五、自縄自縛
毎週金曜日投稿作品です。
最初に均衡を破ったのはコンシェルジュの方だった。
「寂しいねぇ。私には紹介してくれないのかい?」
フォーマルスーツを身に纏った老紳士は、目の前を移動して行った杏樹の後ろ姿に視線を送りながら言った。
その言葉に亮介は、右手を額に当て唸るように声を出した。
「なぜあなたがここに?何をしてるんですか」
最後呆れて言えば、初老の人物は嬉しそうに笑った。
「何、趣味みたいなもんさ。しかし質問に質問で返すなんて君らしくないなぁ。亮介くん」
コンシェルジュにしては威厳のある声ではっきり告げると亮介はこれ以上誤魔化すのは得策ではないと判断した。
亮介は内心焦っていた。表情が動かないことがこれほどありがたいと思ったことはない程に。
「・・・・彼女は加賀見杏樹。俺の・・・・・・・・・・・・・・婚約者です」
亮介から離れた場所で待機していた杏樹はエレベーター前で、あまりに重たいぺットボトルの袋だけ床に下ろし、エレベーターの上昇ボタンを押してから、壁に向かい合ってじっとしていた。
コンシェルジュと視線を交わさないためだ。亮介のように自分も質問されたらことだと判断したためだった。
そんな中、コンシェルジュの問いに対し応えた亮介の“婚約者“という言葉に杏樹は慄いた。
今あの人、何つった!?偽装恋愛だったはずなのに偽装婚約に勝手に格上げされ真っ青になった。
どういうこと!?あとで締め上げる!
顔色が青くなったり怒りで赤くなったりと忙しい杏樹とは裏腹に、亮介はこれ以上の最善はなかったと開き直った。
「ほう、ついにその指輪の相手を公開することにしたのかい?」
「今でも公開するつもりはありませんでしたよ。あなたが勝手にここにいたために不本意な形で会わせる羽目になったんでしょう」
「会わなかったら隠し通す気だったのかい?私と君はそんな薄情な関係ではないと持っていたんだけどねぇ」
「全てを曝け出すような関係でもなかったはずです。あえて言わせて頂くなら彼女まだ学生なんです。結婚は彼女が卒業してからなので、当分先の話です」
「つまりこの先の人生で何があるかわからない。二人が別れる可能性も否定できないために隠し通すと」
「・・・・・先のことは未知数ですから」
「そんな君が隠したがった相手をわざわざここに連れてきた理由はなんだい?」
「詳しい話は後日説明しますので、今日はこのまま下がらせて頂きます」
一歩も引かない亮介を見て、彼の性格をよく知っている老人は肩をすくめてみせた。
「・・・・そうだね。彼女を待たせるのも悪い。今日はこの辺で勘弁してあげよう」
「失礼します」
移動してくる亮介の気配を感じ振り返った杏樹は偽装らしく笑った。会えて嬉しいわ〜。さっきの言葉の意味早く知りたいし(怒)
亮介は床にあるビニール袋と杏樹が持っていた荷物も合わせて持つと、丁度ポンと鳴り降りてきたエレベーターに乗り込むと杏樹を連れてその場を速足で離れた。
「アン、話は降りてからだ」
その理由は杏樹もわかっていた。
最新のエレベーターは録画機能には音声が載る。ここで不用意な会話はマイナスだ。
杏樹は小さく頷き「やっぱり冷るねぇ」など他愛もない会話をして六十二階建ての五十階にあっという間に着き、降り立った。
二人共落ち着きなく歩幅を大きく歩き出す。亮介が持っていた荷物からガッサガサ音を立てていたがそれどころではない二人は気にする余裕はなかった。
「亮ちゃんどういうこと!?」
詰め寄る杏樹に亮介も眉が下がる。
「落ち着け。説明するから。さっきも言った通りこのマンションのコンセプトとしてファミリー層に向けたものだと言っただろう。その上で見つからなけれ住むには問題ないから大丈夫と言ったものの、あそこであの人に会うとは思わなかった。最悪だ」
「どちら様で?」
「すでに引退された謂わばOBだ。だが、問題なのはあの人が社長に最も近い人物ということだ」
つまり整理すると、亮介がここに引っ越せたのは指輪の存在があったことで婚約もあり得る相手がいるだろうと判断されために、ファミリー向けのマンションであるにも関わらず一室を借りられることになった。
一般定義としてファミリー層をターゲットにしている以上、一緒に住む相手は入籍した者、またはそれに準ずる婚約者やその家族でなければならない。婚約も決まっていない恋人(仮)はその定義から外れるため一緒に暮らすことは問題に発展する可能性がある。
そのため彼は一緒にいた私を婚約者だと紹介したということ?
