次なるイベント 5
突如として発生した霧に紛れるような微かな死臭。薄靄の如き黒味を帯びた不定形の塊。その表面は絶えず揺らめき、時折死にゆく者の苦悶の顔にも似た表情を描き出す。
――死霊。
アンデッドモンスターとして広く有名な存在だが、決して侮っていい相手ではない。
その有名さはゾンビやスケルトンのような有象無象とは一線を画した理由から成る。
脅威だ。
一定以上の力量を持つ者にとっては容易く与する事のできる低級モンスターにカテゴリされはするが、その実力に満たない者にとっては絶望的な存在でしかない。
事実レイスに命を奪われた冒険者は数多い。
最も恐ろしいのはその視認しにくい姿から繰り出される不意打ち、そして重力に左右されない自在の機動力。
「エンリケ、やれ!」
「猛き力の顕れよ我が魔力を糧とし――」
「此れなるは神速の息吹、血よ、肉よ――」
ただしレイスの移動速度は遅い。
実体感の無さを武器に風にたなびくようにフワフワと近付き、しっとりと絡み付いてくるだけだ。
素早く集合した教師達、後衛のエンリケとシレーナから同時に詠唱の声が上がる。
「カアアアア!」
バッケルが<生命転化>を発動する。
うっすら立ち昇る闘気を纏い、近付きつつあったレイスの一体を手刀で霧散させる。
目を閉じたイーティスが何もつがえずに弦だけを弾く。ピィィィィン、と不思議な澄んだ音。
退魔に似た効果を持つ音の波に、怨嗟の声を上げレイスが嫌がるように離れていく。
しかし敵はレイスだけではない。
レイスに遅れて刃物殺しが一気に押し寄せた。
ビュウウウウウン、と槍が空気を薙ぎ払う音と共にガーハッドが数歩前に出る。
広場中に漂うレイス、小さく固まった教師陣。
中心点に集まるように、黒い獣が二百四十度の包囲を縮め襲い掛かる。
ユラユラと揺らすように、軽く片手手の平で支えただけのような槍の持ち方は古式槍術独特の扱い方だ。周囲に点在する死霊の匂い、押し寄せる獣の気配。
それらの存在を捉えたガーハッドはゆるりと大きく槍を動かし始める。演舞と呼ばれる体捌き。
黒い包囲が完成する直前、ガーハッドを一人残し教師達が一斉に後方へ飛び退る。
そこへ殺到する爪と牙。一部の顎は方向を変え、動いた四人を追いかける。
だがそのいずれも何者をも捕える事は無かった。
示し合わせたように後方へ飛び退った四人を反転して追った獣達は、同じく四人を追って密かに飛んでいたガーハッドが真横に居る事に気付かない。
ガーハッドの動きは幻惑。
大きくゆっくりと動く存在感がほとんどの獣達を欺き、何も無い空間に未だ殺到させている。
まだそこに居ると思わされている獣達は獲物を求め次々とぶつかっていく有様だ。
そして逃がさんとばかりに左右から逃亡者に迫っていた獣達も、同族の間に異質な存在が紛れ込んでいた事を衝撃を持って知る。
高速のピンボールのように、ガーハッドの槍が右へ左へと動き獣達を跳ね飛ばしていく。
「――炎よ荒れ狂え、爆炎Ⅲ!」
「――目覚めよ、速度強化Ⅳ!」
詠唱を完成させたエンリケの杖の先端から火球が撃ち出される。
ガーハッドの体が発光し、高速で撃ち出された火球がその体を掠める寸前で掻き消える。
熱。
最初にガーハッドが居た空間。
そこに居る狂乱した獣達が、苦手とするその存在に気付き顔を振り向けた瞬間、炎が弾けた。
膨れあがった爆炎が黒い飛沫を散らす。
轟音が廃棄された町に三度響く。
「レイスを始末するぞ!」
僅かに左右に残っていた残党をガーハッドとイーティスに任せ、バッケルとシレーナが進み出る。
爆心地周辺の広場は瓦礫が飛び散り、爆発に巻き込まれたレイスも多くは絶命――この表現が正しいかどうかは分からないが――したようだ。
生者の気配に反応したレイスの残党が寄ってくる。爆発で濃霧が一時的に吹き飛び、視界がクリアになるもその数はまだ多い。更には奥の方から次々とやってきている。
「ちっ」
「バッケル先生は温存して下さい。ここは私が」
広く点在したレイスが寄ってくるのに合わせてシレーナがヒュウンと鞭を躍らせ始める。
徐々に回転速度を上げ、射程に入ったレイスの一体を叩く。
それ程でも無かった鞭の速度がシレーナが手首を返した瞬間跳ね上がり、先端部分が霞む。
凄まじい破裂音と共にそこにいたレイスが弾け飛ぶように消滅した。
先にも述べたが死霊如きは高位冒険者達にとってはさほど脅威にはなり得ない。
ただ水を求めるように工夫も無く寄ってくるだけのレイスを、教師陣は次々に返り討ちにしていく。
しかし――。
「キリがねえぞ畜生」
「霧は濃くなりましたがね」
「エンリケてめえ」
いくら倒そうとレイスが尽きる気配が無い。
更に霧が視界を奪い、その存在を益々覆い隠していく。容易く撃破可能とはいえ、もし接近を許せば不覚を取りかねない相手だ。
そしてエンリケの状態も良くない。
エンリケらしくない先程の冗談は、仲間に動揺を与えないための強がりだと誰もが理解している。
立て続けに使用してきた大技が彼の体力を奪い、その顔色はかなり悪い。
