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一水四見(いっすいしけん)  作者: 虹乃懸橋


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7/9

六、寝相と叔母、加賀見玲香


 翌朝、杏樹は肌寒さで眠りから覚醒した。


 寒!

 貸してもらった布団だけではこの時期の朝方の寒さは凌げなかったようでブルリと震えたが、何やら背中側が温かい。


 思わず向きを変えて温かい方へ移動すると心地よい空間に包まれ安堵の息を吐いた。このままならもう少し寝れる〜。

 ほんの少しの時間そうしていただろうか。


 あまりの居心地の良さにスリスリと温かい方へ寄って行くとなぜか前頭部に当たっていた壁がモゾリと動いたのを感じた。

 ????

 確かソファで寝ていたはずなのに背面が動いた?


「まだ起きるには早い時間だ。もう少し寝てていいぞ」

 頭上から昨日からお世話になっている家主のゴモゴモとした声がし、はて?とまだ頭が寝ている杏樹は思考がまとまらない。


 しかし自身の背中に回された腕の感触に気が付き意識が完全に覚醒し、目をかっぴらいた。

 目の前に良質な筋肉を包み隠したシャツが見え、そこから伸びる腕が軽く抱き抱えるように杏樹の背中に伸びていたのだ。


 どゆこと!?

 慌てて布団から飛び出てさらに驚いた。

 ここどこ?


 ベットから飛び退いたせいで体がずり落ち、無垢の床板にぺたりと座り込みながら、ひっくり返らないようになけなしの運動神経でベットの端を両手いっぱいに伸ばして掴み、そのままキョロキョロと見回した。


 昨日のリビングソファで寝ていた場所とは違う。個室で大きなベットが一つ、部屋の中央にドンっと置かれた殺風景な部屋だ。


 ソファで寝たはずなのになぜここに?

 困惑する杏樹にベットの奥で横になったまま半眼の亮介はため息を吐いた。

「寝相の悪い黒兎め」


 言われた言葉が理解できず、覚醒したのにぼーっと亮介を見る杏樹に、家主は横になったまま頭を肘枕で支え、黒兎を不審な目で見た。


 昨日重たい足取りで脱衣場から寝室に入ろうとした時、リビングの照明が点きっぱなしの状態に気づいた亮介は、そのままではソファで眠る杏樹が流石に眩しいかと豆電球にしようと、そちらに移動した。

 本当なら一目散にベットにダイブしたい気持ちを振り切ってリビングに向かった。

 入室した際、ソファに杏樹がいないことに気が付き、まさかと近づいて項垂れた。


 案の定ソファから落ちて、固い床でむにゃむにゃと言いながら爆睡していたのである。

 時々ブルっと体を震わせる仕草をする彼女を見てこのまま放置しておけば、朝には身体中がバキバキになるのはもちろん、下手をすると風邪を引きかねない。


 深いため息と共に杏樹を起こさないように抱き上げ、自身の寝室に連れて行くしかなかった亮介は、はっきり言って連れて来るべきではなかったと後悔したのは杏樹をベットに下ろした直後だった。


 とにかくじっとしていない。何かのセンサーが働いているのか左側で横になっていた亮介の方には近づかなかったが、とにかく動くのでベットから落ちる工程が何度もあり、その度にベットが振動するために亮介は目が覚め杏樹を引き上げる作業が続いた。

 二人の位置を変えて寝てみても同じ結果にこのままでは寝不足になると、服の生地が伸びのは仕方なしと杏樹のウェアの背中部分を固く掴み就寝した。


 それ以後は落ち着いて寝れていたのだが、朝方の冷え込みはこの時期にしては想定外で、杏樹のセンサーが別ベクトルで働いたのか亮介の腕の中にすっぽり入ってきたのだ。

 兎が懐に入るのはただ単に暖を取るため。特に筋肉質な亮介の体温は女性の杏樹よりは高く心地よかったのだろう。


 そこは襲われるわけでもなし、咎めはしないがどこが寝相がいいだって?

