君の隣
春眠暁を覚えず、って、一体どれくらいの時期まで使って正解と言えるんだろう。いや、間違ってないというか、許される範囲というか。
大型連休明けの授業はどう頑張ったって眠い。それは五月病というやつなのか、春眠云々のせいなのかわからないけれども、先生には申し訳なくも、わたしは窓際の席で欠伸を噛み殺した。
◆
チャイムが知らせる授業の終わりと昼の訪れに、教室の大半が歓喜している。すぐさま教室を飛び出していく子、授業中からずっとおしゃべりを続けている子、早速お昼ご飯を食べ始める子。先生は「チャイムが鳴っただけでまだ終わりとは言ってない……」と苦そうな顔をしている。元気よくはしゃぐ姿はエネルギーに満ちていて、まだ高校生の面影がしっかりと残っていた。
若いなあ。一つしか違わないくせに近寄り難さを感じながらノートをカバンにしまう。そんなときことだった。
「あれ、ゆりちゃん?」
「あ」
「何でいるの?」
「浅野くん、えっと、これはですね、」
かくかく、しかじか。
「……は? ああ、ごめんごめん、ちょっとびっくりして。いや、俺の聞き間違いかなって。まさかそんなわけないよね、ゆりちゃん。うん、俺は疑ってないよ信じてるよ大丈夫。……でも駄目だ、やっぱ納得できないからもう一回言っちゃうね。は?」
あ、やばい。これまずい。本当にやばいやつだ。とんでもなくイイ笑顔を浮かべてるけど目が笑ってない。これ絶対やばい。なんて表現すればいいかな、語彙力もともと乏しいけど焦るともっとひどくなるよね、とりあえずやばいの、うん。キレてるかもしれない怖い。怖い!
「あの、えっと」
「え?」
「いや、あの」
「何、もう一回ちゃんと説明してくれる?」
「うっ、」
「ね、ゆりちゃん?」
「ひぃっ」
はああ……ねえ、俺さ、そんなに信用されてないの? すっごいショックなんだけど。付き合ってるって思ってたのは実は俺だけだった感じ? 彼氏じゃなかったのかな、ゆりちゃんは彼女になってくれたんじゃなかったっけ、おかしいなあ、何で一年間何も知らされないでこんな状況になってるんだろう。不思議だなあ。“心配させちゃいけないと思って”とか言うんデショ? わかってるし、わかってたよ。でもさ、ねえ、承知の上だったじゃん。全部わかった上だったし知り尽くした上の判断だったじゃん。俺がそれで受験に支障きたすって思ったの? ふうん、それはありがと。でもさ、やっぱ悔しいんだけど。休学のこと知らなかったし、会ったときふつーに振る舞ってたし、ゆりちゃん隠し通したんでしょ? ごめんね、つらかったよね、ごめん、気付けなくて。つらかったよね、頑張ってくれたんだよね、ありがとう、俺のために。ゆりちゃんのそういうところ本当に尊敬するし、想ってくれてるんだなって思う。でもさ! もう少し頼ってくれても良かったんじゃないの、約束したじゃん、全部話そうって。俺本当に情けない。ごめん、あたってもどうしようもないのに、あーもう俺カッコ悪い! ねえ、俺はゆりちゃんの彼氏なんだよね、そんなに頼りない……?
「あう、ご、ごめんなさ」
怒涛の勢いで生みだされる言葉が、槍のごとく鋭利さをもってわたしに突き刺さる。褒められているのか、怒られているのか。
でも、うん。痛い。刺さった挙句、かなり深く抉られてる気がする。
図星だった。だからこんなにもダメージが大きいのだろう。
◆
いずれバレる隠し事だった。
大学に入学したのは去年のこと。わたしは今、二年生だ。けれど、受けている授業は一年生と一緒。一年間休学をして、この間の四月に復学したばかりだから。
入学して僅か一ヶ月で体調を崩したわたしに先生は受験の疲れだろうと言ったけれど。そんなことが理由じゃないってことくらい自分が一番よくわかっていた。
五年間。
その月日が自分にとってどれだけ大きなものだったか、わからないほどわたしも鈍感じゃない。
大抵毎日、一緒にいた。
大半の時間、顔を合わせていた。
大凡中高時代の思い出の全てに、彼という存在がいた。
わたしにとって日々は、一人で送れるものではなくなっていた。
情けない、不甲斐ない。
いつぞやわたしは、「普通の生活」の中に我が儘程度に願いを込めたけれど、今回はその非じゃない。赦しを請うつもりもないけれど、誰に対してか判然としない罪悪感が胸の内に渦巻いていた。
少し踏ん張ればきっと休学なんて免れていたのだろうけれど、体が弱いことに甘えてわたしはこの選択をしたのだった。
後悔はしていない。事情があるから誰もわたしを責めたりしないだろう。でも、本心を打ち明けるなんて恥ずかしくてしたくないし。だから休学の事実を言えずにいたし、発覚した今でも本当の理由には蓋をしたまま。いつかは話せたらと思うけれど、今じゃなくても良いよねと、思っていたり。
まさかこんな形でバレるなんてなあ……。学部が違うし隠し通せるかもと思っていたわたしは、一年生の全学必修科目の存在を忘れていたのだった。
けれどまあ、これはこれできっかけができて良かったのかもしれない。
◆
「今度からは大事なことはちゃんと話すこと」
「うん」
「話したくないことは仕方ないし、隠し事もたまにはあっても良いけど、遠慮して言わないっていうのは、ダメ。わかった?」
「はい」
どっちが年上なんだか、これは恋人の会話なのか、親子の会話みたいだなあ。
こうして怒られるのは二回目だったりするけど、このお説教も久しぶりでなんだか懐かしかったりちょっと嬉しかったり。たぶんそんなことを口にしたら「聞いてないだろ」とかってもっと長くなってしまいそうだけれど。
叱ってくれる人がいるって幸せなことだなと、そう思うのも二回目だった。
「ま、でも。かぶってる授業が増えたってことは話せる時間も増えたってことだし。存分にイチャイチャできるね、ゆりちゃん?」
「学校では! しません!」
「へえ、じゃあ、学校じゃなければいいんだ?」
「あ、違っ、」
「ふうん、楽しみにしておこーっと」
「違うって、浅野くん、違うから! 駄目だから……! 違うってばー!」
やっぱり、居心地が良いね、君の隣は。
五月の夕暮れに、口を大きく開けた鯉が泳いでいた。