あの老人を通して社長の耳に入るのは時間の問題ならその行動にも説明が付く。しかしだ。
「恋愛でも自信ないのに婚約ってどうするの?私みたいな冴えない相手じゃ誰も信じないよ?」
杏樹の言葉に亮介は足を止め、彼女に鋭い視線を送った。
「誰がアンのことを冴えない女なんて言ったんだ」
「誰も言ってないけど私がそう思ってるだけよ」
ここでも自己肯定感低めの発言が杏樹から飛び出し、亮介はやれやれを息を吐いた。
「なら考えを改めろ。少なくとも俺に取ったら他の女より十分信頼に値する。自信を持て」
同じような話の件を一果としたことはあるが、亮介に言われると異性ということもあるのか、彼が私で良いと言うのなら問題になることはないし大丈夫か、となぜかすんなりと受け入れられた。
「亮ちゃんがそういうなら」
話に夢中で気が付かなかったが、五十階フロアを見まわして杏樹は驚いた。
一階層中央に透明板に囲まれたシースルーの上下に移動出来る階段が備え付けられており、よく見ると緊急時には防火シャッターが下りるようになっているのか、外付けで付けられていた。標準装備なら各階にも付けられているだろう。
少し前に他国で高層マンションの火災が報道で取り上げられていたが、そういう意味ではこのタワーマンションは火災が起きた場合、他階には被害が起きない様に対策が取られていた。
シャッターを下ろせばこの中央の階段部分は完全隔離され、見渡しができる分どの階で火災が発生しているかも避難時に確認出来るシステムの様で、この透明板も防火ボードかと感心した。
フロアの左右と真正面にプライベート空間を演出しているのか門扉がそれぞれお出迎えしていた。従業員スペースとなる四十階から上は全てこれと同じ作りと考えていいのだろう。亮介はそのうち真正面の門扉に近づき取手を持って捻って引開けた。
「どっちにしろ、アンの負担は増えることになるから明日の買い出しは奮発しないとな」
ま!太っ腹亮介さん!
キラキラした眼差しで亮介を見ていたその時、自分たちが乗ってきたエレベーターとは違うもう一つのエレベーターが五十階に到着しポンと言う音が鳴り響いた。
二人は驚き警戒して、音のした後方を振り返った。
この階は亮介以外に住む予定の人間が決まっていない以上、本来は用のある者はいないのに、この階にわざわざ来ようとしている者がいる。
警戒MAXで二人が見つめる中、エレベーターの扉が通常通りのスピードで開き始めた。
だが、その中にいた人物は開き切るのが待ちきれなかったのか扉に手をかけ「亮介!!」と責めるような声色が聞こえ、杏樹は飛び上がる程驚き、亮介の背中に隠れた。
扉が全開する直前になだれ込むように降り立ったのは三人の男性だった。
勢いで亮介の背中に隠れた杏樹は誰だ?と、亮介の腕を少し横に移動させその隙間から降り立った者たちを見た。
先頭にいた人はおそらく日本人だろう。物凄い形相で何故か息が切らして亮介を見ていた。
もう一人は韓国人かな?落ち着いた様子だが申し訳ないと思っているのか顔面前で片手で合掌するように掲げていた。もう片方の手にはビジネス鞄と小さな黒ビニール袋を下げており、どうやら先ほど杏樹達が買い物をしていた場所で少量の買い物をした後なのだろう。袋についていたスーパーのマークが一緒だった。
そしてもう一人も日本人だと思うが、何故か今にも泣きそうな表情で亮介を見ていた。
「亮ちゃん誰?」
杏樹の小声に「面倒なことになった」と言い舌打ちすると、持っていた荷物を門扉の中に入れ、これ以上は前に出るなと言わんばかりに右手を後ろに伸ばし杏樹を牽制した。そして降り立った男性達から完全に杏樹の姿を隠した。
「ここには何の用ですか先輩方」
魔王顔で言う亮介に杏樹は慄いた。
相手は会社の先輩でしょう!そんな口の利き方していいの!!
