手」
「ねえ、てははなさないでね」
そうして泳ぎを教えていると少年達はボートを引っ張り出し、勢い良く上から川に投げ込む。
ジャボンジャボンと次々に飛び込むと、すぐさまボートに這い上がった。
「兄ちゃんも乗ろうぜ!」
「ああ」
タムを預け這い上がるとボートに据え付けていたオールで少年達が漕ぎ始めた。
「向こう岸まで行ったりするの?」
「それは駄目だよ。真ん中まで行くのも駄目だって言われてる。まあ行くけどね」
どこの世界でもそんなもんなのだろう。
「あのさ、集落で大人達が苦労してる事とか知らない? 何か手に入りにくいとかさ」
「ええ? 何だろう」
「雨の時期は獲物が獲れにくいよ」
一人の少年からオールを借り受け、クロムが漕ぐ。ステータスがしょっぱいとはいえ子供とは比べるべくもない。ボートが斜めに動く。
「兄ちゃんそれじゃ真っ直ぐ進まないって」
「ごめんごめん」
「おい、そっち二人で漕ごうぜ」
「何か考え付かない? あったら便利なものとか」
「えー、分かんないや」
「あたしね、おかしもっとほしい」
「お菓子ねえ。どんなの?」
「いつもおもちとかだけど、そとからおとうさんたちがかってきてくれるのいっぱいほしい」
餅か、どんなのだろう。
食べてみたいな。
「でもあれかなー。やっぱお金じゃない」
「うちの母ちゃんも言ってら、それ」
それはちょっとどうにも。
クロムが口出し手出しする事ではない。
「お父さん達は船の仕事もしてるんだろ?」
「稼ぎはいいって聞いた事あるよ。船の方はさ。でもよそでの買い物が高いんだって」
「例えばどんなの?」
「えー。分かんないけど」
「お菓子も高いんだぜ、タム」
ふうむ。
ちょっと良く分からんな。




