海の国 6
レバイド海賊団の本拠地である島は、キャプテン・ドレーが何を捨てても守り抜けと言っていたそうだ。要塞である事もそうだが、島は海賊の楽園なのだと言っていたらしい。
その理由の一つが森の中にあった。
岩に囲まれた広い円形の泉は湯気が立ち昇り、その底には玉砂利が敷き詰められている。
「ふいー」
完全に露天風呂だ。
それも絵に描いたような見事な。
クラーケンの吐いたイカ墨は生臭く、海面で泳いだ男達は帰還すると即座にここへと雪崩れ込んだ。クロムも同様だ。
帰りの航海の最中から、一刻も早くここで体を洗い流す事だけを考えていた。
クロッズシェル号の男達は掃討戦、そしてその後の海軍とのやり取りには一切参加していない。
どうせなら張り付いたイカの処分も落ちた者達で行ってしまえとルイが決め、クロムも参加した。
クロムは色々聞かれたりするのが嫌でその作業に逃げ込んだと言うのが正解である。
クロムはドレウィルに向け、クロッズシェルに居るという事はすぐに手旗で伝えて貰っていた。
だが混乱が落ち着いた後、帰還する前に集合した際に、ルイ達が落ちたのを見て海に飛び込んで救援に向かったと言ったクロムはエバーロッテに散々説教されていた。
クルーが消えたというのは船長の判断に支障を来す、ましてやお前は客だ、下手をすれば自分は救援を取りやめてお前の捜索を決断したかもしれないと大勢の前でコッテリ絞られた。
全くもって言う通りだ。事実それを危惧してすぐに自分の所在を伝えて貰ったのだから。
ただし海賊達にはその行動自体は好意的に受け止められたようで、無言で小突いたり、姐さんを怒らせやがって、とからかったりしてくる顔には決して悪い感情は浮かんでいなかった。
クロッズシェルの男達はもっとだ。
イカを切り離す際クロムの補助魔法が多いに役立った事もそうだが、自分達を助けるために海に飛び込んだ事、生臭いからそっちに居ろと言われ、帰りにイカを捌きながらイカ臭いクロッズシェルの船内で共に時間を過ごした事は強烈な仲間意識を生んだようで、現在風呂でまた男同士の付き合いを深めている。
「おら、飲みな」
「あー、たまんねえー」
「イカ様様だぜ。ここは先代が大事にしてた場所でよ、普段こんな風には使えねえんだ」
「そうなんですか」
「酒まで許されるたあ姐さん相当機嫌良いな」
海軍を助けた事は勿論感謝された。
宰相ダナンもレバイド海賊団の戦力、実際にモンスターに襲われた際の海軍の被害を目の当たりにした事で、あれは完全に友好路線に切り替えた顔だったぜ、とジョシュが言っていた。
クロムもそれは感じていた。
伝言にすぎなかったが、取り調べる事は何もない、と伝えられていたのだ。
何より大きかったのは海軍の騎士や兵士と肩を並べて戦った事で、海賊達と兵士の間に通じるものが生まれた事だ。
これは政治が今後どうなろうと消えない財産となる。そういった諸々にエバーロッテは大きな手応えを感じているのだろう。
「おめえヒョロっちいのかと思ってたけどよ、案外締まった体してんだな」
「いや、皆さんに比べたらヒョロいですよ」
危ない奴か、とわずかにクロムは警戒するが別にそういう事ではないらしい。
しばらく会話を聞いていると分かった。
ルイがそうだからなのか、クロッズシェル号が対モンスター部隊だからなのかは分からないが、どうやらこの船の男達は鍛えた体を誇りにしているようだ。
体育会系とかジムとかで感じるあのノリ。
もしかしたら海賊自体がそういうものなのかもしれないが。何せ最強腕力は他ならぬ団長だ。
「クロム」
「ルイさん」
船長に遠慮したのか何かを察したのか、男達が黙って傍から離れていった。
ルイも気持ち良さそうに、その素晴らしい浅黒い肉体を湯に沈めて息を吐いている。
「助かった」
「最初に助けにきて貰ったのは俺ですから」
グイッと酒瓶を呷ったルイがクロムに渡してくる。正直クロムはこの酒は強すぎて遠慮したかったが、黙って受け取り少し口を付ける。
