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岡部涼音 朗読シリーズ 涼音色~言の葉 音の葉~

Bitter&Sweet

作者: 風音沙矢

 僕は、ストーカーか!


 満員電車を乱暴に途中下車してあるきだして、足を止めた。

 久々に、彼女を見かけたからと、思わず電車を降りてしまった。

「バカだな。」


彼女と出会ったのは、入社してすぐのことだ。先輩に連れられて入った、ランチが美味しいと評判の店だった。美人というわけではないが、明るくて気さくで、気の利く女の子だった。彼女が、にこやかに笑みを浮かべて、テーブルへお皿を運んでいる姿を、ずっと目で追っていたら、

「かわいいなあ。」

自分が思わず言ってしまったかのタイミングで、一緒に先輩に連れられてきていた同僚が素直に言いながら、彼女を眺めていた。

「彼女は、やめておけ。」

「えっ?、何でですか?」

「まあ、お前には無理だよ。」

「そ、そうですね。」

「と、言うより、彼女には、もう決まった相手がいるのさ。」

意味ありげに、先輩が笑った。

少し気になったが、そう、だろうなあ、当然だと、納得していた。


彼女の店は、新入社員には、少し贅沢な部類の店だったが、給料をもらうと、彼女とのささやかな会話が楽しみで足をはこび、月末はコンビニのパンで我慢をするという生活が1年過ぎたころ、彼女が店をやめた。僕だけでなく、うちの社員たちにも評判の子だったので、なぜやめたのかと詮索する人もいて、僕のところへも、噂は聞こえてきた。

「オーナーとできてたらしいよ。奥さんにバレて、居ずらくなってやめたんだってさ。」

まことしやかに、そう言う同僚の言葉は、にわかには信じられずにいたが、当然、その店に通うのをやめた。案外、彼女のファンが通うのをやめて、店は、痛手だったんじゃないかな、その後1年もせず、閉店した。


 仕事にも慣れてくると、よろしからぬ欲望が生まれてきて、退社後、夜の街へと向かうようになっていた。そんな時、彼女と再会した。いわゆるファッションヘルスだ。個室に入ってきた彼女は、僕よりも先に気付いていたらしい。僕は、かわいいなあ。僕好みの子でラッキーなどと、呑気なことを考えていて、初回は気づかないまま終わった。2度め、彼女を指名して、彼女が入って来た時気づいてしまった。いくら彼女がサービスしてくれてもだめだった。帰り際、

「もう、ここへは来ないで。」

そう、言って彼女は、部屋を出て行った。


それでも、僕は、また、その店へ行って彼女を指名してしまった。部屋に入って来た彼女は、苦痛に顔をゆがめて、僕を見ようとせずに

「どんなことがご希望ですか?」

と、明るい作り声で、尋ねられた時、思わず部屋をでて、受付の店員に金を払い、引き留められるのも、無視をして飛び出してしまった。

後味の悪い再会だっただけでなく、最低の再会に、いたたまれず、早朝の店の前に立っていた。店を出てきた彼女は、驚いていたが観念したとばかりに、僕のいるほうへ歩いてきた。

「もう、知られちゃったんだから、仕方がないわね。」

「こんな時間に待っているってことは、何か話があるんでしょ。」

僕の返事も聞かずに、近くのファミレスへ向かった。


僕は、彼女に、入社以来ずっと抱いていた淡い恋心がまだ、消えずにいて、会えたことがうれしくて、来るなと言われても来てしまったことを、長い時間かかってやっと、話すことができた。

彼女は、辛抱強く聞いてくれたが、

「もともと、あなたはタイプじゃないし、あんな店で働いている私とまともな恋愛はできないわよ。」

つっけんどんにそう言って、煙草を口にした。

彼女に、きびしく拒絶されても、当然なんだと思いながらも、ここで、手放したら、もう二度と彼女とは会えなくなってしまう。その思いだけがぐるぐると渦を巻いているけど、言葉にできずに、沈黙が流れた。


