枯れた心
その翌日、真由は頬に絆創膏を貼って、ビガラスの前に現れた。
「おはよう、ビガラス君」
ビガラスは真由を虫けらを見るような目で見た。
「懲りない奴だな」
転校初日に比べ、ビガラスに近寄ってくる人は居なくなった。たが、本人はそれを何も思ってないらしく、無愛想な態度で、周囲に人を寄せ付けない気を発していた。そんなビガラスに対し、何とも思わずに、土足で踏み込んでくる真由は、笑ってビガラスに近づいてきた。
「ビガラス君、昨日霊術みたいなの使ってたけどなんなの?」
「あれば魔法だ、俺の母さんの一族は魔法使い…、それも死霊使いなんだよ」
「じゃあ、ビガラス君も…?」
「俺は少し違う」
ビガラスは真由から目を逸らすと、席に座った。
「そういえば…、ビガラス君ってイギリス出身なのに流暢な日本語喋るよね?なんでなの?」
「小さい頃から勉強してたからな」
「そうなんだ…」
ビガラスは前を向くと、ノートに何かを書いていた。
「有佐ちゃん!」
真由はビガラスから離れ、有佐の所に向かった。
「あっ、真由ちゃん…ってその傷どうしたの?!」
「玄関で転んだ」
「はぁ?!」
真由は言う事考える事はまともでは無いが、嘘はつかない。だが、有佐はその言葉がどうしても信じられず、真由に疑いの目を向けた。
「なんで玄関で転んだのさ」
「どうしても転ばなきゃいけなかったの」
「なにそれ…」
その声を聞いて、ビガラスは二人を睨んだ。
「真由…、昨日言った事忘れるなよ」
「ビガラス君…」
ビガラスが真由に敵意を向けている事は分かったが、真由にとっては、理由も分からず何故そんな扱われ方をされているのか、分からずにどぎまぎしていた。
「私…、ビガラス君に何をしたの?」
「それは…」
ビガラスは真由を脱ぎ散らかしたシャツのように、少し見た後、見ないふりをした。ちょうどその時、先生が現れ、朝の会が始まった。
ビガラスと真由は、その後、帰るときまで話す事は無かった。
ビガラスにとって真由は厄介者で危険であり、なるべく近づきたくなかったが、真由はビガラスに興味があるらしく、執拗なまでに近づいてくる。ビガラスは、そんな真由を鬱陶しく感じていた。
帰り道、真由はビガラスの横に来てしつこく話し掛けていた。
「浮かない顔してどうしたの?」
「昨日痛い目に遭ったはずなのに、まだ懲りないんだな」
ビガラスは真由を横目で見ると、急に進路を変え、海の方に向かった。
「家、こっちなの?」
「しつこいな…」
ビガラスは、家ではないが、何か目的を持って歩いているようだった。
ビガラスが向かった先は、光の樹がある海辺の丘だった。
「こんな所まで来て…どうしたの?」
ビガラスは真由を無視し、光の樹の側まで来た。そして、何処からか横笛を取り出して吹いた。その音色はこの世のものとは思えぬような、不気味で恐ろしいもので、夜道で何かが唸る声にも聞こえた。それを聞けば、たちまち精神がおかしくなるはずだろう。
その音色とともに、空は赤黒くなり、爆風に煽られた草木は一つも残らず枯れていった。そして、光の樹は、力をビガラスに吸収され、だんだん萎れていった。
「えっ…?」
ビガラスは黒い気に包まれると、左腕に巻かれていた包帯と鎖が解け、身体全体に蔦と赤い線の紋様が浮かび上がった。そして、頭には山羊のような角、黒く染まった長い爪、蔦と鎖が巻き付いた蝙蝠のような羽根、枯れ草のような尻尾がそれぞれ生えた。悪魔のようなおぞましい姿になったビガラスは、正気を感じられない黒く染まった目をして、真由を見た。
「夢に出てきた悪魔と同じ?!まさか、あの少年は…ビガラス君だったの?!」
「俺を邪魔する奴め…、とっとと消えろ」
ビガラスが笛を吹くと、枯蔦が現れ、真由の身体を縛り上げた。
「『死操樹』」
そして、ビガラスは笛で樹を操り、枝で真由を突き刺した。
「えっ…?」
「言ったはずだろ」
真由は全く身動きが取れなくなり、身体が痺れるのを感じた。
「どうして?!私、何もしてないのに!」
「お前の存在が邪魔なんだよ」
真由はビガラスの方を向く事しか出来なかった。
「そんな…」
「真由ちゃん!」
その時、聞き覚えのある声がしたと思うと、真由を縛り付けていた蔦や枝が引き裂かれていた。見ると、冥府神鬼の姿になった太一が目の前に居る。