「お前に用がなくてここまで来るか!」
先頭にいた人が吠える。
普通に日本語で話しているのでこの人は日本人確定だ。杏樹はその状況から情報収集していく。
「急ぎでないなら明日職場で済ませれば良いでしょう」
「アホか!いつも残業しているお前がアフターとはいえ予定のない外出をしてそのまま直帰したと聞いたら何かあると思うのが普通だろうが!」
唾を飛ばす勢いで捲し立て亮介に指を指す相手に、魔王は相手するのも面倒くさかったが、その先を誘導した。
「・・・・・で?」
「で?じゃねー!俺は定時で上がって引っ越し業者来るのにここで受け取り作業してたんだよ。同期の松前にも荷解き手伝ってもらってたから腹ごしらえしてもう少し頑張ろうと思って外食して帰って来たんだよ」
三人の中で一番後にいて今にも泣きそうな表情をした人物が松前と言われた人のようで、何度も首を縦に振っていた。
「そうしたら帰り道で見慣れた背中を見かけたから話しかけようと思ったら隣に女の子がいるじゃないか!お前、ちゃんと相手がいたんなら教えてくれてもよかっただろう!見間違いかと思ってわざわざ会社に電話してお前がまだ社内にいるか確認したくらいなんだぞ!」
情報量が多いと目を丸くする杏樹の目の前のバリケードから「うるさい」とため息まじりの言葉が降ってきた。
ヒィェ!先輩にそんな・・・以下同文。
「うるさくさせてんのはお前だ!」
真っ赤な顔して抗議する人を前にしても、聞く耳を持つ気がないのか亮介は明後日の方向に向いて口を閉した。
いくら優秀でもその態度はまずいのでは??と杏樹の方が不安になった。
「うーん、やっぱりさっき見かけた亮介は見間違いじゃなかったんだね。スーパーの店内を駆ける人間がまさかうちのホープとは思いもしなかったから驚いたよ」
韓国人の人は少したどたどしいが日本語で話しかけてきた。
しかしその発言で無作法に店内を走る杏樹を追いかけた記憶がある亮介は額に手を置いて小さく唸った。
評判落としたの私のせいだな、すみません(汗)
「忘れて下さい」
「うーん、無理」
いい笑顔の韓国人男性を見た後、亮介は説得は無駄な時間だ思ったのか話の矛先を先頭の男性に変えた。
「先輩の住む階は一つ下ですよね。どうぞお帰り下さい」
「無理だねぇ。なにせあの亮介が女の子連れてるんだ。しかもエントランスであの人から情報が割れてんだ。その子と婚約してるんだろう。紹介してくれよ」
やっぱりそういう流れになるのか・・・。
亮ちゃんどうするの。とセーターを握りしめたが当の本人は悪気れる素振りも見せずに拒否した。
「嫌です」
・・・・・・・・・・。
それを言える亮介を格好いいと褒めるべきなのか、心臓に毛が生えた行いに慄けば良いのか杏樹はわからなかった。
「ふざけんな!お前が一年前からその指輪をしてたのは会社中の人間に知れ渡ってんだ。どんなに検索してもお前が無視を決め込むから、カモフラージュじゃねーのかって疑う女性社員の声は日に日に大きくなってたんだぞ!」
どうやら一果が言う通り嘘がバレる一歩手前だったようだ。真っ青になる杏樹とは違い亮介は内心バクバク心臓が跳ねる中、いつもの表情で視線を反らし腕組みした。
その時一番後ろにいた、今にも泣きそうな人が吠えた。
「そうだよ!絶対その指輪は見栄で付けてて相手なんていないと思ってたのに!同類だと思ってたのに!この裏切り者!!」