「どうだ、海賊の暮らしを経験してみて」
「んー、まだ経験したって程じゃないかと」
「まあそうだな。だが何も知らない外の連中とはもう違うだろう。分かった事もあるはずだ」
「そうですね」
「結果的にうまく行ったな」
「はい、おかげさまで」
「ガルテンにも大手を振って帰れるしな」
「元々帰れない理由なんか無かったんですから。でも皆さんには感謝してます」
パチャッと湯を跳ね、ルイが両手で湯を掬い顔をこする。そのまま髪をかきあげ岩にもたれた。
「……一つ謝っておこうと思ってな」
「謝るって、何をですか?」
「お前が飛び込んでこっちに来た事だ」
ルイが真面目な顔でクロムの顔を見る。
「もしかしたら俺がルカの事で焚きつけるような事を言ったせいかもしれないと思ってな」
ルカの許婚の一件で、本気を見せてみろだったか何か言っていたやつか、とクロムは思い出す。すっかり忘れていた。
勿論そのせいではない。
だがただ違いますよ、とは言い辛い。
あの言葉はルカが欲しいならやってみせろといったような、そんなニュアンスだった。別にそのせいなんかではないのだが、そんな風に言ってしまえば、なんだかルカにそこまでの価値など無いと言っているような気になってしまう。
それは嫌だった。
父親にそんな事を言うのは気が引ける。
「ルカはいい子ですけど。あの時はそんな事考えてませんでしたよ。……思わずやった事で、素人の浅はかな行動でしたし」
「そうか」
ルカをどうだ、とそんな言葉を全く期待しなかった訳でもない。が、言われたところで自分にはもったいないとかものわかりのいい男を演じていただけだろうな、とその後の沈黙の中クロムは考えた。
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焼いたイカを齧りパンをむしる。
大量の肉がいい匂いを上げ、酒の芳香と共に洞窟に充満する。
レバイド海賊団は明日から従来通り、担当海域の海路へ各船が持ち回りで配備される。
今夜は戦勝祝いであり、連休最後の宴という訳だ。毎晩宴のような有様ではあったが、昨日までは戦に備えた緊張感がどこかにあった。
その空気は今や完全に払拭されている。
男達は肩を組んで歌い、女達も杯をかたむけて嬌声を上げていた。
幹部やベテランの老人達も輪の中で愉快そうに大声を上げて笑っていた。
クロムはドレー号のクルーや一部幹部達と共に、エバーロッテの座する輪に参加している。
「チビチビやってんじゃねえよ。男だろが、グッといかんかい!」
「俺まだ十六歳なんですよ」
「しゃらくせえ事言ってやがる」
炎に肉の脂が滴り落ち、バチバチという音と共に煙を上げる。木の棒をクロスさせ作られた簡易な二組の台の間に棒が渡され、丸々と太った豚が縛り付けられ炙られている。
豚の背中には木の葉っぱや皮が貼り付けられ焦げるのを防いでいた。
燻して香り付けする目的もあるらしく、こうして焼いている最中は刺激的な匂いがするが、焼き上がりはこんな原始的な調理法で仕上げたとは思えないくらい柔らかで美味だ。
クロムはこれをいたく気に入っていた。
この洞窟に足りないものがあるとするならそれはビールだな、とそれだけを残念に思う。
「俺なんざミルクの代わりにかっくらってこうして立派に育ってるんだぜ」
「嘘つけ、さすがにそんなガキはいねえ」
「何言ってやがる、本当の事よ」
「てめえはただのションベン垂れだったろうが」
クロムは今後の身の振り方について、レバイド海賊団との関係は保っておきたいと考えていた。
今、二つの案を持っている。
エバーロッテのような強者への対応として無難なのは、自分を補助魔術師の位置に置く事だ。
今回の海戦でも思ったが、数の力は便利だ。
自らの立ち回りに余裕が生まれる。
前衛を任せる事ができる人間がいれば、最初の一撃は前衛に任せる事ができるという冒険者の基本的な立ち回り。
