ナインイレブン異世界支店 小野シフト
祝・ナインイレブン異世界支店 待望の二店舗目が我がガイアへ!!
という張り紙が貼られた掲示板が、自動扉の向こうに立っている。
本来ならきちんと舗装された歩道か、車道か、駐車場があるはずのそこは、未だに土と砂利まみれだ。今だって風が吹くたびに土埃がたっている。出てすぐ右手が広大な海、左手が街につながるこの立地の人通りは悪くない。オフィスビル群に囲まれた表の店舗と売り上げを張るほどなのだから、とてもいい、と言っても過言ではないのかもしれない。とてもいい、といえないのは、私の個人的な私情が入っているだけだ。
もう既にオープンしてから二年が経とうとしているのにも関わらず、しかも紙も日焼けて黄ばんでいるのにも関わらず、誰もはがさずに今日も風に吹かれている。
オープニングスタッフとして表から借り出された身分としては、あのオープン当時の歓迎ぶりが懐かしくもあり顔が引きつる事件でもあった。人外の山に迎えられて、偉いのか固体なのかわからない国王の異国語スピーチを小一時間聞かされた挙句、何故か握手会になった。手というよりは触手だろ、おいおい。と言わずにいられないものまでいる最中、泣き出さなかっただけでも大いに褒めてもらいたいくらいだ。
二店舗目の計画が本社で出たのが三年前の春、先駆けとなったナインイレブン異世界支店一店舗目の売り上げがよかったことから関東で売り上げナンバーワンのこの店舗にも打診がきたのだ。
更衣場所が狭い? 大丈夫、大丈夫、人とかぶることなんてままないし、うちにそんなお金ないよ、なんて言っていたオーナーは、鼻息荒くバックヤードの一部を改装して広げ異世界とのトンネルをたった一週間で完成させた。
おいおい。お金ないんだろ!! と従業員全員が内心突っ込んだのは記憶に新しい。
三K—ー汚い、臭い、気持ち悪い——という名を欲しいままにしているオーナーではあるものの、時給の良さは格別だった。コンビニ業界にあるまじき時給である。表店舗でもそのことで有名なほどなのに、異世界支店のシフトに入るとそれが二倍になるのだから、しがないフリーターである私が尻尾ふって飛びついたのは言うまでもない。
二十五歳でフリーター。両親はいつか結婚するんだし生活できてればいいんじゃないの、なんていう呑気っぷりを発揮しているので口うるさいことはないが、世間はそう生ぬるい目で見守ってくれるわけではない。賃貸を探す時だって、職業欄にフリーターとかけば首を縦に振ってくれる人はそう居ないのだ。
親の名で借りた築三十五年のアパートを五年住んだところでちょっとオシャレなハイツに住み替えようかな、と思った時の思わぬ逆風。ちゃんと毎月——変動はするものの—— 一定額入ると力説したところで仲介業者が電話すれば、十件のうち許諾してくれた大家は一軒もなかった。世間は冷たい。
転職を考えたことがないわけではないけれど、特別得意なことも、要領がいいわけでもない。最終学歴が高卒の二十五歳の女に就職氷河期の門すら叩けないことは火を見るよりも明らかだった。
というわけで、異世界支店に住んでんの? ってくらいシフトに入っている私ですが、今、ちょっとした問題にぶち当たっています。
◇ ◇ ◇
「えぇ、小林くんも!?」
最後の頼みの綱として電話をかけた相手はコンビニ業界の歴史を変えた異世界支店 一店舗目のアルバイターだ。二店舗目であるこの店の研修の時に一店舗目から出向いてくれた彼は、異世界支店に慣れている。そのことを思い出して電話をしてみたものの返事は他のアルバイトたちと同じだった。
巷で流行中の新型インフルエンザにそろいもそろって他のアルバイト達がかかったのは二日前。小林くんも流行の最先端をいっていた。
