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雨音に耳をすまして(1)



 詩が好きだ。作者が想いを込めて、美しい言の葉を紡ぎ出す。なぜ、こんな表現が出来るのか。なぜ、こんなにも共感出来る言葉が生まれてくるのか。


 それが美音みおんには不思議でならなかった。しかし、もっと不思議なものは恋の詩だ。


 詩の多くは恋に関するものだ。だが、どうしても彼女には共感出来ないのだ。


 詩が歌になり言葉が歌詞となる瞬間は、何かの儀式のように神聖なものに思える。彼女が好きなのはバラードだが、恋愛だけは好きになれない。とはいえ、バラードは恋愛がほとんどだ。


「疲れたな」


 学校帰り。何となくCDショップに寄った美音。

 面倒だったテストが終わり、高校生ってなんて疲れるんだろうと思いながら立ち寄ったのが、よく行くCDショップだ。


 最近はダウンロードなんて方法で音楽を聴くのが当たり前になっている。だが、美音は気に入らなかった。

 別に機械に弱いわけではない。今もスマホを片手に人気の音楽を検索しながら店内を歩いている。


「ばっかみたい」


 視聴していた音楽が気に入らなくて、ヘッドホンを乱暴に外す。


 ――愛だの恋だの、そんなのばっかり。


 共感出来ないからこそ、恋愛は苦手だ。特に梅雨時の今、しっとりしたバラード調の恋愛曲が多い。

 素敵な歌詞ではあるのだが、美音の心に上手くのらない。だが、全てが嫌いという訳ではない。初恋の曲が特に苦手なだけだ。


 また違う曲を視聴しながら、目の前のCDを手に取る。


 歌詞がしっかり載っているからCDを買う。それに歌の雰囲気はCDのジャケットにもある。一枚千円以上するものをわざわざ棚がかさばると知っていて買う。

 それは美音のこだわりかもしれない。


 ダウンロードなんてものは、手軽で何となくで聴いてしまう。でも、わざわざ店に行ってCDを買う。それは、本当に好きだから出来ることだ。


「全然、心に響かない」

「ふうん。そうかな」


 いつの間にか背後に立っていて、美音の言葉に異議を唱える男性に驚く。おまけに振り返って落としそうになったヘッドホンを奪い取る。


「ちょっと!」


 取り返そうとするが、背が高くて届かない。彼は悠々と右耳だけにあてて音楽を聴き始める。しばらくして、ヘッドホンを元に戻して首を傾げる。


「なにがダメなわけ? 普通のラブバラードだろ」

「関係ないでしょ」


 目の前に立つ男性を見上げる。

 大学生らしく、日に焼けた肌にポロシャツという格好を見るとテニス部にでもいるのかと想像してしまう。

 どこにでもいるような普通の大学生。恰好いいわけじゃない、平凡な人だ。


 美音が通う高校の近くには、二つの大学がある。そのどちらかの学生だろうと予想する。


「なに」


 そんな美音の視線に気づいた彼が、怪訝な顔をした。


「別に」


 実は美音と彼が会うのは初めてではない。ただ、こんな風に話すのは初めてだ。


 それは去年の夏。美音は高校二年生で、彼はやはりポロシャツ姿だった。

 学校帰りで、今日と同じ五時過ぎ。美音はいつものようにCDショップに入り浸っていた。


 エアコンの効いた店内で涼みついでに、最近の流行り曲を聴きまくっていたのだ。

 そろそろ帰ろうかと思った時に、いつの間にか降り始めていた雨。店の外が見えないほど強く激しい雨に、長居したことを後悔した。


 深いため息をつくと、一人の男性が慌てて入ってきたのだ。雨宿りに来たらしく、中に入ると濡れた靴を足元のマットで擦る。


 それが彼だった。


 特に会話を交わしたわけではない。あまり人の来ない美音行きつけのCDショップに、見ない顔が来たものだから覚えていたのだ。

 濡れた髪を無造作に掻き上げ、落ちてきた雫を振り払う。濡れて張り付いたポロシャツはお構い無しだ。


 落ち着くと、彼はCDを見始めた。

 その動きが何となく慣れているように感じた美音は、彼もCDを買う派だったら嬉しいな、なんて思ってしまったのだ。


