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ヒヒイロカネ伝承

作者: 八神太陽

 西暦二千一年一月七月二十三日、フランスパリの一角にある劇場で男は女と会っていた。女は薔薇の様に赤いドレスを纏い、男は紺の上下で女の隣に座り演劇を鑑賞していた。

「世界に天魔が溢れようとも、僕は君を離さない」

「私もよ」

 舞台上の照明が一つに絞られる。光の輪の中には薄汚れたジーンズ姿の男が純白のドレスに身を包んだ女を抱き寄せている。男が時間を確認すると開演から二時間弱を示していた。

「二人で逃げましょう。父も母も手の届かない所へ」

「勿論だ。君と二人なら僕は何だってやろう」

 徐々に暗くなる照明に合わせて天井から緞帳が降りてくる。一階からは疎らに鳴る拍手だが二階では拍手する事無く退席している。合わせる様に男が席を立つ。だが隣に座る女性は男の腕を掴んだ。

「つまらなかったみたいね」

 振り返ると女が席についたまま男の腕を掴んでいた。男は二度頬を叩き、再び席に座る。

「顔に出てたか」

「気にしないでいいわよ。私も知り合いに頼まれて見に来ただけだから」

 緞帳が再び上がり、キャストが舞台に勢ぞろいする。女は二列目右から三番目の女性を指差した。

「彼女からチケット貰ったの。たまには休んで見に来てくれってね」

「休んでないのか」

「周囲からは忙しそうに見えるんでしょう」

 女は苦笑する。

「天魔は休みなく攻めてくるからね。だからといって私は女を捨てたつもりは無いんだけど」

 繊維会社で研究員を勤めている彼女にとって天魔は当面の研究対象だった。天魔の透過できない物質の開発、それが世界的に求められているからである。

「迷惑をかけてるとは自覚している」 

 男も透過不可物質の研究に従事している人間の一人だった。だが研究が難航し、不眠から来るストレスで自ら命を経ったものも少なくない。連日とまでは言わないが、月に一度程度の割合で新聞の社会欄を賑わかせている。天魔の直接被害者と自殺者のどちらが多いかはパソコン通信からインターネットへと鞍替えした人々の間でも盛んに議論が行われていた。

「自覚なんていいわよ、私も好きでやってるんだから。でもマスコミが過剰に扱うから周囲にとっては悩みの種なのよ。私から見たら役者も似たようなものなのにね」

 女はまだ友人を指差していた。だがそこに該当する人物は既にいない。主役以外は一礼した後に再び舞台袖へと消えてしまっている。

「知らない世界について語るつもりはない」

 男は天井を見つめる。そこには年代ものらしいシャンデリアが下がっている。

「俺が知ってるのは天使界と研究職の人間だけだ。研究対象として本や映像は見るが、あれは現実とは違う。フィクションとして俺は捉えている」

「だったらフィクションとして見た今日の演劇はどう映ったの」

 女は所在のなくなった指を再び自分の膝の上に戻し、男へと視線を向ける。

「君の友人には悪いが、何のための描かれた作品なのか分からない」

「別に気にしなくていいわよ。正直な意見が聞きたいからレミエル連れてきたんだし」

「褒め言葉として受け取っておく」

 無表情のまま男は答えた。

「演劇で現実を追求する必要は無いとは思うが、今回のものは茶を濁してるだけだ。職の無い男と世間知らずの女、その二人がどうやったら生きていけると思うんだ。今回の話はその部分が抜け落ちている」

「想像にお任せっていうのが脚本家の意図じゃないかしら」

「だったらそれらしい伏線を準備しておくべきだろう。俺には野垂れ死ぬか親元に泣いて帰るか、そんな結末しか見えなかった」

 男の言葉に女は考える素振りを見せる。そして何かを閃いたのか愛くるしい笑顔に変わった。

「だったら並行世界に飛んだっていうのはどうかしら」

 余程自信のあるアイディアだったのか、女は顎を引き上目使いで男の顔を見つめている。

「天魔が別次元から飛んできたのなら、人間が更にまた別の次元に逃げる。合理的でしょう」

「面白い考えだ。並行世界を超える、考えたこともなかった」

「新商品は柔軟なアイディアから産まれるのよ」

 男に賞賛された事に気を良くしたのか、女は背に置いていた黒皮のハンドバッグを手にした。ブランドものというわけではないが細部まで手の行き届いている女のお気に入りの一品である。そして中を開け、鈴蘭の刺繍されたハンカチに包まれた物体を男に手渡す。

