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 そんな私と父の二人暮らしの生活に転機がおとずれたのは、私が小学校三年生の夏休みのことだった。うだるような暑さのある日、アブラゼミの声に包まれた家の居間で、父はまた昼から焼酎のロックを飲んでできあがっていた。私も特にすることが無く、父のピーナツを少し分けてもらってかじりながら、父とちゃぶ台を挟んで畳の上に座り、テレビを観ていた。すると、午後二時だか三時だかの頃に、


ガンガンガン、ガンガンガン


と家の玄関のドアがノックされたのである。


 父は、ノックに対して軽く舌打ちすると、


「あーい」


と不機嫌そうに声をあげて立ち上がり、玄関に向かった。私も訪問客が気になって、父の後についていった。父がドアを開けると、そこには私の知らない中年男性が立っていた。


 男は四十歳前後と見える年頃で、スーツのスラックスにワイシャツにネクタイを締め、片手にスーツのジャケットを抱えていた。ひどく肥満し、四角い縁の古臭い眼鏡をかけている。中分けの黒々とした髪の下の顔は、汗と脂でてらてら光っていて、私が父の後ろに半分隠れるようにしてそっと見上げると、その顔には敵意の無いことを示す笑顔がいっぱいに広がった。


「ああ、イイヅカさん、こんにちは。ご無沙汰してます」


 男は体に似合わぬ高い声でそう言った。そうしてそのまますごい勢いでしゃべりだした。いやあ、暑いですねえ、こう暑くっちゃ、たまりませんねえ、ははは、ちょっと、ジャケットは失礼しますよ、すみません、それはそうと、お元気でしたか、なんて言っても六年ぶり、いや、七年ぶりだったかな?お変わりないようで、良かったです、お子さんも大きくなられましたね、お名前はたしか、タカシ君だったかな?タカシ君、大きくなったねえ、ふふふ・・・。


 それは父との間に何か気まずいことでもあって、その気まずさを吹き飛ばすために必死で言葉を発しているような、そんなしゃべり方だった。父は、どんな表情をしてそれを聞いているのか、その後ろにいた私には分からなかったが、ただ立ってじっと黙っていた。そして男の話がちょっと途切れた瞬間、唐突に、


「・・・なんや、何しに来たんやああっ」


と声をあげた。


「帰れ、あんたなんかに用はない、帰れえええ」


 私がいままで見たことないような剣幕であった。しかし男はそれにひるまず、事務的な笑顔を浮かべたまま、


「いやいやいや、イイヅカさん、落ち着いてください。今日は、ご相談があってきたんです。分かるでしょう?すみませんが、お話、いいですか?」


と父に諭すように言った。父はそれを聞いて、しおしおと勢いを無くし、


「・・・そうですか。ほな、中で聞きましょか。上がってください」


と言った。


   *


 それから父は男を居間にあげ、焼酎とピーナツを片付け、代わりに麦茶を出した。そして私に、このおじさんと話をするから、お前は自分の部屋に行っていなさいと言い、私の勉強部屋兼寝室である、居間の隣の四畳半に私を追いやった。


 私は父と男の様子が気になり、四畳半の中で、居間とつながっているふすまのそばに立ち、漏れ聞こえてくる会話に耳をそば立てた。


「それで、話ちゅうんは」


「いや、まあ、はあ、・・・よく聞いてくださいました。単刀直入に言います。弁天池にオマモリサマが、また、出ました」


「ひえっ」


がたたん、とちゃぶ台の鳴る音がした。父が驚きあまって体をのけぞらせ、足をちゃぶ台にぶつけでもしたのだろうと思われた。


「ご存知でありませんでしたか?佐野市の子供が、もう、二人も行方不明になっています。下野新聞にも載ったはずですが」


「新聞、読まへんからな」


「そうですか。警察も動いているんですが、どちらの子も見つかりません。十中八九、オマモリサマとみて間違いないでしょう」


 男がこう言ったところで、私はふすまを少しだけ、そっと開けた。父にも男にも気づかれず、開けることができた。そうしてその隙間から、居間の様子を覗いた。


 居間ではちゃぶ台を挟んで、父と男が向かいあって座っていた。男は太った脚を座布団の上に礼儀正しく折りたたんで、正座をしている。父はあぐらをかいていた。しかめっ面をして、煙草を吸っている。その二人を南窓から射し込む強い陽射しが照らしていた。