お大事に、と言って携帯を切ってため息を吐く。異世界ではもちろん電波なんてものはないので、いちいちバックヤードを通り、事務所を抜けて表店舗の裏まで来て電話をしなければならない。自店舗ではなく他店舗の力が頼みの綱、っていうのもなんだか情けない話だけれど。表店舗のみでしか働けません、という条件の学生や主婦が多いのも仕方のないことだった。
だって、異世界だし。
一店舗目の裏側と違って、こちらには魔法は存在しない。魔法は存在しないが、人外しかいない。まだ、人の顔をしていたらマシなほうだ。カバとパグと犬を足して割ったような獣から、超オバサンの人魚とか、昔はやった喋る魚みたいな顔に猿の足ついて二足歩行しているのとか、上げるとキリがないほどの人外オンパレードだ。しかも基本は異世界語。ガイアの方が勉強熱心なお国柄で、日本語を理解してくれ、また教育すると約束してくれたことで出店に至ったので接客事態に問題はないが、いいたいことが伝わらないと向こうだって苛々するのは一緒らしい。
早口で異世界語を言われた暁には、なんか知らんけどむっちゃ怒ってるやんこのアメーバ。とかになるのだ。むしろアメーバの早口なんて予想してないので、すっげええ! と内心拍手喝采なのは言えない。
単調な客の訪れを告げる音は表店舗でも裏店舗でも変わらない。途中オーナーと交代しつつ乗り切った二日だったが、そろそろ私も限界だった。限界だ、と叫びたいのにオーナーまでインフルエンザにかかってしまって、あと三日。最初にかかった学生が復帰するまであと三日も一人で裏店舗をまわさなければならないのは、いっそ殺せと大の字で床に寝転がりたいくらいに自棄になる事柄だった。
あぁくそう。時給さえ低かったらこんな。
こんなバイトしなかったのに、と呟きそうになって唇をかみ締める。
辞めたら生活できなくなる。誰も保障なんてしてくれない。国民年金や健康保険、家賃を合わせて最低五万はいる。働かざるもの食うべからず。その状態を甘んじて受け入れてきたのは自分だ。
「いらっしゃいませー」
「カラアゲたん、ノーマルひとつ」
「はい、二百五十Gです」
異世界支店で大人気のカラアゲたん。一店舗目の異世界支店の地下ダンジョンに生息しているロックワームだと知っているのは従業員だけだ。大丈夫なのかな……これでガイアの生態系崩れたらどうするんだろ、オーナー。なんて心配しるそばからカラアゲたんを求めて人……というには毛むくじゃらすぎる人外が単調な音と共に入ってくる。十時の仕入れまであと少し、お願いだから混んでくれるな、とまじないのように心の中で唱え続けた。
◇ ◇ ◇
それから無事というには汗だくな一日を終えて、仮眠をきちんと取る暇もなく、
二日目を迎えた。
「あぁくそ、眠い。眠いよー目の前がぐるぐるするよー」
昼のピークが来て、ひいた後のコンビニに人外はまばらだ。異世界のしかも人外にインフルエンザなんてうっかりうつせない。うっかりうつして治療法なくて国が滅ぶなんてシャレになんないし、実際血が赤いわけでもない人外に今でも間に合っていないワクチンや薬を政府が提供するとは思えなかった。無理して出て来てもらっても助かるのは私の負担であって、穏やかで優しい人外の国には危機しか訪れない。オーナーが四十度越えだったから仕方ないけれど、落ち着いたら私を思い出せ。頑張って店に貢献してる私を思い出さなかったら吊す。
暇になると思い出したかのように睡魔が襲う。あぁ、ダメだ。誰だよ二十四時間営業にしようとか言った奴。ナインイレブンなんだから、九時二十三時シフトにしようぜ、とか提案しろよ!