エバーロッテ級の敵の一撃は、仮にエバーロッテが仲間にいれば彼女が受け止めてくれるだろう。そうして自分はディーへと覚醒すればいい。
従来のゲームと同じく、仲間を得るという選択肢だ。尤もそれは完全に同じ意味ではないが、育成中に前衛職を必要としたのは変わらない。
ただエバーロッテを連れていく事はできない。
現段階では仲間候補の選択肢が出ていないようなものだ。そこに変化が生まれるのは本編開始後としても、関係を保っておくのはそれまでにも海の足として計り知れない価値がある。
そんな風に便利に使えはしないだろうが。
そしてもう一つ。
クロム・ディーという存在を消してしまう事。
この世界をどう生きていくか何もプランが無かった事に加え、ガルテン王国ではどうしても学生という身分が必要だったため、クロムは自分を偽る事ができずディーの存在を隠すに留めていたが、例えば今なら別の国に行って全く違った身分を作り出してしまえる。
いや身分が必要ないと言った方がいいか。
単騎で生きていくのなら、それこそアークとして堂々と生きていく道を選んだっていい。
強者として君臨してそこから社会を築いていく選択肢も今なら思い描く事ができる。
より本来のストーリーに近くなるかもしれない。
魔王討伐という点だけ見れば。
魔法の習得はどちらの道を選んでも可能だ。
「おっしゃ、焼けたぜぇ」
「一番良いとこ食わしてやんな」
「流石姐さんだ、おい感謝しろよ小僧」
皮ごと分厚く脂身を切り取って外し、香ばしく湯気を立てる大ぶりの肉が串に刺され突き出される。
壷から塩を取って振り掛け食らい付く。
これが何とも言えず美味かった。
肉汁が滴り、口周りがテラテラと油にまみれるがパンで拭くようにそれ毎口に放り込む。
海風が吹き込む洞窟にはもうどこにも宴の余韻など残っていない。すっかり風に攫われ海へ運ばれてしまっている。
海賊達は壁面のカプセルホテルへ引き込み、睡眠を貪っている事だろう。
戦に出なかった居残り組が島の周囲の警戒を行っているだけで、洞窟には静寂があるばかりだ。
硬い岩盤にわずかな足音を立て、クロムはもう一度露天風呂へ向かう。
エバーロッテが愛用する、この洞窟の真上から少しだけ逸れた場所にある小さな温泉。
風呂の話題をした際に、特別に今夜の利用を許された。客人の特権としてもいささか過分な扱いに過ぎると思わないでは無かったが、流石に風呂ごときを遠慮する程気を使う事もない。
教えられた道を登っていく。
島内部のエバーロッテの私室近くにある、しっかりと階段状に刻まれた足場を登っていくと、やがて島上部に出た。
そこだけしっかりと手入れがされている。
まさにプライベートな露天風呂といったサイズの岩に囲まれた湯の周囲は、一定距離で木が円状に刈り倒され、円柱上の空間から星空が覗いている。
前方は全ての木が無くなっており、そこから海を一望する事ができるようになっていた。
服を脱ぎ、自分を守るいくつかのアクセサリだけの姿になる。クロッズシェルの男達と入る際は嫌々外したが、やはりこれらを身に付けている方が落ち着く。リラックスして湯に沈むと足を伸ばし、岩にもたれて顔を上に向けた。
「ふー……」
満天の星空が目に飛び込んでくる。
この世界の夜空は何度見ても信じられない程の感動をクロムにもたらしてくれる。
月明かりが海に一筋の光の道を描き出し、キラキラと漆黒の中に輝く幻想的な景色を作っていた。
現実世界のどんな優れたプラネタリウムでもこれを再現する事は難しいだろう。
三次元の圧倒的なスケール感と、微細な瞬き。
何よりこんな開放的な空間、温泉に浸かりながらのロケーションで見る事など不可能だ。
全ての雑念が消えていく。
この感動。この世界に招いてくれた神に、これだけは何があっても感謝を忘れないだろう。
