七、霞姫①
1話長いので、2話に分けてUPします。
霞姫。
風雲児、加賀見政行と政略結婚した元華族出身の女性との間に出来た子供。
戦後、華族制度は廃止されほとんどの旧華族家はその人脈を生かし政治の世界に飛び込んだが、その一族は何故かその波に乗らず、事業一本で勝負をかけていた。
しかし半世紀が過ぎる頃にはその事業も潰え、当主とその妻が亡くなった事で名と歴史、一人娘だけが残った。
一人残された旧華族の成人したばかりの女性。
彼女のネームバリューだけで欲しいと思う政財界の人間は多かったが親族はその中でも歴史ある加賀美家からの求婚を選び、風雲児と政略結婚させた。
戦後間がない頃ならまだしもこの御時世に、会ったその日に祝言を挙げるなど時代錯誤もいい事だらけの結婚だった。
当時その事実は世間でも大きく取り上げられ、報道も過熱した。
だがその結婚は世間同様本人達にとっても望むところではなかったのだろう。
不仲な両親の間に生まれたその子供は祖父である重蔵に育てられたと言われているが、過熱する報道は収まる気配はなく、重蔵は孫を過剰に守る行動を取った。
その娘は一族との会食以外でその姿を現すことなく十歳を過ぎる頃には重蔵が完全にその姿を隠したことで、世間で付けられた風雲児の娘のあだ名が霞姫だった。
霞姫。
その由来は皮肉に満ちたあだ名でもあり、またその姿を見た者が換喩の意味で言った言葉でもあった。
霞はそこに存在するのに実態がないことを指し、また雲が美しく彩られることもあることから比喩でそう呼ばれていた。
「彼女があの霞姫だと?」
『ええ、しかも驚くべきはその頭脳です。風雲児、政行の娘に相応しいそれに並び立つものですよ』
恍惚な声色の真吾に会長はまた変態根性が出たとゲンナリする。
「・・・・今回お前が彼女を送ったのはそのポテンシャルがあったからか」
『それもあります。彼女早い段階で一族と決別し就職先も加賀見とは無関係なところでと希望を出してるんですよ。でもあの一族が風雲児の娘を簡単に手放すと思います?』
加賀見の人間が橘グループにインターンに来るのもおかしいとは思っていたが、一族から離れたいと思っているなら確かにうちに来ようとしているのも納得だ。
叔母の玲香が姪を引き取ると聞いた時なぜかと思ったが、あれだけ一族に背を向けながら生きてきた玲香なら姪の気持ちは痛いほど理解できただろうから、自分に似た姪のことが放って置けなかったのだろう。
そんな玲香が数年前から加賀見の仕事を手伝い、ついにはこの春から日本の本社に勤務し始めた。
日本に帰ると報告を受けた時、したくもないことをしてなんになる!人生を棒に振るつもりかと苦言を呈したが、これしかあの子を守る術はないし、亡き父との約束なのだと言ってここアメリカを発った。
勢力争いはどこの企業にも存在する。
古くからある企業程、規模の大小に関わらずそれは顕著に現れる。
玲香が日本に行ったことでその力関係に歪みが生じ権力を削がれた人間は一定数必ず存在する。そうなれば元に戻そうとそういう者は玲香以上の正当性を持った人物を利用し勢力を維持しようとする。
そういう意味では確かに霞姫は絶好の鴨だ。
「接触があったと言うことか?」
『いいえ、まだですが水面下では動いていると思いますよ。彼女はまだ二年生です。もう少し猶予があるとあぐらを描いている敵を欺いてやろうかと思いましてね』
「それでうちに送り込んでくれたのは有難いが、わしが今聞きたいのはそこじゃない!彼女はあの風雲児の娘なんだろう!本妻がいながら愛人が忘れられず事業も家庭も捨てて逃げた男の娘なのに、大丈夫というその根拠はなんだ!」
『結局会長が聞きたいのはそのポテンシャルではなく彼女の人と成りですか』
「当然じゃろうが!」
うーんという声と共に真吾が語り始めた言葉に会長は不安で気持ちが爆発しそうだった思考に冷たい水をかぶせられたように冷静なった。
『反面教師・・・でしょうね。彼女は道理が叶っていないことをものすごく嫌います。家庭環境で嫌な人間をたくさん見てきた弊害でそのモノの見方は非常に歪です。年齢に合わないその洞察力と思考の鋭さに反して自分のこととなると極端に鈍くなる。自己肯定感があまりに低すぎてあの容姿で冴えない人間と思い込んでいるんですよ彼女。そんな子が、本来三田くんのようなイケメンをそばに置くような子じゃない』
「な、何?」
信じられない単語が多過ぎて、どこから突っ込めばいいのか分からない会長は言葉を選んでいるうちに真吾はさらに口を開く。
『もうそのぶっ飛び方は私の想定外でしてね。彼女に言い寄る男を“勘違い“と一蹴してバッサバッサ切り捨てるんですよ。でも本人は丁重に断ってるつもりらしくて、そんな場面を見るのがもう私のツボでしてね!』
何が面白いんだ。お前は楽しいか知らないが、亮介もそんな風に扱われた日にはうちが潰れるんだが!