とうとう意識があさってな方向に八つ当たりしだしたとき、私以外に通るはずがない事務所の扉が開いた。そこから出てきた人物に、私はあぁそういや最後の頼みの綱は小林くんの前にこの人だったかもしれない、と今更思った。
「げ、安藤さん」
「げ、っていうな。おはようございます、だろ」
SV——複数の店舗を見て回って運営や管理のアドバイスをする仕事——という肩書きを持つ顔がいいのに口が悪いことで評判の安藤大地は、表店舗、裏店舗を含めここ一帯のナインイレブンを担当している二十九歳独身だ。観賞用にはもってこいなのにも関わらず、女・学生にも遠慮なく釘を刺す……どころかとどめを刺すので、安藤さんが来る日が前もってわかっているときのシフト競争率は地べたを這う。美しき日本の譲り合いが現世も生きていると感じずにはいられないほどの、どうぞ、どうぞ、っぷりだ。
本人が知っているかは定かではないが、社員用の色の違う制服を着た安藤さんは、レジに自分の名札をスキャンして早々に業務を開始し始めた。
「お前なぁ、何のために事務所に名刺貼ってんのかわかってんのか?」
「…………マーキング?」
ここは俺の管轄店舗だぜ! みたいな自己主張じゃないの、と言ったら間違いなく干されそうなので言えない。てへ、と可愛く小首をかしげてみたけれど、安藤さんは眉間の皺を寄せるだけで絆されてはくれなかった。
「俺が犬なら、お前は微生物だ!!」
……単位小さすぎるだろ!!
とはつっこめず、本気で怒っているらしい安藤さんに私は目を泳がせることくらいしかできない。っていうか、犬発言は許されるのか。意外。
「す、すいません!」
「店舗をまわすのが俺の仕事だ。それでなくても三日前から異常なのにお前一人で店回すとか何の暴挙だ。お前は何様だ! 俺の管轄から苦情なんか出させるか! その足りない脳味噌によく刻んでおけ!!」
足りないとか言うな! くそう大卒め!!
高卒バカにしたら高卒に泣くんだぞ!!
とは言えずに心の中で叫ぶ。いやだって、言ったらもうそりゃあコテンパンにやっつけられるのはわかってるし。
「……すいません」
店の空気がぴりぴりしているのがお客さんに伝わっちゃうんじゃないですか、という反撃カードは、安藤さん登場と共に立ち読みをやめて出て行った人外が最後、誰もいないという事実に切ることができなかった。なんてタイミングで出てくんだ……。
「何も俺はお前等を絞るために居るんじゃねぇんだよ。店が回らないと思ったら連絡くらい寄越せ。それがたとえ間違った見積もりであっても飛んできてやるから」
あ、だめだ。と思った。
軒並み異世界シフトの皆がインフルエンザにかかって、頼みのオーナーもダメになって、ようやっと思いついた小林くんもダメだった。表店舗の子が入ってくれようとしたけれど、人外第一号で悲鳴を上げてしまったので仕事にならない。私がしっかりしなくっちゃ、なんて柄にもないこと思って、ただがむしゃらに動き続けて、事務所で仮眠なんて日々が辛くないわけなかった。
こんなときにヒーローみたいな言い方しないで。
見てくれがいいだけに、五割り増しに見えちゃうじゃないか。
「安藤さん……」
「まぁ、本当に見当違いもいいところだったら吊るすけどな」
……って、ちょっとときめいた私がバカでした。
鬼SVは腐っても鬼SVでした。
「次のピークは十九時だったな。お前は一度家帰れ」
「え、でも」
小さいピークが十五時頃にある。
そう思っていたことが顔に出ていたのか、鼻で笑われた。
は……鼻で笑うとか!