思考が止まっている僕は、ただ、ぼんやりと彼女の煙草の煙を眺めていた。

彼女は、最後に、ゆっくりと煙草の煙を吐きながら、灰皿に煙草を押し付け、立ち上がる。

「これで、帰るわ。もういいでしょ。気がすんだわよね。」

子供を諭すように、言った

「ほんとに、もう、店には来ないでよ。」

結局、彼女がどうして、あの店で働くことになったのかも聞けなかった。彼女がレジで代金を払って行ってくれたことも気づかず、どうしようもない僕は、テーブルにできたコーヒーの染みを見つめるだけだった。


子供だった僕は、神様から、いや、彼女からお灸をすえられ、少し成長できたと思う。あれから、2年、会社の仕事を頑張っている。残業も多くなり、会社に近いアパートを借りることにした。先週末には、契約を終えて、来月初めの引っ越しも決めてきた。今日は、両親に報告がてら、今までの感謝の意味も込めて、今評判のパティシエのケーキを買おうと寄り道をして、普段使わない路線の電車で帰宅することになった。


乗り換える2つ手前の駅近くで、スピードを緩めていた列車が、大きく揺れて止まった。車内アナウンスで、駅でトラブルが発生しているので少しお待ちくださいとのこと。

いつもだったら、舌打ちをするところだが、今日は、優しい気持ちで、何気なく線路沿いに立ち並ぶ飲食店を、見ていた。

「えっ!」

 彼女だ! 彼女が、小さいけどシャレた感じのレストランから客とおぼしき老夫婦と出てきて、明るい表情で、話している。

- 良かった。元気なんだ。あんな店やめて良かった。本当によかった。-

勝手に、安心して、喜んで、じんわりと心が温かくなってきた。じっと、車窓から、彼女を見つめていると、店から男が出てきて、彼女と並んで客と話している。話し終わった客が歩き出すと、二人は顔を見合わせて、うれしそうに笑っている。今のパートナーなんだろう。

- 今度は、幸せになってほしい。-

- 優しそうだよな、あの男。-

そんなことを考えているうちに、電車は動き出し、その駅に停車した。

思わず、満員電車を乱暴に途中下車して、あるきだした僕は、彼女の店の前で立ち止まり、ふと、気づいた。

- 彼女に会って、何を言う気だよ。-

- ストーカーか! -


「バカだな。」

 思わず、声に出していた。苦笑いしながら踵を返した。

 と、その背中に、客を送り出す、彼女の声がした。

「ありがとうございました。また、いらしてくださいね。」

「あっ、あなた?」

彼女が、僕に気づいた。

 あー、何やってんだろ。おずおずと、振り返り

「おめでとう。これ、お祝い。」

「って、とにかく、君が幸せそうで良かったから。」

とっさに持っていたケーキを差し出す。

「意味わかんないけど、ありがと。」

「うん。」

ふふっと笑顔になって、僕を見てる。

「じゃ。」

「じゃあ。ありがとね。」

何も、話せなかったけど、やっと、僕の中で全部終わった感じがした。

 もう一度、駅へ向かうために歩き出した。

 振り向きたい気持ちを押し込んで、ケーキ、受け取ってもらえたことに感謝!

 感謝?

 あれ、かあさんへの土産だぞ。どうするのさ!


 玄関のドアを開けてくれた母さんに、駅前で買ったケーキを渡し、アパートに引っ越すことを伝えた。まじまじと、僕の顔を見て

「あなたも、少し大人になったじゃない。でも、駅前のケーキは、ないでしょ。今時、はやりのパティシエのケーキって考えなかったの。」

 痛い! でも、今日は、これで良いんだ。

 少し背中が丸くなった、母の後姿を見ながら、思った。そして、

「うーん」

 大きく、伸びをして、うまそうな匂いのする食卓へ向かった。


「母さん、今日は何?」


最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。

よろしければ、「bitter&sweet」の朗読をお聞きいただけませんか?

涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第6回 bitter&sweet と検索してください。

声優 岡部涼音が朗読しています。

よろしくお願いします。


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