混沌たる夢
結局、この夢は何だったのだろう。
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道場のような場所に、正座していた。
周りを見れば柔道着や剣道の防具などが棚の中に押し込められている。床には相撲をとるような土俵もあったが、少し見上げればバスケットゴールが四つずつ設置されており、道場というには間違いで、ちぐはぐであった。
その中で、俺はただ一人、正座していた。
目の前では、昔よく遊んでいた――中学までの記憶しか残っていないため、今の歳相応の格好をしているのは俺の無意識の補正だろう――友人が、ただ一心に、的に向かっていた。
足踏み。胴造り。弓構え。打起し。引分け。会。離れ。――たん。残心。
弓道などは知識程度しかないが、確か射法八節と呼ばれる動きだ。友人は、何も言わずに同じ動作を繰り返す――たん。
道場には、足が床をこする音と、矢が的を射る音だけが響いていた。既に不可解な状況であるにも関わらず、俺にとってその音は心地よく感じられた。
少し、目を閉じた。弓の軋む音が聞こえた。――たん。友人は黙々と矢を射ているようである。まるで、俺のことが眼中にないように。
俺は口を開いた。「……なぁ」――たん。音がしてから、友人は応えた。「何だ」
俺は目を開けて、そして的を見た。十数本の矢が、全て二の黒の中を射られていた。
「すごいな」
「練習すれば、できるようになる」
「いや、俺には無理だよ」正座を崩さないまま、友人を見上げる。
「大きいな。みんな、大きくなった」
「お前は、小さいままだ」
「言うなよ」
自嘲気味に笑ってから、立ち上がる。わざわざ所作に準じた方法で、友人の目の前に立つ。
「こうしてみると、更に大きい」目算するに、立ち上がってもまだ見上げることになるだろうと思っていたが、思っていたよりも更に身長差があった。「首が痛い」
「なら、こうすればいい」
言って、友人が少し背中を丸めた。と思った次の瞬間、友人の身長が五センチ、六センチと小さくなっていった。「なんだ、これ」俺は堪らず声をあげたが、その頃には友人は俺と同じくらいの身長になっていた。
「どういうことだ」
「さぁな」目撃者は大きな困惑に囚われているというのに、当の本人は何処吹く風である。そこでこれ以上考えても無駄か、と思い直し、忘れることにする。
「で、ここはどこだ」
もう一度周りを見回す。先程は気づかなかったが、端の方には畳と和傘が置いてある。「茶道部の持ち物もあるが」実に混沌とした場所であった。
「さぁ、俺にはどこか分からない」
「そうか」
「でも、どうするべきなのかは知っている」
「知っている、か」
俺は腕組みをした。友人は少し意味ありげな瞬きをし、それから弓と矢を肩に担いだ。そのまま、道場を出て行こうとする。
「どこへ行くんだよ」
「お前に見せたいだけだよ」
「何をだ」
「何かを、だ」
ここで問答してても埒があかないと感じ、俺は友人の後を追った。
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道場を出て真っ直ぐ行くとラウンジに出た。内装は俺が通う学校と同じものであったが、このような配置にはなってない。夢か、とこの辺りで初めて思ったが、すぐに忘れてしまった。こういう場所なんだな、と妙に納得していた。
「外、出るか」
「おう」
友人に言われるままに、彼の背中を追って行く。階段を降り、すぐ右手に見える扉を開ける――こんな扉、あっただろうか――日差しが、全身を刺した。
「眩しいか」
友人が振り向いた。その顔は、先程の中学時代の友人ではなく、現在の部活の先輩の顔になっていた。いつの間に、と思ったが、不思議とあまり驚かなかった。
「先輩」
「行くぞ」
一瞬戸惑ったが、何事もなかったかのように先輩はずんずんと進んで行く。肩に担いだ弓も矢も、服装も同じなのに、知らない間に顔だけがそっくり変わっていた。だが、俺は大人しく先輩の背中を追う。
恐怖や不気味さはなかった。
先輩は学校の敷地を出て、校舎の前を通る車道に出る。
「どこに行くんですか」無意識に敬語を使っていた。
「車道」
「くるまみち? 車道の間違いでは」同時に、俺は目の前の車道を見やる。特に何の変哲もない、車道である。車が通る気配はないが、近くの駐車場には何台か車が止まっていた。
「いや、車道駅だ」
「車道駅」
確かに、名古屋の地下鉄にはそういう駅がある。が、どこにあるのかは知らなかった。
「調べてみればいいじゃねぇか」
「そうですね」言われて、ポケットを探る。いつも使っている携帯が入っていた。ホームボタンを押しロックを解除する。いつもの画面からブラウザを起動し、手早く検索しようする――が、キーボードがおかしい。
「先輩、これ」と、前を歩く先輩に画面を見せる。
普段から俺はパソコンと同じキーボードを使っているのだが、そのローマ字全てが文字化けしていた。記号も同様に、キーボードの種類を変えても無駄であった。
「どういうことでしょうか」
「××××にでも嫌われているんじゃないのかね」
「××××?」
「さ、行くぞ」
先輩は何もなかったかのようにまた歩み始める。俺もそれ以上は何も言わないが、多少の違和感は感じる。
大通りに出る。信号が赤のため、一旦立ち止まる。
待っている間暇なので、歩道橋に架けられた看板を何気なしに眺める。全て文字化けしていた。更にあたりを見回すと、車はおろか、人一人さえ歩いていない。
「……車、通りませんね」
「まぁ、水曜日だからな」
「水曜日だから、ですか」