『そんな彼女の行動原理は至ってシンプルなんですよ。基本、人を絶対に信用しない。でも自分が信頼する人が大事にする人物には寛容だと言うこと。霞姫の世界の中で大きな役割を担っている信頼できる人はたった二人だけなんですよ。その一人が叔母である加賀見玲香です。その叔母が最も信頼を寄せている会長もまた、霞姫にとっては無条件に味方と位置付けられていることでしょう。今日彼女と顔を合わせたなら明日は彼女の方から無邪気に話しかけられると思いますので楽しみにされたらいいですよ』
それは喜んでいいのか。
『もう一人は霞姫が雲隠れした全寮制の学校で知り合った、後にソウルメイトとなった三田一果嬢です』
三田一果?三田!?
「それって亮介の」
『はい妹さんです』
亮介が橘で働き始めた時に一緒に挨拶に来た一果は会長も見知っている。
亮介の妹と言われるだけあって、兄に劣らずまだ高校生になったばかりの身空でありながら見目麗しい女性だった。
日本人離れした美貌とスタイルを持った人物を思い出した会長は、仕事漬けだったあの亮介が女性とどう知り合ったのか疑問だったが、そういうことかと納得した。
「・・・つまり一果ちゃんの伝であの二人は知り合い恋人になり将来を約束し合う仲になったと言うことじゃな」
『???将来?』
「さっき亮介に会った時にあいつ彼女のことを婚約者と紹介しよったぞ!」
はあ!?
電話向こうで絶句する真吾は、自分が思い描いていたことより状況が大事になっていたことに驚いた。
会長がなぜ彼女の人と成りを気にするのかと思っていたら、亮介が彼女をそんな風に紹介したから!?
霞姫が何やら一族のいざこざに巻き込まれてる感を察知し、亮介に保護させ安全を確保させようと兄の圭吾経由で送り込んだのだが、精々仮想恋人くらいかと思ってたのに仮想婚約!!!!
・・・・・何それめっちゃ面白い!!と思ったのは秘密である。
「なんじゃ、違うのか?」
『いえいえ、三田くんが自らそう言ったのなら隠す必要もなくなったので暴露したんでしょう』
もっと事が大きくなるかもしれないが、楽しければそれでいい真吾は二枚舌で吹聴する。
「なぜ今まで隠していたのか。彼女がインターンとして来たことで顔を合わすことも増えると考え、秘密にすることが難しくなったと判断したのか」
今日まで顔を合わすこともなかった二人だから隠すも何もないが、ここで疑われても面白くないと真吾は助言しておいた。
『うーん。強いて言うなら彼女の置かれた立場が一つはあると思いますよ。加賀見の中で異質と思われている彼女ですがその正当性は誰もが認めるところです。あの風雲児の娘ですからね。しかし昨年成人したばかり。その弱い存在を駒として虎視眈々と狙ってる狸親父は一人や二人ではないでしょう。彼女はそのことを嫌という程理解しています。故に一日でも早く自らの盾を作りたくてその存在価値をその身一つで証明しようと躍起になっています。三田くんは彼女の生い立ちを知っているからこそ彼女のやりたいことに邪魔にならないように今までは見守っていた』
「そこまで彼女に寄り添い見守っていた亮介が策を外したのはなぜだ」
『彼女は一貫として一族の力を借りずに自分一人で成し遂げ人の役に立てる存在であることを証明したいと思っている。もちろんそのことを三田くんも理解していた。ところがここに来て加賀見の方で、きな臭い動きが見え始めた』
「さっき言っておった水面下の動きか」
『ええ、そこに関しては彼女も三田くんも望んでいない。今回三田くんが関係を公にしたのは加賀見杏樹の横には三田亮介がいて、そのバックに橘グループがいることを示唆し、これ以上勝手は許さないぞと牽制するためです。個の力がまだ小さく盾になり得ないならそれを補う大きな壁を私は彼女に与えたかった』
甥の言葉に会長は焦燥した。
「お前・・・・うちのグループを利用したのか」
『人聞きが悪い。相互利益を言ってください。彼女の存在は三田くんにとって大きなものです。彼女の安全が守られることで彼のパフォーマンスは今まで以上のものを叩き出すでしょう』
生活力ゼロの彼に身の回りのお世話をしてくれる安全な人物が現れたなら、煩わしさがなくなる分、そのパフォーマンスは間違いなく上がる。
