春待ちFine
まだ入り慣れない上級生の教室。少しだけ足の長い机と椅子が、自分の今まで四年間を通して使ってきたどの教室とも同じように一組二席×四列×三号車分並べられていた。号車って言うのは、立て四列八席分を一つの電車に見立てて先生がそう呼んでるもので、班分けとかに便利なやつ。
月に一度、第四水曜日の五時間目は「縦割り班」に充てられていて、各々が割り振られた自分の班の教室へと移動する。楽しいような、面倒なような。六学年入り混じっての交流が目的なのだろうけれど、実りがあるのかどうなのか。あまりよくわからない。だいたい全校生徒が五百人以上いて、毎年班メンバーが変わるんじゃ、顔を覚えてやっと話せるようになった頃にはさよならだ。継続して関わってる友達なんて、他学年にはいない。少なくとも、僕には。
あー。「僕」って言うのをそろそろやめたいのに、慣れない。慣れない! 俺。お れ !
むしゃくしゃする……当てつけにストーブの前に陣取って寝てやる。
ガリガリと頭を掻きながら教室に足を踏み入れ、勢いのままに三号車(窓際)前から二番目の窓側に座ろうと……って。誰かいるし。ついてない。けど、早い者勝ちだし。文句言ったって仕方ない。
「ねえ、隣座って良い?」
「……」
「聞いてないし。寝てるし。良いよねもう」
後で怒んないでよね。
許可なく隣に居座るのはなんとなく躊躇われたが、「一応確認取ったし、聞いてないのが悪いし」と、遠慮を捨てて、ストーブに一番近い組の、もう一席に腰を下ろした。
◆
そういえばこの子、誰だろう。月に一度のこの回ももう十回目だというのに、隣に座った女の子(たぶん髪長いからあってると思うけど)の姿は見覚えがなかった。いや、この縦割り班にあまり興味がなかったからメンバーの顔全員分を覚えていなかっただけかもしれないけれど。……だって、だってさ。五百人を二十組に分けるんだよ? 一学年四人ちょい×六学年で一組に最低でも二十四人もいるんだよ? 月に一回しかまともに顔合わせないんだよ? 覚えられるわけないじゃん?
いや、文句言っても仕方ないし、どうでもいいんだけどさ。その見た目というか、存在感というのか、珍しくちょっと興味を引かれていた。
なんかこう、何だろう。全体的にもふもふしてる。黒いもふもふ。だるそうに長い髪を引きずるようにして、机に突っ伏している。
ストーブの目の前に席を確保しているくせにそれでも寒いのか、「う……」と小さく呻き声を出したかと思うと、腰ぐらいまで伸びた長い髪を首とか体に巻き付けて暖を取ろうとしているようだった。丸まった上に髪を巻き付けているせいでもふもふしているのにコンパクトにまとまっている。小さい。低学年かな。
何、これ。猫みてえwww
やっぱ見覚えないよなあ、こんなもふもふ。なんだろうこのもふもふ感。めっちゃ触りてえ。いやいや、びっくりされるし。初対面なら尚更、おもっきし叫ばれたりするかもじゃん、やーめよ。
それより。
「ねえ、そろそろチャイム鳴るし、起きた方が良いんじゃない?」
「ほあい」
「!?」
声をかけたちょうどそのタイミングで昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。窓から覗く校庭では慌ただしく教室に走る児童たちが見える。
……とか。どうでもいいんだよ今は。
「え、なに、調子悪いの? 大丈夫?」
むくっと起き上がった黒いもふもふ(失礼だけどやっぱ名前わかんねーんだもん)は長い髪とか羽織った上着とかと対照的に顔が真っ白だった。
「平気なの? え、保健室行く!?」
予想していなかった事態に焦りが突っ走る。気付いたらそのもふもふの手を取って立ち上がっていた。当然、もふもふは何が起きてるのかわからないというような顔をしているし、パチッと開かれた目がきょとんとしている。
「あ、えっと、ごめ」
「元気! 元気だよ! ほら見て! 元気だろ! ところで心配症っぽいそこの君! 学年と名前は!?」
「は、あ、えっと、四年の、優馬、浅野優馬、です」
敬語とか、大人の人以外に初めて使った。焦りって怖え。
「ゆ・う・まくんね! わたしね、冬河ゆりあ! 五年生! 見ての通り超元気だよ!」
いや。必死過ぎて疑わしいわ。「あ、やっぱり女の子だったんだ」とか、「年上だったのか」とか、「でも思った通り背は小さめなんだな」とか。そういう根本的な気付きが全部吹っ飛ばされたんだけど。
ほら、ちょっと大声出したくらいで息切れてるし。ってかゼエゼエ言ってない? 本当にこの子大丈夫なの?
