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ゆりちゃんと浅野くん  作者: 侑日
7/8

ショートケーキ教の妖精

「はっぴーばーすでーい! 優馬くん!」

「……え」

「え、あれっ、今日じゃないっけ、違った?」

「あ、いや。あってる。あってるよ」

「あってるよね! よかったあ。おめでとー!」


 梅雨も明けて、だいぶ外も暑くなって。先週から夏休みに入ったというのに日焼けした様子の全くない冬河ゆりあは、満面の笑みを湛えて頬っぺただけをちょっとばかり赤くしている。

 ああ、びっくりした。何にって、何から何まで、全部に。


「何で、俺の誕生日知ってるの」

「んふふー、それはねー」


 普段ならきっと、「俺が喋ったことないはずのこと知ってるなんてゆりちゃん俺のこと好きなんじゃない?」とか、軽口をぶっかませるところなんだろうけど。今回は違う。ゆりちゃんと初めて会ったあの日みたいに、余裕ぶってなんていられないくらいに、今も、焦っていた。

 喉が、ヒリつく。


「青ちゃんが教えてくれたからです!」

「……は?」


 拍子抜けする答えが返ってきた。

 青ちゃん? ああ、養護の青柳先生。確かに保健室には全校児童の名簿があって然りだけども。個人情報の流出がどうとか煩く騒がれる昨今、あっさりと人の生年月日を公開するのはいかがなものだろうか。

 困ることはないし。良いんだけど。

 いや、良くはないのか。


 現に今、困ってる。


「先生がね、「夏まで乗り切った保健室の妖精にご褒美だよ」だってさ!」

「ああ、そうなんだ……保健室の妖精ってまた随分な二つ名つけられたもんだねえ」

「酷いよね! でもね! 妖精ってなんか嫌な気がしないから良いかなって!」


 良いのかよ。

 今度から俺もそう呼ぼうかな。保健室の妖精。

 うーわ、不健康極まりないね。

 けど、嬉しそう。単純だなあ。


 ――別に、大した問題があるわけじゃなかった。誕生日がバレたって何か重大な損害を受けるわけでもない。

 ただ、ただ。


「どうかしたの、優馬くん?」

「いや、なんでも」

「そう? ……もしかして、あんまりこういうの好きじゃない?」

「そういうわけじゃ、ないよ。ただ、慣れてないだけで」


 いつからだっけ。うちでは誕生日を祝うことをしなくなった。クリスマスだとかそういったイベントごとも街中のざわめきを眺めるだけで、家の中は一年中同じ空気が漂っている。あけましておめでとう、クリスマスおめでとう、誕生日おめでとう。祝いの言葉はいつしか、ボソッと呟くように渡される父親からの一瞬だけになった。

 だから、こんな風に賑やかに飾り付けられた部屋も、デコレーションされたケーキも、打ち鳴らされたクラッカーの音も、自分のために選ばれたプレゼントも。何もかもがまるで初めてみたいに新鮮で。


「ごめん、びっくり、して。嬉しい」

「本当? 良かったあ! お誕生日おめでとう、優馬くん!」

「……ありがとう」


 胸の上で切り揃えられた髪が身振りする体に合わせて揺れる。重そうだから切ればと提案したのは二月の終わり。まだ初めて話した日から何日もしてなかったときだった気がする。マフラーに見立てたりブランケット代わりにしたり、生まれてから一度も切ったことのないというその髪は確かに暖を取るには丁度良さそうだったけれど、だるそうにするゆりちゃんは頭に重りをしているように見えて仕方がなかったのだ。十一年も連れ添った髪だからさぞ思い入れもあるだろうし渋るかと思いきや、案外あっさりと断髪式を行ってしまったのが三月の上旬。切った髪はなんとかかんとかってNPOに寄付したらしい。


 突拍子もない出来事に思考が落ち着きを求めている。自分は今、普段通りだろうか。妙な表情をしていないか、ちゃんと会話できているか、変に声が上擦ったりしてはいないか。

 鏡でも覗かないとわからないな。俺がどんな顔をしようが言葉選びに迷っていようが、目の前の女の子は笑みを崩さない。戸惑っていることを悟っているのかそうでないのか、定かではないけれど。俺が聞かれたくないと思っているとき、ゆりちゃんはにっこりと笑ってそれ以上無理に踏み込んでこようとはしない。意図してのことなのかはわからないけれど、ありがたい。


 ◆


 ショートケーキって甘いんだなあ。

 そんな馬鹿みたいな感想を口にしたところ、ゆりちゃんはフォークを取り落とした。え、そんなに驚く? 手が小刻みに震えてるし、この世の終わりみたいな顔してるよ? 大丈夫?