生命転化を使っているバッケルも、本来前衛ではないシレーナもここまでの戦いの連続でかなり疲労を見せ始めている。イーティスは相性が良くない。未だ健在なのはガーハッドだけと言っていい。
後輩達の様子を察したガーハッドは既に一人突出し多くのレイスを集めていた。
ゆるやかに動く槍が触れる度にレイスが身を捩り消えていく。
その差は技術に他ならない。
戦士職として到達した次元の違いが、力と技のバランスが、使用する体力に大きな差を生み出しているのだ。
そこに教会の扉が開く小さな音がした。
純白に青の二色の布地。
僧服姿のフラウが静かに歩いてくる。
「フラウ先生。生徒達は」
「大丈夫ですよ、イーティス先生。みんな優秀な子達です。きちんとやるべき事を理解しています」
「しかし教会内を生徒だけにしては」
「私が通しません」
穏やかに微笑むがその瞳は強い意思を湛えている。大丈夫、ともう一度安心させるように無言で頷いたフラウにイーティスも小さく数度頷く。
「フラウ先生を中心に!」
イーティスの呼びかけに応じ教師達が教会前でフラウを中心に方陣を組む。
霧の中を漂うレイスが一箇所に集まっていく。
ポウッ、と光が生まれた。
白い濃霧が光を反射し教師達の周辺が眩い輝きに包まれる。その輝きが徐々に明るさを増す。
「範囲治癒」
眩い光がフワッと暖かな白さに変わる。
一気に複数人を治癒する中位回復魔法だ。
と言ってもその使い手にはそうそうお目にかかれる訳ではない。回復魔法はランクが上昇するにつれ、最も習得難度が跳ね上がっていくとされる分野で、そもそもその素養を持つ人間自体が希少である。
多くは中位の壁を越えられない。
そういう意味ではフラウはランダスター教師陣の中でも一番価値の高い人間かもしれない。
集まってきていたレイス達が低く長い呻きを上げる。じんわりと温かみを感じる教師達と違い、その体は白光に蝕まれ溶けて消えていく。
光から逃れるようにレイスが離れていくが、シレーナの鞭とガーハッドの槍が追撃する。
しばらくして光が収まる。
フラウの頬に一筋汗が流れる。
「奴ら寄ってこなくなりましたね」
「好都合だ。全員このまま体力を回復してくれ。俺が減らしてくる」
槍を担いで歩いていくガーハッドに再びレイスが寄っていく。
霧の中に消える寸前で槍を振るゆったりとした音が聞こえ始め、僅かな影となって消えていく。
真っ白な視界の中、空を切る音だけがガーハッドの戦闘を伝えてくる。
「エンリケ先生、大丈夫でしょうか」
「お構いなく。フラウ先生の方が有効手です。魔法は温存してください」
「イーティス先生、どうです、他は」
一息ついた教師陣が作戦会議を始める。
全員、ガーハッドには全幅の信頼を寄せているのだ。事実ガーハッドはランダスターでも隔絶した実力を持ち、誰一人寄せ付けない程の凄腕でもある。
生徒達をどうするか。
全ての焦点はそこにある。
しかしながらこの濃霧、尽きないレイスをどうにかしない限りはここで篭城戦をする以外ない。
そしてこの霧がどうもおかしい事に全員気付きつつあった。
明らかに疲労が増しているのだ。
体力が回復するスピードより体力を奪われるスピ-ドがやや勝っている、そんな印象を受ける。
「まずいですね、これは」
「ふー、こんな事になるなら家のアイテムをありったけ持ってくるんでしたよ」
「それを言うなら学校の――」
「静かに!」
レンジャー技能を持つイーティスは常に観測の役目を負っていたが、そのアンテナに何かが引っ掛かったようだ。厳しい顔で口に指を当て、虚空を見つめている。
と、シュガッ、といきなり矢筒から三本矢を引き抜き、同時につがえると弓を水平に寝かせ構えた。
一秒か二秒。
霧を掻き分けて大きくなる黒い物体が見えた瞬間、そこに向けて三矢同時に放つ。
刃物殺し。
三匹ともに額に矢を突き立て――止まらずに接近する。既に飛び出していたバッケルがジャブを放つかのように小さく素早く跳ね飛ばして回る。
「バカな……アンデッド……」
焼け爛れた皮膚。削ぎ取られた肉。
崩れた眼窩。ぶら下がる臓物。
駆逐したはずの脅威が復活していた。
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クロムは結局、恥ずかしい台詞を繰り出すためのメンタルを持ち合わせていなかった。
有ったのは現代人特有の、鍛えられた口八丁。
屋根から支援するから平気、要約すればそういう事でマリーを納得させていた。
同調しようとした遠距離攻撃を持つ他の生徒達を黙らせるのに苦労はしたが。
「どうなってんだこりゃ」
真っ白な霧が一面を覆っていて遠くの方は良く見えない。
真下を見れば蛍光灯のように光る場所で教師達が展開しているのが見える。
群がる黒い多数の影と、斑点のように光の周囲を漂う薄墨色の影。
閲覧で確認する。
レイスと――アンノウン。
図鑑該当なし。
「はあ!?」
刃物殺しとは別のモンスター、だと?
