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私はアンドウの車に乗り、家へ戻った。帰ると、全ての事情を知っていた父方の叔父と叔母が家で待っていて、アンドウから私を引き取った。叔父が、近所の寿司屋から出前を取ってくれて、居間で三人で寿司を食べた。私は寿司を食べながら、そこで初めて涙が出た。叔父と叔母がしきりに慰めてくれたが、涙はとめどなく、いくらでも眼からあふれるのだった。
そのまま私は東京の立石の叔父の家に引き取られ、養子となった。叔父と叔母には他に子供がおらず、また、佐野の市役所から遺族年金のようなものも少なからず支払われていたようで、私は大切に可愛がられて育てられた。
私は小中高と東京で過ごし、やはり東京の二流私大に入って、卒業し、ソフトウェア関連の会社に入社した。会社に入社して今年で七年目になり、今では妻と二人の小さい娘がいる。仕事は忙しく、給料の割りに残業が多いが、とりあえず平凡ながら自分は今幸せだと思って毎日を過ごしている。
ただ、妻がときどき、私の帰りが遅いのを心配して、私が夜遅く、焼酎を片手に晩御飯など食べていると、
「娘たちにはあなたみたいな一般企業じゃなくて、九時五時で帰れる市役所にでも勤めさせたいね」
と言うことがある。私は妻の言うことには基本的に従う方針でおり、喧嘩をするのも面倒なので特に何も言い返さずにいる。しかしいよいよ娘たちが進路を決める年頃になったら、これだけは断固反対しようと、心の中で決めている。