その言い分に、さすがのお仲間も眉間にシワを寄せて後方に顔を向けた。
シーンとするフロアの中、最初に声を発したのはお仲間最前列にいた人だ。
「お前と亮介じゃその行動理由は真逆だろう」
辛辣な言葉が言えて突っ込めるこの二人の関係性は、余程長く気心知れている仲らしい。
裏切り者と吠えた人物の顔立ちはインテリ系。細目の横長メガネをしてる関係で冷たい印象も受けるが、至って普通の男性だ。
イケメンの亮介が彼女いますアピールをするのと、彼が同じ事したなら確かに行動理由のベクトルの方向性は180°違うだろう。
亮介は面倒臭いとばかりに、先輩達を見ると魔王顔で口を開いた。
「帰って下さい」
「詳しい話は明日でもいいがせっかくこの場に居合わせてんだ。紹介だけしてくれよ」
お互い一歩も引かない状態で長い沈黙の中、助言したのは韓国人の人だった。
「亮介。こうなった章二がしつこいのお前も知ってるだろう。腹を括りなさい」
先頭にいる人は章司という名前らしい。
そして亮介を諭すような言い方で助言した韓国人の人は亮介より上の立場の人なのだろうと杏樹は判断した。
それにその言葉を聞いて亮介が組んでいた腕を少し緩ませたのを見た杏樹は、それでも紹介するか迷っているのだろうと気付いた。
確かに不確かな契約関係ゆえにむやみに他人と関り不用意に自分たちのことを話すべきではない。ボロが出て関係性を疑われても困るからだ。
しかしここで生活させてもらう以上、同じマンションに住みながら全く無視して過ごすには無理がある。何より今のようにその信念を貫いて好き勝手動くのは亮介の立場が悪くするだけだ。
嘘がバレる一歩手前の状況を鑑みてもある程度の情報開示をしておかないといくら姿を現した婚約者が現れてもそれ自体信憑性が疑われ兼ねない。それなら公開できるところを限定し誰もが困らない程度の付き合いをすれば、お互い首を絞める行為にはならないのでは?と考えた杏樹は亮介のセーターをクイっと二回引っ張った。
杏樹の存在を背中に感じながら振り返る亮介に「私なら大丈夫だよ」と言葉にした。
亮介は自分の不注意でややこしい事になった自覚があるだけに杏樹にその重荷を背負わせたと眉を下げた。
その表情が一果が困った時にする表情に似ていて、杏樹は思わず笑ってしまった。
杏樹の覚悟を知った亮介は、申し訳ないと頭を撫でると、その仕草も一果がよくする仕草の一つでやっぱり兄妹なのだと杏樹は改めて感じた。
そんな杏樹を背に庇ったまま亮介は、前を向き直して言い放った。
「紹介はしますが、顔を見たらすぐに帰って下さい」
「おい、せめてもう少し前で対面させろよ。ここからじゃ、はっきり顔も見れないだろう」
確かに。大きなマンションでこのフロアは一区画に三軒しか存在せず、杏樹達と先輩方はフロアの端と端に位置しており大まかにしか認識できない距離だ。
「見なくて結構ですよ」
「おい!」
二人の押し問答に終止符を打ったのは杏樹だった。良い加減部屋に入って落ち着きたかったからだ。
「亮ちゃん、私は大丈夫だからせめてそこにある観葉植物のところまで移動してもらったら?」
真正面の亮介宅から少し離れたところにスケルトンの階段の出入り口、両サイドに天井につく程の大きな観葉植物が置かれていた。
そこを指差していう杏樹に、亮介は額に手を当てて弱り切った声を出した。
「俺が大丈夫じゃないんだ」
どう言う意味!?