特に彼は心を開くのに時間がかかるタイプだが、実は一度心を許すとその相手に寄り添い尽くす傾向にある。
霞姫を婚約者と自ら証言したことを見ても彼は彼女を警戒対象からすでに外している。
こちらが思っていたよりもあの二人の相性は良いらしい。
真吾は電話口でニヤリと笑った。
そんな真吾とは裏腹に困惑気味な表情の会長は普段の亮介を知っている手前その言葉が信じられなかった。
「にわかに信じがたいが」
それが本当なら彼女を守る盾として橘が動くことになんの躊躇もないが・・・。
『さっきも言ったはずです。彼女はあの風雲児の娘と言われるだけあってあの三田くんと遜色ない能力を秘めています。うちで囲い込めれば三田くんを手にした以上のものが見込めます』
こう言う時、橘の重要ポストを蹴ってまで教授職に拘った変態の存在が間接的とはいえ橘の力になっていることに喜ばしいと思うが、一つ見落としていると会長は憤った。
「その三田亮介を今でも欲しいと思っている日本企業がいる中で彼女と一緒にいることは亮介をまだ諦めきれていない輩からすると彼女の立場はより危なくなるんじゃないのか。亮介もまた望んでもいないのにその土俵に挙げられることになればうちも打撃が大きいぞ」
そこは腐っても教授。分かっていたのか戯けた声が返って来た。
『そうなんですよね〜』
「おま!人ごとだと思って!」
『他人事とは思ってませんよ。でもそのカードを切らざる負えないほど彼女の周りでは不穏な事が起きている。事が起こってからでは遅いんですよ』
「不穏じゃと」
物騒な単語が飛び出し、会長が警戒した声を聞いた真吾は全てをここで話すのはナンセンスと話をはぐらかした。
『あ、その辺は彼女から直接聞いてください。これ以上個人情報漏らすわけにはいかないんで』
「ここまでペラペラ言ったお前がそれを言うのか」
ど正論を言われたが、真吾はするすると躱した。
『何があったかわかった上で、私に聞いてくるなら知っている事はお教えしますよ。これ以上は無駄話になりそうなので電話、切りますね』
「あ、こら待て!真吾!!」
『ではおやすみなさーい』
「真吾!」
プツッと切れた電話はそれ以上モノを言わなかった。
「あの変態が!」
と、会長が怒鳴ったのは誰も知らない。
タワマンエントランス横から杏樹達を乗せた車が見えなくなってから、会長は口ずさんだ。
「あれが加賀美の霞姫か」
真吾の言う通り彼女の方から話しかけられたことには驚いたが、確かに洞察力や頭の回転の速さは尋常ではないが、あの姿。
無邪気に話しかけてくる姿はまるで小さな子供のようだった。
そのギャップが彼女の魅力と映るのだから、身近にいる亮介は気が気ではないかもしれんな。
だからあの過保護ぶりなのか。
しかも先ほどの彼女の言葉に、不穏とはこのことか。と渋面を作った会長は土の付いた手袋とビニール手袋を外すとポケットからスマホを取り出し、秘書に電話をかけた。
『おはようございます。会長』
「朝早くから悪いが、昨日話していたインターン生の周辺をあらってくれ。ストーカーが周辺を彷徨いているようじゃ」
『インターン生のことをですか?なぜです、まだ採用するかも分からない彼女を調べる根拠はなんです?』
「あの子は・・・加賀見杏樹は三田亮介の婚約者じゃ」
『はい!?』
「昨日、本人から直接聞いたから間違いない」
『ああ・・・・それで昨日一緒に退勤されたんですね。いや〜履歴書の彼女の顔を見た時に恋人はいるのだろうと思っておりましたが、まさかあの亮介氏の噂の恋人でしたか』
ウキウキした秘書の声に嫌な芽は摘むべしと苦言を呈す。
「お前頼むから横恋慕とかするなよ」
『そこまで分別ない行いはしませんよ。ましてや相手が亮介氏では逆立ちしたって敵いませんから』
「まあ、確かにな」
『そこは否定してください会長』
「下手な慰めは返って失礼じゃろうて。そう言うわけであの亮介が大事にしとるあの子に何かあったら亮介のパフォーマンスに響く。会社としては一番避けたいことじゃからな。至急その不届者がどこの誰かを調べてくれ」
それにあの玲香が自分を犠牲にしてでも守ろうとしている彼女を危機が迫っていると知って無視するのも気が引ける。