「寝相が悪すぎて寝不足だ」

 その言葉に杏樹は反応した。


「嘘だぁ!」

「嘘じゃない。ソファからも何度も落ちたし、ベットに移動してからも何度も引き上げた」


「・・・寝相が悪いなんてそんなこと一度も言われたことないもん!」

「うちの実家に泊まった時はどこで寝てた?」


「え・・・・最初は一果の部屋で一緒に寝てたよ。でも二日ほどして、その・・・・亮介さんの部屋で寝るように言われて、それからはずっと泊まる際にはお借りしてました」

 当の持ち主を前に正座で縮こまって言えば、半眼から目を通常に戻した亮介は視線を天井端を向け考え込んだ。


 一果はなんで一緒に寝ていたものを、別の部屋に移動させた?まさか・・・。

「俺の部屋にあったベットはこのタイプと同じものだったはずだ」

 寝ていたベットをぽんぽんと軽く叩いた。

「それなのに落ちずに寝れたのか?」


 ここにあるキングサイズのベットは至って普通のベットで、サイドに落下防止の柵などない。

 実家のベットはシングルサイズでここにあるものよりさらに小さいサイズのものだ。どう考えても杏樹の寝相だと落ちていたはずだ。


「え、亮介さんのベット、柵付いてたよ」

 床は冷えるのかベットに上がって正座した杏樹の言葉に亮介は確信した。

「アン、悲報だ。間違いなくお前は寝相が悪い」


「なんで!?」

「俺のベットには本来柵は付いていなかった。もしアンが使用する時には柵が付いていたなら、一果が用意して付けたものだろう。寝相がいいなら付けてないし、そもそもずっと一緒に寝てただろう。俺の部屋に追いやったなら間違いなくアンの寝相の悪さに一果が寝室を分けたんだ」


 ガーン!!なんだって!!

 し、知らなかった。私って寝相悪かったんだ・・・。

 意気消沈する杏樹に亮介は、その辺のこときちんと言ってやればいいのに、なんで一果は黙ってたんだと疑問に思ったが杏樹の落ち込み具合に小さく息を吐きながら身を起こした。


「ベット買う前でよかったな。傾向と対策だ。寝相が悪いと分かったなら今日柵つきのベットを買えばいい。ただそれだけだ」

 すると杏樹は正座したまま深々とお辞儀した。


「重ね重ね申し訳ございません」

 その時、杏樹の腕時計がブルブルと振動し止める姿を見た亮介は時間を見て首を傾げた。

「もう起きるのか?」


「うん、朝ごはん作らないとね」

 ベットの棚に置いてある目覚まし時計は朝五時半を指していた。

「随分早いな」


「そうでもないよ。叔母さんと一緒に住んでいた時からこの時間から起きて作ってたから」

 向きを変えてベットから降りる杏樹を見て亮介は「そうか」と言うとベットから降りた。


「亮介さんはまだ寝てていいよ。時間になったら起こすよ」

 慌てて杏樹がそう言えば、亮介は首を振った。


「いや、俺もこれくらいの時間からいつも起きてジョギングしてるんだ」

「そうなの?」


「ああ、隣の部屋に一果が置いて行った私服が一着あるからそれに着替えるといい。俺も着替えて外に行って来るよ」

 部屋の出入り口に向かい扉に手をかけて杏樹は笑った。

「分かった。帰って来るまでに朝食作っておくね」


「三田家直伝の味噌汁か。楽しみにしてるよ」

 OK!という声と共に部屋を出て行った杏樹に本当に無邪気な子供のようだと肩をすくめた亮介は部屋続きになっているファミリークローゼットに移動した。

 そこからジャージに着替え、身支度を整えてから家を飛び出しまだ薄暗いニューヨークの街中を走り始めた。


 その間、杏樹は一果にしては珍しい普段着ないような服を拝借し、ダイニングに立った。

 引越し祝いで一人暮らしセットなるものを頂いたのか、真新しいまな板と包丁。小鍋類がまだ包装された状態で発見し、それらを中から取り出し洗うところから始めた。


 本当に家事を一切してなかったんだな、あの魔王は。

 自己管理も社会人の(たしな)みと行っていた叔母とは違う亮介にただただ意外だと思った。


 聞いていたなんでも完璧にこなす三田亮介とかけ離れた姿に人間味を感じ、不得手があることにより杏樹は自分が勝手にハードルを上げて嫉妬し、ライバル心を燃やしていたことに反省した。 