「安心しろ、お前に回せて俺が回せないことなどない」
自信満々に言った相手が三Kオーナーだったら間違いなく指差して笑うのに、
安藤さんだと絵になりすぎて笑えない。
男前は得だな。
「そうでした。それでは失礼します! お疲れ様でした」
「お疲れ様。一日休みやれなくてごめんな」
最後にそう言われて足が止まった。
卑怯なんだよ、そういうちょっとした優しさをいつも鬼みたいな安藤さんが言うなんて。文句いっぱいあったのに言えないじゃん、って思った私は安藤さんの方を振り向くこともなく事務所の扉を開けた。
疲れた、眠たい、お腹減った。
安心したのか一気に押し寄せてきた欲望に、ロッカーの扉に頭を預けて目を瞑った。
「あれぇ? 今日三木さん表シフトでしたっけ?」
呑気な声がした方を見ると、自分より七つか八つ年下の学生服を着た学生バイトが居た。若さあふるるオーラに、自分の今の格好を思い出してより疲れる。化粧をしないと見られない肌に、Tシャツ、ジーパンに運動靴という適当すぎる格好。いくら昨日から完徹と言っても女を捨てすぎだ。
「いやー、裏。裏しかも一人なんだよね。オーナーまでぶっ倒れたし」
「あぁ、それで表に安藤さんの車があったんですねぇ」
彼女はもちろん表のみシフトだ。
人外わんさか、という事実を伝えるとありえない、気持ち悪い、絶対はいらない、と裏シフト人員の前で言い放ったのだ。いっそすがすがしいほどの嫌悪ぶりに、裏シフト人員は当時苦笑するしかなかった。
「そう。オーナーグッジョブ」
四十度越えて脳味噌溶けて汁になってやしないか、と思ったけれど、ちゃんと私のことを覚えていて、安藤さんに連絡を入れてくれたのだ。三Kオーナーだけれど、そこは素直に感謝してもいい。
と思っていた私に、二つ隣のロッカーを開けながらえ? と言った。
「オーナー、昨日電話してきたときには何も言ってなかったですけどねぇ。裏は赤出てもいいからその分表で黒出してって言ってましたし」
さっきの私の感謝を返せ三Kめ。
っていうか、裏で赤出てもいいからとか言うな! 一晩乗り切った私にそれを聞かせるヘマするな!!
私、本当に何様だ。
使命感にかられてがむしゃらに働いた時間、
オーナーにはこいつじゃ回せなくて赤が出ると思われていたんだ。
「そっかー……、じゃあたまたま今日来る日だったんだね、安藤さん」
「どうですかねぇ。シフトには何も書いてなかったし。通りすがり?」
本当に通りすがりに抜き打ち検査のように来ることもあるので、安藤さんがどうしてこの事態に気付いたのかよくわからない。たまたま裏を覗いたら二人一組のはずなのに一人でしたってオチにびっくりしたのかもしれないし。
おつかれさまです、と言って表の事務所の扉を開けて出て行った学生バイトを見送って、今度こそ自分の鞄を取った。入れ替わりで今まで入っていた大学生の男の子が入って来る。
「おつかれーす」
「お疲れ様。西くんさ、裏来る気ない?」
「いや、いいっす。俺そこまでバイトに燃えてないんで」
その言葉が無償に悲しかった。
バイトに燃える。
本業が大学生の彼からしてみれば、バイトはお小遣い稼ぎで、
フリーターの私と置いている比重が違う。
はっきりと言われて、なんとも言えない苦い気持ちが広がった。
「だよねー。人外ばっかりだしね」
「三木さんすげーっすね、裏シフトで女性って三木さんだけなんすよね。俺ムリっす。人外とかゲームだけで十分だし」
「ねー、本当ファンタジーだよ向こう」
笑いながらも気分は沈んでいった。
笑うたびに自分が滑稽に思えた。
真剣にやるバイトじゃないと、言われた気がして。
「まぁでもよかったすね、安藤SV来て。朝、オーナーに電話あったんすけどインフルかかって休んでっし、店の売り上げとか三木さんなら判るかもしんないすけど裏今ひでぇからって話ししたら、途中なのに電話ブッチして飛んで来たんすよ。熱いすね」
「西くんだったのか。ありがとう、安藤さんきてくれて本当助かったんだ」
「いやぁ、でもあの慌てぷりはただごとじゃねぇっすよね。安藤SV、三木さんのこと狙っちゃってんじゃないかってもっぱらですよ。前からだったけど、みんな言ってんし」
「はぁ!?」
