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レギンスタ王国 4


「こちらが悪かった。話がしたかっただけなのは本当だ。一人と見て威圧的に出た、すまない」


 ケイマンを木に押し付けた男は同じ元冒険者に見える。

 何日も風呂に入っていないのか、不潔さを感じさせる髪と真っ黒に汚れた巨大な眼鏡が目を覆い、表情は分からない。

 

 その手に握られたナイフがケイマンの背中に押し当てられている以上、この男の要求に従う他ない。リッグスは両手を上げた状態から左手だけを伸ばし、全員動くなと手の平を地面に向けてゆっくり数度振る。


 仲間達に流れる緊迫した空気。

 手の武器は捨てたが身に付けた武器を全て捨てた訳ではない。

 どうする。そんな男達の声が静寂を伝わって聞こえてくるような気がする。


 しかしそこからどう持っていくか、それ以上考える必要は無かった。


「じゃ、おあいこって事で」


 無法者にしか見えなかったそいつは、驚いた事にナイフを腰にしまうとケイマンの肩をぽんと叩き、後ろに下がったのだ。


 まさかそんな風に簡単に解放するなどと露とも思っていなかった男達は呆気に取られる。

 リッグスも全く同じ気持ちだ。

 男は未だ不利な状況にある。

 自ら覆したその優位を捨てるなど。


「こいつは今度こそ本当に俺達の負けだよ。いや、俺が足を引っ張っちまったな。すまん」


 ケイマンは服に付着した木の汚れをはたきながら落ち着いた声で言うと、ニッと笑って見せた。


「やるな、お前」

「アンタを奇襲しただけだ」


 男も口元で笑う。

 その声に嫌なものを感じなかった事でリッグスは体から力を抜いた。その空気を察したのか、全員が息をつきリラックスする。


「リッグスだ」

「俺はケイマン」

「シーバルだ」


 次々に自己紹介をしていく。

 拳を交わした後で挨拶する。

 冒険者の慣習のようなもので、そこに流れる共通の意識を確認できた。負けたがまあいいか、とリッグスは苦笑する。


 シーバルが何故ここに来たのか。

 武者修行でこの大陸にやってきたのだが、奇妙な村の噂を聞いて一目見ようと思った、という理由はにわかには信じがたい。


 手並みを見ても相当戦い慣れた手練れなのは分かったが、レギンスタ王国は政情も不安定ならばアッセト山脈周辺には不穏な空気も漂っている。あまりに無謀だとしか思えない。


「いや、何も知らなかったから」

「おめえ良く生きてられんな……」


 しかし会話していて思ったのは、このシーバルという男はいわゆる求道者タイプだという事。

 たまにそういう手合いに出会う事もある。

 とにかく常識が欠けているフシがあるのだ。


 ケイマンの魔法について質問ばかりする。

 こちらが何故囲んだのかとか、そういう聞いて当たり前の事に無頓着にすぎる。


「お前なんでそんなに魔法に興味あるんだ?」

「俺も魔術師だからな。教えて貰いたくて」


 えっ。


 ほぼ全員が口を揃えた。




==============================




 引火した死体の壁が奥のゴブリン達を押し留めている間に、手前の空洞の制圧も完了した。

 辺りは激しい煙と匂いで充満している。

 一度空洞に戻り話し合った。


「どうする」

「全員手傷は無いか?」

「ある訳ねえ」

「形としては最高だが……」


 想定通りの状況には持ち込めた。

 空洞と空洞を繋ぐ狭い通路に引き込んで、こちらはその出口の空洞に弓状に布陣して叩く。

 七対三というような形に出来る訳ではないが、危険があればこちらは布陣をコントロールしながら押し寄せるゴブリン共を叩けばいい。


 煙と匂いを嫌ったシーバルが強風ウインドであちら側に押し返している。

 傍に立ったケイマンは暢気に「無駄な魔力使うなよ」とその様子を監督よろしく眺めていた。