「頼まれていたものが形になったわ。まだ研究中だからどんな副作用があるかはわからないけどね。とりあえずこれまでの戦闘データから柔軟性が二十パーセント向上したわ」

「それは頼もしい」

 男は渡された物体をハンカチごと受け取り、中身を確認しないまま内ポケットへと入れる。

「これで夢にまた一歩近づける」

「天魔不透過物質の完成、期待してるわよ」

「三年以内に完成させるのが約束だからな」

「来年のクリスマス、楽しみにしてるから」

 女は男の頬に口づけする。

「来週の日曜、時間空けておいてね。父も予定空けてくれている」

「既に休暇申請は済ませた。緊急の用事でも入らない限り大丈夫だ」

 男は再び立ち上がる。今度は女もそれに続いた。

「行きましょうか」

 女は男の腕に自分の腕を絡ませ、そのまま劇場を後にする。しかし男が女の父親と会う事はなかった。日本から一通の手紙が届いた男を動かしたからである。


 同月二十六日、男は既にパリを離れていた。シンガポールを経由し十八時間をかけて日本へと到着。空港そばでタクシーを拾い、照合山へと向かっていた。

「しかし今時照合山に向かう人がいるとは思いませんでしたよ」

 タクシーに乗り込み目的地を告げると、運転手はからからと笑った。

「昔は炭坑のおかげで人も多かったですが、閉山が決まってからからっきしでしてね。特産品なんかをつくって村おこしをやったんですが効果はなかったんじゃないかな」

 男にとって幸運だった事は、運転手が照合山近くの町の出身ということだった。

「どれぐらいかかるか分かるか」

「混み具合次第ですかね」

 バックミラーに映る運転手の顔は無精髭に黒縁眼鏡と指名手配犯のような人相をしていたが、立て板に水のように流れる言葉の端々に聞こえる懐郷の思いには同調できるところがあった。

「ところでお客さん、どこから来たのさ」

 空港の敷地から出たところで運転手は男に尋ねてくる。

「フランスだ」

「それは遠い所からわざわざ」

「航空券同封だったからな」

「太っ腹な知り合いがいるんですね。羨ましい限りですよ」

 男が日本まで来た理由は三日前に届いた航空券同封の手紙だった。差出人の室井という人間には聞き覚えがなかったが、伝説上の金属ヒヒイロカネを見せてくれるらしい。それが男が来日した第一の理由だった。

「そういや運転手さんは照合山登ったことあるんだよな」

「子供の頃だから四十年ぐらい前の話になるけどね。最近の話なら知らないよ」

「それでもいい。ヒヒイロカネというものを見聞きした事はあるか」

 ヒヒイロカネ、それはかつて男が研究のために歩き探した物体の一つだった。オリハルコン、ダマスカス、ミスリルなどヒヒイロカネと同様に空想上の金属とされる物体は一国に一つあるのではないかと思われるほど数多く存在する。しかし男が自ら各国を回り事実調査をしてみても現代まで存在しているものはなかった。もしヒヒイロカネが実在するのなら、それは天魔を透過させない物質へのヒントになるかもしれないと考えたからである。

「どうだったかな。ちょっと記憶に無いね」

 だが男の希望とは裏腹に運転手は何度か首を振りながら考える素振りを見せつつも肯定の言葉を口にする事は無かった。

「色々といわくつきの山だったのは事実だよ。お客さん天照大神って分かるかい」

「有名な神様なのか」

「そうだな。多分日本で一二を争うぐらい有名な神様だ。照合山っていうのは照らし合う山って書くんだが、天照大神も照らすっていう字を使う。それで関係があるとかいう話は聞いたな」