 いくら勉強ができて賢い人でも生活力ゼロなら恐るるに足らず。

 今後はお互い尊重し合うような関係になれたらいいなと思った。


 鍋類一式洗い終わった後、布巾がない!と脱衣場からタオルを拝借したが、新品なのかどうしても毛羽立ちが付着する。

 これは買う物が思ったより多くなりそうだとスマホに電源を入れ、今は見たくないものを脳内で排除しながら買い物リストを作り、黙々と作業を行なった。


 小鍋の外側だけタオルで水滴を拭き、味噌汁の具材を切ると鍋に投入し、水を追加して火にかけた。

 その間グリルに魚を入れ火にかけ、後に冷凍ほうれん草をボールに移しレンジで温める。


 灰汁(あく)を出さない為に弱火と中火の中間で少しずつ熱せられる小鍋を注意しながら、スマホを持ってリビング端の全面ガラス張りの窓に近づいた。

 五十階に存在するこの住居から見える道路はまるでおもちゃのように小さく、朝早いこともあって薄暗い関係で人など判別がつかないほどだった。


 水平線の向こう側が少し明るくなり始めている光景は美しく、今まで見たこともない景観に現実味がないと、大きな窓ガラスに寄りかかった。


 手元にある携帯が振動し光ったのを視界に捉え、画面を確認して眉間に皺が寄った。

 ホームステイ先の夫人にしては珍しく、こんな時間に起きてメールを送ってきたようだ。


 昨日帰らない旨を伝えた後も鬼のように連絡が入っていた。

 正直煩わしさを理由に昨日のように電源を落とし続けることは可能だが、そうなると友達や叔母、何より一果からの連絡を取り損ねる。

 いっそ新しいスマホを買って親しい人にだけ連絡先を教えた方が楽なんだが、先立つものがない(泣)


 このスマホも叔母が買ってくれたもので、出世払いでお願いしたものだ。

 今まで自分で稼いで買ったものなど、どこにも存在しない。


 どこにいても私はお荷物だ。だからこそその存在価値を自分自身でいち早く示し、自立しなければならないと焦りだけが先に立つ。

 学生である身が恨めしいと身動きが取れない現状に苛立つ。

 

 自分に力がないから周りが小さな存在の私を取り込み利用しようとする。

 

 一族の力が大きすぎる故に遠い親族が、そして今度はホームステイ先の人間が世話をする代わりに対価を期待し囲い込もうとしている。

 すでに成人していてもまだまだその存在感が小さく影響力がない杏樹はそういった者達からすると利用しやすい駒にしか見えないのだろう。


 (わずら)わしい。


 すでにあの家を出て相続権も親子の縁も破棄したにも関わらず、干渉してくるあの一族に嫌悪感が増す。

 その事実を知らないのか、さらに取り込もうとするホームステイ先の人間は滑稽だが、叔母は私を本当の娘のように可愛がってくれている。


 ホームステイ先の相手から預けた私に良くしてもらえるためなら、更なる要求を飲むくらいはしそうな人なのだ。 


 叔母は若い時分から一族の力を借りずに、一人どこまでできるのかと大学卒業後に一人渡米した人だった。

 加賀見の異端児と言われながら自由にして来た叔母は、私が知る限り加賀見に背を向け常に一族の言い分にNOを突きつけながら生きて来た。


 それなのにそれまで自分が立ち上げた仕事に従事していた叔母が数年前から加賀見の事業を手伝っている。

 

 恐らく私がアメリカ行きを決めた時に叔母は祖父となんらかの取引をしたのだろう。

 