 後々考えると、学校でCDを買っていることを馬鹿にされて腹が立っていたことを思い出す。


 単純に仲間が欲しかったのだ。一つの音楽に夢中になり、CDが擦り切れそうなほどに何度も聴く。

 そういう自分の好みを持った、心から音と詩を楽しむ仲間が。


「ねえ、聞いてる?」


 おでこをつつかれて、美音は我に返る。あの時と変わらない人が目の前で笑う。


「いきなりなに?」


 あの日に出会い、今日が二回目。二回と言っても、彼は雨の日のことを覚えていない。

 今日のことも、たまたま寄ったCDショップに居合わせただけの存在。すぐに忘れてしまうかもしれない。


「だから、こういったラブソングに共感出来ないのってさ。理由があるんだよ」

「理由?」

「お前さ、恋したことないだろ」

「は!?」


 美音は腹が立った。お互いのことを知りもしない関係で、そこまで言われるとは思わなかったからだ。初恋もまだなのかと罵られているように感じていた。


「……あるよ」


 別に嘘をつかなくてもいいことかもしれない。しかし美音は、恋をしたことがないと言われて、子供に見られたような気がしたのだ。

 なぜか、彼には負けたくなかった。対等の立場でありたいと思い、嘘をついてしまう。


「嘘だね」


 その嘘もすぐにバレてしまい、恥ずかしくなって目をそらす。


「うるさいな。あんた、誰?」

理久りく

「は?」

「だから、理久。よろしく」

「なにがよろしくよ」


 小さなCDショップ内に、客は自分たち二人しかいない。若いアルバイトらしき店員はレジで暇そうにスマホを触っている。

 話を聞かれているような気がして、お互いに急に気まずくなる。弾かれたように離れ、美音は後ろを向く。


 変な人だと思えば思うほどに、彼のことが気になる。ただCDを見に来ただけだったが、理久の存在がいつもと変わらない寄り道を変えてしまう。


「……帰る」


 美音は厄介な奴に捕まったと、まるでその場から逃げ出すように出口を目指して歩き出す。


「待てよ、美音っ」


 ショップを出ようとした所で、呼び止められて驚く。


「……なんで、名前」

「忘れちゃった?」

「は?」

「オレ、同じ学校だったの。先輩だよ?」

「……知らない」

「オレは覚えてるんだけどな」


 理久は子供のような屈託の無い笑顔を見せる。

 思わずドキッとしてしまった美音は目線をそらす。こんなふうに笑える人なんだと、理久のイメージがどんどん変わっていく。


「なんで名前まで知ってるの?」

「いっつも軽音部の部室いただろ。片隅で本読んでてさ」


 そういえば、よく本を読んでいたことを思い出す。

 軽音部と言っても、美音は入部はしていない。友達に誘われて見学して、そのまま入り浸っていただけだ。


 好きなCDも聴き放題。好きな本も落ち着いて読める。何より、口うるさい親がいる家よりリラックス出来た。

 だから部員の顔など覚えていない。美音は軽音部ではなかったのだから。


「オレ、一応部長やってたんだけど」

「ふうん」

「ふうんって、忘れた?」

「わたし、軽音部じゃなかったし」

「だろうな。部員の中に名前なかったしな」


 彼は頭を掻き、当時を思い出したのかため息をつく。


「その軽音部部長は、今テニス部とか?」

「……え」

「なんとなく。日焼けが眩しい」

「当たり」


 何となくで当たってしまう。推理に向いているんじゃないかと胸を張りたくなる美音だが、理久の前ではしゃぐのは馬鹿らしいと思いとどまる。


 しかし、同じ高校に通っていたとは驚きの美音だ。


「名前は? なんで知ってたの?」

「ああ。軽音部にいる時に、美音の友達に聞いた」

「そう」


 今ではたまにしか軽音部に行っていない。去年よりも本格的に活動をし始めて、居づらくなってしまったからだ。


 それから、小さなCDショップに入り浸る回数が増えた。今では毎日のように通っている。買うことはあまりないが。




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