「アマテラスオオカミか」

「場所によっては大御神とか皇大神とか神名が違うからアマテラスで覚えておくといいぞ」

「アマテラスか」

 男にとって運転手が当然のように神の名前を口にするのは違和感だった。天魔が既存の神とは別物というのは周知の事実ではあるが、欧州では初対面の相手では混乱を招くため話題にするのは避けられる。日本では天魔の被害が少ないという話を男は改めて実感した。

「ちなみにそのアマテラスという神はどんな神なんだ」

「色々あるが代表的なのは太陽の神だね。彼女が隠れただけで世界が闇に覆われたっていう伝承があるくらいだよ。それよりお客さん、高速使っても大丈夫ですかい」

「幾らぐらいかわるんだ」

「二、三万はかかりますかね」

「それなら構わない。使ってくれ」

 運転手はハンドルを切り右の車線へと変更する。上に表示された道路標識には右折インターと描かれていた。


「ラジオつけていいですかい」

 運転手が男に伺いを立てたのは高速を降りた後の事だった。既に日は傾き、空は赤く燃えている。

「どうぞ」

 運転手の申し出を受け入れながらも男は疑問を感じていた。これまで止まる事なく話し続けていた運転手がラジオを聞くということは聞き手に回るということになる。それほど聞きたい番組があるというのなら男としても興味があった。

 そんな興味とは引換にスピーカーから漏れて来た言葉は聞き取りやすい男性アナウンサーによるものだった。

「先日から続く誘拐事件ですが、犯人は未だに特定されておりません。近くにお住まいの方は夕方から夜間にかけて外出を控えて下さい」

「何か事件があったのか」

 CMに入った事を確認し、男は運転手に尋ねてみた。

「ああ、これね。神隠しって奴です。最近多いんですよ」

「また神の名か」

 男は苦笑する。

「被害者に傾向とかはないのか」

「特にないですね。老若男女問わずって感じです。中にはペットの犬がいなくなったって話もありましたけど、これは単純に逃げ出しただけかもしれませんがね」

 あまり信じていないのか運転手は自分の発言を笑い飛ばした。

「とはいえ物騒な事には違いないですからタクシー下ろす時も場所を考えろと上から言われてたのを思い出しまして。お客さんも気をつけてくださいよ」

「気を使わせたな。それならここで下ろしてもらってもいいか」

「ここでですかい。まだ照合山まで三キロぐらいありますよ」

 運転手はサイドミラーを確認する。後ろには見えるのは緑のスーツを着た男が一人歩いているだけで車がいる様子は無い。

「大丈夫だ。彼と待ち合わせしていたんだ」

 男がサイドミラーを指差した。そこには緑スーツの男性が映っていた。 


 緑スーツの男は室井という名前だった。自己紹介を済ませると同時に歩き始め、照合山の中腹に差し掛かるまで一度も足を止めずに歩き続けている。

「それでヒヒイロカネは」

 ようやく足を止めた所で男は室井に話しかけた。辺りはいつしか夜の帳が下り、星が光を放っている。

「こちらです」

 室井が指し示したのは足元、そこにいたやや小型の蛇だった。トグロを巻いているため長さは分からないが、太さは直径三センチ程度だ。見た事が無い種類ではあったが特別何かを感じるものでもなかった。

「冗談を聞きに来たわけじゃない」

 男は視線を上げる。室井の顔は笑っていなかった。

「では見ていてください」

 室井が蛇を掴み空に掲げる。抵抗を見せるかと思われた蛇だが眠っているかのように動かない。

「死んでいるのか」

「準備しているのです」

 室井が言うと同時に蛇は仄かに輝き始めた。青白い光が蛇の腹を覆い、消化器官が浮き彫りになっていく。そして口を開けると、どこからともなく降り始めた結晶を吸い込み始めた。

「あの光は」

「ゲートの光です。蛇がゲートを分解し食事しているのです」

「馬鹿な」

 男はそう口にするものの、目の前で展開される光景には男を信じさせるだけの何かがあった。

「アマテラス伝承は御存知ですか」

 室井が話しかけてくる。

「タクシーの運転手から軽く聞いた。日本の太陽神だな」

「そうです。そして彼女には弟がいました。月神ツクヨミと海神スサノオです。しかしこの内スサノオは素行が良くなかった。姉であるアマテラスにも迷惑をかけています。それが天の岩戸伝承へと繋がります」