『そう言うことでしたか。承知いたしました、早急に対応いたします』
「その辺の情報を持っていそうな真吾に話を聞いてもええ。とにかく早めに相手を特定してくれ。ああ、それと慎一郎の今日のスケジュールはどうなっとる?」
『代表ですか?少々お待ちください』
自分をその座から追いやり実権を握った息子のことを聞けば、電話向こうでカチカチとマウスを操作する音がした後、情報が齎された。
『慎一郎様は本日、正午から取引先の会長との会食と新規のお客様との面談が入っていますが、午前中は本社におられると思います』
「わかった。それなら時間を見て連絡してみるわい」
『慎一郎様から連絡するようにお伝えいたしましょうか?』
「いや、良い。あやつの行動パターンは分かっとるからな。わしの方から連絡する。君は出来るだけ真吾から事情を聞き出してくれ」
『承知致しました』
電話を切ると会長は神妙な面持ちスマホを見つめたが、エントランスから飛び出てきた人物の登場でそれどころでは無くなった。
「あ!会長!!今日も来てたんですか!それより涼介見ませんでしたか!?」
朝からそのテンションで言われた会長はゲンナリして相手を見た。
「朝からなんでそんなにテンションが高いんじゃ。普段仕事する時もそのくらいのテンションでやってもらえると、言うことなんじゃがな章司くん」
松島章司。
亮介と同じ中高一貫校の一年先輩でここアメリカ支社の勤務になった際、その年新卒入社した亮介と顔を合わし再会を喜んだ(松島だけ)社員。
同期であり同校出身者のインテリ男、松前忍とは腐れ縁らしく何かといつも一緒におり、お調子者の松島と冷静沈着でありながらキレやすい松前は社内でも有名で松松コンビと呼ばれている。
亮介はそんな二人に絡まれるのが嫌で表情には出ないが引き気味な様子は見ていればわかるほどで、面倒なのか二人を呼ぶ時は前島さんと呼ぶ姿が度々目撃されている。
訳:松前と松島。二人の松を取って、前島。
その度亮介に二人が突っ込む姿は恒例となっていて社内では一種の風物詩となっていた。
松島は一ヶ月前に結婚したばかりで、ここのタワーマンションに二番目に入居が許された社員でもあった。
昨日家財搬入のために早めに会社を退勤した際に亮介たちを見て、目の色を変えて追いかけていった人物の一人だった。
「これが落ち着いてられるわけないでしょう!あの亮介があんな可愛い子隠してたんですよ!テンションも爆上がりになりますよ!」
子供のように足をバタバタさせて言う大の大人を半眼で見つめた。
・・・・仕事の下りは完全無視か。
「気持ちはわかるが少し落ち着かんか」
美男美女とはよく言ったもんじゃ。
あのレベルの男と付き合う女に興味を持つのは致し方あるまい。まさかあれほどの相手を隠していると思っていなかった会長ですら驚いたのだから、学生時代からの先輩の立場のこやつはもっと驚いただろう。
最も今会長自身は彼女のその出自の方が気になって仕方がなかったがそこは伏せておく。
「それより亮介見ませんでした!?彼女との馴れ初め聞きたくて家にまで迎えに行ったんですけど居留守とは違って、もうもぬけの殻っぽかったんですよ」
どんだけ野次馬根性丸出しで後輩の家まで押し掛けてるんだ。
会長はため息後に見て知っていることを告げた。
「亮介ならとっくに出かけたわい。彼女を学校に送り届けて来ると、車で出て行った後じゃ」
「え?早くないです?」
「彼女の事情があるようじゃ。学校に送って行った後は会社に出社するはずじゃから、こんなところで油売らずに会社で待ち伏せしたらどうじゃ」
「あ、それもそうっすね!助言感謝っす!」
「阿呆!日本語は正しく使わんかい」
「ありがとうございまーす」
走り去る章司を見てやれやれと眉が下がった。
全く調子のいいやつじゃわい。
それよりも気になるのはやはり彼女の置かれた立場じゃろうて。
連絡するには少し早い時間じゃがバカ息子に連絡して、亮介が少しでも動きやすいようにと指示を出しておくか。
会長は携帯を握りしめるとコンシェルジュの待機場所まで移動して行った。
本日はもう1話UPします。