 ケイマンめ。


 リッグスはやはりどうしてもそういう姿を見ると笑みが零れてしまうのを堪え切れない。

 一抹の物悲しさを伴うそんな感傷は、ケイマンが教師で居られなかった事に対して申し訳なく思っているせいなのだろうか。


「状況が変わった訳でもない。火が燃え尽きたら襲ってくるはずだ。迎え撃つぞ」


 全員で所定の位置に付く。

 リッグスと戦士二人で三方の壁を作り、隙間から弓戦士と盗賊、魔術師二人が支援する体勢。


 まずいけるだろう。

 ゴブリン共は煙に追い立てられたのか、やかましく騒ぎ立てる声は聞こえてこない。

 これもいい。視界が晴れるまで距離があるに越した事はなく、乱戦の可能性も減る。


「ボースがいりゃあ楽できんのにな」

「言うな。それはそれで危険なんだ」


 戦士の一人も新しく加わったメンバーだが、魔法の強力さを深く知ったはいいがその効果にばかり目が行き、そこに伴う危険性を理解するには至っていない。地形にもよるが、射線の問題などで攻撃系魔術師は補助系魔術師より前に出る場面が多い。


 相手の飛び道具にも狙われるのだ。

 元々成り手が少ない魔術師は、詠唱中の脆さも手伝って後衛でありながら致死率が高い。

 体を覆う分厚い鎧は魔力の動きを阻害するらしく、体力の消耗も相まって重装備ができない。


 常識だが、実際にいともたやすく魔術師が命を散らす場面になど出くわした事がないのだろう。



 ブスブスという音が小さくなり、煙が晴れてきた。まだ熱が篭もる通路部分に押し寄せるゴブリンはいないようだ。


「んん?」


 盗賊が妙な声を上げる。


「おい、ケイマン、まだ目はいけるか?」

「あんまり使いたくないがなぁ」


 詠唱と共にケイマンがスッと瞼をなぞった。


「ああ……? 奴さん達、奥に引っ込んだみたいだぞ……?」


 通路から目を離す訳にもいかず、ケイマンの声だけを背中で聞く。


「なんだ、どうなってる……いないぞ」

「はあ?」

「さっき見た一番奥まで見てるが、もぬけの殻だ。……空洞しかない」


 全員がパチクリと顔を見合わせ、後ろを振り返る。警戒した所で意味が無いらしい。


「ちょっと待てよ。じゃ何か、隠し通路とかあって、そこからどっか行っちまったってのか」

「ゴブリンが、か……?」

「隠し通路だと」


 一気に不安が込み上げた。

 相手がたかがゴブリンでしかないだけに、手玉に取られたかのようなこの状況は余計に不気味なものを感じさせる。


「行くぞ。急いで奥を確かめるんだ」


 怖がって引き返すのもいいが、立ち止まるのはもっと悪手だ。そして前に進んで状況を確認する事こそ最善と誰にでも分かる。


 盗賊が先頭に立ち、煙を上げる死体の燃えかすをよけて飛び越えて行く。それに全員で続いた。


 次の空洞。

 ガランとしている。

 その先に今通ったような通路が見える。


 振り返った盗賊にリッグスは頷き、全員に前へ進むよう指示する。

 次が最後の空洞だとケイマンから伝えられている盗賊はやや慎重に通路へ取り付くと、様子を窺った後、前を見ながら片手を後ろに突き出し人差し指と中指でクイクイと合図を送る。


 全員で侵入し、ランタンと松明で最後の空洞を照らし出した。


 が、やはり何も無い。


「探せ。隠し通路か何かだ」


 松明を増やし全員で壁に取り付く。

 床、天井もおかしな所が無いか探っていく。



 しかし何も見つからない。


「どうなってんだクソッ!」


 盗賊が吐き捨てる。

 こういった場所での仕事は索敵と探索なのだから、それを全うできないのは癇に障るだろう。


「落ち着け。一度戻るしかない」


 時間をかけても仕方が無い。入り口の二人も安全かどうか分からない状況だ。すぐに引き返す。

 しかし全員が急ぎ足で移動する中、おい、とケイマンが声を上げた。

 

