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テンミリオンベイビー

作者: 浅野 新

テンミリオンベイビー


やった。

私は今すぐ走り出したい気持ちを懸命にこらえながら、前かがみになって自分の膨れたお腹に声をかけた。

「年収1千万だよ!」


高卒で事務員として働き始めたものの地位と給料の低さに幻滅し、22歳で代理出産ビジネスに飛び込んで6年。

年収1千万は、ただただ、夢だった。



「150です」

代理母斡旋会社の採用決定後、給与説明の話になって私は耳を疑った。150万。私の価値が。そもそも妊娠後絶対安静と社内規定で決められ働けない中、年収150万では暮らしていけない。

「失礼ですけど、ちょっと低くないですか。一般事務職の年収だって最低200くらいありますよ。私の健診結果見せましたよね?両親の病歴まで」

眼鏡をかけた細い40代くらいの女は、全く視線を合わせる事なく手元の書類を見たまま淡々と語った。

「拝見しました。目立った病歴のない健康なご家族です。ご本人は今時珍しくアレルギーもありませんね。22歳で、それにお綺麗です。年齢と容姿でかなり加点はされています。ただ初産にはリスクが伴います」

そう言って女は通知表のような紙をこちらに見せた。病歴やBMIに体脂肪など、細かい文字でびっちり書かれた項目に年齢:プラス10、容姿:プラス10、出産経験:マイナス50とある。

経験がないだけで恵まれた他の要素を失ってしまう。冗談じゃない。紙の端っこを握り締め思わず声を荒げた。

「若ければ出産経験がないのは当然じゃないですか?__逆に言えば、分娩がスムーズに行ったら評価も上がる余地があるって事ですよね」

女はそこで初めて顔を上げ、こちらを見た。

「全ては結果次第ですが__考えておきましょう」

発せられた肯定的な言葉とは裏腹に、女の涙袋がひくりとゆがんで瞳が細くなった。

お前の希望通りそんなに都合よく事が進むわけがないと言われた気がしたが、私には分かっていた。

私だからこそ上手く進むだろうと。


それからはとんとん拍子だった。

提供された受精卵の着床から妊娠、出産まで私は周囲が驚くほどスムーズにこなした。かなり気を使ったのは妊娠中で、食費は会社から出る事をいい事に無農薬など食材にこだわり運動も欠かさなかった。


産まれてきた子は「元気な女の子ですよ」と一瞬見せられたと思ったら、あっと言う間に別室へ連れて行かれその後二度と姿を見る事はなかった。


さすがに少し疲れてしばらく天井をぼんやりと見続けていたら、会社の人間がやって来た。前の女とは違う。長めの茶髪と整えた細すぎる眉が軽薄そうな雰囲気を漂わせている、若い男だった。スーツがまるで似合っていなくてホストのようだ。男はこちらの様子を窺いながらぺこぺこと頭を下げ愛想良く入ってきた。

「この度はお疲れ様でした。出産直後の所を大変申し訳ないと思ったのですが、良いご報告ですのですぐにお知らせしたく失礼致しました」

無言でいると慌てた様子で続けた。

「このたび報奨金が出る事になりました。クライアントは健康な女の子を欲しがっていた為、全て希望通りでかなり満足されていらっしゃるようでして」

「どれぐらい?」

寝た姿勢のまま、間髪入れず聞いた私に男は一瞬顔を引きつらせた。が、すぐににやけた表情に戻る。

「150です。破格で」

すよ、と男が言い終わらないうちに私は

「15分」

と言った。

「え?じゅ、じゅう?」

「15分で産んだのよ、初産で。分娩がどれだけ早かったか、も評価に入れて欲しいんですけど。早ければそれだけ費用も色々浮くでしょ」

細眉男は再びひくりと笑顔を引きつらせた気がしたが、

「考慮させて頂きます」

と言いその場を去って行った。


結局プラス180万を受け取り、私の社内評価も上がった。

それからの私は1年身体を休め次の1年は妊娠出産というサイクルを繰り返し、三人をこの世に送り出した。全員健常の健康優良児だった為評価は上がり続け、給料は2人目400万、3人目550万、4人目で800万となり、人気、収入、子供の質と言う実績も社内でナンバー1になっていた。