「世界が闇に覆われたという話だな」

「そうです。結果としてスサノオは神の園である高天原から追放されます。出雲の国に追放されたスサノオはその地で暴れていた八首の蛇ヤマタノオロチという怪物を討伐。尾から出てきた天叢雲、別名草薙の剣をアマテラスに献上しています。その草薙の剣こそがヒヒイロカネで出来ているのです」

「つまりこの山に献上された草薙の剣があるということか」

「いえ」

 室井はかぶりを振った。

「草薙の剣自体は現在熱田神宮と言う場所に奉納されています。私はその剣が本物かどうかは知りませんし、ヒヒイロカネで出来ているかもわかりません。しかし私は一つ気になる事があるんです。どうしてヤマタノオロチはヒヒイロカネを精製できたのでしょう」

「何が言いたい」

「蛇の中には体内でヒヒイロカネを精製できるものがいるということです」

「だがヤマタノオロチは退治されたのだろう」

「並行世界の中には退治されていないオロチがいてもいいと思いませんか」

「つまりその蛇がヤマタノオロチの子孫で、体内のヒヒイロカネがゲートを分解していると」

 男は室井の手にある蛇を指差すと、室井は静かに頷いた。

「私はそう考えています」

 空を見上げる。星の落ちてくるような光の渦は今も蛇へと吸い込まれていく。そして消えていった。

「いいものを見せてもらった」

「どういたしまして」

「だが疑問がある。その蛇単体でゲートが分解できるのであれば、その蛇を繁殖させればいい。わざわざ物質化させる手間を感じない」

「それがそうもいかないのです」

 室井は答える。

「以前この事を知った者がこの蛇を欧州に密輸しようとしたのです。ですが一週間も持たずに死亡しました。気候の変化についていけなかったのだろうと言われています」

「既に試した人間がいるのか」

「撃退庁で指名手配され、先日無事逮捕されました」

「それは良かったな」

「よくはありません。五匹死亡しました」

「だから俺に研究しろと」

「強要してるわけじゃないですよ、これはお願いです。ただ日本政府も焦ってる。この蛇が本当にヤマタノオロチの子孫なら神話の怪物のようにあばれる日が来るんじゃないかとね」

「成程、監視も兼ねている訳か。それだけ俺を高く評価してくれていると考えていいんだな」

「勿論です。政府は蛇の監視が出来て、私達はヒヒイロカネの研究ができる。ウィンウィンの関係といこうじゃないですか」

 男の心は揺れていた。ヤマタノオロチ伝承の話は仮説に過ぎないが、目の前で何かを行っている蛇がいるのは事実。それが自分の課題である天魔不透過物質に繋がる可能性は少なからず存在する。だが男には一つ懸念材料があった。パリに残してきた女の事である。

「ヒヒイロカネには興味が惹かれた。だが今着手している素材もある。そちらを無碍にはできない。少し時間をくれ」

 男はそう返答するつもりだった。だが全てを言い終わる前に一人の女が割って入る。パリで会っていた女だった。 

「レミエム、素直になりなさい」

 その声は静かなものだった。震えているわけでも荒ぶっているわけでもない。努めて冷静な声だった。

「貴方の目的は天魔の透過できない物質の開発でしょう。そこに無碍という感情が必要なのですか」

「セレス、どうしてここに」

「レミエムはシンガポール経由便でしょう、直行便使えば追いつけるわよ。それより貴方は今日付けで着任しなさい。パリにある荷物は私が後日まとめて郵送します」

「ありがとう」

 背を向ける女の頬には光るものが流れていた。

「いいのですか、彼女が貴方のアマテラスなのかもしれませんよ」

「その時は草薙の剣を持って謝りに行くさ」

 男は笑った。

「こちらからも一ついいか、わざわざトランジット便を選んだのは彼女が来る事を予感してのことか」

「可能性の一つとしてですがね」

「そうか。レミエル=ネフィリム=ヴァイサリスだ、これからよろしく頼む」

「宝井正博です」

 差し伸べられた手を男は力強く握り返した。

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