「ここは? この空洞は調べなくていいのか」


 二番目の空洞。

 言われてみれば三番目の空洞に何も無いならここしか可能性はない。

 急いで手分けして調べる。


 しかしやはり何も見つけられない。

 そこへシーバルがコンコン、と短槍で壁を叩き注意を引いた。


「やられた」


 その手に握られた短槍の指し示す先は、二番目と三番目の通路部分。その壁。

 顔を歪めた盗賊が無言で近付き、調べる。

 すぐに拳を叩き付けた。


「やってくれるぜ」


 盗賊が手を押し当て踏ん張る。

 ズズッ、と岩肌にしか見えなかった部分が奥へと押し込まれていく。すぐに他の者も手伝った。


 押し込んだ壁部分から中に入ると、右手に地下へと続く階段がある。

 ここは踊り場のようになっており、この岩を開けたり閉めたりするという造りになっていた。


「ダンジョンって事かよ……」

「ふざけんな」

「ゴブリンが閉めていった、って事か……?」


 流石にここまでだ。

 ダンジョン探索になる、と決まった訳ではないがこれ以上前に進むなら日を改める必要がある。


 一応閉めていき、せめてダンジョンから出てこれないようにと盗賊が岩の隙間に仕掛けをかましていく。例えばオーガの怪力なら弾け飛んでしまうだろうが、せめてもの嫌がらせだ。


 入り口で待つボースと戦士の下へ急ぐ。

 多少数は減らせたものの、失敗だ。

 依頼としてもゴブリンとオーガの一団を逃がした挙句、ダンジョンを発見したなどと余計混乱する厄介な情報を仕入れてしまった。


 計画の練り直し。


 だがそれも許されそうにない。


 入り口まで戻り夜闇を照らしたランタンは、外に転がる戦士の潰れた死体と、一匹のオーガの死体を映すだけだった。




===============================




 等間隔に並んだ篝火が二列。

 視界の端から端に映りきらない程長く、列同士は五十歩程の距離を空けて置かれている。


 ツフレ村寄り、洞窟との中間地点に置かれた防衛線はツフレ村の財産を使用している。

 木はいくらでもあるが、この村を出て木を切り倒す作業は簡単ではない。


 門を開け放ち村人を大勢動員して監視の輪を作り、木こりが中心となって素早く切り倒しては運搬するという気の抜けない作業が必要になってくる。これだけ贅沢に薪を使うのはかなり痛いだろう。


「ソレド、座って待とうぜ」

「ああ」


 地面に置いた予備の矢筒に手をかけながら、あぐらをかいて座り込んだレンジャーの男がのんびりとソレドを見上げる。


 腕組みし、闇の中に幻想的に揺れる炎の道を眺めていたソレドは生返事をしたまま動かない。

 篝火の照らす範囲を動く影が無いか、辛抱強くじっと眺めている。


 リスクを伴った作戦だ。

 交戦するような事態になれば、何としてでも討ち漏らしの無い様に仕留めなければならない。

 不測の事態で手こずる場合は村へ撤退するようになっているが、ゴブリンは追ってくるだろう。


 それで村が発見されれば――。

 

 いや、どの道いつかはそうなる。

 こんな場所に小さな村一つ、ずっと無事でいようなどと考える方が間違いだ。

 

 それまで領主が雇っていた傭兵団もそんな風に考えていたのだろうか。

 その戦いがどれほどのものだったのかはソレドは知らない。ただ村の構えを見る限りでは本気だったように思える。


 今回の依頼のゴブリンの群れからは村を守ると決めているが、その先の存続自体は無理だろうな、とソレドは思っていた。


 王国の態度がそれを許していない。

 抗った所で無駄だ。

 