しかし一歩も引く気のない先輩の態度に下手すると、顔が引っ付きそうな程詰め寄り兼ねない章司の性格を知っている亮介はそれが妥協点かと、納得した。
「そこの観葉植物までなら近づいても良いですよ。ただしそこからは一歩も近づかないでくださいよ」
なんでそこまで牽制するんだ?
杏樹だけでなく先輩sも思ったが、亮介の気が変わる前にと移動する先輩をよそに亮介は左手を杏樹の前に差し出した。
杏樹もその手に左手を重ね、亮介の後ろから前に出て行った。
奇しくも亮介の左手と杏樹の左手が重なり二人の指に嵌められた指輪がその存在を誇示するように光っていた。
横三列になって観葉植物まで移動していた三人は亮介の後ろから現れた杏樹を見てその足を止めた。
幼さが残るその女性の美しい容姿に驚き頬を染めて魅入った。
「亮介さんがいつもお世話になっております。加賀見杏樹と申します。以後お見知りおきを」
一礼しにっこり笑えば三人はピシャ!と雷に逢ったように立ち尽くした。
その姿を見た亮介は約束は果たされたと言わんばかりに、繋いでいた左手を持ち上げ杏樹をクルリと半転させると背中を押した。
「荷物を持って先に中に入っててくれ」
え、もう良いの?
早く中に入りたかった杏樹はその言葉に素直に従い、鍵を預かると荷物を2回に分けて玄関内に搬入した。玄関先から少し顔を出して亮介に声をかけた。
「亮ちゃん早めに終わらせて帰って来てね」
ボロが出る前に!
そんな杏樹の言いたいことに気がついた亮介は軽く手を挙げて了承の意を示して返事した。
パタンと閉まる玄関扉の音がフロアに響く中、その音で正気を取り戻した三人はそれそれが吠えた。
「めっちゃ可愛いんですけど!」
「亮介が大事にするのも無理ないね。あれほどの女性とは思わなかったから正直驚いたよ」
「良い男には良い女が寄って来るのかよ!世の中不公平だ!!」
メガネインテリ男に限ってはそんなことを言いながら、ドサっと女座りになって床に転ぶと本気で泣いていた。
称賛と阿鼻叫喚が飛び交うそんな現状を見た亮介は、そら見たことかと眉間に青筋を立てた。
自己肯定感低めの杏樹は自分の魅力に気が付いていない。人前に出ればあれだけ人目を惹きつけておきながら無自覚に愛想を振り撒くから関心を持たれてしまう。
この数時間の付き合いだがそこに気が付いた亮介は出来るだけトラブルを避ける意味でも人の目につかないようにしたいのに、杏樹はそこに気が付いていない。
また面倒な事になったと前髪を上げれば、杏樹がいなくなったからか、近づいて大丈夫と思ったのか章司が亮介の目の前まで移動すると、興奮したように捲し立てた。
「なんで今まで紹介してくれなかったんだよ!あんな可愛い子と付き合ってたんなら教えてくれたってよかっただろう!」
無理に決まってんだろう。数時間前まで同じ指輪を持った相手がいるなんてお互い知らなかった関係だぞ。
そう思った亮介だったが、それを言うわけにはいかないとため息を吐いた。他の二人が近づいて来る中、嘘偽りない本心を口にした。
「今のお三方の反応見たらわかるでしょう。彼女はどうしたって目立つ。今でもストーカー騒ぎが起きるくらいだ。出来るならずっと隠しておきたいくらいなんですよ」
無自覚に愛想を振り撒き続ければ、勘違いしたストーカーは生産され続けるだろう。そうなったら契約している自分が大変な思いをするだけである。勘弁してくれと額に手を置いて俯けば、周りはそう思わなかったようだ。
亮介の言葉を独占欲と思い込んだ三人は意外だと言わんばかりの表情をしてイケメンの後輩を見た。