次に5人目を宿そうと決まったある日、私は会社の会議室で次のクライアントを選んでいた。

2人目から顧客と会社の立場は逆転し、こちらが客を選ぶ側になっていた。私を希望する大量の顧客リストを、履歴書の書類選考のように幹部達と私とで1枚1枚目を通しふるいにかけて行く。チェックするのは提示価格と夫婦の職歴と病歴。そして精子、卵子が劣化していない事を証明する病院の書類と、万一障がい者が生まれても訴訟はせず必ず引き取る事を約束した誓約書だ。切々と子供が欲しい気持ちを書いてくる夫婦も多いがそんなものは時間の無駄。全く読まずに必要な書類とデータがそろっている分だけを残し、書類不備と条件を満たさない対象者分は不採用の箱に投げ入れ、みるみるうちに箱は紙でいっぱいになった。


そうして今回選んだのは40代の夫婦だった。二人とも健康面で申し分なく、夫は会社員、妻は公務員で現在抱えているローンはなし。

万一夫がリストラされても妻の支払能力はありそうだと頭の中で電卓を叩く。

今は私の専属マネージャーとなった細眉の男が

「選んで頂いてよかったです。実はかなりプッシュされていまして」

とほおっとため息をついた。

妻は私でなくても良かったらしいのだが、夫側からの強烈なリクエストだったらしい。


そりゃあね。

たとえ産むだけの器だとしても、心理的に40代のババアより20代の若くて美人がいいに決まってる。男ってそんなもんだ。


「それで、」

と言い難そうにマネージャーが付け足す。

「自分達に子供を授けてくる人に是非会いたいと言ってるんですが・・・、どうされますか?」

私は片方の眉をつりあげた。

「夫から?」

「夫から」

私は無言のまま椅子にかけていたジャケットのポケットから名刺入れを取り出し、中から大量のメッセージカードを引っ張り出してトランプのように両手の中で広げた。ざっと見て1枚に目を留める。

『主役はお二人の所に来る為に生まれる子供です。脇役はいりません。主役を大事になさって下さい』

そのカードを人差し指と中指でつまんでマネージャーへ掲げ、

「断って」

とにっこりと笑った。



今回もあっさり妊娠し、臨月を迎え、私は自宅マンションに様子見伺いに来た上司に今回の報酬金額を知らされた。

「やりましたね!先輩!」

私の見舞いに来ていて偶然その場に居合わせた後輩は目をきらきらさせて拍手した。

何かと私を慕ってくる彼女は20歳と若い。実際20という数字だけで出産経験もないのに既に夫側から何件もリクエストが入っている有望株だ。正直言って顔はブスだが先輩に憧れてるんですと濁りのない瞳で言われると悪い気はしない。

彼女は私の大きなお腹を見て呟いた。

「私も先輩みたいになれるでしょうか」

「だあいじょうぶ。何とかなるわよ、私でもそうなんだから」

「そんな、先輩は特別ですよ」

不安そうな顔をした彼女の顔を見ながら、高卒後に働いていた会社を思い浮かべた。

誰もが認める良い人だったのに癌で子供が持てないまま亡くなったセンパイ。子供好きで、切望していたと後で聞いた。

仕事第一だったのに予想外の妊娠で退職した同僚。「二人目が、できちゃって」と言った時の、笑ったような泣いたような表情が忘れられない。

無意識にお腹をさすった。

__そうして、

実の親から虐待を受けていた、子供が大嫌いな私。

そのわたしが。


哀しくて、哀しすぎておかしい。

おかしくて堪らず、思わず笑い出すとお腹の子も微笑んだ気がして目の端から涙が出た。ひとしきり笑った後、戸惑った様子の後輩に私は、大丈夫よ、と繰り返し笑って言った。

「だって神様って不平等だから」



出産予定日まで三日を切った頃、陣痛があり間隔が短くなってきたのでマネージャーに電話をした。出産間近の時には近辺で待機する事になっている彼は、連絡後5分で車をまわし私は座り心地の良いシートにゆったりと身を沈めた。


出産の時はいつもプレゼントの箱を開ける時のようにわくわくする。

子供は出生前診断から判定されている、五体満足、健康優良児、加えて人気の女の子。無事に産まれてくればその瞬間、1千万円が確実なものとなる。

私は1千万払う価値のある、必要とされる人間なんだ。幸福すぎて背中がぞくぞくした。


産み落としたら何をしようか。会社には引退を伝えてあるが、しばらくは代理出産のカリスマとして取材がひっきりなしだろう。エステに行かなきゃ。ヘアカットも。TV映えするブランドの服も買いたい。取材が落ち着いたら長期の海外旅行をするか。合コンに参加して恋人を探すのも悪くない。


車は10分も立たないうちに病院の玄関に着いた。すっかり顔馴染みとなっている医師や看護師達が横にずらりと並んで出迎える。私は満足気に微笑み、お腹を軽く叩いた。

「さあ、しっかり産まれてきてよ。私も頑張るから。__あんたを必要としてくれる人達が、いるんだからね」




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