「ソレドさん、篝火を足さないと」

「やりましょう」


 自警団の男達と共に薪を足して回る。

 火から離れた場所でソレドは暗闇に神経を配る。レンジャーの男が居るので安心しているが、素人とはいえソレドも出来る事はやる。




 少し雲が出て来たようだ。

 山から吹き降ろす風が冷たい。

 自警団の男達は山風には慣れているだろうが、別の意味で体を強張らせているように見える。

 

 ゴブリンの厄介な所は何と言ってもその凶暴性に尽きる。生きるために獲物を狙うという点では肉食獣と変わらないが、邪悪と呼んで差し支えないその性根が大きく違っている。


 防衛本能を失った狂った獣。

 そんな言葉で言い表せるだろうか。


 人間に酷似したその体躯は十一、二歳の少年の体格とほぼ変わらない。

 跳躍力や敏捷性という部分では鍛えた少年と言えるかもしれないが、筋力もまあ大体その範疇だろう。


 わずかな知恵しか持たない点では大きく劣る。

 だから戦闘技能を持っていたり、死に物狂いだったりすれば人間の少年でも一対一ならゴブリンはそこまで脅威足り得ない。武器さえあれば。


 ソレドは知るべくもないが、クロムが感じたイメージで言うと「ゾンビものの感染者」。

 動物や人間、餌になるものを探しまわり、見つけたらとにかく襲い掛かってくる。


 それはゴブリンが群れるくせに弱い存在であるがゆえ常に餌不足である事もそうだが、そこには理解し難い敵意も混じっている。


 それこそがゴブリンという生き物のあるべき定められた姿なのだろう。何故だとかは意味が無い。

 

 厄介なのはその繁殖力にある。

 とにかく群れる。気付いたら大きなコロニーを形成している。狩る獲物が足りないと感じた場合は一定以上群れの数が増えないよう繁殖をやめるようだが、もしもゴブリンが強者であれば獲物には困らず、爆発的に地上を席巻していたはずだ。


 勿論現実にはそうはならない。

 狩れる獲物は限定されているし、巨大な群れなどできない。動物は知恵の足りないゴブリンが満足に狩るには敏感すぎる。


 だからゴブリンは人間を良く狙う。数も多く、鈍重で肉も豊富だ。

 おそらくそうして長い間、ゴブリンは人間を狙う本能を身に付けていったのではないかと考えられていたりする。



 ただゴブリンにとって人間とは狩りやすい獲物であると同時に、自分達が狩られる存在でもある。

 そこを理解しない点こそ、真にゴブリンが厄介なモンスターであると言える部分かもしれない。


 肉食獣ですら住み分けるという意識を持つ。

 威嚇すれば退くという知恵も持っている。


 ゴブリンが邪悪であると言われるのはそうした住み分けの意識すら持たずに、ひたすら執拗に襲ってくるからこそ。


 今現在曲がりなりにも住み分けができているのは、先人達が徹底的に狩ってきたからだ。

 人類史上最も積極的に人間が駆逐してきたのは間違いなくゴブリンだろう。


 それでもこうして根絶には至っていない。

 全く恐るべき繁殖力と言える。



「あまりじっとせずに体を動かしていた方がいいです。何なら矢を射る訓練をしたっていい」


 硬い自警団の人間にソレドは忠告する。

 出来るだけリラックスした雰囲気でいるよう意識したつもりだが、ソレドとて経験がそんなにあるかと言われれば無い。


 ゴブリンなど容易いと胸を張って言えるが、それは過去の経験が容易い状況だっただけだ。


 体格的には子供だが、こうして広い場所で鋭い爪と牙を持つ狂乱した子供が一斉に大群で襲い掛かってくる光景を想像すると、恐怖を感じる。しかもゴブリンは人間より遥かに痛みに鈍感で、死を怖れず飛び掛ってくるようなものなのだから。


