五話・祭
笛の音が高く高く空に響いて、消えると同時に扇を閉じる。
礼もそこそこにシヅネは娘が待つ家へと足を向けた。自分の出番と役目は終わったのだ。もう引き上げても文句は言わせないつもりだった。
「ちょっと待ってよ、シヅネさん」
急ぐ紅の着物の肩を、一人の村人が掴んで引き留める。
「娘が待っておりますので……」
「それなら、連れてくればいいじゃないか。祭は始まったばかりだし、きっとアヤネちゃんも喜ぶ」
「アヤネはきっともう寝ておりますので、起こすのはかわいそうですから……」
とは言ったが、アヤネはおそらくシヅネが帰るまで眠らずに待っているだろう。
不安だったろうに、いってらっしゃい、と大きな声で見送ってくれたアヤネの姿が思い出された。早く帰って、娘を安心させてあげたい。
やんわりと申し訳なさそうに笑んでいれば、断っても相手は強く出られない。その村人とはそこで終いだ。
ところが。
「シヅネさん! アンタの舞は最高だ! 一杯どうかね?」
「ありがとうございます、けれど、お酒には弱いので……」
「ねぇ、シヅネさん、これ美味しいよ!」
「ああ、ありがとうございます」
「シヅネさん」
「シヅネさん」
断っても、断っても。
ひっきりなしにかけられる言葉に、シヅネは村人が自分をこの場に留めようとしているのを感じていた。
焦燥がシヅネの胸を、細い肩を、指を、足をジリジリと焼いてゆく。手足の震えと、この数日いつも彼女の傍にあった恐怖が大きくなっていく。
――いけない、シヅネ。わたしは、アヤネを守らないといけないじゃないの。
一人にしないと誓ったのだ。それに、彼がいなくても、女手一つで娘を立派に育ててみせると、アヤネが生まれて間もなく、己の魂に刻み込んだのだ。
娘を思うことで自分を奮い立たせたシヅネは、広場に立てられた数本の柱を睨むように見上げる。
柱の上には、太いロウソクが一本ずつ立っている。元々短かったロウソクが燃え尽きて、すべてのロウソクの火が消える前に、この場を離れなければならない。
そうしなければ、この場に現れた――に見つかってしまう。
断片的な古い思い出と共に、全身に鈍い痛みがよみがえってくるようだ。
(いたい)
(ほんとうに、これで――さまのお役にたてるの?)
(ごめんなさい、ごめんなさい、母様!!)
(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(イタイ)(もう、逃げたい)
〈――ロクにレイリョクモナイ、コノヤクタタズ〉
「っ」
胃からせり上がる不快感で、シヅネは口元を押さえた。
フラリ、とよろめいたシヅネを心配するような声がかかる。
息を整えながら確認すると、ロウソクは土台のふとい針が見えるほどに短くなってしまっていた。
もはや一刻の猶予もない。何が何でもアヤネの元に帰るのだ。
「すみません、どうも気分がすぐれませんので、これで帰らさせていただきます」
血の気の引いた青い顔で、シヅネはそれだけ言って駆け出す。
村人は、追ってこなかった。
広場の中心で、村人たちが踊り出した。その気配だけ感じて、一度も振り返らずにシヅネはアヤネを置いてきた家へたどり着いた。途中、誰にも会わなかった。
「……え」
家の戸は開け放たれて、暗い。
呆然と敷居をまたぎ、見渡すが、狭い家には娘の姿どころか、人がいる温度もない。
動悸がする。
舞い終わったときよりも、走ってきた今の方が息の乱れが強く、しかも収まりそうにない。
「あ、アヤネ……!?」
暗い夜に慣れたシヅネの目は、土間の床に、戸に向かって何かが引きずられた跡に気付いた。
「……うそ」
着物が汚れる事にも構わず、落ちるようにしゃがみこむ。何を引きずった跡であるのか、容易に察する事が出来た。
「あ、あやね……」
そのときだ。
地を伝って響いていた太鼓の音が止み、夜闇を震わせる楽の音がピタリと止まった。
シズネの全身を怖気が走る。
同時に起こった眩暈に耐え切れず、土間に両手を着いた。
警鐘のように止まらない耳鳴りと寒気に絶えながら、シヅネは立ち上がり再び走り出す。
「アヤネ……!!」