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四話・言葉

 日が暮れた。先ほど祭りが始まったようで、村のはずれにある母娘の家にも、広場の太鼓や笛の音が聞こえていた。


「アヤネ、約束、忘れないで」


 何度も念を押すシヅネへ、その度にアヤネは頷いた。


「うん、きょうはおそとにでない」


 最後にギュウ、とアヤネを抱きしめて、シヅネは舞手として、祭りへ行った。


 祭用の薄桃色と紅の着物を見送る。アヤネは母が遠ざかるにつれて、足元から冷たい空気が上ってくるように感じていた。


「っ、かあさん!」


 声を張り上げる。聞いたこともないほどの娘の大声でシヅネは少し振り返った。


 彼女は娘が安心するよう、笑顔で首を傾けて問いかけた。アヤネは続く言葉を探すが、不安と冷たさが、小さな体の中で強くなっていくばかりだ。いつまでもシズネを止めて置けないことをわかっていたけれど、母の姿が見えなくなるのが無性に怖かった。

 ドクン、ドクン。平たい胸を、熱い心臓が内から破って出てきてしまうんじゃないか。


「……、……――い」

 いかないで! と、言いかけたその時、母の向こうの影から、村人が一人現れた。


「シヅネさん、遅いよ! もうすぐ出番だよ!」

「すいません、ヒフミさん、もう行きますから……」


 ちらり、と困った様子でこちらをみたシヅネへ、言葉を呑みこんだアヤネは両手を大きく振った。


「いってらっしゃい!」


 片手を振り返して、シヅネは迎えに来た村人とともに、暗闇に消えていった。


 シヅネが見えなくなるまで、振り続けていた手をパタリと落として、アヤネは俯いて胸を押さえた。

 何故だかとても落ち着かない。


 それはたくさん走ったときと似ていたけれど、今は走っていない。何もしていないのに、こんなふうに心臓が痛くてうるさくて息が荒れているのは、変だ。


「……かあさん、いっちゃった」


 頭に浮かんだことを口にしてみると、たちまちそれは涙になった。

 ぼろぼろとこぼれて止まらないなみだを拭っているうちに、のどが勝手に引きつって、しゃっくりがでた。そしてアヤネが声を上げて泣き出すまで、たいした時間はかからなかった。


 もう赤ちゃんでもないのに、みっともない、という思いがするが、アヤネではもう止めようがない。


「うわああああああ! うわああああああ!」


 泣きながらでも、母との約束を守ろうと、家の中に戻って戸を閉めようとする。

 ぴしゃん、と聞きなれた音を立てて木でできた薄い戸がしまるはずだった。


 ガツ、と硬い音がして、戸が隙間に突っ込まれた物に止められる。


「あーやねちゃん、あそびましょ?」


 戸を止めたのは、どこにでも落ちているような木の棒だ。


 村でも年の近い友達のカエだ。戸を開けたカエが、大泣きしているアヤネの手を掴んだ。


「おまつりに行けないから泣いているんでしょ?」


 アヤネは首を振った。外に出ないのは、母と何度も約束したからだ。


「行こうよ。もうすぐおばさん舞うんだよ? 見に行こうよ」


 魅力的な誘いだった。それでもアヤネは首を振り、手を引くカエに対しても座り込んでまで抵抗する。


「そっか、じゃあ、いいや」

 カエの手が離れ、両手で止まらないしゃっくりを押さえるようにアヤネは顔を覆った。


 広場の方へカエが体を向け、少し歩いて、止まる。


「……?」


 もう用はすんだはずのカエは、家の敷居の外にずっとたたずんでいる。


 泣き腫らした目で見上げて、アヤネはひ、と息を呑んだ。

 よく知ったカエの顔は、闇よりも暗い色をして表情が全く見えなかった。


「…………ァ」


 カエの口が開く。見えないのに、それがわかる。


「オ、マ、エ、ダァ……!!」


 カエの口から出たのは、朗らかで快活とした彼女の声ではない。


 地の底から響く、ねっとりとして耳を侵す、歓喜の声。


 絹を裂くような悲鳴を上げて、アヤネは家の奥へ逃げた。板の間の段を這い上がる小さな足に、何かが巻き付く。カサカサに乾いた太いそれは、アヤネに蛇を連想させた。


「いやっ!」


 強く引かれて、アヤネは土間の堅い土の上に落ちる。そのまま外へと引きずられる。


「やめて! だめっ! だって、約束したのに」


 昼間の、シヅネの真剣な顔が浮かぶ。

 いつだって強い光の灯る優しい母の眼差しの奥で、弱さと恐れが明滅していた。


「かあさん、かあさん!」


 無力な小さな娘が、大好きな母との約束を守るために残された手段はもう無かった。

 出来る限りの声を上げて泣くだけだった。


 ――その声すら。


 泣き叫びながら必死に地面を掻いて、抗おうとするアヤネの背へ重い一撃が降ろされた。


 アヤネの意識は暗い闇へ落とされ、母を呼ぶ声も途絶えた。

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