「太一さん!」
「気がついて良かった」
ビガラスは何も言わずに太一に向かって飛びかかった。
「『神鬼の爪』!」
太一は爪でビガラスを引き裂くと、腹に拳を一発入れた。
「うっ!」
その衝撃でビガラスは人間の姿に戻ると、そのまま倒れた。
「くっ…、冥府の回し者どもめ…!お前らのせいで、俺は…」
「君が、ビガラス•ジューン君なの?」
太一がビガラスに歩み寄るが、ビガラスはそれを拒んだ。
「ふざけるな!」
ビガラスは息を荒げて立ち上がった。
「どうして、死神や陰陽師を憎んでるの?」
「お前らは何も分かってないんだな」
ビガラスはそう吐き捨てるように言うと、何もなかったように丘を降りていった。
ビガラスが去ると、太一は神化を解いて真由の横に立った。
「智さんから聞いたよ。やっぱり、ビガラス君は…」
「危険、なんですか?」
太一は魔水晶を握り締めると、何かの気配を感じた。
「うん…、まさかあれだけの力を持つ者とはね…。でも、ビガラス君は僕と違って"まだ"人間はやめてない」
「まだ…?」
「悪魔も怪の一種なんだけど…、怪の力を使えば、身体が変異するんだよ。その証拠に、僕の神化で紋様が現れたり、爪や角が生えたりするだろう?僕はそれに耐えれる力は無かったから人間やめたんだけど…、ビガラス君はそうじゃないらしい。だけど、このままいったら、何れビガラス君も…」
「そんな…」
太一は、力を失った光の樹を見つめた。
「それにしても…、光の樹がこんな事になるとは…」
「そうだ…、もしかしたら私の力で!」
真由は太一に霊水晶を貸してもらうと、光の樹に手を当てた。
「『霊転移』!」
すると、光の樹や、その周囲の丘の植物の生気が戻り、再び活気を取り戻した。
「生気が吸収されてただけで、魂までは奪われなかったみたい」
「真由ちゃん、こんな力が使えたの?」
真由は光の樹を見上げた後、太一の方を向いた。
「『風植』って『風』…、魂を移す能力だったんだね、後、霊力とかも…」
「そんなに強い力だったんですか?」
「真由ちゃん、この力を使えばビガラス君の事をなんとか出来るかも知れない」
光の樹が風が無いのに揺れていた。
「でも…、私、戦った事ありません…」
真由はさっきのビガラスを思い出して、自分にはどうする事も出来ないと考えていた。
「戦うんじゃなくて、向き合うんだよ」
太一は真由の肩に手を置いた。
「真由ちゃんならきっと出来る、自分の力を信じようよ」
「太一さん…」
真由は、太一が自分と同い年の頃の話を聞いていた。だからこそ不安だったのだ。真由には、太一のような強い勇気も、自分を捨てる程の覚悟もない。しかも、ビガラスと何度も会ってその力も恐ろしさも知っていた。そんな自分にビガラスを何とか出来るはずはない。
「それじゃあ、帰ろっか」
真由は、太一に背中を押されて家まで帰った。
ビガラスは、解けた包帯を抑えて、俯きながら歩いていた。道路脇の草木は、ビガラスが発した気の影響で、枯れていく。それはビガラスが通った跡を示していた。
「俺は…、血も涙もない悪魔なんだよ…。俺に関わったからっていい事はない、それなのにどうしてあいつは…」
包帯の隙間から、蔦の紋様が見えた。
ビガラスが何故真由に強く当たるのか、ビガラス自身もよく分かっていない。理由は無いが強い憎悪を感じ、目の前に居ると、その場から消したくなるのだ。
「なんで…、あいつは…!」
ビガラスは、今本当に自分自身の意思で動いているのか、分からなかった。
ビガラスの家は、蔦が生えた古い洋館で、母親のベルと二人で暮らしている。
ビガラスは玄関扉を開けると、ベルにこう言った。
「ただいま、母さん」
学校や真由の前では日本語で話しているが、母親の前では慣れ親しんだ自国の言葉だった。
「お帰りなさい」
ベルは肩にかかるくらいの枯れ草色の巻き髪で、目は海のように青かった。
「母さん…、なんで俺はビガラスって名前なんだ?」
ビガラスは、包帯を巻き直すと、ところどころひび割れた革のソファーに座って机に肘をついた。
「それはね…」
「理由なんかいいんだよ、俺は…、その名前が嫌いだ」
ビガラスはソファーから降りると、扉を勢いよく閉めて、駆け足で二階に上がった。