「あー、冬河。病み上がりであんまりはしゃぐなよー。今年度初めての縦割り班参加でテンション上がるのはわからなくもないけどなー」
ああ、やっぱり今回が初なのか。チャイムと同時に教室に入ってきて、黒板の前でスタンバった浜岡先生によって静止がかかった。っつーか「病み上がりで」って。じゃあ今までの九回は学校に来てなかったか、成績に関係ないこの時間は早退させてもらってたかのどっちかってことじゃん。完全にアウトじゃん。全然元気じゃねーじゃん! おい!
「浜岡先生、わたし元気です! 見よ、この顔を!」
だからアピールの仕方が必死過ぎるんだって。両拳を振り上げて大の字に手足を広げて立ったって、逆効果なんじゃないかな。それに「見よ、この顔を!」って。そんな話し方する女の子初めて見たよ。いや、男子でも見たことなかったけど。
「真っ白だぞー」
先生も容赦ないな。
途端、バッと若干涙目になったもふも……冬河ゆりあがこっちに視線を寄越した。
「優馬くん助けて! わたしこのままだと早退させられちゃう!」
「いや、白通り越してちょっと蒼くない?」
「優馬くん!? う、裏切り者ー!! あ」
「あ? おあ!?」
本当に限界だったらしい。空元気は、良くない。
◆
あの後。
真っ蒼になってこっちに倒れ込んだ冬河ゆりあは浜岡先生によって保健室に運ばれて行き。保健室から戻ってきた先生は、「冬河は昔っから体が弱くてなあ。今日は久しぶりに出てこれたからみんなに紹介しようなって話して、すごく嬉しがってたんだが、ははは……」と、苦笑いをこぼした。
縦割り班の時間が終わって、ちょっと気になったので保健室に寄ってみると、冬河ゆりあはクリーム色のカーテンの中ですやすやと寝息を立てていた。
それから。
間もなくして目を覚ました貧血気味の少女は蒼い顔のままにっこりと微笑んだ。
「来てくれたんだあ」
なんとなくそのまま帰るのも気が引けて、「青ちゃんが「会議終わって此処に戻ってくるまでベッドから出ちゃダメ」って」と寂しそうに呟いた少女と、そのまましばらくおしゃべりをした。
「青ちゃん」が誰なのかわからないと尋ねると養護の先生のことだそうだ。そういえば青柳って名前だった。
「あ、青ちゃんって呼んでるの内緒ね! バレたら怒られちゃう」
勝手に呼んでたのか。たぶんあの先生はあだ名程度で怒ったりする感じじゃないけど。少女が蒼褪めたまま割かし深刻そうに言ったので頷いておいた。
それで。
青柳先生のあだ名を発端にいろいろと話してるうちに家が近いことがわかって。先生が戻ってくると、冬河ゆりあを家まで送る任務を言付かった。
で。
今に至る。
「ごめんね、優馬くん……」
「大丈夫だってば。学校出てからそれもう何回目?」
「でも……ランドセル二つとわたしは、やっぱり重いって……」
途中までは頑張っていたのだけど。今日は自分で思っていたよりもだいぶ無理をしていたようで。
「ごめんなさい」
「へーき、こんくらい。ぼ……俺、男だし」
「でも」
「ちゃんと家まで送るから安心して。全然重くないし、軽くてびっくりしてるくらいだし。それに、降ろされても困っちゃうでしょ?」
「う……」
「困ったときは誰かに頼ったって良いし、お互い様って言うでしょ? ね。ゆりちゃん」
「う、うん……! ありがとう、優馬くん」
「どーいたしまして」
◆
もう、十年以上前のこと。
これが、ゆりちゃんと俺の出逢い。
最初の会話。
一番初めの、想い出。
春はまだ、もう少し先のこと。