 それが村を襲うと考えると――。


 それだけは避けなければいけない。

 頭を振り、考えた光景をかき消す。


 レンジャーの男とソレドの違いは防衛の意識の違いだろう。のんびりとした態度のレンジャーの男はまず間違いなく、危険を感じれば後退するという考えでいるはず。


 冒険者だったのだ、当たり前だ。

 不利な状況で戦う必要などない。


 だがソレドは違う。一歩も退くつもりは無い。

 村へは絶対に近づけないつもりだった。






 油断無く神経を研ぎ澄まして注意を払っていたつもりだったが、そんなソレドよりも早くレンジャーの男がガシャリと矢筒の音を立て立ち上がった。同時にシュイッ、と矢を引き抜き弓につがえている。


「来たのか!?」


 ソレドの声に場が緊迫する。

 自警団の男達もそれぞれ手に手に武器を構え、予定通り広がった。討ち漏らした残党は必ず仕留めなければならない。


 篝火が形成する二本の防衛線。

 奥の炎の列が照らし出す範囲に、暗がりから姿を見せたのは――ボースだった。

 体を引き摺るように走ってくる。


「ボース!」


 一見してただ事ではないと分かった。

 その足取りは重く苦しそうで、表情は明らかに疲弊の極みにある。どう見ても凱旋ではない。


 素早く迎えに走り出す。

 が、すぐに止まった。


 ボースが片手を突き出し、激しく首を振っている。よせ、と言っている。


 一列目の炎の隙間を抜けたボースの仕草が意味するものは、すぐに分かった。

 ゲッ、ゲッ、と騒ぐ声。

 パタパタと重なる沢山の足音。

 ドッ、ドッ、と地を鳴らす重い何か。


 考えうる限り最悪のシナリオが、確認するまでも無くそこにあるという事がはっきり分かった。到底残党と呼べる数ではない。


「撤退だ! 真っ直ぐ村まで走れ!」


 ソレドがそう決断した際は何を置いても従えと、事前に何度も繰り返し注意してきている。

 自警団の男達は素早く身を翻し、一斉に走り出した。一瞬の躊躇も無かった。


 それを見てソレドはわずかに平静を取り戻すと、静かに剣を抜く。

 レンジャーの男も黙って横に並び、ボースを逃がすつもりでいるらしい。


 二列目の炎を抜け、ボースが激しく荒い呼吸で目の前まで来た。もう奥の炎が絶望的な光景を映し出している。


「壁で、っは、はあっ、はあっ……迎撃だ」

「こりゃ無理だ」

「リッグス達は来てるのか!」


 息も絶え絶えのボースはそれだけ言うと問いかけには答えずよろめきながら駆け抜けていく。


 そうか。

 目を閉じる。

 冷静な判断だ。

 そうソレドは思った。


 ボースが引き連れてきた。

 むざむざ獣を案内したようなものだ。

 しかし元々目的は殲滅にある。多分ボースは自分なりに最善の判断を下したに違いない。


 壁で食い止めればボースは大半を薙ぎ払えるだろう。あの状態で追い付かれさえしなければ。うまく逃げおおせてすぐに魔法を行使出来れば。息が整うまで誰かが食い止める事が出来れば。