「こりゃ驚いた。あの亮介が女性にゾッコンとは」
韓国人上司に言われ、え?と思った亮介だったが章司も上司の言葉に同意するとばかりに頷いた。
「まさかあれほどの女性をモノにしているとは思わなかったから、今までしつこく検索して悪かったな。しかし知ったならお前の意見を尊重して見守ってやったぞ」
「お前ほどの人間でも不安に思う事があるんだな。そう考えたら付き合う相手は、身の丈に合った人を探そうと思うわ」
それぞれ言いたい放題だったが、この辺で部屋に引き上げても文句は言われないだろうと判断し、玄関側に体を向けた。
「彼女が待ってるんで下がらせてもらいますよ」
「おう、悪かったな。彼女にも謝罪しておいてくれ」
章司の言葉に、言いたいことだけは言おうと亮介は苦言を落とす。
「これ以上俺たちに絡んでこなければそれで良いです」
「冷てーな。会長も心配してたぞ」
その言葉に亮介は勢いよく振り返った。
「会長が?何を心配するんです」
「そりゃ今まで女性には興味なさそうにしてたお前が女性をここに連れて来たんだ。その相手がどんな人物か心配もするだろう」
「彼女は人を騙せるような狡猾な人間じゃないですよ」
「そうかもしれないが上層部からすればホープのお前が傷つくことがあった場合、仕事に支障が出るどころか会社が危うくなると気が気じゃないんだろう」
「俺が失恋ごときで我を忘れるとでも」
「今のお前がそれを言う?」
呆れた表情で言う章司の横で韓国人上司も苦笑いになる。
「上層部の心配は真実味が帯びてきたと俺も思ったけどね」
???
意味が分からず内心キョトンとしていた亮介に章司が補足した。
「まあ何が言いたいかって言ったら、彼女を逃すなってことだ」
「(今は)そんな気はありませんよ」
「それなら良い。会長には俺から助言しておいてやる。その代わり明日彼女との馴れ初め聞かせてもらうからな」
嘘だろう、絶対嫌だ。と向きを変えて門扉を通り抜けガシャン!と閉めるとインターホンを押した。
すぐに電子キーが開き、扉を開けると奥から杏樹が飛び出してきた。
「おかえり亮ちゃん。お話終わったの?」
「ああ、それより買ったものを整理してたのか」
「うん、それでこれはどこに仕舞ったら良い?」
「貸してみろ。それより疲れただろう。ソファで休んでろ」
「うん、ありがとう」
玄関ドアが閉まるまでの間に聞こえて来た二人の会話を聞いて、三人はお互いの顔を見合わせてポカンとした。
「あの亮介が女性に気遣うところを見ることになるとは」
「いまだに信じられないね。いつも張り詰めた表情で女性に対してしっかり線引きしている彼からは、想像も出来なかった姿だよ。この目で見たはずなのに今でも夢じゃないかと思ってしまう程驚いているよ」
「亮介といえど恋は盲目ってことでしょう。あれだけの女性を前にしたらどんな男でも夢心地になってもおかしくない」
インテリ男の言葉に二人は納得する他なかった。
「「確かに」」
その後三人は誰もが信じられないものを見たとドキドキしながらそれぞれの住居へと足を向けた。
玄関先で杏樹の出迎えに遭った亮介は、仕舞う場所が分からないと大きな菓子袋を持って出てきた杏樹に安堵の息を吐いた。
「大丈夫だった?」
杏樹の心配の言葉に「問題ない」と返事をし、頭を撫でながら玄関入って横に走る廊下の右手に進んだ。
左右にいくつかの扉はあるが今は廊下突き当たりの扉に用があると、そこまで移動し静かに開けた。その先には右手にダイニングの対面キッチン。目の前にはリビングが広がり、その先には高層タワーらしく全面ガラス張りの窓がありその奥には煌めく夜景が広がっていた。
