人生の変わる時
ブースにはパワードスーツの二人が僕の両脇を抱えて運んでくれた。爆風で酷くやられたパワードスーツの二人リップちゃんとマットくんは、僕を運び終わると、そのまま崩れ落ちるようにブースの中に倒れてしまった。
二人とも意識はまだあるようだが何か酷い怪我をしているらしく、苦痛に顔を歪め、そのまま立ち上がる事ができなくなってしまった。
その横の床には、アームが横たわってた。こっちもなんとか息があるようだが、身体はぴくりともしない。
なんとか立ち上がっているのはランさんだけだったが、
「……ごめんねカケル君。私達で止められなかった」と言う声は明らかにとぎれとぎれで、
「ランさん、それは」と僕は驚いて言う。
下の校庭からは見えなかったが、ランさんの服も腹が大きく割け、その周りは血で真っ赤に染まっていたのだった。
「大丈夫、傷は大した事無いって、血はもう止まってるって。でも衝撃で床転がった時に足くじいちゃったみたいなのよね」
それでもランさんは立ち上がる。
「私まで倒れてたら下で私達を信じてくれる人が不安になるじゃないの」
「そんな、もう座っててください」
「駄目よ」
「ランさん……」
「でも、もう歌おうにも腹に力が入らないから、もうこの後はカケル君に任せるしかないのだけれど……やれる?」
「……はい」
「どうも話聞いてると、あのホルスタイン女はあなたを誘い出すのが今回の目的だったようだわ。つまり、あなたに対して何か企みがある。あなたはここまで全く奴の思いのままに動かされ、ここにやって来た——誘い込まれた。それは分かってる?」
「分かってます」と僕。
「あいつは今の光で多分私達全員を殺して、このブースを機能不能にすることだってできたはずなのよ。でもやらなかった、光は全て私達を行動不能にする分だけピンポイントで爆発した」
「はい」
「それはあなたをここに引きずり上げるためなのよ。あの女にはあなたに何かやらせたい事があるはずなの。それは何かは分からないけれど、どう考えても、それはあなたに取って都合の良い事じゃないでしょうね。いわば今あなたは『はめられた』のよ。分かる?」
「はい」
「でも、それでもやるのかしら? カケル君。あなたは奴の仕組んだ罠のその先にいけるのかしら?」
「はい」
僕は力強く返事をしていた。
はやれるかどうかなんて分からない。でも今はやるしか無い。
僕はゆっくりと首肯するとブースのコンソールに向かう。
家では基本的にはターンテーブルでDJの練習をさせられていたのだけれど、今の対業羅コンソールの使い方も一通りは覚えていた。
しかし家に合ったのはシュミレーターなので微妙な使用感の差があるかもしれないが……
縦フェーダーの上げ下げ。
ビートにあわせクロスフェーダーを揺らし、低音を切り、出す……
よし行けそうだ。
操作感覚はシミュレーターと大きな差はない。
やれる……と言うか、やるしかないのだ。
ここで業羅を止められないと、僕らは誰も助からないのだ。
そう思うと——自分でも不思議な事に——とても落ち着いて来た。
迷っている暇は無い。
この曲が終わる前に、まずは次の曲を選ばなければ。僕はバンクを検索し、目的の曲を見つけ、ピッチを合わせると、ゆっくりとその曲をつないでゆく。
相変わらずモニターの業羅の型識別結果は、「過去に適合タイプ無し」のままだけど、そんな時は……
「E2—E4ね。確かにこれならどの業羅も大人しくなるわ。いくら進化し枝分かれしたにしても、元の業羅はこの音に反応して攻撃をやめたのだから」
ランさんの言う通り。E2—E4、今で言うハウスやテクノが産声さえ上げていなかった1984年、ドイツ人のマニュエル・ゲッチングによって作られたプレ・テクノユージックとでも言うべきこの作品は、発表当初は大した反響も呼ばなかったのであった。
しかし1980年代後半にクラブミュージックDJ達により見つけられ、取り上げられ、まるでオーパーツであるがごとくあらじめあった、その曲は、約束されたていたかのように次世代を開く鍵穴に差し込まれ、その後に広がる革命の扉をあけたのだった。
これが始まりの曲。
いくら広がり、様々な形態と性質を持つようになった業羅といえども、この音には踊るはずだった。
——つなぎが終わり、曲は完全にE2—E4へと変わる。
業羅は、戸惑った様子ながらも、その動きを止め、絶え間なく吐き出していた怒号はいつのまにか静まっていた。
「効き目あるようね。でも問題はこの後ね」とランさん。
「はい」
僕は次の曲を検索する。この次が大事なのだ。
ウェブレイドのデータベースでは全くプロファイリング不可能だったこの三体の業羅達でも、その発生の歴史のコアとなる部分を震わせて一度動きを止める。ここまではE2—E4をかけようと思いつけば誰にでもやれることだ。
しかしこの後、彼らを、彼らのグルーヴに誘うには、このままでは駄目だ。枝分かれした彼らの進化の歴史にそって、そして中に取り込まれているあの三人の感情の揺らぎにそって、僕はグルーヴを作って行かなければならない。