それよりも、ディーはコンプリートしている筈だ。
図鑑に載っていないなど。
驚きかぶりつくように眼下の戦闘を見つめる。
しかし再び首をひねる。
どう見ても教師達は無双しており、雑魚にたかられているようにしか見えない。というより刃物殺しとの相違点をクロムは見つけられないでいる。
(訳わかんね)
ひとまずやるべき事をやっておく。
屋根に上った意味、ある意味アリバイ。
当然詠唱などカットだ。
遠慮なく魔法コマンドから使わせて貰う。
同時に些細なシレーナへの意趣返しでもある。
「攻撃強化Ⅴ、っと」
全員に掛けるだけのMPは無い。
インベントリから大量にある魔力回復薬を取り出し呷る。途中飲み過ぎで気持ち悪くなったが。
「さてさて」
クロムは与えられたこの機会を大いに活用しようと思っている。
モンスターがデルスタットに押し寄せた時には不十分だった、高位冒険者との邂逅だ。
じっと観察する。
ステラのせいかしぶとく食らいついてきていたアンノウンが簡単に撃破されるようになっていた。これは失敗だったか、と落胆する。
見つめる。
連携、技能、スキル、諸々。
しかし魔法が全然見当たらない。
状況を考えれば、どうにもMP切れを起こしてしまっているらしい、という結論しか出てこない。
ただし大きな収獲はあった。
白い光は多分範囲回復魔法。
フラウがレイスを攻撃というか寄せ付けないように結界代わりに使用しているのだろう。
他の人間でサンプルも得ていたが、回復魔法は持続時間で効果が続く。
治癒も、怪我の程度にもよるが一瞬で治療が完了するという訳ではなく、治癒を掛け続ける事で怪我が逆再生のように治っていく。
スキルの<再生>を付与するようなものだ。
範囲回復魔法の範囲。
長時間持続。
そういったデータがまた集まる。
光が収束し、消えていく。
が、完全には消えず切れかけの電球のように不安定な明滅を繰り返す。
――フラウのMPも尽きたか。
回復魔法のMP消費式がどうなっているかは分からないが、多分驚異的なMP量だと推測できる。もしかしたら適性でMP節約のスキルがあるのかもしれない。
まずいか? が、まだ見たい。
一考し、この状況ならいいだろ、と軽く考え行動に移す事にする。どうせ一度バッケルに対してはやってしまっているのだ。
屋根から魔力回復薬をロープ(本当はロープでは無くインベントリから出したれっきとした素材アイテム)に縛りつけ、スルスルと降ろす。
「エンリケ先生!」
「なっ、クロム君! 何をしている!」
「いいから先生、それマナポーションです!」
後方に居たエンリケが仰天し責めるような口調で注意してくるが、そんな場合ではないと思ってくれたのだろう、縛り付けてあった魔力回復薬を受け取るような揺れがロープから伝わってきた。
軽くなったロープを回収しつつ、エンリケがフラウの元へ駆け寄りポーションを手渡しているのを見る。エンリケ自身も渡した内の一本を飲んでいた。
腰に手を当て一気飲み。
エナジードリンクのCMかよ。
しかし尽きない。
いい加減クロムが飽きてきた所でまた状況が変化する。
(ようやくか。長すぎるだろ)
どうにもこの世界のイベントは長いと感じる。
そりゃテキストが流れて終わりじゃないのは分かっているが、雑魚戦が長いのは減点対象だ。
ボスのおでまし。
うっすら遠くにデカレイスとデカ犬。
うっかり死なれては困る。
そろそろどうにかしないと本格的にマズいと判断し、ようやく行動を起こす事にした。
アクセサリを外す。
低級モンスターとのエンカウントを完全にシャットアウトする便利装備だ。
クロムの気配に気付いたレイスが都合良く一体屋根に上ってくる。いらっしゃいませ。
オオォォォ……とどこから聞こえてくるのか判断し辛い声を上げながらレイスが絡み付いてくる。
戦闘突入。ディースイッチオン。
インベントリから装備を選択する。