疲れているのにまだ大声出せる気力が残ってたんだ、と自分で驚くくらい、そのことに驚いた。
何がどうなって安藤さん私に狙い撃ち説が出てくるんだ。
しかも、みんな、って。子供か! 絶対それ二・三人だし。
「えぇ、気付いてないんすか。安藤SV、三木さんだけお前って呼ぶんすよ。他は苗字なのに。それって特別すよ絶対」
その自信はどこから、と呆れ半分、そういやお前って呼ばれてるなと今更気付く。
ただ、だから気に入られている、もしくは異性の対象をして見られている、と取るのは早合点だ。
じゃなきゃ、人のこと微生物とか言わないって。
私、好きになった男に私が犬ならお前は微生物だ、なんていわない。
「いやぁ、ないわ。フリーターだし」
「それってなんか関係あるんすか」
「ないの? いまや高学歴で可愛いの当たり前みたいな世の中なのに」
気に入った家が借りれないのも、みんながインフルエンザで共倒れして一人でシフト回すのも、化粧っけがないのも、田舎にあんまり帰らなくなったもの、フリーターで忙しいせいにしていた。ただの自分の惰性なのに。
高学歴で可愛い女の子が世の中うじゃうじゃいるんだから、
高卒フリーターの私が婚期逃しちゃっても仕方ないよね、っていう言い訳がしたかっただけだ。
わかってるのに、僻むのをやめられない。
「さぁ、世の中がどうかわかんないすけど、俺は自分の彼女が高学歴の方が気後れするっすよ。三流大ですいませんってなんのヤだし」
あぁ、なるほどなぁ。男の沽券というやつだな、と思いながら、二・三会話をしてようやく外に出る。自転車に跨ってたった十分の距離だったのに、疲れていたからか随分と時間がかかったように思えた。
◇ ◇ ◇
目覚ましは三つもかけた。
かけたのに、
「寝坊した!!」
さぁ、っと血の気が引くとはこのことだった。
時計は二十一時を少し回ったところをさしている。
ピークは終わった。そして私の人生も終わった。
あの鬼SVが遅刻など許せる心の広さを持っているはずがない。
「どうしよう……」
どうしよう、といいつつジャージにTシャツだった自分の格好を確認して、ジーンズに履き直す。
どうしよう、どうしよう、と言いながら髪の毛を一つに束ね、化粧もろくにせず家を飛び出した。
「死ぬ!」
死ぬ、のぬ、のところで階段を飛び降り、自転車置き場まで走る。
鍵が思うように入らなくて舌打ちしながら、ただひたすらに漕いだ。
「遅れました、すいません!」
ロッカーで着替えて裏の事務所の扉を開いた時には、既にまばらな人外の客がいるだけで安藤さんはいなかった。
「……あれ?」
いるものと思って出てきたので、拍子抜けした挙句に誰もいない空間に挨拶したことへの羞恥で顔が赤くなる。こっぱずかしぃいいい! とは叫べず、だたおとなしくレジに名札をスキャンした。
外のゴミ箱もトイレも綺麗に掃除されていた。チェックリストには安藤さんの判が押されている。
「ソツないよね、さすが社員」
残るは外補充と掃除くらいだろうか。バックヤードの方も軽く覗いたけれど尋ね人はいなかった。もしかしたら休憩のために表店舗に行っているのかもしれない。煙草の補充のためにレジ向かいの棚からストックを出して籠に入れていると足音が近付いてくる。それが人外ではなく安藤さんだと思ったのは、ただの勘だ。
顔を上げると予想を裏切ることなく安藤さんの姿があった。
「お、お、遅れてすいません」
「いい。疲れてただろうからな」
ああ、どうして安藤さん今日は、私の欲しい言葉をくれるんだろう。
そんな風に言われたら変に意識してしまー……
「だが、二度目は吊るす」
うわけないだろうがー!!
やっぱりこの人鬼だよ、鬼!! 人外より厄介!!
「はい、すいません。きびきび働きます。無駄口叩きません」
「何を今更。基本だろうが」
ですよねー。
お金もらってんだからこのくらいするの、普通ですよねー。
おい誰だ、安藤さんが私に気があるとかいったやつ。
この状況を見てもなお同じことがいえるか?
「外、補充いってきます」
「おう、頼むわ」
そう言って籠いっぱいに煙草を詰めた私に、あぁそういえば、と言ってナインイレブンの袋を安藤さんが私に差し出した。なんだ?