データベースもセンサーも何も教えてくれないこの状態で、どうやってそれを掴めば良いのかと思うが……
いや父さん達の時代は全部そうしていたんだ。
できないはずはないんだ。
まだ業羅の生態も分からず、データベースも、有効なセンサーもない時代、目の前の業羅の反応とその周りの群衆の作り出す空気だけで、業羅を踊らせて人間に戻して行ったのだ。
だから今だって……
「フロアを見ろ」
父さんに何度も言われた言葉が頭の中に響き渡る。
ダンスフロア——今日はこの校庭——に集まった業羅とみんなの姿を見るのだ。
自分の都合で自分のやりたいグルーヴをつくってもだめだ。
偉そうに、今一番高いブースにいる、自分は主役ではない。
主役はフロアであり、自分ではない。
しかし、また忘れては行けない。
自分もまたそのフロアの一員なのだ。
自分もまた主役の一人なのだ。
だから、
——感じろ。
分かるはずだ。
今この場所に流れる鼓動を。
世界とつながるグルーヴを。
僕だけではない。
目の前で荒れ狂う、業羅だけでない。業羅を取りかこむ人々を、その感情の揺れを。
そしてこの皆を取り囲む世界の中——うごめく感情。
僕は大きな渦の中にいる。それは肯定的なものも、否定的な者も、様々な感情が渦巻いている。その中から、感じて、僕は取り出さなければならないのだ。
波に乗る。音にのり、問いかける。僕の鼓動は問いかける。音は問いかける。
言葉以前の原初の叫び。僕は音で問いかける。
世界は答えを波で返す。
何もかも混じり合った波。
でもさっきよりも良い気分のする波。
僕は少し良い気分になり、にっこりと笑った。
良い事ばかりではない世界この世界の中、僕は、その中で少なくとも良い感情を大きく揺らそうと、まっすぐにフロア=校庭を見る。
僕は見なければならないのだ。
感じなければならないのだ。
僕は生まれて始めてと言うくらい真剣に、——心からそんな風に思った。
すると突然、目の前がぱっと明るくなり、何か光る球体のような物が目の前に現れる。
と、その中に——見えた。
僕の目の前には感情が映像になって広がっていた。
業羅になってしまった三人の心と僕はつながっていた。その映像の向こうに。僕には、彼らの心の声が見えた/聞こえた。目の前で起きている事の意味は良く分からないけど、これだけは言えた。僕には分かった。
彼らは、求めている。
——俺らだってよあんな半端なことやっていたいわけじゃないんだよ。でももうしょうがないじゃないか。
僕にはあの三人が僕に語りかけて来ているような気がしていた。その声が確かに聞こえたような気がした。
——俺らこんな性格で、怖がられてばかりで……ああ、こんなのが本当に面白い訳じゃないんだよ。でも途中ですみませんでしたなんて言える分けないじゃないか……どうせ俺らみたいなつまんないやつらは、こうしているしか無いじゃないか。
あの三人だって、このままでいたいわけじゃないんだ。
なにかもっと良い方向に変わりたいと本気で思っているのだ。
でも僕らはそれを拒んでいなかっただろうか。
彼らの入る場所を、狭め、彼らのグルーヴが僕らの中に入って来るのを、やりもしないうちに拒否をしていなかっただろうか。
怖れ、忌み、自分の世界を守ろうとしていなかっただろうか。
彼らの暴力に脅え、しかし逆に彼らを馬鹿にしていなかっただろうか。
僕は、彼らの声を聞いていただろうか。
彼らだって変わりたかったのではないだろうか。
それを止めていたのは僕らだったのではないだろうか。
今でも、僕らは業羅になった彼らを、そしてその中の彼らを怖がり、逃げようとしていないだろうか。
——でも、
少なくとも僕は今届けたい。
この感情を。
世界が君らと一緒に揺れているこのグルーヴを。
僕らが一緒に揺れられる可能性を。
それが僕に今で切る事、
そして、
それであれば……
「よし」
僕は、次の曲を決めた。
バンクからその曲を取り出して、ピッチを合わせ、印象的なイントロをカットインさせる。
「チェンジズ・オブ・ライフ!」
ランさんが嬉しそうに叫ぶ。
そう、ジェフ・ミルズのチェンジズ・オブ・ライフだ。
もう一度、巻き戻して、カットイン。
業羅が、なにかびっくりしたように身体をぴくりとさせる、ともう一度動き出す。
もう一度カットイン。
そして二つの曲のビートが混ざり始める。
徐々に盛り上がって行くビートに、業羅もその腕を少し動かし始める。
混ざり合うビートに、そして曲は切り替わり、ブレイク!
業羅はついに踊り出した。
校庭の生徒達からも歓声が上がる。
分かった。
分かったよ、賀場先輩たち。
正直、僕らは、違う種類の人間にしか思えないけれど、また学校で出会った時には廊下を小走りで逃げちゃうかも知れないけど……
だからこそだ。
だからこそ、そんな違った人間達が、同じ音の中で一つになれるのは、そんな世界がここにあるのはすてきなんじゃないかって、僕は思う。そうしてそんな中でこそ世界は変わって行けると思っている。
だから……
さあ、踊ろう!