第2話 ハッキング
大学の駐車場へと着く。
車のエンジンを止める手が震える。
ここより先に踏み込めば……来年、院に上がる予定も、周りからの信用も無くし、それどころか犯罪者として捕まることだろう。
将来を自分の手で握りつぶす、その恐怖に右手がためらう。
左手を見る。
さやかからの最後のメール。
薬指と小指を喰われた、と。
それだけじゃない、このまま放置すれば……
覚悟を決め、左手でカギを抜く。
荷物を持ち、研究棟へ。
守衛にいつもの挨拶をして奥へと向かう。
研究室へと繋がる通路には二重のロックがある。
一つ目の扉は学生証に付属されたIDで開くが、2つ目の扉は教授と助教授だけが持つマスターキーか、中から開けてもらうしかない。
2つ目の扉の横に付いたカメラの前に立つ。
「遠野か。今、開けるぞ」
インターホンから顔なじみの声が聞こえた。
カチッ、とロックが外れ、少々重い扉を開く。
「ん、遠野。その荷物は何だ?」
同じ研究生の山田に問いかけられる。
「ちょっとな……」
適当に答え、目当ての人物を探す。
居た。
教授は部屋の隅のパソコンを操作しているようだ。
教授がこちらに気づき、俺の様子を見て表情が険しくなる。
カバンを下ろし、中から釘打ち機を取り出す。
山田が呆けた表情でそれを覗く。
パシュッ!
天井に向けて釘が発射された!
「……今から研究室を占拠する! 高槻教授以外出てってくれ!」
「遠野……、何をやってるんだ。み、みんな冗談です! い、一旦外へ出よう、な?」
山田が両手を広げて近づいてくる。
そんな山田へ釘打ち機を向け、
「頼む、傷つけたくないんだ。言うことを聞いてくれ……」
研究室は静まり返り、誰もが困惑を隠せず動きが止まる。
「みんな、遠野君の言うとおりにしてくれ」
教授がみんなに出て行くように促す。
それに対して残ろうとする人たちも居たが、最終的に全員出て行った。
山田が去り際に泣きそうな顔をしていたのが印象に残る。
すぐに扉にロックを掛け、鎹という2つの物を止める釘を打ち込んでいく。
扉は鉄製だったが中が空洞で強度が低く、ハンマーで思い切り打ちつけたら刺さった。
扉を開けられないように打ちとめ、教授へと向く。
「何か私に言うことがあるんじゃないかね?」
「おねがいします! 助けてください、おねがいします」
すぐに教授に向かって土下座をし、懇願する。
「ふぅ……、とりあえず話を聞こうか」
それから教授に昨夜にハッキングを試してダメだったこと、さやかから来た3通目のメールについて話す。
「つまりハッキングをする為にこの試作機X-01を使いたい、と?」
教授が奥の部屋、ガラス越しに見える黒い立方体を目線で差す。
試作機X-01はこの研究室で開発されているスーパーコンピューターだ。
その特徴はCPUの回路が立体構造になっていることにあり、旧来の平面回路に対してよりコンパクトに作成できる点にある。
一辺3mほどの大きさながら、旧来の平面回路なら体育館20棟ほどの面積に匹敵する。
「はい、もう……これしか思い浮かびませんでした」
「もっと平穏な手段を取ろうとは思わなかったのかね?」
「使わせてくれと言って使わせてくれるような物ではないでしょう?」
「だろうね。コレは大学と企業の共同研究物だ。
私的な利用の許可は下りないし、ましてや今世間を騒がせている事件に介入しようなんて理由じゃ、保守的な大学側は絶対に許可を出さないだろう。」
「自分のやっていることはわかっています。ですが! もう、他に手が……」
再度、頭を下げる。
「頭を上げてくれ、君が研究室に入ってきた時の顔を見て、こうなりそうだなとは思ったんだ。
それに昨日、手を貸すとは約束したしね。
ただし、私にも社会的な立場がある。
泥を被るのは君だ、いいね?」
「わかりました、ありがとうございます!」
「さて、この後のことは考えているのかい?」
「大学側が通報して、警察が強行突破してくるまでに1日か2日。
それがタイムリミットだと考えています」