「しかしアンドウさん、誘拐や家出って言う線も・・・」


 父が煙草の煙を吐きながら言いかけた。するとアンドウと呼ばれた男は、真剣な顔で、


「オマモリサマで間違いありませんよ」


と父の言葉を打ち消した。


「せやろか」


「はい、それでですね」


アンドウはちょっと居住まいを正し、


「もうお分かりかと思いますが、イイヅカさんには生け贄に・・・なっていただきたいのですが」


と、いかにも申し訳なさそうに言った。言われた父はまた煙草を一吸い、吸って、一拍の間を置いて、黄色い葉をむき出しにし、笑みを浮かべながら、


「いや、ちょっと、言ってる意味がわからへんのやけども」


と言った。


「いやいやいや、イイヅカさん。生け贄ですよ、イケニエ。人柱です、オマモリサマを鎮めるための」


「・・・」


「契約、しましたよね、七年前に。今誓約書もありますが」


「いや」


 父はにがにがしげに、


「それは、いい。わかっとる」


「そうですか」


「わかっとる、けれどもなあ」


吸いかけの煙草を指に挟んだ手を振りながら、言うのだった。


「実際に生け贄になるかどうかは、また別の話やで」


「どういうことですか」


「そんなもんあんた、当ったり前やがな。この現代日本においてやで、生け贄なんてもん。人権侵害もはなはだしいで」


そう言って、再び煙草を吸い、吸い終えると灰皿にこすり付けて火を消した。


「人権侵害・・・。理不尽に思えるのは承知しております、ですが実際にオマモリサマは存在するんです。あんな怪物、確かに信じられませんが。七年前、イイヅカさんも見たでしょう?だからお願いしているんです。オマモリサマを鎮めるには、生け贄しかありません。どうか、お願い致します」


アンドウはそう言うと、父に改めて頭を下げた。父はちょっと表情を曇らせ、胸ポケットから煙草を取り出し、もう一本新しく火をつけて、


「いや、お願いしますとか言われても。頭下げられたところで、腹もふくらまんし」


投げやりな態度で返事をした。


 この父の態度が、それまで我慢をしていたアンドウの堪忍袋の尾を切った。アンドウは頭を上げると、アンパンマンのように膨らんだ顔を引きつらせ、怒りに震えながら、


「イイヅカさん。あなたねえ、これまでいくら役所があなたに月々支払ってきたか、わかっているでしょう?みんな、オマモリサマが現れたときのために、佐野市民が税金として収めてきたものですよ。それをあなた、腹も膨らまないはないでしょう。この税金泥棒!だったら金を返せ!」


話しているうちにだんだんヒートアップし、最後の方は叫びに近かった。父も間髪入れず、


「なんやあっ!脅迫か。脅されてもワシは怖ないで!ああ、全然怖ない!みなさーん、聞いてー。ここに脅迫公務員がいますー!」


とやり返した。


「そうですか!脅迫!いいでしょう。私を追い返しても、また明日、上の者が来るだけですから。それを更に拒んだら、警察が来ますよ。立派な詐欺事件だ!タカシ君もかわいそうに!」


これに対して父は一瞬間を置いてから、一気に自信を無くした声で、


「警察ぅ?」


「そうですよ!今さらどうにかなる金額じゃない。警察呼びますよ」


「・・・」


 父は煙草を灰皿の縁に置いた。そうして、唐突に、ぐしゃっと泣いた。泣き声で、絞り出すように、


「なんとか、なりませんやろかぁ?なんでもします。生け贄だけは。死にとうない・・・」


言うと、そのまま嗚咽が始まった。アンドウもそれに合わせて声のトーンを落とし、しかし毅然とした態度は崩さず、


「イイヅカさん、泣かれましても・・・。契約した時点で、こうなることは分かっていたはずですよね?今さら、どうしようもありませんよ」


ポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭いた。


 沈黙。しばらく、父の泣き声だけが居間に響いていた。父は右の手のひらで両目を覆い、肩を震わせて泣いていたが、ふと手のひらを目から外した。そして四つんばいになって、ちゃぶ台を迂回してアンドウに這うように近づいた。アンドウのそばまで来ると、両手を伸ばし、アンドウのスラックスのファスナーを下ろそうとした。


「ちょちょちょっ!何するんですか!」


アンドウは慌てて父の手を振り払った。父は手を引っ込め、正座になって、


「ええ・・・?そういうことじゃ、ないんですかね?」


と、こびた笑いを浮かべた。


「そういうことって、どういうことですか?まったく・・・」


そう言ってアンドウが座布団の上に座り直すと、父は再び、


「まあ、悪いようにはせえへんから」


と言いながらアンドウの下半身に触れようとした。


「ちょっとちょっと!いいって、本当に!」


 アンドウにまた拒否されると、父は、


「そっちじゃないんですか。ああ、そうでっか。ふうん・・・。しゃあないなあ」


げへっと笑い、声をひそめて、


「三十で、どうですか」


と言った。


「三十って、どういう意味ですか」


「分かるでしょう?ふふ。じゃあ、五十!これ以上は出せませんで!こっちもそんなに余裕無いからなあ」


「お金ですか!いりませんよ!イイヅカさん、そういう問題じゃないんです、お金を払うなら、これまで我々がお支払いしてきた全部を、私個人でなく役所に返していただかないと。でなければ、生け贄になってもらうしかありません」


 父は、うなだれ、畳の上でまた泣き始めた。ぶつぶつ、「なんでこんなことに・・・ワシ、なんかしたやろか・・・」などと、何か小声で呟いている。アンドウはしばらくそんな父を眺めていたが、キリが無いと踏んだのか、


「では、私はお伝えしましたから。明日の午前九時、迎えに参ります。くれぐれも夜逃げなどしないでください。じゃ、これで」


と冷たく言い残し、立ち上がった。放心状態の父に、一礼し、居間から出ていった。数秒後、玄関の扉が閉まる音がした。


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