ミステリアスなお化け
商店街はいつもイベントの色に彩られていた。
春には桜に合わせてピンク。夏には涼しげなブルー。クリスマスにはレッド。そしてイルミネーションが人々の目を惹く。
そのクリスマスまでの短い間。月見や秋祭りが終わるとハロウィンの色、オレンジが目立つようになる。
高校から自宅までの帰り道。彼女は必ず商店街を通る。駅が近いということもあるが、夕方の美味しい匂いが好きで買い食いをしてしまうのだった。
――駄目! 今はダイエット中!
葵は商店街に入る前に気合いを入れる。
シャッター街と呼ばれ始めていた、二年ほど前。立ち上がった地元の住民たちが、イベントなどで商店街を蘇らせた。
今ではイベントに合わせて着飾る商店街を見るために、遠くからも人々が訪れるようになった。
現在はハロウィンということで、各店の店員さんに合言葉を言うとお菓子がもらえる。
ちなみに、隠れキャラまでいる。出会った時に合言葉を言うと山盛りお菓子がもらえる。
葵は会ってみたいと思いながら、お菓子は子供のためのものかとも思う。
「とりっく……おあとりーと?」
小さな子供が首を傾げながら、親に教えてもらった合言葉を言っていた。何とも微笑ましい光景だ。
葵はそんな商店街をゆっくり楽しみながら歩いていた。
そろそろ店の明かりが目立ち始める時間。カフェやパン屋、お肉屋さんのメンチカツなどの誘惑に負けそうになりながら歩き続ける。
同じように駅に向かう学生に紛れるようにして、葵は惣菜の匂いの誘惑を突き放すように歩く。
途中、何度か立ち止まりかける。
「いらっしゃい!」
そう呼びかける肉屋の男性、パン屋の女性、魚屋の主人。加えてフライをしている油のはねる音、トレーにのせた揚げ物の数々。立て看板の美味しそうなメニュー。
――ダイエット中は、商店街通っちゃ駄目だ……。
葵はため息をついた。
「お嬢さん」
やっぱりメンチカツ買いたかったなぁと葵が一人葛藤していると、どこからか声がした。
「お嬢さん、お嬢さん!」
お化けだ。厳密にいえば、お化けのコスプレをした、声だけで判断すると男性だ。しかも若い。
ただ白い布を被っているだけというのが、何とも雑すぎる。いや、と葵は足元を見た。彼の背が高いのだ。
布の下から足が見えていた。黒のスラックス。
「ちょっと、こっち来てよ」
「え……っ」
手招きするお化けは店と店の隙間にいた。声をかけられなければ気づかない。店のカーテンに同化している。
物凄い威圧感だ。思わず後退る葵だが、話しかけられて無視するのも悪いとも考える。
真面目すぎると、よく友達にもからかわれるのだが葵にとっては普通のことなのでわからない。
呼んでおきながら何も言わない彼に恐怖を抱く。
――お化けだから、アリと言えばアリなのかな?
リアルな怖さに納得してしまう葵だった。
「大変ですね、アルバイト」
呼ばれたのに、何の用があるのか言おうとしない。痺れを切らして葵は話しかけた。
だが、彼は照れるように頭を掻くばかりだ。
「…………」
無言。
どうしたらよいのか葵は焦った。ずっとここにいるわけにもいかない。葵は頭を下げた。
「そ、それじゃあ。頑張ってください」
恐怖にドキドキしながら、葵はお化けの横を通り過ぎる。
葵はハロウィンはこんな恐怖イベントだったかなと小首を傾げた。
幽霊やかぼちゃのお化け、魔女などのコスプレをした人々が徘徊している映像を思い出した。
確かに恐怖イベントでもありそうだと、葵は思う。
「待って」
また彼に呼び止められた。
商店街には時間的にも、買い物をする奥さんたちの姿が多い。次いで学生だ。イベントのこともあって子供もちらほらといる。
その中で、彼はなぜか葵にだけ話しかける。しかも会話が続かない。
「あの……なにか?」
「すみません!」
何に対しての謝罪なのか。葵はますます混乱した。
お化けと葵の妙な空気に、道行く人々がチラッと見ては去っていく。恥ずかしい。
当たり前だが、彼の姿は見えている。本物の幽霊ではないことに少し安心した葵は、とにかく帰りたいと思っていた。
「あの、だから。なに?」
半ば呆れ、怒りながら腰に手をあてて睨みつける。
「合言葉を!」
そんな葵のことなどお構いなしに、自分の仕事を遂行しようとする姿勢。
周りが見えていないほどに、彼は必死だということに葵は気づいた。
彼も葵と同じで真面目なのだ。
「合言葉……」
消え入りそうな声で再び言われた。
「合言葉って……」
ハロウィンというイベントは魔女やゾンビなどに仮装した子供たちが「トリックオアトリート」。
つまり「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ」と、お菓子を貰うイベントだ。
葵の認識ではそうだ。
特に日本の、この商店街ではそういった楽しいイベントだ。
だから彼の要求は間違っている気がする。無理やり言わせるお化けなど聞いたことがない。
葵はそう思うのだが、なかなか言葉に出来なかった。
「合言葉! お願いします!!」
彼が初めて強い口調で言ったので、怖くなった葵は後退りながら、
「トリック……オア……トリート?」
震えながら言っていた。
それを聞いたお化けはどんどん距離を縮めてくる。
――怖い、怖い! この人、なんなの!? もしかしてストーカーとか? 不審者? 通り魔!?