 病室で仕事をしていた祖父はある時かかってきた電話に、『良い取引が出来た』と、上機嫌で言っていたそうだ。

 叔母が加賀見に戻り事業を手伝うことを確約させ、安心したのか数カ月後にこの世を去った。

 祖父の秘書だった人からの話と、家政婦からの話を統合すると見えてきた情景だった。


 いつか叔母に聞いたことがある。私のせいで加賀見に戻ったのかと。

 叔母は父(祖父)との約束だった。自由を謳歌する時間が終わっただけだと言っていたが、私に気を遣ってそう言ったのだと思うと居た堪れなかった。


 叔母はそれでも、私がもっと自由になれるならこの時間も悪くないと、どういう意味かは分からないが数年で戻って来ると言って日本に帰って行った。


 あそこは狸が多い場所だ。いかに自分が優位に上に行けるか、人の足を平気で引っ張り合うようなところだ。

 これまで自由気ままにしてきた叔母がいくら正当な血筋とはいえ、戻って来てすぐにトップの座に座ることを気に入らないと敵視する者が多いのは目に見えている。


 敵だらけの中、今叔母は一人、加賀見を立て直すためにここアメリカを離れた。

 勢力争いが激化する中、誰が味方かも分からない中で私が今下手に動くことは叔母の足を引っ張ることにも成り兼ねない。

 ホームステイ先の人間も信用がないのもそうだが、あの家の主人が加賀見の関連会社に勤めているのも気になっている。


 もしかするとあの人たちは叔母へ見返りを求めているのではなく敵対する派閥に取り込まれていて、私を抱き込むことで何かしらの見返りを提示されているとしたら、ストーカー野郎はともかくその親が躍起になって私の一挙手一投足を気にし始めたのなら辻褄が合う。


 だからこそあの人たちよりも先に叔母と連絡を取りたいのだが返信がない。 


 二週間前には現状を伝えたにも関わらず音沙汰がないのもあの叔母からするとおかしい。

 日本での仕事に変わるタイミングで叔母には、連絡は取りにくくはなるがここに連絡してくれれば必ず返信するからと秘書となった人のアドレスを渡された。

 しかし三度送ったメール共に無視されているところを見ると、その秘書も敵対派閥の人間側と見て間違いないだろう。


 このまま正攻法で連絡を取ろうとしても叔母には辿り着けない。やり方を変えるか・・・。

 叔母と最も近く、叔母が残した事業を引き継いだ人を思い浮かべ、近いうちにその人に連絡しようとスマホをスカートのポケットに戻しキッチンに戻った。


 沸々とお湯が沸き味噌汁の具も火が通ったようだ。

 ここからが一般とは違う三田家のお味噌汁。冷蔵庫から豆乳を取り出し、吹きこぼれる前にお玉一杯分の豆乳を鍋に投入させる。

 また沸騰するまでの間にグリルから魚を取り出しお皿に乗せ、レンジで温められたほうれん草を取り出し、出汁と醤油で味付けし胡麻をふって胡麻和えを作る。

 小鍋の湯が再度沸騰したところで火から下ろし、出汁を加えた後に冷凍庫から味噌を取り出し適量お玉で(すく)うと小鍋の中で味噌を解いたら完成だ。



 ちょうどその時に玄関が開く音が聞こえリビングの時計を確認した。

 時計はもうすぐ七時を指しており、八時までには大学に行く予定だった杏樹は慌てた。


「ただいま。いい匂いだな」

 リビングに入って来た亮介に言われて、杏樹は急いでサ○ウのご飯をレンジに入れ込んだ。

「ごめん亮ちゃん八時までに大学行きたいから先に食べるね」


「行くなら車で送るぞ」

 昨日徒歩で帰宅した亮介には車は所持していないと思っていた杏樹は、その言葉に一瞬フリーズした。

「・・・・車?持ってるの?」


「ああ、大学はそんなに遠くないし、今日は午後から半休使って買い出しだろう。どのみち今日は車で出勤する予定だったから送って行こう」

 まじで!超助かる!!


「そうすれば出る時間に余裕も生まれるから、急がなくて良いだろう」

「うん!ゆっくり食事して片付けても余裕あるかも」

 片付けは食洗機に突っ込むだけだからそこは大して時間は取られないが、早食いしなくて良くなったのは大変ありがたい!