「でも通ったら、轢かれるぞ」
「見えないのに?」
「視えないのに、だ」
信号が青に変わる。示し合わせたわけでもないのに、また互いに何も言わずに歩き始める。コンビニの前を通ると、地下鉄の入り口が見えた。
階段を降りる度に音が響く。やけに長い階段を降り、通路を行く。そういえば定期券持ってない、と思ったが、改札口は元から機能していないようで、何もせずに通り抜けた。
「いいんですか」
「何がだ?」
「……いや、何でもないです」
ホームで電車を待つ。そういえば人もいないのに電車はくるのか、と思う。電光掲示板に書かれたことは相変わらず分からないが、3:42と書かれているのは見えた。今は午前三時なのか、と何故か素直に納得する。
「来るぞ」先輩が呟いた。
逆再生のような音声案内の直後、響く電車の音。一瞬だけ見えた先頭車両の運転手は、頭部だけがなかった。他に乗客はいないようである。
車輪を軋ませながら、電車は停止する。空気の抜ける音とともに扉が開く。先輩が先に入って、数歩遅れて俺も後を追う。
「車道駅、ですね」
「ああ、そうだ」
扉が閉まり、ゆっくりと車輪が駆動し始める。速度が上がるとともに、段々と車窓の景色がぼやけ、崩れ落ち、白黒の線画となっていく。等間隔に設置された照明だけが、不思議と変わっていなかった。
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一駅も停車することなく、車道駅に着いた。どうやら、線画の世界はトンネルの中だけだったようで、駅のホームはごく普通の見た目であった。
電車を降り、再度無人となった列車は何かしらよく分からないアナウンスを流しながら、次の駅に走っていった。俺は先輩の方を振り返る。
「で、どこに行くんですか」
「とりあえず、出よう」
先輩は足早に階段を上っていく。ちょっと早くないですか、と俺は後を追う。「時間が、足らないんだ」言われて、腕時計を見る。文字盤には数字が刻まれていない、針と円盤だけの時計であった。「時間なんてあるんですか?」「ないだけで、堰き止められてはいる」「堰き止められる?」一体、どういうことだ。
先輩の珍妙な答えを聞きながら、俺は階段を上る――それにしてもこの階段、長すぎないか? 途中から駆け上がるくらいの速度で上っているというのに、全く終わりが見えない。それだけここが地下深くにあるということだろうか。
「早くしろよ」見上げれば、先輩が階段に途中で俺を見下ろしている。
「長すぎないですかね」息は切れていないものの、これの段差をまだ上らねばならぬと考えると、億劫になってくる。
「もう少しだ」
言って、先輩はまた上り始める。しょうがない、と俺も少々うんざりしながら足を動かし始めた。
改札を出たのは、かなり経ってからだ。
地上に出ても、人の姿は見えなかった。
学校を出た時とは違い、空が黒い色に染まっているにも関わらず、太陽の光を感じる。雲がある感じではない。
「こっちだ」
先輩が手招く。俺も後に続く。露店がいくつも立ち並び、縁日でもあったのだろうか、とも思ったが、先輩は少し不満げに「ただの飾りだ」とそれらを一蹴した。更に数分ほど歩き――時間の感覚はないものの、会話がないと長く感じる――着いたのは、石造りの鳥居であった。
「……ここは?」
「神社、とは言えないな……ただの、鳥居だ」
「鳥居」
俺は復唱してから、それを見上げる。一般的な神社にソレよりも三、四倍ほど大きい。石柱を組んで作られたようであるが、かなり廃れているようで、右上の部分が大きく崩れ落ちていた。鳥居の向こうに神社のようなものは見えず、本当にただの鳥居「だけ」立っている状態であった。
「これを通れば、人が見えるようになる」
「……どういうことですか」
「堰き止められた時間が、また動き出す」
「どういうことですか」
「論より何とやらだ。通ってみろ」
先輩にそう言われ、少し戸惑いながらしばらく鳥居の前で立ち尽くす。「少し、怖いです」「大丈夫だ、何もないから」こんな不気味なのにか、と俺は思ったが、その想いとは裏腹に不思議と足は一人でに動きだし、気づけば鳥居をくぐろうとしているところであった。
これは後戻りできないな、と少し苦笑する。何度か深呼吸をしてから、口を開いた。
「……じゃあ、通ります」
「ああ」
俺は意を決して、鳥居をくぐった。
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反転――明転。
それから、身体が落ちる感覚。
目が、覚めた。同時に、首元に痛みを感じた。どうやら寝違えてしまったらしい。目覚まし時計を見れば、午前八時を指しているところである。寝過ごした、と飛び起きるが、遅れて今日は土曜日であると思い出す。もう一度布団の中に潜り、二度寝しようと試みる。
少し暑いので冷房をつけ、布団を半分程度被り目を閉じる――結局、あの夢は何だったのだろう。いつも以上に鮮明に覚えているあの話は、やけにリアルで、凄まじく不可解であた。
まさか、都市伝説によくある、寝ている間に変な世界に飛んだ、とかじゃないよな。あるいはこの世界が変わった世界、とか――。俺は一度目を覚まし、枕元に置いておいた携帯を少しいじる。友人からの連絡や部活からの業務連絡がいつも通り入っているのを見て、少し安堵した。
「所詮、ただの夢だったな」
俺は布団に潜り直し、目を閉じた。
冷房の稼働音が、部屋に響いていた。
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結局、××××とは何だったのだろう。