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届かない声は距離のせい(2)


 ***



「晴香、帰らないの?」

「あ。ちょっと図書館に用事」

「そっか。また明日ね!」

「うん、バイバイ」


 不安な気持ちが増したまま、放課後になっていた。就職コースの話はすでに終わったはずなのに光哉だけ戻らず、晴香は取りあえず待つことにした。


 じきに冬休み。ほとんどの生徒は進路を決めて、就職コースはほぼ確定している。光哉はどうなのか、ふと晴香は思う。


 ――先の話なんて、したことなかったな。話? 最後に話した話題ってなんだった?


 登下校の、あの距離のせいでクラスメイトどころか、友達も光哉と付き合っていることを知らない。何となく言えないままで、晴香は罪悪感を感じていた。


 誰も知らない。知っているのは自分たち二人だけ。ある日突然、その事実さえなくなってしまいそうで、何のために後ろを歩いているのかがわからない。


 ――わたしたち、本当に付き合ってるのかな……。


 その時、光哉が教室に現れる。静かに荷物をカバンに詰め込んで、ゆっくり振り返った。準備が出来た合図だ。晴香はカバンを持って立ち上がる。 


 廊下に出た光哉を追う。


 ――またこの距離。


 約二メートルの距離が憎かった。

 恋人となって近づいたはずの距離。しかし、それは勘違いだったのかもしれない。

 届きそうで届かない未来のようでもどかしい。


 校舎を出ると、すでに人はまばら。雪が降った影響で校庭は水浸し。部活は室内で行われていたからだ。


 一度止まった光哉が思い出したかのように、話しかけてきた。


「今日は待たせてすまなかった」

「いいの。話、長引いたんでしょ?」

「……ああ」


 軽く会話を交わして、それ以上のことを話さないまま歩き続ける。すぐにいつもの距離が開いた。


 ゆっくり歩いてくれているのは、合わせてくれているのだと思うと嬉しい。しかし、晴香は心から喜べない。


 すれ違うばかり。今は二メートルほどの距離だが、明日には倍になっているかもしれない。卒業してしまえば、もう姿さえ見えなくなってしまう。


 夕日に照らされ、彼の後ろ姿が輝いて見えた。


「あ」


 晴香は先を行く彼の手を見た。


 ――わたしの影が……。


 そっと触れてみる手。光哉と手を繋ぐように、のびた影が少し震えているようだ。


 このまま離れていくのをただ待っているしかないのか。どんどん開いていく距離はもう縮まることはないのだろうか。未来にあるのは、別れしかないのか。


 いろんな想いが募っていく。

 背中ばかりを見ていると、その優しい笑顔も忘れてしまいそうだった。


 ――恐い。


 好き。嫌い。

 そんな感情なんて今はどうでもよかった。


 ――ただ……一緒にいたい。


 そんな感情をひた隠しにしてきた。


 ――あと三歩。あと二歩。あと一歩……。


 晴香の中で抑え込まれていた勇気が、想いに後押しされるように飛び出す。


 ――光哉と一緒にいたい!


 晴香の伸ばした右手が彼の手に触れた。驚いた光哉が立ち止まって振り返る。


 夕日に照らされて眩しい。

 光哉の顔が見えなくて、照れているのか、怒っているのか、困っているのか、わからない。


「晴香」


 呼ばれて驚く。


 ――呼び捨てで呼んでくれた。


 そう呼ばれることにも慣れていないことが悲しい。しかし、名前を呼ばれたことがあまりに嬉しくて涙を流していた。


 近づいてきたお陰で、その顔がはっきりと見える。小さな目が見開かれ、戸惑っていた。


「……ごめん」


 光哉が何に謝ったのかわからない。ただ、優しく晴香の頭を撫でていた。


「わたし……光哉のこと、好きだから、だから……。一緒にいたくて。でも、見えてるのに、届かないのは辛いよ」


 言葉が涙で途切れて、何を言っているのかが自分でもわからない。晴香はちゃんと伝わっているのか不安になった。


「わたし、光哉の彼女なの? わたし、もっといろいろしたかったの。ルミエールってカフェ、一緒に行きたかった。美味しい、お店」

「うん……」

「閉店しちゃって、もう……行けなくて。すごく、悔しくてっ」

「……ごめん」


 繋いだままの手がぎゅっと握られた。

 熱を持ったそこから鼓動が聞こえてきそうで、晴香は手を離そうとした。しかし光哉は離さない。

 それどころか晴香の体を引き寄せ、抱きしめた。


「ごめん」

「卒業まで、時間がないの。だから……っ」


 せめて光哉の気持ちが知りたい。

 そう言おうとした晴香は光哉を見上げた。


「光哉は……っ」

「好きに、決まっている」

「でも、わたし光哉のこと知らない。どんなご飯が好きとか、普段どう過ごしてるのとか、就職決まったのかどうか……そんなことも知らなくて」


 言いたいことが次々に溢れるように出る。抑えていたものが飛び出して、自分でも何を伝えたいのか晴香はわからなくなってしまった。


 深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。光哉を見上げると、すぐに唇に優しい温もりが触れた。本当に触れただけのキス。晴香は頬を染め、次の言葉が言えなくなった。