「おいソレド、何やってんだ!」


 ボースの後を追ったレンジャーの男が怒声を浴びせてきた。

 ゴブリンとオーガは篝火を蹴倒し、殴り倒し、もう二列目に差し掛かっている。醜悪な大群がはっきりと照らし出されている。


 リッグス。

 所詮こんなものだ。

 あまりに呆気なく、こんな現実がやって来る。

 俺達は分かっていなかったのかもな。


「ボースを頼んだぞ!」


 もしかしたら。

 万が一自分が時間を稼げれば、二人が逃げた姿を見失い村まで辿り着かないかもしれない。


 村を発見するのに手間取り、体力を回復させたボースが壁越しに殲滅してくれるかもしれない。


 リッグス達が全滅したであろう今、この状況この戦力で村を防衛するならボースを逃がす。


 ソレドの結論。

 逃げない、そう決めると楽になった。

 ゴブリンが尖った石や木といった原始的な武器を持っていたりするのさえはっきり見えた。


 愛剣に宿る知恵と文明とは比べるべくも無い。爪や牙も鎧に通りはしないだろう。

 見ろ、隊列も何もあったものじゃない。

 まとまってくればいいものを我先に首を差し出してくるだけのようなものでしかない。


 心の中で冷静に分析する。

 時間稼ぎは出来そうだと。


 いつか来ると覚悟していた瞬間。

 こんなに早く訪れるとは思っていなかったが。

 何かを背負って震える事無く真っ直ぐ立っていられる事に心から感謝する。

 己がみっともなく泣き叫びながら死んでいくのではないかという恐怖は時折心を苛んだが、どうやら自分はそうならずに済むらしい。



 炎を背に襲い来る無数の禍々しい影を前に、ソレドは不思議と静かな気持ちで向き合った。

 


 最初の一匹。

 ただ剣を薙ぐだけで良かった。

 綺麗に両断とはいかなかったが、真横に吹き飛び盛大に血飛沫を上げ飛んでいく。


 二匹目、三匹目。

 まず腹の部分を斬り上げるようにし、足を動かして半身に沈むともう一匹に肩をぶちかます。 

 ゴブリンの臭い息が顔にかかるがそれだけだ。そのまま刃を返す。


 四匹目、五匹目――。

 そんな風に数えてはいられなくなった。

 とにかく手放さぬよう柄を握り締め、大きく剣を振り弾き飛ばすように振り回す。


 こんな戦い方でもあっさり斬られてくれるのだな、とソレドは有り難く思う。左手は拳を握り締め、枝を突き立ててきたり噛み付いてきたりするゴブリンをガントレットでぶっ叩く。


 もう視界は何を見ているかも分からない。

 飛びつき、飛び掛ってくる醜悪な存在を感じ取ってただただ斬り捨てるのみだ。


 ギャアギャアと叫ぶ声がうるさい。

 足に、腕に、背中に纏わりつく。

 体のあちこちに痛みを感じる。

 だが思った程激痛は感じない。

 

 いいぞ。

 もっと纏わり付いてこい。


 ソレドはもうゴブリンに集中してはいなかった。適当に暴れ回るだけでゴブリンを仕留めていく感触はあったし、体を激しく動かす事で攻撃が鎧に当たり弾き返してくれる、攻防一体の動きになる。顔さえ守れれば。集中しようにも、もうそういう風にするしか無かったとも言える。


 オーガだけを見ていた。

 

 モンスター同士であればゴブリンは恐怖を感じて逃げるという習性を持っているという。

 人間相手では数がいる内はいくら暴れ回ろうが無意味らしいが、オーガをやれば怯むはず。


 でっぷりと太って見えるが肌は弛んだ動きを見せていない。筋肉の鎧を纏っているのだろう。

 意外と足は遅くないのだな、と知る。

 中々の足運びで近付いて来る。


 狙うは首。

 顔はよけられる確率が高い、奴にも目は付いている。体は分厚く、きつそうだ。

 ならば一撃。渾身の突きをその首に突き立てる。必ずやってみせる。


 無数に群がるゴブリンの群れ。

 その中で竜巻のように暴れ狂うソレドにドスドスとオーガが近寄っていく。

 狙っている事を悟られぬように目線を逸らしていたソレドの目が、間近のオーガを捉えた。


(くたばれ!)


 身を捩り、オーガへ体を回転させる。

 だが。


(ぐっ……!)


 伸ばした手が邪魔だ。

 引っ込めろ。そんな分厚い障害が目の前にあったら届かないだろうが。


 ソレドがそう憤激した刹那、矢が高速で飛来しオーガの目に突き立つ。

 視界を塞ぐように伸ばされていた手が引っ込み、オーガの目元で小さく畳まれる。


 アアアアアア……。


 そんな苦悶の大音声が響き、上半身を曲げたオーガが泣き崩れる娘のように無防備な姿を曝け出した。その叫びに纏わり付いていたゴブリン達の重圧が緩んだように感じられた。


(好機!)