「優馬くん、食べたことなかったの……?」

「こんなに美味しいのに!」

「損してるよ!」

「チョコレートケーキは! モンブランは! ないの!? 何で!?」

「美味しいのに! こんなに美味しいのに!」

「もったいないよ、人生は短いんだよ! お母さんよく作ってくれるから食べにおいでよ、美味しいよ!!」


 ああ、そういえばゆりちゃんて怒涛の勢いで喋る子だったなあ。ショートケーキ一つでそこまで前のめりになれるなんてちょっと感心するしてしまう。まあ、本当に損してるのかもしれないって思うぐらいには美味しかったけど。「ショートケーキだよ!? 幸せを運ぶよ!?」とか何とか、ゆりちゃんはケーキ屋の回し者か何かなんだろうか。最終的には「ショーケーキは世界を救うよ!?」とか言い出したから、もしかするとショートケーキ教か何かの信者なのかもしれない。わかった、これからはゆりちゃんのことショートケーキ教の妖精って呼ぶことにするよ、それで文句ないでしょ。いや、さすがにそれはないな。謹んで遠慮しておこう。

 そんな勢いを鎮めるために、話題を変えてみた。


「ねえ、これ開けていい?」

「もちろん!」


 切り替え早いなあ。


 テーブルの端に置いていたそれを手に取る。包装紙には見覚えがあった。白地にペールブルーのバラの模様と青い印字。この辺りで一番大きなデパートのものだ。重さと形からして本だろうか。破れないよにそっと包みのテープをはがす。


「あ!」

「どう? どうですか!」

「うん、うん! すごい!」


 そこには真っ青な景色が広がっていた。果てることなく高く蒼い空と、どこまでも深く碧い海。晴天、曇天。雨空、雪空。朝日、夕日。満天の星空。そのすべてを映して呑み込んで相貌を変える透き通った海模様。

 それは一年を通して撮影された空と海の写真集だった。


「これ、何で?」

「わたしね、そこ大好きなんだ」


 志津町の海。あんまり連れて行ってもらえないんだけど。行けない代わりにって、小さいときにお母さんがその本買ってくれたの。優馬くんもそこ、好きになってくれたらなって思って。


 大きく開け放った窓からは夏の湿気を帯びた風が吹き込んでいた。ベランダの手摺に肘をついてゆりちゃんがそう話す。志津町まではここから電車で約二時間。マンションの一室からじゃ見えるわけもないけれど、ゆりちゃんの目は彼の海を思い描いてきらきらと揺らめいていた。


「海、好きなの?」

「うん。入ったことはないけどね!」

「何でそんなに好きなの?」

「あー、うーん、んー。何でだろうなあ。優馬くんは海嫌い?」

「好きだよ。泳ぐのが好きかな」

「そっかあ。ね、気に入ってくれた?」

「うん、ありがとう」


 泳いでいるときは何も考えなくていい。波に揺られているときはいろんなことを忘れられる。だから、海が好きだった。


「ねえ、ゆりちゃん」

「なあに?」

「いつか一緒に行こうよ、海」

「うん!」

「それまでに元気になってよね」

「うっ」

「じゃなきゃ行けないから」

「あ、う……が、頑張る!」


 久しぶりにした指切りはこそばゆかった。この約束、どっちかが破ったところで針千本ということになったりはしないだろうけれど。きっと叶えよう。


「さあ、ショートケーキの続きを食べようぞ、優馬くん! 世界を救うよ!」

「ゆりちゃんはどこの誰なの」


 ◆


 心地よく上書きされていく記憶。

 たぶんこれからは上書きじゃなくて別ファイルで新規保存に変わっていくんだろうな。

 いつかもっとファイルが増えてフォルダがいっぱいになる日が来たりするんだろうか。

 全部を思い出すことは難しくなるのかもしれないけど、空っぽなより溢れかえるほどのデータが詰め込まれていた方がいい。

 そうすればきっと、何もかもを失うことはないだろう。


 いつか、積み重ねた約束を叶えることができなくなった日が訪れたとしても。

 それ以上、失くすことはない。


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