「俺も着替えたら食事にしたいから二人分用意しててくれ」

「はーい」

 地下鉄利用するとなると食事する時間がないと思ってたから超ラッキーだ。

 それぞれの食事を盛りご飯も温まり、お茶をセットする頃には亮介も会社スタイルに変身していた。


 くそー。元々素材が良いだけにスーツ姿って何割増しにイケメン度上がるんだ。

 おこちゃまにはまだ早い領域に見てはいけない気になって目を逸らす。


 揃ってダイニングテーブルに座り三田家恒例の「「頂きます」」合掌して、食事タイムに入る。

 亮介が味噌汁から手を伸ばすのを見て杏樹は緊張した。

 ちゃんと再現できているのか、不安になったが一口味噌汁を口に含んだ亮介が一瞬大きく目を見張りその後フワッと雰囲気が和らいだ事に気が付いた。


「どう?」

「うん、うちの味だ」

 良かった。口に合ったようで安堵した杏樹もお味噌汁を口に含んだ。

 その間に亮介は胡麻和えに手を出し、驚いた。


「もしかして料理はうちの母さんから全て習ったのか?」

「うん、そうだよ。それまで私に料理を教えてくれる人なんていなかったからね。家庭での行いや家事のほとんどは三田のご両親と一果に教わったよ」


「・・・・そうか。楽しかったか?」

「もちろん!私にとって一番充実した日々だったよ」

「それならよかった」


 そんな他愛ない会話をしながら食事をし、同じ焼き魚をつついているとまたスマホが振動した。

 またか、と思う気持ちと大学の親友からの連絡なら無視するのも悪いと画面を確認して、先ほどと同じ人物からの連絡にげんなりする。


 その様子に怪訝な表情で亮介が聞いてきた。

「どうした?」

「例のホームステイ先の母親からの連絡。昨日から凄い量のメールと電話の数にドン引きだわ」

「昨日連絡しておいたのか?」


「一応ね。友達の家に泊まるって言っておいたんだけど、その後の返信がしつこくて。どこの誰の家に泊まるのか、相手の家に迷惑になるから迎えに行くので場所を教えろ、明日は帰って来るのか、インターンシップ先はどこの企業なのか。尋問かってくらいしつこいの」


 そんな話をしている最中にもスマホが振動する。

 振動が止まらないところを見ると電話して来たようだ。

 ゲ!!


 汚いものでもあるようにスマホから体を遠ざけた杏樹とは裏腹に、亮介はそのスマホを腕を伸ばし取ると画面を見て、電源を落とした。

「もしかして学校に早めに行くのも待ち伏せされないためか?」


「うん」

 その通り。見知った所での待ち伏せ程、捕まえやすいものはない。

 そうなればストーカー男共々、一緒になって学校に来ることも考慮して早めに行こうと思っていた。

 学校にさえ着けば、匿ってくれる人も守ってくれる人もいるため一人で悩まずに済むから。


 亮介が何か考え事をしているのかテーブルの上でトントンと人差し指で叩く音が響いたが、まとまったのかその音が止んだ。

「当分俺がアンの送り迎えするか」


「・・・それは有り難いけど仕事は大丈夫?」

「大丈夫だろう」

 その根拠はどこから来るの?

 後になってやっぱり無理とか言われても困るんですけど!?


 だが、どういうわけかその後も亮介の送り迎えは確実に実行され、大手ゼネコンなのにどんだけ自由なんだと驚くことになるのはもう少し先のお話。

 

 食事を済ませた二人は亮介同伴ということもあり、予定より少し遅めの八時半に家を出た。

 車を取って来ると地下に向かう亮介とエレベーターで別れた杏樹はエントランスを出て、指定された車が回されるロータリーがある右手方向に足を向けた。

 

