エピローグ
僕、高見カケルが、病院のベットで意識を取り戻したのは業羅の学校への出現の日から五日後の事であった。
それは、終わってみれば、単に、夢も見ない深い眠りのようで、起きたら、まるで、少し寝過ごしてたっぷりと睡眠が取れた日の朝ごとく、少しの焦燥感と、しかし十分に寝たことの満足感——やたらとすっきりとした気分で、僕は呆然とベットの上で目を開けていたのだった。
覚醒後すぐに、僕は綿密な身体の検査を行われたのだが、やはり異常は全く発見されなかった。何も問題ない、極々の健康体、と僕は検査した医師に太鼓判を押された。
なのでもう一日様子を見て問題なければ退院する事になるだろうとのことであった。それは、どうも病院と言う場所が嫌いな僕には嬉しい話であったが……その退院の前に、一緒にこの病院へ入院しただろうウェブレイドの人達に、まだここにいるのならば会いたいと検査が終わった後にその場にいた医師にお願いをした。
今回の事件はどうも状況的に僕にとても関連しているようで……そのために負傷したあの人達が帰る前にあやまる、と言うか一言、話をしておきたかったのだった。
——しかし、お医者さんの話では、ウェブレイドの人達はほとんど、先に退院したとの事であった。
まず、DJアームは、ブースにいる時にはまるで瀬死のように見えたが、実は頭を強く打っていただけで、事件が終わってすぐ意識を取り戻したそうで、レントゲンの結果も正常、昨日にはもうイギリスへ帰って行ったそうだ。
パワードスーツの二人も、打撲は酷く骨折も数カ所あったのだが、それ以外は意外に軽傷で(気絶の原因はやはり頭部へのショックが主で、アームと同じくどうやら後遺症の残るような怪我は見つからなかったようだ。よかった)意識を取り戻した後に、骨折の応急処置をすませると、安静にしていれば旅行には問題がないと判断し、もっと設備の整ったウェブレイドの病院まで、事件の後すぐに運ばれて行ったようだ。
でもまだここには一人が残っていた。一番話をしなければならない人。そう、ランさんはまだここにいた。
腹の怪我が大した事無いなんて大嘘、無理をして立っていたせいで傷が悪化して、その他複数箇所の裂傷もあり、出血多量その他で、一時は死線をさまよっていたと言う。
でも、医師数人がかりによる治療のかいがあって、翌日に奇跡的に回復、そして、昨日の夜、やっと集中治療室から普通の病室に移されたのだとのことだった。
僕はそれを聞いてすぐにランさん会いたいと言った。しかし、お医者さんは、彼女はまだ面会は少し遠慮した方が良いとは言う。まあランさんの身体が第一なので無理強いはできないけど、とは思うけど……
でも——と悩む、僕はかなり悲しそうな顔になっていたらしく、今回の事件で僕とランさんの関わりも聞いているその場にいた看護士のお姉さん達の後押し(でも「フラグよ、フラグよ」って何じゃそりゃ)もあり、医師には、まあちょっとの間なら良いでしょうと言われ、僕は教えてもらった病室のドアをノックした後に開ける。
すると……
「今回は頑張ったわね」
入るなり、僕を見てにっこりと微笑んだランさんはそんなねぎらいの言葉をかけてくれた。
「いや僕なんて……ランさんこそすごいです。あんな状態で」
「はは、こんなのプロなんで当たり前よ! 私を誰だと思ってるの! 不世出のスーパーMC! ウエブレイドのラ……いてて」
「ランさん、無理しないでくださいよ」
「……ごめんごめん、やっぱり腹の傷は深いわ。まだ大声出すのは無理ね」
「直るまでゆっくり休んでくださいよ」
「そうねここで無意味にはしゃいで傷の直り遅くしたら馬鹿らしいし……早く直して、あんたの本当の実力聴きに行かなきゃならないしね」
僕は一呼吸おいてから、
「……やっぱり気づいていたんですね」と。
「ええ、あの、あなたの家のターンテーブルってモーターが壊れてたんでしょ」
「そうです先週くらいから調子悪くって、取り替えのモーターも用意してたんですが、あの日に、もう完全に壊れるとは思ってなくて……別にわざと下手なプレイにしたかったわけではないのですが」
「回転が散々不規則になってピッチが乱れまくりのあのターンテーブルで、ずっとピッチの微調整しながらミックスをしてたってわけ? それであれ? 大したもんだわ」
「いえ、最後には大失敗してもうピッチを戻せなくなってしまったし……」
「あの日あなたのいない時に試しにあなたの家のターンテーブルを使わせてもらったけど、あんな状態じゃ誰がやっても無理よ」
「いえ、プレイを始めてからの失敗なので誰にも言訳はできないですので」
僕は笑みを捨て、真剣な顔で言う。
そんな僕を見て、
「そっか」とランさんは優しく微笑みながら言った。「でも退院したらイギリスへ戻る前にターンテーブルが正常な状態でのプレイを一回聴かせてよ」
「はい」
「正直、君の実力はこの間の業羅騒ぎで、世界中に知れ渡っちゃったんだけど……お姉さんにだけもう一回、あの場所で、あなたのプレイを聴かせてね。あなたはあのとき私を途中まで散々期待させてがっかりさせた負い目があるのよ……分かった?」
「はい」
「じゃあ——」
そう言うとランさんは指を差し出した。
僕はその意味が分からずに固まる。
「日本では約束する時にこうするんでしょう」
「はい?」
僕らはそのまま指切りげんまんをして、お互いににっこりと笑い合った。
その笑顔はとても奇麗で純粋で、思わず僕はわけも分からずに赤くなって、うつむいてしまう。
なんかいいな、と僕は思った。
今回いろいろあったけどこうやって少なくともランさんと知り合えて仲良くなったのは良かったなって。
何かほんわかな気分で指をランさんとからめていた。
僕は、このままずっとこんな平和が続けば良いななんて思いながら——このまま僕に普通の高校生の生活が戻ってこないかなと思いながら……
僕はうつむいたまま微笑んでいた。
でも、それは、無理だろう。
僕は、自分でもなぜか分からないまま、強い確信を持ってそう思っていた。
巻き込まれた運命はこのまま自分を放っておいてはくれないだろう。病室の窓の向こう抜けるような青空を見ながら、僕は思わず深いため息を漏らした。
そう、こんな日。普通の人であれば一生に一度も経験しないような大冒険を終えた僕であったが……こんな日。こんな穏やかな日であるが……
たぶん……
——これは始まりの終わりに過ぎないのであった。