第1話 メール
大学4年の夏、始まりは一通のメールだった。
「
助けて、キョーちゃん。
ここは暗くて怖い……、青い光が消えると怪物が襲ってくるよ……
」
これは恋人のさやかから来たメールだ。
正直、イタズラだと思った。
送り元も知らない企業アドレス?からだし。
一応、念のためさやかの実家に連絡を入れたところ今、警察と救急車が来ていると言われ彼女の実家に急ぐ。
そこで警察に事情を聞かれ、その日の夜のニュースを見て、自分たちの陥った事態を知る。
始まりは一つのゲーム。
今流行の高性能なVRMMO型のゲーム、始皇帝だ。
これはストーム社というちょっと前まで解散か吸収か、と騒がれていたゲーム会社が出した新作で。
日本国内で1万人のテストプレイヤーを募集していた。
かなり太っ腹なことで接続機器や動かすための高性能ゲーミングマシンもプレゼントしてくれるとのことで、応募が殺到した。
さやかが何十倍という倍率をくぐって当選し、大喜びしていたのをよく覚えている。
だが、それは罠だった。
頭に付けるヘッドギア型の接続機器には爆弾が仕掛けられている。
威力は爆竹の10倍程度のものらしい。
そんなものでも威力を集中させ、鉄片を打ち込めば頭蓋骨を簡単に割る事が出来るそうだ。
ニュースで無理にヘッドギアを外そうとして爆発が起きたと流れている。
警察から聞いたこともそれを裏付けており、犯人からの犯行声明などは無いが、被害者からメールが届くとのこと。
俺にさやかからのメールが届いたように。
「
もう嫌だよう……、何でこんな目に遭わなければいけないの?
さっきようやく他の人たちに出会えたけど、また青い光が切れて、そこからはみんなバラバラ……
どうすればいいの?
」
その日の深夜に、さやかからの2通目のメールが届く。
このメールは青い光で満たされたセーフティポイントに入ると送ったりできるようになるらしい。
ニュースでは別の人がメールを使って内部の様子を詳しく書いていた。
中はホラーテイストのゲームで、舞台は孤立した山村。
その中で青い肌をした亡者どもにプレイヤーたちは追い回されているそうだ。
武器はナイフ1本。
倒せば経験値が積めてレベルアップも出来るそうだが、ゲームオーバーは現実での死を意味し、多くのプレイヤーは逃げ惑っているらしい。
青い光で満たされたセーフティポイントは時間ごとに出現するポイントで、その中までは敵は追ってこないそうだ。
プレイヤー達はセーフティポイントからセーフティポイントへと移動してなんとかやりくりしている。
この件で販売元のストーム社に警察が踏み込んだが、ストーム社が開発したのはゲームシステムのみで。
問題のヘッドギアなどはストーム社を買収して立て直らせた会社が送った物だそうだ。
だが、この会社はペーパーカンパニーで実体が無かった。
ここで捜査は暗礁に乗り上げる。
手がかりはメールの送り元のアドレスのみ。
これはニュースでも専門家たちが調べていると言っていたが、まだどの国から送られているのかもわかってないそうだ。
ニュースでは、先月にも大規模なコンピューターウィルスに依る企業や政府の庁舎への攻撃があったばかりで、ネット社会の危険性などを訴えているが。
俺はそれどころではない。
胸を掻き毟る。
このままでは、さやかが……
「話はわかったよ、遠野君」
電話の向こうで教授が答える。
相手は俺が師事している大学の恩師で、電子工学と理学部数学の博士号をとった天才だ。
今は大学の研究室で企業と合同研究で次世代のスーパーコンピューターを作っている。
俺はそこでは雑用係みたいなものだが。
こういった情報技術を使った犯罪について相談できる人は教授しか居なかった。
この人は電子チップの設計だけでなく、ネットセキュリティやウィルス、ハッキングにも詳しいからなぁ。
「今話題になっている件については私の所属する趣味のサークルでも話に出ていたからね。
こちらでも調べてみるよ」
深夜だというのに迷惑がらず俺の話を聞いてくれて、力になってくれるそうだ。
恩師に相談し、少し冷静さを取り戻す。
俺の方でも何か出来ないか、考えてみるか。
メールアドレスを元にサーバーを追う。
このサーバーが犯人のメインサーバーとは限らないが、何かの手がかりがあるはず。
拙い知識で何とかハッキングしようと思いつく手を全て試すが……
「クソ! スパイウェアもアドウェアも送りつけたところで犯人が開くわけは無いか……」
他の手は関連するサーバーのユーザーIDを入手して、そこから侵入する方法だが。
その関連するサーバーが見つからない。
ストーム社のサーバーは繋がっていないようだ。
残る手はブルートフォースアタック。
名前は仰々しいが、単純に言えばランダムで作ったユーザーIDとパスワードを大量に試して、その中に“当たり”があれば侵入できるというだけの、かなりの力技、無理矢理な攻撃だ。
早速、以前に興味本位で手に入れたソフトを使って試してみる。
……6時間が経った。
時刻はさやかが囚われてから2日目の昼となった。
ランダムアタックの試行回数は8千万に到達しようとしている。
だが、当たりは無い。
このまま続けていればそのうち当たるかもしれないが、もし犯人が時間ごとにIDとパスワードを変えていた場合、よほどの運が無いと当たらないだろう。
胸を絶望と焦燥が埋めていく。
そんな時に3度目のメールが届く。
「
痛いよ……痛い……
あとちょっとで青い光の中に入れるってところで化け物に掴まりそうになっちゃったよ……
なんとか振りほどいて光の中へと入ったけど……
その時に指を噛まれた。
左手の薬指と小指が無くなっちゃった。
化け物は私の指を食べながら、青い光の周りをうろついている。
お願い、助けてキョーちゃん。
もう、嫌だよぅ……
」
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?
喉からエラーを起こした機械のように、ただ音が鳴る。
焦燥と不安は限界を超え、目に見えない小人のように頭の中を駆け回り。
脳は耐えられない痛みを訴え。
気が付いたら、吐いていた。
自分の吐いた汚物の中で目を覚ます。
顔の左半分が汚れた。
胃に残留物無く、吐き気はもう無い。
心も無くなったのだろうか?
胸にぽっかり穴が空いた気がする。
穴から湧き出すのは怒りという、ただただ感情のみ。
悩むということが消える。
パソコンは1億回のランダムアタックに入ったところだ。
だが、コレにはおそらく期待できないだろう。
もっとパワーのあるマシンでないとあのセキュリティは抜けない。
もっと力を。
……心当たりがある。
それからシャワーを浴び身奇麗にした後、ホームセンターで釘打ち機や鉈、釘などの大工道具を買って、車に積み込む。
今からやることは犯罪だ。
俺のまともな人生はここで終わるだろう。
だが、そうせざるを得ない。
もはや理性ではない感情だ。
只一人の雄として行動する。
これから大学の研究室を占拠する。