 待ち合わせ場所から少し離れた花壇で、昨日エントランスで会ったコンシェルジュがお花に水やりをしながら土いじりしているのを、杏樹は視界に捉えた。


 亮介が車で出て来るまでに少し時間があるかと思い、杏樹はそのコンシェルジュに自分から近づいた。

「朝から精が出ますね」


 その声がするまで後に人がいた事に気が付かなかったコンシェルジュの老人は驚き振り返ったが、それが杏樹と分かるとさらに驚いた表情になった。

「改めまして加賀美杏樹と申します」

 にっこり笑った後に確信を持ってさらに挨拶をした。


「始めましてですね。橘グループ総裁、橘修三さん」

 その言葉に開きかけた口を一瞬閉じた老人はニヒルな笑みを浮かべた。


「何だつまらん。亮介の奴、もうわしの正体を(あか)したのか」

 ふん!とそっぽ向いた老人に亡くなった祖父を思い出し笑いが漏れた。


「いいえ、彼は会長とは言いませんでした。元会社のOBであり、社長に最も近い人。としか教えてくれませんでしたよ」

 杏樹のその言葉を聞いて、老人はジッと杏樹の顔を見た。


「それでわしを会長だと何故思った?」

 うーんと悩む仕草をした杏樹は持論を展開した。


「インターンとして参加する以上、その企業のことを知ろうと思って少し調べたんです。その上でまずあの亮介さんが敬語を使う程のOB。そして社長に最も近い人という単語。橘グループで最近社長周辺で引退した大物は二人だけです。ですが一人は退所後すぐに日本に帰国しその方は現在アメリカにはいない。と、すれば残るは会長一人だけです。違いましたか?」

 確信を持って笑顔で言う杏樹に、老人は大声で笑った。


「流石玲香ちゃんの姪っ子じゃな!」

「はい!叔母さんからも会長の話はよく聞いていたので、お会い出来て嬉しいです」

「なんじゃ悪口でも言っとたか?」


「いいえ、自分が自分らしくあれたのは修三さんのおかげなんだってよく言ってました」

「・・・大げさな。しかし君は認めるんじゃな。加賀美玲香の姪だと」

 その言葉に逆に驚いたのは杏樹だった。


「会長さんのことだから昨日の今日ですでに私のことは調べがついてると思ってたんですけど、予想が外れましたか?」

 確信を突かれた会長はまた笑った。

「隠し事が出来んのう」


「そんな風に思われるのは不本意です。出来れば叔母と同じように接してもらえると嬉しいです」

「そうか?それならわしのことは修三さんと呼んでくれんか?」

「良いんですか!?それでは私のことは杏樹とお呼び下さい」


「それだと亮介に怒られそうじゃわい。杏樹ちゃんと呼ばせてもらおうかのぅ。君の叔母さんのことも玲香ちゃんと呼んんどるしのぅ」

 そんな会話をしていると、地下から車が一台出て来たのを会長がいち早く気付き杏樹に伝えた。


「ナイトのお出ましの様じゃな」

 会長が顔を向けた方向に杏樹も視線をやると、車に乗った亮介が指定された位置に停まって軽く手をあげて来た。

 杏樹が会長に一礼してその場を離れようとした時、相手から質問された。


「今から学校かい?」

「はい。最近私の周りでストーカー騒ぎが起きていて物騒なので、亮ちゃんに送ってもらうんです」

「そうか。気をつけて行って来なさい」


「はい、言って参ります」

 いい笑顔で亮介の車に走って行く杏樹を見て、会長は走り去るまで手を振り続けたが、頭は昨日のことを思い出していた。

 

 昨日亮介と対峙し早々に逃げられた直後、亮介と最も親しい上司と入居してきた社員と顔を合わせた。

 相手(達)は自分が会長と知るや否や「何してんすか」と(おのの)かれたがこっちはそれどこではない。

 今亮介が女の子と一緒にいたかと聞かれ、面倒で「婚約者だそうだ」と言うとコンシェルジュの待機場所の事務室に入り込んだ。


 話を聞いた三人が慌ててエレベーターに乗って追いかけていたようだが、少しは意趣返しできたかと溜飲が下がったように感じたのは一瞬で不安が先に立ち、急いで秘書に連絡した。