「そんなところだろうね。大学側には私の方から連絡して、いま君の説得をしているところだと伝えておこう。
だが、ハッキングをするなら犯人側のタイムリミットはもっと少ないぞ」
「はい……、素早く事を終えないと犯人が強硬手段に出る可能性が……」
「ハッキングでシステムを掌握するのはそんなに単純に済む話ではないよ。
どうしても時間は掛かる」
「はい……」
「だが、手は有る」
「! 本当ですか?」
「ああ、あれから私の方でもサークルの知り合いの手を借りながら調べてみたんだ。
犯人のシステム構成はメインサーバー1箇所にサブサーバー3箇所。
密かに通信量を観測した結果、処理能力の60%をサブサーバー側に依存しているようだ。
そこが狙い目だ」
「すごい! もうサーバーを突き止めたんですか」
「ああ、知り合いがこういうの得意でね。
話を戻そう、このサブサーバーにアタックを仕掛ける。
コレを使ってね」
そう言って教授がパソコンの画面を見せてくれるが。
「コレって……、ウィルスじゃないですか。
先月に話題になった」
「そうだインペリアルウィルス、先月に様々な企業を混乱に落としこんだ悪名高きウィルスだ。
研究用に手に入れてね。
コレは3つの部分に分かれている。
侵入をする尖兵ウィルス、作業を分担する労働者ウィルス、そしてシステムを乗っ取り、労働者ウィルスたちをまとめ上げる皇帝ウィルス。
コレを使ってサブサーバーに入り込み、処理作業を手伝ってやるのさ」
「え? それ、おかしくないですか? 犯人の手助けを?」
「ああ、手助けをしてやるのさ。
濁流の如き、勢いでね。
さっき言った通り、メインサーバーは単身では処理能力が追いつかない程度の能力しかない。
だからサブサーバーに依存しているわけだが、そのサブサーバーの処理能力が数十倍になったら?」
「メインサーバーもそれに追いつこうとするのでしょうか?」
「そうだ。そうやってメインの処理能力が一杯一杯になれば、その分隙ができるし、内部時間のクロックアップも出来るだろう。
ゲーム時間を加速させることで現実時間とのズレを作る」
「それって一体……」
「君に任せたいのは内部への侵入作業だ。
ウィルスたちと共にデスゲーム内に侵入して欲しい。
君は中から、私は外からシステムの乗っ取りを仕掛ける。
狙いは管理ユーザー権限。
猶予は現実時間で1日、内部の加速された時間なら体感時間で数日作れるはずだ。」
「! なるほど、わかりました」
「私も外から急ぐが、時間が少ない。
おそらく君の動きがカギになる」
それから作業に入っていく。
俺は試作スパコンに通信ケーブルを繋いで、ネットに繋ぎ。
教授はパソコンで何かプログラムを作っている。
「出来た。前に不真面目な生徒が持ち込んだものだが、VRMMOのゲームがある。
戦争物のようだね。
コレを元に君のアバターと装備を作った。
左手と左目に切り札を仕込んである。」
作戦の概要を手早く受ける。
「教授、何から何まですいません」
「構わないさ、今回の事件に関しては私のサークルでも問題視していたからね。
さぁ、繋げるぞ」
ヘッドギアを被り、ウィルスと共にネット世界へと進入していく。
目が覚めた場所は薄暗い林道。
後ろは崖で、向こう岸へと続く吊り橋は落ちている
「まさに陸の孤島と言ったところか」
自分の姿を見る。
戦闘服を着た兵士のような姿だが左手と左目に包帯の様な物が巻かれている。
包帯には文字が書いてあり、これが切り札を封印する役目を負っていた。
右の腰にはM686、マグナムリボルバー。
左胸にはサバイバルナイフが吊るしてある。
前方の林からガサガサと音が聞こえてくる。
草を掻き分け出てきたのは農民のような格好をした男。
その肌は青白く、目や口からは黒く濁った血が流れている。
その背格好はさやかからのメールに書いてあったことに酷似している。
「そうか、お前らが……」
はらわたが煮えたぎる。
ゲームの中とはいえ、怒りの熱が全身を駆け巡る。
こいつらを殺し尽くす!