「お味噌汁の具材は冷蔵庫に入れたんだけど、買い置きのお菓子はどこにしまったらいいか分からなくて」
杏樹の言葉に、がさりと音を立てる大きな袋を持っていた亮介はダイニングに行くとロータイプのキッチンボード上にある天井まである戸棚を開けると、そこにお菓子袋を入れた。
不満そうに見上げる杏樹に亮介は目元を緩めた。
「あえてアンが手に取れない場所に置いた。食べ過ぎ防止だ」
「食べたい時はどうしたら良いのよ」
「俺がいる時以外は食べれないと言うことだ」
「買った意味よ」
「こんなもの一人で食べてたらご飯なんて入らなくなるだろう」
「亮ちゃん口うるさい叔母さんみたい」
ムスッと言う杏樹の言葉に亮介は悲しくなり、頭をそっと撫でた。
本来そこは、口うるさいのは母親のはずだ。だが彼女の育った環境の中では躾を行ったのは叔母であったことが悲しかった。
「今日は疲れただろう。お風呂の準備するから先に入って横になった方がいい」
話を誤魔化されたと思った杏樹は唇を尖らせたが、心配してくれる気持ちを無視する訳にもいかずお礼を言った。
「ありがとう。でもその前に一つお願いがあるの」
「なんだ?」
「多分これから先、お互いが必要になるものだよ。持ってても邪魔にはならないから用意しておくのに越した事はないと思うの。亮ちゃんの協力が不可欠だから今のうちにしておきたくて」
亮介はなんのことかさっぱり分からなかったが、後に杏樹に言われて行動しておいてよかったと思うのは翌日のことだった。
その後お湯張りアラームが鳴り、先に入浴を済ませた杏樹は一果が置いて行った下着とルームウェアを拝借したが、脱衣場で苦虫を潰したような顔になった。
あのフェロモン美女め。スタイルがいいとは思っていただが、ここまで違うとは。
ブラを拝借して身につけて項垂れた。アンダーはいい。問題はカップだ。厚めのパット一枚・・・二枚分隙間があったのだ。Dカップの杏樹も決して小さい方ではないが、一果は目のやり場に困るほど胸元はアメリカンサイズなのだ。
ずるい!
杏樹は自身が今日つけていたブラからパットを抜き取ると一果のブラに追加して何とか誤魔化した。ちょっと隙間はあるが妥協範囲だろうと、他にパットもないしと泣く泣く諦めた。ショーツとルームウェアは問題なく身に着けることが出来たが、着ていた服のポケットからスマホを取り出し渋面を作った。
面接に向かう際、ホームステイ先には夕食はいらないことをメールで伝えていたが、相手の母親から何通も返信のメールと電話が届いていた。
内容のほとんどが、どこの誰といるのか。ご飯はちゃんと食べているのか。帰宅は何時になるのかなど大まかにはその三つ内容がしつこいほど連絡が入っていた。
うるさい程の干渉は想定済みだったので消音にして無視していたがあまりの件数にドン引きだ。
[今日は友達の家に泊まりますので帰りません]
とだけ連絡し、面倒なので電源を切った杏樹は重いため息を吐くと、リビングに戻り亮介に先にお風呂を頂いたことにお礼を言った。
ソファに座ると、ここ最近不安でまともに寝れていなかったこともあり急に睡魔に襲われた。
船を漕ぐ杏樹に亮介は、空き部屋から頂き物のかけ布団を持って来ると渡しながら声をかけた。
「俺が入浴を済ませるまで待たなくていい。先に寝てろ」
「うん、そうするね」
ポスンッと横になった杏樹の目は今にも閉じかけていた。
「俺も入浴が済んだら今日はもう就寝するから気にせずゆっくり休め」
「はーい」
夢心地に呟いた杏樹によっぽど疲れていたようだと感じながら、亮介は入浴前に水分補給しようと冷蔵庫からお水のペットボトルを取り出しシステムキッチンの上に置いた。