「……なんですか?」
「ずっと出ずっぱりだったお前を心配した常連からだよ」
「常連って……」
「頭から角二本生えた、上半身裸、下半身馬の奴とー……」
「あぁ、タランティノさん」
「二頭身のライオンとー……」
「おぉ、マギィさん」
「……割とお歳を召した人魚」
「トーテムさんまで!」
わぁ、嬉しい。とこぼした私に、それだけの説明でわかるお前がすげぇよ、と安藤さんが言った。トーテムさんの特徴がオブラートに包まれすぎて笑いそうになったけれど、そっか、と呟いて大事に袋を握り締める。袋の中身は飴とか、菓子パンとか、飲み物、とか、ナインイレブンで売っているものだった。ガイアに人が食べれるものは売っていない。厳密に言うと売っているのだが、流石にモンスターを食す度胸はない。わざわざ買って差し入れてくれたのだと思うと嬉しさもひとしおだ。
数時間前まで沈んでいた気持ちが嘘みたいに浮き上がる。しがないフリーターのためにわざわざ手間かけて差し入れしてくれたという事実が単純に嬉しかった。会社員が偉くてフリーターが偉くない、なんて決め付けていたのは自分だ。そのものさしの目盛を決めたのも自分だ。人外の人たちは、ただナインイレブンで働いている一人を心配してくれただけだ。日本の社会の仕組みもわからない人達にとって、私も安藤さんもただの人。気後れしているのは、私がただ“みんな”の言う“普通の人”の人生からはみ出ていたからだ。みんなが誰だといわれたら、誰一人あげられないのに。
そう思うと、気持ちがうんと軽くなる。
「なんだか悪いな……」
袋を見て呟く私に安藤さんはテーブルを拭きながら事も無げに言った。
「お前が頑張って毎日働いたからだろ、ありがたくもらっとけ」
—— 頑張って毎日働いたからだろ
あぁもうなんでこの人はいちいち。
欲しい言葉をくれるんだろう。
なんだか恥ずかしくなって、袋の中からひとつ取り出して安藤さんに押し付けた。
「安藤さん来てくれて私すごく安心したんです。だから、これあげます」
「……てめ、自分が食えねぇだけだろこれ」
安藤さんに押し付けたのはカラアゲたんだった。
おぉ、無意識のうちに食べないものを押し付けてたよ、私。
「大丈夫ですよ。安藤さんある種規格外ですし」
その鬼っぷりとか、とは言わなかったけれども、安藤さんのスイッチを入れるには
その言葉で十分だったようだ。
「うるせぇ微生物! 調子乗るなんて百万年早いわ!!」
「八つ当たり! いい大人が八つ当たりしてる!」
「お前たった四つ差で子供ぶんな!」
「お前じゃないですって。まさか安藤さん私の名前知らないんですか?」
いつもの通りだった。
そこまで、いつものテンションで話しをしていたのに。
安藤さんは口を開いたまま止まって、口を閉じた。
そのままそっぽを向いてしまう。
「知ってるわ馬鹿。なめんな。補充行くんだろ、さっさとしてこい」
突然はぐらかされた話に、私は首をかしげることしかできなかった。何だこの人へんなの、と思ってしまうのも無理はないとご理解いただきたい。むしろここで追求すると後が怖いので早々に引き上げる。引き際肝心。これ、対安藤には重要なことだ。
「三木、補充行ってきます」
「いちいち言わんでいい! さっさと行け!!」
何をそんなに照れているのかわからないけれど、触らぬ神に祟りなしなのでレジ横を抜けて自動扉を開ける。ガイア特有のむっとした熱気にたじろいだけれど、そこから一歩踏み出した。
「よし、がんばろう」
握った拳を小さく揺らして、煙草自販機の鍵を開ける。
カシャンカシャンと煙草を落とす音をただ聞き流しながら、お礼言わなきゃな、といつも顔を合わす人外を思い出していた。
背後で、気づけバカ。なんていわれてることも知らずに。