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掌編集

りんご

作者: 和田喬助

 父方の認知症のばあちゃんが、足の骨を折って病院に運ばれたという知らせを聞いたのは、今にも雨が降ってきそうな真っ黒い雲が広がる昼下がりのことだった。

 僕と父さんと母さんはその時、リビングに集まって昼寝をしていた。ローテーブルの周りに敷かれた座布団を折って枕代わりにして、うとうとしていた。父さんと母さんはぐっすりと本格的に寝ていたようだった。

 突然、父さんのケータイが鳴り始めた。電話とメールで着信音を変えているらしいが、これは電話の方だ。

 ぐっすり眠っていたはずの父さんは、慌てたように跳ね起きて電話に出た。仕事は退職しているのに、数十年以上続いた習慣は未だに健在のようだ。

 うんうん、分かった、と相づちを打って電話を切った。

「病院に行ってくる。ばあちゃんが足の骨を折ったらしい。今、姉さんが付き添っているそうだ」

 どうせなら家族全員で行こうと、目を覚ました母さんが提案した。

 行きたくないと、僕は断言した。実は僕はうつ病だ。他人に会うのが怖いし、精神的にとても疲れる。外に出る気力なんて、どこからも湧いてこない。

「そしたら、今晩のご飯は食べないのかい?」

 母さんは突き放すように言った。母さんは、一度決めたら絶対に曲げない。家族でお見舞いに行ってから外食するのは、決定事項なのだ。僕が何を言っても、聞く耳を持たないだろう。

「たまには、日の光でも浴びるといいさ」

 うつ病患者に外出を強制するなんて、まるで鬼のすることだと思ったが、今は実家でお世話になっている身だから、あまり反抗すると家を追い出されると思った。

「……分かった。行くよ……」

 超だるいが、僕は寝ていた体を起こした。

 何かお土産でも持って行くか、という話しになり、それならいいものがあると、僕は台所からりんごと果物ナイフを持ってきた。何でりんごなのと聞かれると、

「僕が好きだからさ」

 と、答えておいた。返事するのも面倒くさい。ただ、好きなのは本当だ。


 個人病室には、左足を吊ったばあちゃんがいた。ちょうどおやつの時間らしく、ベッドが起こされてテーブルにみかんの入ったネットが置いてある。おばさん、つまり父さんのお姉さんが食べさせてあげていた。

 ばあちゃんは僕らを見ると、迷惑かけてすまんねぇと頭を下げた。たぶん誰なのかは分かっていないと思うけれど、自分を心配してきてくれた誰かと思ってそんなことを言ったのだろう。

 お年寄りなのに食欲はあるようで、どんどん口に運ぶよう求めている。これなら、心配しなくてもいずれ元気になる。

 全部食べ終わった所で、僕は手提げバッグからりんごとナイフを出した。おばさんが、「あら、ありがとう」と受け取って皮をむき始めた。

 均等の大きさに切り終えると、ばあちゃんに食べさせた。旨い旨いと、シャクシャク音をたてて食べている。

「良かったら、食べないかい」

 ばあちゃんは、僕たちにりんごを勧めてきた。真っ先に、僕は手を伸ばした。するとばあちゃんが、

「そういえば昔、わしの家に来るなり『りんごちょうだい』とねだる小さい子どもがいたなぁ」

 突然そんなことをしゃべったばあちゃんに、僕は驚いた。

 その小さい子どもは僕のことだよ、ばあちゃん。遊びに行くたびに、りんごをねだっていたっけ。りんご欲しさに、一人で行くこともあった。

 急に、懐かしくなった。どうしてばあちゃんはそんなこと覚えているんだろう。迷惑だったのかな。

「その子を連れておいで。りんごあるよって言ってさ」

 ばあちゃんは、嬉しそうな顔でそう言った。

 うつ病を発症してから初めて、人に認められた気がした。自分は生きてていいんだと思えた。

 僕の目から、涙がこぼれた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 軽度の認知症なのかな。 歳をとるといずれこうなると思っていても、無性に寂しい日があります。しかも思い出がつながった時にはふわっとこみ上げるものがありますよね。 素直に感動しました。
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