食器棚からガラスコカップを取り出して水を注いでいる時にドスンッという音に驚き、音のする方に顔を向ければソファから落ちている杏樹を見て唖然とした。
杏樹は何事もなくソファに戻っていたが「大丈夫か?」という言葉は耳に入っていないのか黙って横になるとまた目を瞑ってしまった。
やれやれと注いだ水を飲み、食洗機の中にカップを置いている最中にもドスンッと音がした。完全に寝入ったのか杏樹が落ちたまま床で寝ているのを目にして亮介は項垂れた。
「誰が寝相がいいって?」
呆れて口にはするものの、起こさないように静かに移動しそっと杏樹をソファに戻した。
すると背もたれの方に体を向けて寝始めた杏樹にこれならそうそう落ちないだろうと判断し、亮介も今日は疲れたと早々にお風呂場に向かった。
湯船に浸かりながら亮介は長すぎた一日を振り返りながら、明日から今以上に騒がれることを覚悟した方がいいと顔を強張らせたが、女に追いかけ回されることを思えば何とか対処はできるかと考えを改めた。
契約恋人から契約婚約になったことは状況を鑑みれば致し方なかったが、彼女の問題が解決した暁にはこの関係は解消することになるのだから、少しの間婚約者として行動することも問題ないかと思えた。
湯船から出て頭髪、体と洗っていく中ではたと気付いた。
指輪の相手を公開した以上、関係を解消するとなると破局をいうカードを切るしかないが、そうなると亮介はまたフリーに戻ることになる。そうなると女避けのアイテムを失うことになりまた女に追いかけられる日常が待っていることに気がつき真っ青になった。
体に着いている泡をシャワーで流しながら、そんな生活になるくらいならこの契約関係を続けることの方が精神的にも生活面でも利があることに気が付き亮介は苦悩した。
何より杏樹が思ったよりも話のわかる人物でこれほど楽に接することができる女性に出会ったのは初めてだった。
単純に彼女が子供なだけかもしれないが、邪な感情を向けられないことに安堵しているのは事実だ。そんな女性と関係を解消して、その後同じような女性に出会える可能性がどれだけあるのか。しかも自分の年齢を考えれば偽装だけでは済まされそうにない。
湯船に浸かり直し、渋面を作った。しかしこの問題は今後の行く末に関わるだけに、杏樹の同意が必要不可欠だ。自分一人で決められるものではないと首を振った。
二人にとって妥協できる結末が迎えられればいいとお風呂場の窓から見える夜空を見て、深い息を吐いた。
そして気づいた。もし彼女の問題が解決した後もこの関係を延長することをお互いが望んだとして、その先にあの二人の許しが必要になることを・・・。
一果も圭吾の娘、蘭も一筋縄では行かない女性だ。そこは偽装だろうと本気だろうと通らねばならない通過儀式にお先真っ暗と言わんばかりに顔に暗雲立ち込め、亮介はさらにドッと疲れが溜まったのは言うまでもない。
今日はもう何も考えたくないとのっそり湯船から出ると、タオルで乱暴に体や髪の毛を拭くとルームウェアに着替え髪の毛をドライヤーで簡単に乾かし、重い足取りで寝室へと向かった亮介だった。
亮介はこの問題は二人だけのものだと思っているが、自分たちがどれだけ人の目を惹く存在かと言うことを失念していた。
そんな二人が一緒にいて興味を引かない者はおらず悉く干渉され二人の関係を憶測する者達で溢れ、本人達の預かり知らぬところでどんどん噂だけが一人歩きし、身動きが取れなくなるまでそう時間はかからないということをこの時はまだ知らない。