 我が社の起爆剤とも言える三田亮介。あの男のポテンシャルは今までの従業員とは違いその傑物ぶりは一線を画している。

 あれのモチベーション一つで企業の業績が上がる。その逆もまた然り。

 今まではマイナス方向に動いたことはないが付き合った女の良し悪しで、もし弄ばれて捨てられでもしたらうちは傾くどころか潰れる勢いが情景に浮かび震えた。


 それ故にちらりと見かけた婚約者と言われた彼女は、人の目を惹きつける魅力を持った女性だと分かると会長は慄いた。

 亮介本人に確認しようとしたがはぐらかされた。


 この一年あいつに思い人ができたことは知っていたが頑なに口を割らないことに、こいつ仮想恋愛でもしてんのかと軽く考えていたがどうも違ったらしい。

 あの亮介がナイトさながら女を守る姿をこの目で見ることになろうとは。


 不安と苛立ちから電話になかなか出ない秘書に苛立ちだけが向かった。何度か鳴ったベル音の後、秘書が出た。

『はい、篠宮(しのみや)です』

「おっそいぞ!篠宮!!」


 普段であるなら電話を放置したと怒鳴られることのないレベルの対応時間だったが、今の会長は機嫌が悪かった。

『申し訳ございません会長!!』

 電話口で直立不動になった若い秘書が目に浮かんだ。


「今どこにおる!」

『え、本社ですけど。会長こそ今どこですか?城田さん(私生活での身の回りのお世話をする人)から会長が帰ってこないと嘆かれてましたよ』

「あ?わしか。わしは例のタワマンでコンシェルジュしとった」


『何やってるんですか!?あなたがするようなことではないでしょう!』

 今すぐ辞めてください!と吠える秘書を無視し会長は要件を口にした。


「君の意見は聞いとらんよ。それより今、くそ面白くもないものを見た。悪いが今日の三田亮介のスケジュールはどうなっとった?」

『亮介氏・・・ですか。珍しく定時後に帰宅されてますよ。他の女性社員がいつの間にかいなくなってたって大騒ぎしてましたから』


 残業命とでも言う勢いの亮介がやっぱり今日は早めに帰宅していた。仕事より女を優先するなんて、凶事の起こる前触れじゃなかろうな(汗)

『ああ、それと面接官を外されたはずの亮介氏でしたが、本日真吾様の意向でインターン生の面接を行なっています』


「何?」

 就職するために面接に来た女学生が亮介の外見に惚れて、本来の目的を忘れて面接官を追いかけ回す事例が多発し上層部から問題視されたことで彼を面接官から外させたのは会長がまだ任期中のことで記憶に新しい。

 なのに面接を行なった?しかも真吾の意向で?


 会長は橘一族の中で一番の切れ者である分家の末っ子を思い出し、冷や汗が出た。

「真吾が送ってきたインターン生とはどんな子だ」


『あ、会長も気になります?私も気になって人事部に寄ったところなんですけど、これが驚いたことに、亮介氏と遜色ない学歴と生活態度のようで、今も人事部では蜂の巣突いた勢いでテンション爆上がりなんですよ』

 ほう。そんな子がいるのか。


「どんな学生だ」

『それが亮介氏が面接したって言うで男子学生かと思ったら女子学生だったんですよ。名前は加賀見杏樹。現在二学生ですが早期履修予定になっているので期待できる新人ですよ。しかも履歴書に貼られた証明写真に写るその姿の美しいこと』

 加賀見杏樹?


『・・・・彼女は加賀見杏樹。俺の・・・・・・・・・・・・・・婚約者です』

 先ほど亮介から聞いたあいつの女の名前じゃないか!?


「篠宮!その名前に間違いはないか!」

『え?あ、はい。加賀見杏樹と記載されてますが・・・何か問題が?』

 大有りじゃ!


「真吾からの要望でその学生の面接官に亮介を指名した!間違い無いんじゃな!」

『はい、そうです。ただその面接には副代表もおられたようですが』


「圭吾はどうでもええ」

 真吾の兄で亮介を学生の頃から面倒を見てきた圭吾なら何か事情は知っていそうだが、真吾の方があの女学生のことはよく知っているだろうし、このタイミングで彼女をこっちに寄越した理由があるはず。


「分かった。あとのことはいい。今日はもう君は下がりなさい。明日の早い時間にまた連絡する」

『畏まりました。ではお先に失礼させて頂きます』

「ああ、お疲れさん」

 電話を切った後、事務所の椅子にどかりと座ったご老人は、橘の切れ者に電話をかけた。

 