 両手で柄を握り締め、思い切り踏み込んで伸び上がり、そのまま首に思い切り突き込むだけ。


 そう思ったが意外な程に足運びが鈍い。

 思い描いた攻撃には程遠い。

 しかし別に関係ない。

 オーガには見えていない。


 ゆっくり踏み込み、渾身の力で突き入れた剣先は狙い過たずオーガの首先を捉えた。


 

 だがソレドの思惑はほんの少し、最後の部分だけがやや思い通りに行かなかった。

 足も手も、傷付きすぎていてソレドの思うようには動いてくれなかったらしい。


 首筋を捉えた剣先は確かにオーガの喉を食い破ったが、貫通するまでには至らなかった。


 感触でそれを理解していたソレドは更に突き入れようと片手を伸ばし押し込もうとしたが、オーガの左手がソレドの体を真横から激しく叩き、吹き飛びゴブリンの集団と絡み合う。


 伸び上がり片手になっていた事で剣は手から離れてしまっていた。

 尤も剣を握っていた所でソレドの右半身はひしゃげ、使い物にならなくなっているのだが。



 ぼうっとした頭でソレドは考える。

 矢が飛んでこなければ自分は失敗していただろうか。あの一撃すら届かなかっただろうか。


 確かに有り難い援護だった。だけどそれってあいつ、逃げてないって事なんだよな……。


 ソレドに群がったゴブリンが武器を突き立て、露出した体に噛み付く。

 興奮状態で血を啜り、肉を貪っていく。

 獲物を食らう同胞に怒り、別のゴブリンもまたソレドに群がっていく事で、想定とは違った形で時間稼ぎは達成された。




 

 炎に照らされ悪魔が踊る。

 そんな光景を見ていたレンジャーの男は、倒れ、群がるゴブリンに隠れ見えなくなったソレドの最期を想う。見事すぎる姿だった。抗い続けるその姿に思わず見とれてしまった程に。


 一度夜空を見上げる。

 多分ソレドが期待したのは村の防衛だろう。二人だけでも居れば全く違う展開になるはずだと、きっとソレドはそう考えたに違いない。自分だってそう考えて村まで走ろうと思った。


「だけどあいつがよお」


 どっかりと大地に腰を下ろし、杖を抱き座禅のような姿で息を整えているボースをチラリと見る。

 ソレドが残ったと知った所でボースは走るのをやめていた。馬鹿げた選択だとかなんだとか、色々言いたい事はあるがもう意味が無い。


 ソレドがあそこまで暴れると知っていたら、追い付かれないと確信して走り続けていたかもしれない。そんな事もどうでもいい。


 ゴブリン共はこちらの姿に気付いて走ってきている。餌にあぶれた連中が怒っている。


 ソレドとボースの姿から何かが伝わってきた。

 それはただの諦めや開き直りではない何か。

 一瞬で、すぐにストンと胸に落ちた。

 勿論それですぐ行動できた訳ではない。


 まあいい。

 それが自分という人間だ。

 一度クルリと弓を回す。


 おやつぐらいにしかならんぜ、とせせら笑う。

 ざまあみろ。

 ヒョロヒョロの男と乾ききったジジイだけだ。


 こうなるんならせめて隣で戦ってやりゃあ良かったな、とそれだけを残念に思う。


 矢筒から一気に大量の矢を引き抜く。

 炎を背に押し寄せるゴブリンの群れ。

 小さい頃、こんな場面を妄想した事はあった。

 それを片っ端から射抜く自分を。


 さて出来るかね、とレンジャーの男は矢をつがえた。斜め後ろで朗々と詠唱が始まる。




 森の木の上に止まった梟は高みからそれを見ている。黒い沢山の影が大地を蠢き、二粒の影に迫っていく姿を。


 冒険者くずれなどと呼ばれているが、別に彼らは冒険者をやめたつもりなどサラサラ無い。皆勝手にそう呼んでいるだけで。


 静かに見つめる梟にもしも童話のような知恵があれば、そんな風に思ったかもしれない。



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