湯の中でピッと指を弾き、飛沫を立てて遊んでみる。かすかな星の光と月明かりだけだが、暗闇でも人の目は機能するのだという事を教えられる。
ひどく些細かもしれないがクロムにとってはそれも新鮮な感動だ。
跳ねた水滴が着水し波紋が出来るのを、目を凝らして見定めようと集中する。
ひんやりした夜気に顔をなぶられ、日本人としてはほんの少しばかり物足りない湯の熱さに全てを忘れていると、何かの気配を感じた。
わずかな水音を立て振り向く。
洞窟へと続く階段はこの風呂から三十歩程離れた場所にあるが、その半ば、暗闇の中に細く小さなシルエットが見えた。
うっすらとしか見えないが、背丈や髪の長さからそれがルカだと分かった。
何故、と驚く。
シルエットは歩いてくるとクロムの事など気付いていないかのように、脱衣所として設置された籠がいくつか積まれた場所に向かう。
着ているものを脱ぎ捨てる動作と衣服を籠に置く音。もしかすると気付いていないのかもと、クロムは声を掛けてみる。
「ルカ?」
しかし影は何も答えない。
じっと目をこらしていると、両手を上げ上半身のものを全て脱ぎ捨てるシルエットが目に入った。
鎖に繋がれたように両手を上げ交差させている。上体をそらすようにした体の、たるみの全く無いほっそりしたラインと、形良く突き出した小ぶりな胸のふくらみに目を奪われる。
倫理観は色々うるさく言ってくるが、法の無い世界で自制する事は難しい。目を離せなかった。
前かがみになり片足を上げて腰のものを脱ぐその姿は、シルエットしか見えないせいかかえって艶かしさを感じる。腰回りの曲線と細い手足のラインの対比が、少女の脱衣を覗き見ているのだという背徳感を余計に感じさせた。
何も答えずに一糸纏わぬ姿を惜しげもなく晒したルカが真っ直ぐクロムの方へ歩いてくる。
はっきりと見えないのが救いだったろう。
もし見えていればクロムはみっともなくうろたえるしかなかっただろうから。
クロムのすぐ傍まで来たルカは黙ったまま立っている。暗闇で表情は良く見えない。
放ってもおけない。クロムも立ち上がった。
掘られた風呂の段差が背の違いを埋め、見つめ合う格好になった。
暗闇も手伝いクロムは不思議と恥ずかしさを感じない。記憶の中でクリクリと動いていた明るく活気に満ち溢れた黒目を見つめる。
一体どうしたのか。
「ルカ? どうしたんだ?」
「……私も入っていい?」
「あ、ああ」
そっと身を屈めルカが静かに湯の中に片足ずつ落とす。混浴というものはここでは珍しくないのか、それともルカがまだそういった事への警戒心が薄く奔放なだけなのか。
混乱し思わず呆然としてしまったがルカがチャプンと湯に身を沈めた所で我に返る。
この位置関係はまずい。目線に思い切り危険なものを晒してしまっている。慌てて屈む。
そのまま二人とも何も喋らず海を眺める。
勿論クロムの頭の中は疑問だらけだ。
黙ったままチャパチャパと湯を弄ぶルカの様子を横目で窺いながら、クロムは状況を整理する。
(まさかいくら何でも裸を晒す事に躊躇いが無い年齢でもないはずだ。一体どういう事だ)
ここはエバーロッテ専用の場所らしい。
ルカが使用を許可されているとしても不思議はないが、何故今入ってきたのか。
クロムは声を掛けたのだ。
入っていいかと聞くタイミングは、もしクロムの存在に気付いていなかったとしてもあそこのはず。
わざわざ服を全て脱いで見せ付けるように近くまで来てから尋ねた事は違和感しかない。いや見せ付けるなど穢れた男の発想なだけで、ルカはそんなつもりはないかもしれないが。
とにかく最初から気付いていたか知っていたか、それは間違いないと見ていい。
その上でこうして一緒に入っている。
それが良く分からない。
色々と理由をあれこれ想像してみるが、クロムには大体下衆な発想しか浮かんでこない。
クロムの知る十四歳というのは決して天真爛漫、無垢な年齢ではないからだ。
(何だこれは……俺の考えすぎか?)