恐怖で涙目の葵は後ろ向きで歩き、店のショーウィンドウに背中をぶつけた。逃げ場がない。
「あの……これ、脱いでいいですか?」
「し、知らないわよ! 脱ぎたければ脱いだら? 怖いから!」
恐怖がピークに達すると、怒り出す人間だったと葵は分析する。
口からはとんでもない怒りを吐き出しながら、頭では冷静に分析してしまう自分が嫌になった。
「すみませんでした」
彼はスルスルと被っていた布を取る。
今日は天気も良い日だった。いくら薄い布でも暑かったと見えて、額に汗が滲んでいた。
顔も火照っているのか、赤くなっている。すまなそうに笑う彼は、なかなかの好青年だ。
「いつも、商店街に来てますよね?」
「だ、だからなに?」
不審者を見るような表情で、葵は彼から1歩離れる。だが、彼はそれ以上に寄ってきた。
「プレゼントです!」
後ろにあったかぼちゃのバケツを葵に差し出した。
直径三十センチメートルくらいはあるかぼちゃのバケツには、お菓子がたくさん入っている。
「あー。実は僕、隠れキャラなんです。それで、プレゼント……」
びっくりして葵は目を開いた。その場に崩れるように座ると、今度は彼が慌て出した。
「怖すぎるから……っ」
「すみません!」
「そもそも、お化けから話しかけちゃ駄目でしょ! 隠れキャラなんだから!!」
彼は困ったように笑ったかと思うと、すぐに悲しそうな顔をする。
「そう……ですよね」
葵はすぐに立ち上がって、汚れたスカートの埃をはらった。
「話しかけたかったから。でも、チャンスがなくて……」
「なによ、それ」
意味がわからないと言ってみると、急に彼は顔を赤くした。
「あまりにも可愛かったから。一目惚れして……」
葵はまた目を見開いて、爽やかに笑う青年を見つめた。
「名前、聞いてもいいですか?」
「……葵」
驚いて、聞かれたことに淡々と答えていた。
このお化けは何を言っているのだろうか。
お化けの姿で気味が悪いと思っていたら、仕事に真面目な男性だった。そうかと思えば、一目惚れをしたと言い恋心を明かす。
お化けに仮装した彼が素顔をあらわにした時のように、変わっていく彼。
いろいろな姿の彼に混乱して言葉が出てこない葵だった。
「本当にごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったんです。嫌われちゃいましたよね、本当に馬鹿だな。僕……」
笑ったり、怒ったり、悲しんだりと忙しい表情をして頭を掻く。
柔らかい茶髪が沈みかけの太陽に照らされて煌めいていた。
「僕、いつもはそこを曲がったところにある喫茶店で仕事してるんです。今度、よかったら……来てください」
絞り出すような言葉。失敗したという落ち込む感情のままに喋る彼。
改めて、かぼちゃのバケツを手渡された葵。さりがままにバケツを受け取った。
それを見届けた彼は、最後には笑顔で手を振って去っていく。
「説明して」
だが、咄嗟に葵は彼の手を掴んでいた。
「葵……さん?」
「あなたの話、聞かせて。このまま別れるのって、なんか気持ち悪いし。だから、その喫茶店で聞かせて」
何を言っているのだろうと、葵は喋りながら混乱していた。
口が勝手に喋り出し、勝手に力が入る。痛いのではないかと思うほど、手を握りしめていた。
彼はみるみる目を輝かせていき、満面の笑みで頷いた。
「案内します!」
彼に引っ張られて商店街を歩く。
「あの、名前を聞いても?」
「はい! 僕は――」
ハロウィンはとても怖く、甘く、真面目な彼らも香りに流される。
柔らかな魔法は、いつの間にか2人を包み込んでいて放さない。
出会いとは一種の魔法かもしれない。
いつもと同じ道を歩いても、違う道を歩いても、結局出会えないかもしれない。ただ、見えなかったものを見えるように仕掛けただけだ。
彼の小さな勇気で、2人の距離が変わっただけ。
ハロウィンという特別なイベントの力を使った魔法で――。
クリスマスのようなキラキラしたものはない。でも、初恋はハロウィンくらいがちょうどいい。
葵は赤くなった頬を隠すように、横を向きながら思っていた。
――お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!
初恋ですらないかもしれない。それでも確かに葵は惹かれた。お化けだった優しい彼に。
彼のイタズラは怖くて、甘い。
本当にハロウィンの魔法だ。
葵はそう思いながら、彼の手をぎゅっと握りしめた。
3話目。
時期的にということで、ハロウィンをテーマにした話を入れました。