 橘真吾。橘の分家に当たる会長の弟の末息子。

 橘のほとんどの人間が橘が経営するグループ会社で勤務する中、一番の切れ者はその期待を裏切り大学の教授の椅子に収まった。

 給料も比較にならないほど低く不規則な仕事は割に合わないと思うが、頭が良すぎて何を考えているのか分からんあいつは探究心をただぶつけられればそれで良い。そのために不健康になって死んでも気にしないといった趣旨のことを口走る変態だった。


 電話を掛けながらそんなことを考えていると、真吾と繋がった。

『はいはーい、こちら真吾でっす』

 ふざけた出方に会長は頭に怒りマークを出しながら返答する。


「はい、は1回じゃ!」

『本家のじー様が何ようで?』

「お前のじー様になった覚えはないわ。正確には叔父様じゃろうが」


『天下の橘総帥が細かい事気にしないでくださいよ』

「減らず口を!」

『それで?私に直接連絡してくるなんて二度目ですね。一度目は三田くんをそちらにインターン生として送り込んだ以来ですかね』


「その事じゃ、今回もお前さんが学生を送ってきたと聞いた。あの子は大丈夫なんじゃろうな」

『・・・・どう言う意味です?それより情報が早いですね。引退したとはいえその情報収集能力は衰えていないと言う事ですか。彼女のことはどうやってお知りになったんです?』


「質問が多いのぉ。今日たまたま新しく建ったタワマンの入居状況を確認しておこうとコンシェルジュに扮して潜伏しとったんじゃよ」

 ブッ!という笑い声の後、ギャハハハと笑い声が電話向こうから聞こえてきた。


『天下の総裁がコンシェルジュ!本気で言ってます!嘘でしょう!!』

 電話向こうで机をバンバン叩きながら笑って言う甥に会長はイラついた。


「引退して時間は有り余っとるんじゃ。何をしようが勝手じゃろうが!」

『確かに』

 ギャーハハハハハとまだ笑い続ける真吾に「おい」と苦言を呈すと『ああ、すいません』となんとか笑い声は無くなった。


「そこで亮介に会った。しかもインターン生として面接に来た女の子を連れてな」

『ん?』

「お前が今回インターン生として送り込んだ子じゃが、あの子は本当に大丈夫なんじゃろうな」


『・・・・会長の言う彼女の大丈夫とはそのポテンシャルのことではなく、人柄の話ですか?』

「当然じゃろう、あの亮介の思い人と分かって放ってはおけんじゃろうが」


『彼女は大丈夫ですよ、あんな成りしていますが育った環境のせいか根がまだ成長できていないお子様のままで臆病なんですよ。しかもあの加賀見玲香氏が後継となって育てた子ですから、おかしな育て方にはなっていないでしょう』

「何?加賀見玲香じゃと?」

 見知った相手の名前が出てきて会長は驚いた。


『ええ、会長もよくご存知のあの玲香氏ですよ』

「彼女が玲香ちゃんが後継しておる娘じゃと!」

 加賀見玲香は日本にいる時から何かと縁がありお世話をしてきた子だった。もちろん姪を引き取ろうと思うという話も聞いていた。だがその姪は・・・。


『そうですよ。玲香氏本人からも様子をよく見ておいてほしいと直接頼まれましたから間違いありません』

「ちょっと待て。玲香ちゃんが後継した子って・・・・」

『ええ、加賀見政行。加賀見の風雲児と言われた男の娘ですよ』


 加賀見政行。加賀見玲香の実の弟で、その頭の良さは真吾にも引けを取らない。

 真吾が昔から憧れ、彼のように成りたいと勉学を頑張ったきっかけにもなった男。


 江戸時代から続く老舗一族の直系跡取りで、前社長だった加賀見重蔵の前の代で衰退した会社を、学生の身分で材質を全く違うものに替え、代替え品を模索し作ったことで一躍マーケット市場でバカ売れさせた。

 潰れかけた会社を一瞬で建て直したまさに風雲児。


『風雲児の娘には、経済界の間で呼ばれたあだ名がありましたよね。確か、“霞姫(かすみひめ)“』







次回も金曜日にUP予定です。




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