「晴香が好きで、大切で、緊張して。だから上手く喋れなくて。それが申し訳なくて、離れて歩いて……ごめん」


 光哉はすまなそうな顔をしたまま、晴香から離れる。手を繋いだまま、二人は歩き始めた。


「去年の夏に付き合い始めて、まだ俺たち部活が忙しかったから。何となく片想いの時と変わらない付き合い方しちゃって」

「そうね」

「三年になって、夏の大会が終わって、部活がなくなって……」

「今度は受験や就職で頭がいっぱい」


 光哉はふわりと笑う。晴香も涙を拭って笑った。


「複雑……」

「え?」

「俺の家が複雑って、きいただろ?」

「それは――」

「隠さなくていい。晴香の友達が見てたの、気づいてたから」

「……うん」


 見られていたことも、友達と話していたことも光哉は気づいていたに違いない。晴香はそう思って申し訳なく思う。


「ごめんなさい」

「いいんだ。間違ってないから」


 光哉は丁寧に話し始める。


「親父は小学生の時に再婚した。相手には大学生の子供がいて、本当に変な気分だった。いきなり母親だ、兄貴だって紹介されて」

「いいの? そんな話、わたしなんかにして」

「晴香だから話したい。話させてくれないか?」


 いつになく饒舌で、それを晴香は止められない。話している光哉がすごく楽しそうだったからだ。


「仲良くなれなくて、親父に苦労させた。家出もしたし」

「すごく意外」

「でも、最近になって家族になれた気がしたんだ。他人の家に感じていたものが、温かい家庭に思えてさ」


 光哉はそこまで話すと、急に立ち止まる。どことなく悲しげで、晴香は首を傾げる。


「進路を決める時に急に申し訳なくなって。それから、また他人の家に戻ったような気がした。母や兄貴とも血の繋がりがない。仲良くしてる両親見たら、よそ者なんだって気がして。それから進路を変えた」

「え?」

「大学に行くのにお金がかかるだろ? 迷惑をかけたくなかったし、あの家を出たいと思って就職することにしたんだ」


 光哉から就職したいと聞いた時も、晴香はびっくりしたが深く追求しなかった。自分で選んだ道だからと、応援することにしたのだ。今更だが、晴香は後悔した。


「あの日、兄貴と言い争いになったんだ。それを晴香の友達に見られたわけだけど……初めて兄貴に殴られたよ。大学に行って好きな勉強して、好きに遊んで、たくさん友達作って人生の土台をしっかり作れってさ」


 晴香は驚いて手を離してしまった。

 知らなかったことが信じられなかった。なぜ言ってくれなかったのかと言いかけてやめた。他人が踏み込んでいいことではない。


 しかし、晴香は思う。


 光哉は何も変わらず、いつも通り晴香を迎えていた。悲しくて、苦しかったはずだ。

 そんな光哉に近づきたいと、自分勝手なことばかりを思っていた。彼が苦しんでいるだなんて考えなかったことを晴香は恥じる。


「それで? 光哉はどうするの?」

「兄貴は大人だった。俺はまだ子供で、ただ拗ねているだけで。人間が出来ていないって気づけたんだ。それは両親にも、晴香にも教えてもらった」

「え、わたし?」


 改めて光哉は晴香の手を握る。


「晴香はこうしていつも、俺の話をきいてくれる。話さなくても傍にいてくれる。それがどんなに心強いか……」

「わたしにはきくことしか出来ない。臆病だもの」

「誰かに支えてもらって、やっと俺は立つことが出来ている。そんなことに気づけなかったんだ。まだまだ人生の修行が足りない」


 再び歩きはじめた二人。これまでで一番近い距離。道行く人が振り返るほど、お似合いの恋人だ。


「大学、目指そうと思う。出来れば晴香と一緒のところを」

「わたしと?」

「学部は違うかもしれないけど、同じ大学に行きたい。先生にも就職をやめること、今日話してきた。ちょっと面倒なことになったみたいだけど、受験出来そう」


 今日、なかなか教室に戻ってこなかったのはそういうことだったのかと、改めて晴香はほっとした。内心、何かあったのではないかと不安に思っていたからだ。


「なんか、嬉しい。光哉と同じ大学行けるかもって考えたら、すごく……」


 また涙が溢れてきた。

 ほっとして、嬉しいことが出来て、今まで以上に縮んだ距離に、幸せだと思えた。


「友達に晴香を紹介したい。それに俺のことも紹介して欲しい」

「うん」

「それと、ルミエール……晴香がさっき言ってたカフェ」

「閉店しちゃったから、どこか違う……」


 光哉は言いかけた晴香に首を振る。少し照れている様子。あっという間に沈みそうな夕陽が、光哉の向こうに見えた。


「カフェっていうのは無理だけど、味ならどうにかなるかもしれない」

「どういう……こと?」

「兄貴、結婚するんだ。それで、その相手がルミエールやってた人で」

「え、え!?」


 寒くなってきたはずの午後の気温。しかし二人には暑いくらいだ。

 まさか、そんな偶然があるだろうか。晴香は嬉しくてどうしようもなかった。


「兄貴にも、義姉さんにも、晴香を紹介したい。やりたいこと、他にある?」

「ある……いっぱい、いっぱい……っ」


 ゆっくりと二人は歩き出す。今までの距離を縮めるかのように。同じスタートラインに立って、時にはお互いを見ながら、同じ方向を目指して。


「たくさん、やりたいことある」


 晴香は思った。


 ――離れてなどいなかった。


 傷つけたくない、傷つきたくないと、お互いに触れないからこそ離れてしまっていた。守るだけでは距離は開くばかり。だったら、時には我が儘になってもいい。


「光哉、明日も一緒に歩いて」

「いつもの場所で待ってる。明日は手袋外してくる」


 手を繋ぐ帰り道。

 この距離を忘れない。この気持ちを忘れない。


 二人の距離ゼロメートル。




短編集2話目です。

テーマはそのまま「距離」ということで、高校生の話になります。

他サイトに掲載していたものを修正して持ってきました。


※2016/12/22

 重いかなぁと思って省いていた話を再び入れて書き直しました。長くなったので2話に分けてます。


1話から読んでいる方には、ちょっとしたサプライズな繋がりがあります。


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