ただ一緒に入っだけ。どちらかがじゃあお先、と先に上がっておしまい。
よくよく考えればその可能性が高い。
それでもこの年齢の男女が二人一緒に風呂に入るなどただそれだけと言える事ではないが。
岩に頭をもたせかけ、夜空を眺める体勢になったルカの方に首を曲げる。
クロムの方から何か話し掛けるべきだろう。
水面から出たルカの首筋や胸元に、これまで少女が見せてきたあどけない姿が浮かぶ。
時折シャツの隙間から覗くその体を意識すまいとはしてきたが、下衆な自分はやはり何も感じなかったとは言い難い。
結局この居心地の悪さは自分が意識しているせいなだけ、ともクロムは考える。
だがルカの横顔もあの無邪気な少女の顔とはどこか違うように見えて仕方ない。
このままじゃろくでもない疚しさが募るだけだ、とクロムは決心する。
「あー、ここって良く来るの?」
「ううん。最近じゃ久しぶりかな」
「そうなんだ……」
これで終わらせるな、と自分を叱咤する。
「こうやって誰かと一緒に入ったりってするの?」
「……」
気まずさが加速する。
ルカが顔を背けてしまった。
まずい、とクロムは焦る。
これはもしかしたらルカも何か勇気を持って決断した上の行動かもしれない。
何、こういうのって君いつもやってんの、みたいな軽薄な揶揄のようになってしまった。
「いやまあそんな訳ないか、ごめんごめん」
「……」
「もしあれだったら俺出ようか?」
ルカが小さく首を振る。
その事に少し安堵もした。
自分から水を向けておいてなんだが、頷かれて「はは、じゃあお先」なんてモヤモヤした終わり方はしたくなかった。
しかしその先言うべき適当な言葉が見つからない。色々投げかけて返事を貰うなど、クロムの都合を優先した尋問でしかない。
クロムとて過去に女性経験が無い訳ではない。
人並みにあると言っていい。
だがこれは違う。
言うなれば家出少女に心を開かせる教師のような感覚が必要だとクロムは思っている。
甘い言葉を囁いて相手の緊張を解きほぐすとか、そんなのは断じて相応しくない。
それはルカを自分が多少なりとも女として見ていると認めているようなものだ。
誰に言い訳する必要もないが、それを認めてしまえば自分を保つ事が難しくなってしまう。
ロクでもない人間なのだ、自分は。
ルカが乗っかればきっと我慢しない。
「俺は……勿論嫌じゃないけどさ」
なんだその台詞は、馬鹿かとクロムは後悔する。まったくもって浅ましい。
なんだかんだ言いながら口を付いて出た言葉はどう転んでもいいような保険の言葉。
「……迷惑じゃない?」
「えっ、いや、全然そんな事ないよ」
その先の、ルカを嫌だなんて言う男居ないよ、という台詞は何とか飲み込んだ。
相手を安心させる思いやりのようで、それは実はただ単に口説いているだけだ。何故なら少なくともクロムには下心がある。
それどころか実はその先を望んでいます、そんな欲望をわずかでも悟られるのが怖い。
チャプ、と水を揺らしルカが向き直る。
暗闇に微かに見える表情は分からない。
ただその目がじっとクロムを見つめているのだけは分かった。月明かりを受けほんの少し、クロムの思考を射抜いてくる。
ルカから放たれるその雰囲気に、クロムは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
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ルイとエバーロッテは冷たい空気が流れる岩肌の一室で、ただ黙って座っていた。
互いに目を合わせる事も会話を交わす事も無い。それぞれ勝手に酒瓶を傾けたり、じっとどこかを見つめたりしていた。
ただ時が過ぎ去るのを待っている。
闇の中に投げた石がどこに落ちるのかを、見守る事もせずにただ背を向けて待っている。
「ルイ」
「はい」
「後悔してんのかい?」
「……分かりません」
海賊達の世界からすれば、おかしな事だというのは分かっている。
だがおかしな事だと思う事がおかしいのだ、とルイはそんな風にも思っている。
クラーケンの頭部は引き裂かれていた。
それは決してクロッズシェルの攻撃でもエバーロッテの攻撃でも起こらない、異質な力の残滓。
クロムという少年の行動と言動は、もうルイにとって疑う余地の無いものとなっている。
「アタシにとっちゃ一回りも離れた妹みたいなもんさ。あの子の為なら色々捨てられるよ」
「……ありがとうございます」
ルカに選ばせた、というのは言い訳にすぎないと分かっている。
実は他の選択肢を奪い取り卑怯な二択を与えて、選ばせたと言い張っているにすぎない。
ただ間違いだとも思ってはいない。
ルイの男の価値基準は強さにある。
その点で確かにルイはクロムに娘を与えるだけの価値を見出していた。
ルイの人生はキャプテン・ドレーに拾われる前から常に死と隣り合わせであり、世界の残酷さというものを嫌と言う程知っている。
ルカの人生に強さは必要ないかもしれないが、必要な時に無くてはならないものなのだ。
誰が何と言おうと、娘の幸せに必要なものを考えた時、ルイにとって強さは欠かせない。
「アイツがどうするかは分からないけどね」
クロムが拒否する可能性もある。
だがそれは考えても仕方ない。
少なくともルカに選ばせてやる事が重要なのであり、今ルイが与えられる選んで貰いたい選択肢はクロムしか無かったのだから。
シンとした空気が流れ続ける空間に茫漠とした空気が流れ続け、やがて音が聞こえた。
石の階段を下りてくる二つの足音。
投げた石の行方。一体どこに落ちたのか。
二人は黙ってそれを待つ。




